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2017年10月15日 (日)

藤原京から平城京に遷都した理由


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遷都の理由は1つではないと思うが,
長安のような巨大な都市を作るのに,
そこに住む人の事を考えないわけにはいかないだろう。
そうすると,やはり衛生問題がクローズアップしてくるのではないか。
水は低いところに流れるわけで,
使用した水をうまく排水できない都は,汚水のたまり場に・・・。

実際『続日本紀』706年3月14日に,
「詔曰・・・又如聞、京城内外多有穢嗅・・・」
という記事があるそうですから,
かなり深刻な問題だったのでしょう。

藤原京の「命」は,694~709年とすると,
わずか15年ほどで引越ししたことになります。
(次の平城京は80年以上使ったわけだから,驚くほど短期間です)
当然解体・運搬できる建造物は,そうしたでしょう。
薬師寺も確かそうだったのではないかな?

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コメント

私は藤原京から平城京への遷都の理由を以下のように考えています。
1:藤原京はもともと九州王朝天子の都として近畿天皇家が作った。だから列島王者となったとき、自身の都が欲しくなった。
2:しかも近畿天皇家初の天皇となった文武は早世し跡取りが幼少だったので、権力に空白が生まれそうになった。そこで女性天皇で間を継いだが、やがて天皇になる皇子(のちの聖武)に権威を付けさせる意味でも、近畿天皇家独自の都を必要とした。文武・聖武の母はともに藤原氏であり、長屋王のように父母ともに天皇の子というもっと卓越した血筋の王族がいたから、権威づけは不可欠だった。
3:藤原京は規模が小さく手狭であり、しかも河川氾濫の影響を受けやすかった。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

そうですね。権力者の都合も当然あったでしょう。
どれか一つということは,歴史にはありませんから・・・。
中学生たちには,そういう多面的な見方をしてほしいなと思っています。

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