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2017年10月15日 (日)

藤原京なのか,新益京なのか?

複数の名称がある時,それが何かの歴史の真実を物語っていることがある。
藤原京といったり,新益京といったりすることも,
やはりそうなんじゃないかと思って,
「藤原京 名前の由来」で検索してみた。
やはり,同じように思っていた人がいた。

「藤原京」って名前は変じゃないですか?

新益京(あらましのみやこ)の意味
(「古賀達也の洛中洛外日記」第547話)

ウィキペディア「藤原京」

サンケイ新聞の記事「奈良・藤原宮大極殿の基壇の規模判明 奈文研調査」

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥さんへ

造る前に名前を決めるより、造った後に(又は途中で)名前を付けるのが普通ではないでしょうか。
工事では「(仮称)○○マンション」などで始めているようです。
『日本書紀』の「新益京」がたぶん仮称なのだと思います。

それよりも、次のように思うのですがどうでしょう。
「新」とあるので「旧」がある。
「益」とあるので「益さない状態」がある。

ということから、「新益京」があるなら、
「元々、新益京よりも狭い京があった。」
それを拡大したのが「新益京」である。

元々あった藤原宮を東南(新益京の中心)に遷したのではないでしょうか。
妄想ですが・・・。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

〉 「元々、新益京よりも狭い京があった。」
それを拡大したのが「新益京」である。

私もそうおもいますが,
もともと「藤原宮」というものがあって,
それを拡大して構想されたのが新益京(仮称)。
でも,中心地は「藤原宮」というところから,
藤原京ということになっていったのでしょうか。

肥さんへ

そのとおりだと思います。

肥さんへ

その藤原宮(新益京の中心にある宮)は、
条坊を埋め立てて造られているので、
後から設計変更で遷されたことになります。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

ウィキペディアから得た知識でも,そんな感じでした。
また,「藤原京には外的防衛の機能はなく、都を囲む城壁や正門が存在しない」ということですから,
手本にしたという長安とはだいぶ違うものだったようです。
しかも,高低差もあまり意識されていなかったようで,排水ができなくなったらしい。

計画的な都・・・最初から設計図を基にして作る。高低差も考慮し,排水も可能。

藤原京・・・元の宮があり,それを基本に設計しなおして範囲を拡大して「京」とした。
新益の語源からみても,「増補」のニュアンスが・・・。
で,排水問題もあり,平城京へ遷都することになった。
もちろん政治的意図もあったと思いますが。

それに対して太宰府は,排水の問題は起きなかったようですが,
城壁や正門はあったのですかね?

肥さんへ

わが国には城壁は無かったようです。
太宰府には羅城というのか、土塁が築かれていたと。
朱雀大路と呼んだかどうかわかりませんが、
そんな大路と門があったような気がするのですが。
あまりあてにできません。歳なので記憶が・・・。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

築地と城壁は違うのですかね。
その違いは何なのでしょうか。

肥さんへ

「城壁」というのは大興城・長安城などにあるものです。
具体的には外の敵をその上から攻撃できるようなものです。
築地というはただの「塀」(家屋などを取り囲むもの)です。
万里の長城みたいなのが「城壁」と思えばよいと思います。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

〉 万里の長城みたいなのが「城壁」と思えばよいと思います。

なるほど!よくわかりました。

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