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2017年10月29日 (日)

「古田史学の継承のために」サイトに,川瀬さんの新論考

川瀬さんが,「古田史学の継承のために」サイトに,
新論考を寄せられた。以下のものである。

「主語有無」の論証など,様々な角度から斉明紀を精査されている。
興味のある方は,以下のサイトへ。
「夢ブログ」は,お知らせだけを担当しています。

●書紀斉明紀を精査する(川瀬さん)

http://koesan21.cocolog-nifty.com/keishou/2017/10/post-7ae0.html

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●書紀斉明紀を精査する

川瀬健一

はじめに:

 「書紀天武紀・持統紀の宮関係記事を精査する」を発表してから、
大下さんと上城さんからさまざまなご批判を頂いた。このお二人からご批判を頂き、
これに反論している過程 で、さまざまなことが明らかになっていった。 

 これについては後程また別途明らかにしたいが、
議論の中で上城さんから「書紀斉明紀には主語が省略された文章が多いが、
ここをどう解釈するか知りたい」との要望があって、これにこたえて精査したところ、
とても興味深い結果が出てきたのでここで報告すること としたい。 

 結論を先に示せば、九州王朝と唐との戦争が間近に迫ったこの時期において、
近畿天皇家は、九州王朝から半ば自立して、周辺諸国と新たな通交関係を構築していた。
そして唐との直接関係も築いていた。斉明五年七月の遣使記事である。
これに対してこの時期九州州王朝は、唐王朝の東の果てに繋がる、
アムール川河口付近に展開する粛慎を従えようと何度も軍を派遣し、
これに伴って、東北地方から北海道にわたる蝦夷をも安定的に支配しようと画策し、
蝦夷征討も何度も行っていることがわかった。
そして唐にも何度もこれ以前から遣使を行ってはいた。
ただし新羅の遣唐使に付ける形ではあるが。 

 唐・新羅連合との決戦と白村江敗戦直前の両王朝の対照的な動きである

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コメント

お忙しい中で、お手数をおかしました。個別に検討する方法が適切であろうと感じました。「日本書記」に読解の法則が有れば(主観によらず、誰もが理解できうる)楽なのでしょうが、今回川瀬さんが示されたように、地味に検討し、あとは裏付けになりうるものを求めていくしかないように感じました。ありがとうございました。

 上城さんへ
 日本書紀はそれぞれの天皇の紀を丁寧に読み解いていくしかないと思っています。その中で読み解くための法則性のようなものがいろいろ出てくるのだと。
 同じ作業を斉明紀の前後に手を伸ばしてやっているところです。孝徳紀、そして天智紀。面白いですよ。興味深い事実がいろいろと浮かび上がってきます。

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