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2017年10月 3日 (火)

“「無位」から貴族へ大出世”の謎

『続日本紀』の読書の中で,私自身が
「飛ばし読み」していた項目があることを告白しよう。
それは,個人の出世記事である。(あまり興味がないので)

しかし,それは間違いだった。
先日の山上憶良の「無位」からの大出世でもわかるように,
ここにも九州王朝から大和政権への事実が記録されていたわけだから。

貴族は何位以上かという問いに対して,議論はあるようだが,

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特に六位以下から従五位下に昇ることを特別に「叙爵」と言います。
また貴族の入り口である従五位下のことを「栄爵」と言います。
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という説明もあったので,一応「従五位下」を貴族ということにしておこう。

山上憶良と同じように大出世をした人がいないだろうか?
というのが本日の話題である。
「もちろん多数いたのではないか」という仮説である。
698年から720年の「無位」記事を拾ってみる。

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(1) 701年・・・無位の山於憶良を少録とした。(この時点では,まだ従五位下になっていない)

(2) 704年・・・無位の長屋王に正四位上を授け,無位の大市王・豊嶋王・気多王・夜須王・倭王・宇太王
 ・成会王にはそれぞれ従四位上を授け・・・

(3) 705年・・・無位の安八万王に従四位下を授けた。

(4) 705年・・・無位の山前王に従四位下を授けた。丹波王と阿刀王にはともに従五位下を授けた。

(5) 710年・・・無位の門部王・葛木王(後の橘諸兄)・・・従五位下を授けた。

(6) 712年・・・無位の上道王・大野王・倭王に,ともに従四位下を授けた。無位の額田部王・壱志王・田中王に
 ともに従五位下・・・を授けた。

(7) 713年・・・無位の門部王に従四位下,無位の高安王に従五位下を・・・授けた。

(8) 714年・・・無位の河内王に従四位下を,無位の桜井王・大伴王・佐為王にそれぞれ従五位下・・・授けた。
 正六位上の山上憶良・・・従五位下を授けた。

(9) 716年・・・山上憶良を伯耆守に・・・任じた。

(10) 717年・・・無位の伊部王に従五位下を授け・・・

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以上の「無位」から従五位下(貴族)以上への大出世だけで,20人以上いる。
これ以降にも「無位から」の例は続くが,これくらいにしておこう。
(「夜須」や「宇陀」や「大野」は福岡県にある地名である)

もちろん山上憶良のようにその能力が秀でていたために大出世をした人がいないとは言えないが,
どれも「王」の名の通り,王族の一員であり,大和政権下では「無位」とされたが,
以前の王朝では高い冠位を持っていたに違いない。

白村江の戦いで九州王朝が敗北した後に王族たちを待ち受けていた運命は,
高い冠位 → 「無位」扱い → 従五位下(貴族)以上の待遇での誘い
というジェットコースターのようなものだったのではないか。
 
もちろん私は,「無位」から貴族への大出世を非難しているわけではない。
その人自身の保身を越えて,家族や一族のことを考えてそうした場合もあるだろう。
また,「山沢亡命}して,危険な抵抗をしている人たちも責めるつもりもない。
もし彼らが違う時代の違う環境に置かれていれば,違う方法を取ったかもしれないから。

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コメント

 無位の人をいきなり貴族である従五位以上の叙任。
 でも全部を、九州王朝系の王族や豪族と判断するのは即断過ぎますね。

 2の704年の長屋王記事。
 この人は確実に、天武の孫。高市皇子の子供です。しかも母は天智天皇の皇女の御名部皇女。両親ともに天皇の子という確実に天皇になれる血筋の人です。

 ここに示された一人一人を精査してみることが大事です。肥沼さんの仮説が成り立つかどうかを明らかにするには、この作業が不可欠。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

もちろん一人ひとりの人物の精査は欠かせないと思いますが,
少しずつしか上がらない位とは全く異例の20数人がいるということは,
時期が時期ですから九州お王朝の王族たちという可能性は大いにありますよね。

>少しずつしか上がらない位とは全く異例の20数人がいるということは,
時期が時期ですから九州お王朝の王族たちという可能性は大いにありますよね。

いやどうでしょうか。近畿天皇家の「王族」たちの中には、九州王朝治世下では、それこそ無位だった人が多いのではないでしょうか。何しろ九州王朝の分家の分家にすぎないのですから。
 即断は禁物です。やはりできるだけ調べる必要ありです。

 一つのヒントは、九州王朝時代に官位を持っていた近畿天皇家の王族を全部アップしておく必要がありますね。おそらく天智や天武直系だけではないのか。
 これには「日本書紀」の精査が不可欠です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

そうなんですか。
それだと意欲減退です。
山上憶良と同じようなケースかなあと思っていたので・・・。

肥沼様

「无位」から「従五位下」というのは「王」(つまり「皇親」あるいは「諸王の子弟」)であれば「出世」とは言えません。
彼等は特別待遇されており、特に「親王」であれば「初叙」つまり始めて「叙」される(位階を受ける)年令も通常の25歳ではなく21歳となっていますし、さらに「蔭位の制」の適用も受けていました。これは通常、親や祖父が高位の位階を得ていた場合その嫡男については、始めての任官でも」「五位」を上限として「位階」を得ることができる、という規定であり、これに該当する「王」がかなりいたと思われるのです。
 つまり「無位」からの抜擢はその人物が「21歳」をはるかに超える場合不審といえますが、そうでないならそれはかなり普通の出来事といえます。その意味で「位階」を受けた年令が重要です。「山上憶良」はそのため「不審」といえるわけです。(40歳過ぎていますから)

James Macさんへ
コメントありがとうございます。

〉 その意味で「位階」を受けた年令が重要です。「山上憶良」はそのため「不審」といえるわけです。
(40歳過ぎていますから)

なるほど,そういうことなのですね。
今の40歳は若いですが,当時の40歳だと,やはり「不審」です。

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