« 国宰と国司~2つの「県知事さん」 | トップページ | 「勝つに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」(松浦静山) »

2017年9月10日 (日)

勝瀬中との練習試合 9/9

昨日は,勝瀬中に来ていただいて,
練習試合を行った。
本コーチにお世話になった。

2ー4(25ー27,23ー25,10ー25,
 25ー15,21ー25,25ー19)

これまで3日間アウェーでの戦いが続き,
慣れない会場での劣勢があったと思う。
しかし,それは気のせいで,ホームでも劣勢であった。
つまり「地の利」を生かしていないのであった。

① レシーブがしっかり上げられず,トスも不確実なアンダーに頼り勝ちで,
 スパイクも力任せで得点を稼げなかった。
② 25点で試合は終わってしまうのに,それを考えていないプレーが多い。
 たぶん「35点マッチ」なら勝率が上がると思う。
③ コーチの指示も理解できず,我を貫き通し,また同じ失敗を繰り返した。
 (同じ場所に決められるのは,やはり何かが間違っていると思う)

得点から言っても明らかだが,第3セットは「負のスパイラル」で,
本当に放棄試合にしたいほどだった。
もっと一生懸命やらないと,これまでの先輩たちのようにはなれないよ。
負けている時ほど,声出しが必要なのだ。

しかし,いい面もないわけではなかった。(なかったら,顧問をやめています)
チーム1おとなしくて声の出せなかったK君が,サーブの際に大きな声を出せた。
また,審判の役を進んでやってくれる生徒がいた。

保護者の皆さま,昨日もたくさんの応援ありがとうございます。
ストレスの多い試合ばかりで申し訳ありません。
1ミリずつでも前進してくれればと思い,老体に鞭を打つ私です。

本日は,所沢東中との練習試合を行う。
昨日の反省が生かせればいいが…。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「勝つに不思議の勝ちあり。
負けに不思議の負けなし」(松浦静山)

江戸時代中期の人で,松浦静山という武士がいた。
『甲子夜話』(かっしやわ)という本を著したことで知られている。
ただし,この言葉は,剣術書『剣談』に入っているらしい。
「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」
という含蓄のある言葉が登場して,
あの野村監督も座右の銘にしているという。

つまり「どうして勝てたかわからない」ということはあっても,
「負けるには,負ける理由がある」ということである。
「それができていないから負けた」ということなのだろうと思う。
「偶然負けた」「運が悪かっただけ」と言っていては,進歩がない
また同じ失敗を繰り返すだけである。

なお,松浦は「まつら」と読むそうだ。

« 国宰と国司~2つの「県知事さん」 | トップページ | 「勝つに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」(松浦静山) »

部活動」カテゴリの記事

コメント

 江戸期の大名松浦(まつら)氏は、倭国水軍の中核をなしていた松浦水軍の末裔です。
 この水軍はそのまま北九州と瀬戸内西部を支配する水軍として戦国時代まで続き、
徳川氏の時代になっても大名として残りました。
 本拠地は平戸島です。あの、ポルトガル商館やオランダ商館が最初に置かれた場所。
 おそらく松浦氏は倭寇の将軍であり、八幡船を操って東南アジアまで貿易に駆け巡っていた人たちの頭でしょうね。
秀吉の朝鮮侵略の時は、人員の輸送と兵站を担当しました。
 この平戸島が伝統的に松浦水軍の拠点です。
 このため最初の西洋諸国との港は平戸港だったのです。
 松浦静山は水軍の長ですから、その情報網は広大なのでしょうね。
 だから彼がかいた「甲子夜話」の情報量はすごい。
 

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

なるほど,松浦水軍の末裔でしたか。
平戸は長崎の前の貿易の窓口でしたし,
海外情報もたくさん入ってくると・・・。
なんだか,視野が広がってきました。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 国宰と国司~2つの「県知事さん」 | トップページ | 「勝つに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」(松浦静山) »

2020年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ