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2017年8月23日 (水)

「敬称の愛彌詩」と「蔑称の蝦夷」

〉 蝦夷を(愛美詩)と書く表記は初めて見ましたが
美は中国で昔から使われている漢字であると思います
愛や詩は比較的新しい漢字ではないでしょうか?
古代からある漢字なんでしょうか?少し疑問が?

以上のように翔空さんから鋭い質問をいただいたのでお答えします。
(美は「サンズイに彌(弥)」の間違いでした。すいません)

実は,日本書紀の神武紀に以下のような表現があると
古田武彦氏が講演で話してくれたのです。

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歴史の踏み絵ーー「東北王朝」より~

敬称として使われた「えみし」

では、「えみし」とは。これが、新しい課題だ。『日本書紀』の神武紀に、有名な一節がある。

愛瀰詩烏、[田比]壤*利、毛々那比苔、比苔破易陪廼毛、多牟伽[田比]毛勢儒。
えみしも ひだり ももなひと ひとはいへども たむかひもせず
(「ひだり」は“一人”。「ももなひと」は“百(もも)な人”。
岩波『日本古典文学大系』本による。二〇五ぺージ)
壤*は、土偏の代わりに人偏 ユニコード58E4
[田比]は、JIS四水準,ユニコード6BD7

 この「愛瀰詩(えみし)」は、神武の軍の相手方、大和盆地の現地人を指しているようである。
岩波本では、これに、「夷(えみし)を」という“文字”を当てているけれど、これは危険だ。
なぜなら「夷」は、例の“天子中心の夷蛮称呼”の文字だ。
このさいの“神武たち”は、外来のインベーダー(侵入者)だ。
「天子」はもちろん、「天皇」でもなかった
(「神武天皇」は、後代〈八世紀末~九世紀〉に付加された称号)。

 第一、肝心の『日本書紀』自身、「夷」などという“差別文字”を当てていない。
「愛瀰詩」という、まことに麗わしい文字が用いられている。
これは、決して“軽蔑語”ではないのだ。それどころか、「佳字」だ、といっていい
(「瀰」は“水の盛なさま”)。彼等は“尊敬”されているのだ。

 さらに、内容も、そうだ。
“この「えみし」は、一人で百人に当るほど強い”
といって、その武勇をほめたたえているのだ。もちろん、その結論は、
“そんなに強い、といわれる彼等さえ、わたしたち(神武の軍)には、全く抵抗さえしなかった”
という、自己賛美、いわゆる“手前味噌”に終わっている。
しかし、その前提をなす「えみし」観、それは、以上のようだ。
「軽蔑」でなく、「敬意」なのである。 ーーこれは、何か。
(青森市の「市民古代史の会」〈三内、鎌田武志氏方〉は、
その会報〈月一回〉を『愛禰詩』と題しておられる)。

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これは東北(当時は大和あたり?)を蝦夷とマイナス表現でいう以前の
さらに古い時代の表現ではないでしょうか。
私も翔空さんと同じ感想をもったので,なつかしい論文を探して紹介しました。
神武ということは,2000年ぐらい前の表現なのかな?

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コメント

肥さんへ

>神武ということは,2000年ぐらい前の表現なのかな?
流石、肥さんです。神武譚を紀元頃のことと見抜いてられる。
あなどれません。
2600年など言わないのが古田学徒たるところ。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

〉 流石、肥さんです。神武譚を紀元頃のことと見抜いてられる。
あなどれません。
2600年など言わないのが古田学徒たるところ。

いやいや,「1000年単位で言えば,大昔ですよ」と
翔空さんに伝えるために「2000年ぐらい前」と言ったまでです。
特に,皇国史観の「紀元2600年」は頭にありませんでした。(^-^;

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