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2017年8月17日 (木)

弓月君(弓月国)について調べてみた

通りすがりBさんのコメントについて,
とりあえず「弓月君(弓月国)」について調べてみた。

弓月君とは

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B

弓月国とは

https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-11964887319.html

古代の国際関係も,いろいろなことがあったようだ。
つくづく自分の無知を思う。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

またまたご丁寧な返信+記事UPありがとうございます。
昨日は「元伊勢」というワードの調査を行う中、またまた○○○(私と同姓)神社が存在している事を確認しました。これがまた歴史が古く、更なる深みに進んでおります。柱となるテーマを史実に照準をあわせてコツコツ進行してみます。
貴ブログはお気に入り登録してありますので、今後も楽しみに拝見させていただきますね。

通りすがりBさんへ
コメントありがとうございます。
「お気に入り登録」うれしいです。

「元〇〇」という言葉は,現在の〇〇に対して本家を主張するような言葉ですから,
それだけでも「歴史」が感じられますね。
また,神社に自分の姓が付いているなんて,凄すぎます。
ぜひ解明してみたいものですね。
今後ともよろしくお願いいたします。

書紀応神紀の関係記事を読んでみた。
①十四年春二月、百濟王貢縫衣工女、曰眞毛津、是今來目衣縫之始祖也。是歲、弓月君自百濟來歸、因以奏之曰「臣、領己國之人夫百廿縣而歸化。然因新羅人之拒、皆留加羅國。」爰遣葛城襲津彥而召弓月之人夫於加羅。然、經三年而襲津彥不來焉。
 これが最初に弓月君が来たところ。「奏」だから相手は「天皇」。そして「遣葛城襲津彥而召弓月之人夫於加羅」の葛城襲津彥を迎えるために派遣した主体が省略されているから、この「天皇」は近畿の王・応神ではなく、この時の九州王朝の天皇。

②十六年八月、遣平群木菟宿禰・的戸田宿禰於加羅、仍授精兵詔之曰「襲津彥久之不還、必由新羅之拒而滯之。汝等急往之擊新羅、披其道路。」於是木菟宿禰等、進精兵、莅于新羅之境。新羅王、愕之服其罪。乃率弓月之人夫、與襲津彥共來焉。

 ここでも平群らを派遣した主語は省略され、詔の主体も省略。やはり九州王朝の天皇のしたことです。つまり弓月の君一党を迎え入れたのは、近畿の王ではなく九州王朝の天皇。したがって最初は弓月君の一党は九州王朝の版図にいたわけ。九州王朝の版図を私は、九州島の五か国(筑紫・豊・火・日向+近江=のちの肥前)と瀬戸内海の四か国(長門・安芸・吉備・播磨)と考えています。この範囲にやがて弓月の君の一党の子孫は広がり、その後近畿天皇家の版図にも広がったと思う。

 ところでこの当時の九州王朝の国号は何か。応神紀には三か所「貴国」の文字が見られます。
③三年冬十月辛未朔癸酉、東蝦夷悉朝貢。卽役蝦夷而作厩坂道。十一月、處々海人、訕哤之不從命。訕哤、此云佐麼賣玖。則遣阿曇連祖大濱宿禰、平其訕哤、因爲海人之宰、故俗人諺曰佐麼阿摩者、其是緑也。是歲、百濟辰斯王立之、失禮於貴國天皇。故遣紀角宿禰・羽田矢代宿禰・石川宿禰・木菟宿禰、嘖讓其无禮狀。由是、百濟國殺辰斯王以謝之、紀角宿禰等、便立阿花爲王而歸。
 百済辰斯王が貴国に礼を失した態度をとり、ために詰問使が送られ、王が交代させられたとの記事。

④八年春三月、百濟人來朝。百濟記云「阿花王立旡禮於貴國、故奪我枕彌多禮・及峴南・支侵・谷那・東韓之地。是以、遣王子直支于天朝、以脩先王之好也。」
 先の百済の記事の続きです。

⑤廿五年、百濟直支王薨、卽子久爾辛立爲王。王年幼、木滿致執國政、與王母相婬、多行無禮。天皇聞而召之。百濟記云「木滿致者、是木羅斤資討新羅時、娶其國婦而所生也。以其父功、專於任那、來入我國。往還貴國、承制天朝、執我國政、權重當世。然天朝聞其暴召之。」
 百済王が死去し、その幼い皇子が即位したが補佐役についた木滿致を百済記で説明した箇所。彼は百済の将軍が新羅を攻めたときに新羅の女との間で生まれた子。そして父の功によって任那を任されて百済に戻り、貴国との間を往還したと。

 この③④⑤の記事の間に先の弓月君に関する記事があるのですから、弓月の君一党を受け入れた九州王朝の当時の国名は「貴国」であった。
 これがどこかは古田さんがすでに論証している。

川瀬さんへ
コメントおよび詳細な調査,ありがとうございます。
ここでも「主語有無」の論証が使えましたね。

私のやったのは「検索」だけですが,
川瀬さんのやったのが,
本当に「調べてみた」に値する行為です。

書紀応神紀の関係記事、凄いです。
本当に素晴らしい情報を拝見することができました。ありがとうございます。

12弁菊家紋を起点に、自身の系統調査をはじめましたが、
もし、私の系統が、弓月に縁があったり、渡来の一族であると、仮定できるのであれば、まず、九州、家紋から察するに王朝にも関連?、おって東(畿内)へ移動、神宮設立に関与、したと考えて良さそうですよね?。

そういえば、私の知る限り九州には親族が居ないのですが、
九州(ガッツリ家系)出身の後輩から、「うちの兄貴に瓜二つすぎます!」って言われたことがあります。自分の兄に似てるって言えるくらいなので相当似てるのだと思います。

何だか、もっともっと深く歴史を知りたいです。いつもありがとうございます。

通りすがりBさんへ
 お役に立てたようで嬉しいです。
 どこかのサイトにあったと思うのですが、苗字を入力すると、電話帳を元にしたデータで、どの県にどの程度分布しているか調べてくれるサイトがあったように記憶しています。

 姓名分布&ランキング

  http://www2.nipponsoft.co.jp/bldoko/index.asp

 苗字の全国分布一覧

 https://name.sijisuru.com/Area/mapindex

 苗字由来ネット

 https://myoji-yurai.net/

 それぞれ利用してみてはいかがでしょうか。苗字由来ネットが一番総合的のようです。

川瀬健一様
ご教授いただきましたサイトのほう、早速、活用させていただきました。
姓の分布です。

検証① 姓の漢字はそのまま
→ 結果:滋賀(を中心に他府県少々)・新潟が大半で、九州には同姓がおらずでした。

検証② 姓の漢字を変更(読みはママ、中国由来ママの漢字と予想)
→ 結果:滋賀・愛知・茨木が大半で、九州北部にも若干存在していました。

検証②については、驚きの結果でした。。
昨日、自分なりに考えた挙句に、検証②の漢字表記にたどり着きました。
おそらくこちらの表記のほうが歴史が深い(中国っぽい)だろうと仮説を立てていましたので、九州に縁がある可能性に、大きく踏み込めた印象です。

本当にありがとうございます。

通りすがりBさんへ

 またまたお役に立てたようで幸いです。
 苗字の読みをそのままにして漢字表記だけを変えたのですか。それは良い方法です。その結果の②の事実。
 滋賀・愛知・茨城(茨木とあったが?)九州北部に若干。
 この茨城が、江戸時代の常陸の海岸に虚舟がたどり着いたところですね。
 苗字の分布って面白いでしょ。その一族の歴史を反映していますから。

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