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2017年7月 9日 (日)

「原稿依頼」をいただきました!

『古代に真実を求めて』第21集の「原稿依頼」をいただいた。
特集企画が「古代官道」ということだからだと思う。

もちろん「待っていました」的企画なので,元原稿に手をいれて投稿しようと思う。
(元原稿の題名は,「日本古代ハイウェーは九州王朝が作った軍用道路か?」で,
「古田史学会報」2012年2月号に掲載された)

また,「古代道と駅鈴」についても目をつけていただき,感謝である。
ぜひこちらも頑張りたい。

なお,メールでいただいた内容なので,
Hさんとさせていただいた。

メールがまだ完全に回復しておらず,
こちらを通して「投稿」を表明させていただく。

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肥沼様
前略お世話になります。古田史学の会のHです。
「古代に真実を求めて」第21集(来年3月発刊予定)の編集を進めておりますが、
現在の所、特集企画2として「(仮題)九州王朝の古代官道」を予定しています。
掲載論考として、
肥沼さんの「古代官道は軍事ハイウェイ」(以前会報掲載分)の推薦を受けております。
よろしければ、第21集へ再投稿願えませんか。
又、併せて、コラムとして、
肥沼さんの「古代道と駅鈴」(ブログ掲載分)も投稿のご検討をお願いします。
こちらはコラムですので、短文でお願いします。
投稿は10月末締め切りです。いただいた投稿は編集会議で採否決定させていただきます。H

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コメント

肥沼さんへ
 肥沼さんの古代官道についての論文には大きな問題点があります。それは最後の仮説部分。
 「古代日本ハイウェーの建設と廃棄」の仮説
 ということで、もうおわかりだと思うが、私の仮説は以下のようなものである。
(1)唐との「本土決戦」に備えて、九州王朝は全国に軍用道路である「古代日本ハイウェー」の建設を命じた。(7世紀半ば)
(2)662年か663年、白村江の戦いで倭国(九州王朝)が大敗北。
(3)唐の占領軍またはその意をていした大和政権が古代日本ハイウェーの廃棄を指示した。(神籠石の破壊はもちろん同時に、あるいは優先して行われただろう)

 2までは仮説として成り立ちますが、3はこの前にご自身が挙げた史料によって否定されています。
 その史料とは、「白村江の戦いと唐の占領軍の来日」の項の最後にある、
「実際、7世紀の第3四半期(651?675年)に建設したと考えられる東山道武蔵路は、8世紀半ば(750年)には使われなくなったり、道幅も縮小されたり、ルート変更されたりして、歴史の闇に葬り去れたようである。」ですよ。
 東山道武蔵路がつかわれなくなったのは8世紀半ばであり、この理由は肥沼さんも他にどこかで書いたかと思いますが、武蔵国が東山道から東海道に配置換えが行われたことで、上野国の国府との連絡道であるこの道は官道ではなくなった。しかしその後も改修されながら使い続けられたことは、発掘記録からあきらかです。

 仮説の3は廃棄されるべきです。
 そうではなく、東山道武蔵路の発掘成果からは、九州王朝が滅びてのちも古代官道は使われ続けたです。途中あちこちで経路変更はあったことはすでに四国で確かめられています。そして廃絶は、王朝国家の衰微が原因であったことも。

 以上を心して修正してください。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

川瀬さんにご指摘いただいた部分を修正して,
出直し再出発させていただきます。
投稿までに,一度「夢ブログ」等に掲載して見ていただきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。

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