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2017年4月 1日 (土)

本屋で売っているもの

本屋で売っているものは何か?
もちろん本は売っている。本屋だからね。

では,バスの椅子は売っているだろうか?
普通は売っていないだろう。本屋だからね。

でも,万に1つは売ってる本屋もあるかもしれない。
そういう柔軟なノーミソで困難な時代を乗り切って行きたい。

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昨日神保町の書泉グランデに寄ったところ,
それは売っていた。
「バスの椅子」そのものであった。

P3310146

「買おうかな・・・」と気持ちがかなり傾いた。
しかし,座って写真を一枚撮るだけにしておいた。
皆さんだったら買いますか?

ちなみに,その座り心地はとても良く,
私の家には置くスペースはないが,
もし友人の家にあったら,
訪問する度に座りたくなるような感じでした。(笑)

その後,別の本屋(古本屋)で,
『ロバート・キャパ写真集』を買って帰った。
私は写真部の人間だったので,
彼のことは若い頃から知っていた。
生徒たちも「渡部陽一のビデオ」の中で紹介していたので,
覚えている者もいるだろう。

P3310155


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「教育」カテゴリの記事

コメント

さすが肥さん!
バスの椅子でつかんでロバート・キャパを売るとは・・・
商才がある!

バスの椅子、拡大してよく見たら「お持ち帰りで」と書かれてあった。

電車で来た人は持ち帰れない。
たぶん、梱包と発送の費用を払えば発送も承りますということなのだろう。

でも手で持って帰る人は、電車の中でバスの気分を味わえるかも。
(そんなもの味わってどうするのだとの声が聞こえる)

山田さんへ
コメントありがとうございます。

江戸川乱歩の小説に,「椅子」をテーマにしたものがありましたが,
このバスの椅子も私のお尻にとてもフィットしていました。
私は電車が好きなので,「電車の椅子」だったら買っていたかもしれません。
ただ,紙一重「バスの椅子」だったので踏みとどまりました。
(「どちらでも似たようなものだろ」という読者の声。笑)

肥さんへ

肥さんの流儀でできるか、私もやってみました。つぎの妄想です。


妄想:万葉仮名にはカタカナ版もあった
ー西村仮説「平仮名と片仮名」による考察―

松田聖子の歌の一つに「真冬の恋人たち」(作詞:松本 隆、作曲:大村雅朗)があります。
冬の凍った湖のスケート場、そこに来たカップルを温かく見守る視点で描いたものです。
女性が気持ちを語るスタイルの歌詞です。松田聖子がこの詞と曲をみごとに歌っている佳品です。
関西風に言えば「ほっこり」した気持ちになりたいとき聴く私の好きな作品の一つです。
脱線ですが、関東にはこの「ほっこり」にピッタリ相当する表現がありません。
温かさをしめす表現に「ほかほか」「ほっかほか(だよ、おっかさん)」などはありますが…。


この曲を聴きながら、次のような妄想をしました。
「真冬」も「真夏」もあるのに、なぜ「真春」「真秋」がないのか。
「馬鹿だな、春も秋もピークなどないじゃないか。」と読者の声が。
その通りです。「真」が「ピークを表している」と考えることはできます。
では、漢字を表す「真名」や魚の「真鯖」「真鯛」「真黒」、魚じゃないが「真蛸」はどうでしょうか。
ピークはありません。「真心」、「真人間」、「真面目(まじめ)」というのもあります。

「真」の旧字は「眞」。
しかし、真面目に勉強をしてなかったバチがあたって、この漢字の部首がわからなかった。
出先なので国語辞典を持っておらず、部首がわからないと手元にある『新華字典』が引けない。
(漢文を読むことが多いのでこの小型で携帯に便利な『新華字典』を持ち歩いてます。)
スマホで検索したら部首は「目」であることがわかった。
「馬鹿だな、真と眞からわかりそうなものを。」と読者の声が。「目」だけが共通、その通りです。
『新華字典』ではこう書いてありました、と書きたかった。と、ところがです(動揺があった)。
『新華字典 改訂版』の「目」部(P.71。2000年2月25日、日本語版改訂版第1刷)にないのです。
しばらく何が悪かったのか考えました。
「馬鹿だな、『新華字典』は国語辞典なんだから、音(オン)で引くんだよ。」と読者の声が。
そうだ!(「真的!」)、音で引くんだ、と気づきました。「真」は「Zhen(一声)」と読むのでした。
独学ですが漢字の音くらいなら、なんとなくわかります。「ほう、感心じゃないか。」と読者の声が。
この「なんとなく」が怪しくて、つまりTとZとCとQとか、BとPとか、このあたりを行き来して汗をかきます。

やっとたどりついたのですが、『新華字典』には、こうありました。
だいぶ端折ってあります。私の訳なので信用なさらずに。
真 「Zhen(eの上にバーがある一声です)」
①真実、客観的事柄をさす記号。その反対語「仮」。
②確実、的確。
③清楚。
④楷書。
⑤本性、本来。

「真心」「真面目」は「①真実」でしょうか。
「真冬」は「②確実・的確」でしょうか。わが国語辞典には「まさに…という状態を表す接頭語」とありました。
「真鯖」「真鯛」「真蛸」「真黒」「真人間」は「⑤本性、本来」でしょか。
よしよし、これで問題は解決。
「まてよ、『真名』というのが“まだ”だろう。」という読者の声(ダジャレ)が。
うーん(少し苦しんでいる)、「真名」は何だろう。
①真の「名(字)」と解釈すれば反対語の「仮名」があるから、これはよさそうだ。
でもまてよ。それなら、「真名」と呼ぶには「仮名」という存在が前提になっているのか?
「仮名」がなければ「真名」などと呼ぶ必要はないじゃないか。ただ「名」と言えばいいはず。
と考えると、少なくとも「漢字」を「真名」と呼ぶ時代以前に、「仮名」と呼ばれたかどうかは別として、「仮名」という言葉で表されている文字が存在したと、論理的にはそう考えるしかない。

こう考えると、その字は後世には「仮名」と呼ばれる存在であるから、
まぼろしの「古代文字」などというものを「創造」する必要はないのです。
「古代文字」とか「古代尺」とかを「創造」される「クリエイティブな人」が世の中には多いのです。
その創造力は「現代」の分野において発揮してほしいものです。脱線したので戻しましょう。

後世に「真名(漢字)」と並べて「仮名」と呼ばれる、漢字以前から存在した文字。
「なんじゃこりゃ~(松田優作風に)」ということになりました。
「馬鹿だな、そんなのあるわけないじゃないか。」と読者の声。
いえ、ありました。「万葉仮名」という表音文字です。
「度しがたい馬鹿だな、万葉仮名は漢字じゃないか。」と読者の声。
「度しがたい馬鹿」はこう考えました。
「漢字」は「表音文字」ではありません。「万葉仮名」は「表音文字」です。
これが「真名」と「仮名」の区別の最大の理由だと考えたのです。
「真名」は漢字が表意文字(だけとはいえませんが)であることを表している。
「仮名」は「表音文字」であることを表している。
「度しがたい馬鹿だな、そんなことは小学生でも知っていることじゃないか。」と読者の声。
私は小学生とは違って、「妄想」ができるのです。いや「得意なんです」(サッカー解説者風に)。

ここから先が「妄想」です。
「万葉仮名」が表音文字だとすると、「万葉集」などが「真名」(漢字)で書いてある理由は、
公式に編纂されているからではないか。学者が「仮名」で書いたら「漢字」を知らないのかと馬鹿にされる。だから「漢字」で「万葉仮名」は書かれている。「万葉仮名」は「真名(漢字)」で書かれた表音文字です。
「万葉仮名」は「真名(漢字)版表音文字」ということができます。
だとすれば、後世に「仮名」と呼ばれる表音文字(「仮名(?)版表音文字」)もあったと考えても良い。という妄想になり、この「仮名(?)版表音文字」の「?」はどんなものであったかということになります。

妄想の結論から述べます。
この「仮名(?)版表音文字」のこの「仮名(?)」は「カタカナ」なのです。

表音文字をいちいち漢字の正字体でかいていたのでは消える言葉を書き留めることができません。漢字版万葉仮名を簡略化させた表音文字が使われていたに違いないと考えたのです。「万葉仮名」は学者が「漢字も知らないのか」と馬鹿にされないように正字体で書いてあったのです。
一般の人々が使っていた「万葉仮名」(表音文字)は「カタカナ版万葉仮名」だったのです。
このことを見抜いていた方が既にいらっしゃいました。
西村克己さんです。次が西村さんの仮説です。
…………………………………………………………………………………
割付担当の穴埋めヨタ話1
平仮名と片仮名
西村秀己
 日本語には平仮名と片仮名という、優れた簡易文字が存在する。これある故に日本人の識字率は世界でも有数のものとなった。何しろ漢字の本国である中国の児童たちは「百家姓」等でいきなり漢字を学ばざるを得ず、そのハードルの高さは日本の児童の比ではないのだ。
 その偉大な仮名の発明に対し、我等がご先祖様に敬意を表せざるを得ないのだが、ここでひとつの疑問が生ずる。何故二種類を必要としたのかと。
 その成立については、平仮名は漢字の崩しから、片仮名は漢字の省略からと説明されていること周知であるが、それは字形を見れば明らかであり、特に平仮名には草書等の中間形が存在するので納得することは容易である。
 ただ問題は何故その二種類の方法が採られたかということだ。特にほぼ同時期に発明されたとすれば、優れた方のみが生き残るのではあるまいか? このことは、この二種類の発生が遠く時代を隔てているか、或いは地域が離れていることを暗示する。
 紙や布帛が無く若しくは貴重であった時代、文字は木や竹に記された。その方法は墨で書くか、刃物で刻むかの二種類である。平仮名は曲線的であり、片仮名は直線的であることを考えれば、墨書からは平仮名が刻字からは片仮名が生まれたと考えて、差し支えの無いようにも思われる。
 墨書には墨と硯と筆という工業製品を要し、刀子一本でこと足りる刻字よりは遥かに後代的である。そして、九州王朝は近畿に比して、遼か以前に漢字を受容した。とすれば、当初九州での漢字は木か竹に刻まれたのではあるまいか。つまり平仮名は近畿王朝下に発生したが、片仮名は更に昔九州王朝にて造形されたのではないだろうか?
 さて、ここまでヨタ話を展開すると、必ず古賀編集長から突っ込みが入ることになる。「その史料根拠は?」と。ご期待に添える答えかどうかはあまり自信が無いのだが、二中歴に記された「刻木結縄」は墨書ではなく、九州王朝に刻字の盛行したことを意味するのではないだろうか。(西村)
…………………………………………………………………………………
このような仮説です。私は西村さんが「ヨタ話」とされて謙遜されてらっしゃいましたが、
重要な内容のある仮説ではないかと心にとめるだけでなく、西村さんに次のメールを差し上げました。
…………………………………………………………………………………
西村さま
突然メールを差し上げる失礼、お許しください。
西村さまの「割付担当の穴埋めヨタ話1 平仮名と片仮名」を拝読して、従来からいだいていた疑問が見事に解決いたしました。
片仮名=刻木(竹)した、平仮名=墨書した、とのお説によつて、二中歴の二つの文章が意味を持って理解できました。
「善記四年元壬寅同三年放誰(※)成始文善記以前武烈即位」※「放誰」の二字には草冠があります。
「明要十一元辛酉文書始出来結縄刻木止了」
(年号)善記は元年が壬寅で四年間。善記三年に放誰(※)が始めて(朝廷の)儀礼・儀式をつくった。善記以前には(帝に)武と烈が即位している。
明要は元年が辛酉で十一年間。(朝廷の)儀礼・儀式が始めて墨書で出来るようになったので、刻木したものを縄で結ぶことはなくなった。
「縄を結んだり、木に刻み目をつけて、年月日を記した」というような話の方がヨタ話だったのですね。
「礼」=「儀礼・儀式」としました。 古い時代にはそういう意味があったと「新華字典」にありました。
そう解釈しないと意味のない文章となります。書き手は読めばわかる範囲で簡潔に記しているという前提で解釈しています。
とにかく、おかげで疑問が解けました。ありがとうございました。
取り急ぎ、御礼まで。
…………………………………………………………………………………
これは西村仮説に基づく、私の妄想です。
松田聖子でつかみ、西村仮説を売り込むとは、私も商才があるのではないでしょうか?

訂正

「礼」=「儀礼・儀式」としました。
とあるのは次の誤りです。メールを転載したため、間違っていたままに転載してしましました。

(正)「文」=「儀礼・儀式」としました。
(誤)「礼」=「儀礼・儀式」としました。

ごめんなさい。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

〉 松田聖子でつかみ、西村仮説を売り込むとは、私も商才があるのではないでしょうか?

すばらしい!大商才がおありですよ。座布団・・・

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