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2017年3月25日 (土)

道徳の教科書,初の検定

道徳の教科書?副読本の間違いじゃないの?
いえいえ,本当に道徳の教科書が検定される時代が来たのです。
小学校は2018年から,中学校は翌年から。
私はその前年に退職することになるが・・・。


道徳の教科書,初の検定

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170324-00000088-asahi-pol

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「教育」カテゴリの記事

コメント

肥さんへ

今新聞をにぎわしている人々が検定するんですから、
その内容は推して知るべしです。
先の戦争から何も学ばなかった人々が国民を「教育」しようというのですから、
道徳的とはとても思えない人間ができあがることでしょう。

愛国心については古田武彦先生の言葉を掲げておきます。

『なかった ーー真実の歴史学』第二号 序言 中言 末言  古田武彦            2006年12月20日
(スタイルは、中国語版に倣っています。)

序言       古田武彦

 わたしは愛国者である。愛国者は真実を望む。それゆえ虚偽の歴史像を己が国に対して許しえないのである。
 愛国者は伝統を愛する。わが国の伝統は、敵味方を差別せず、敵を祭るにあった。祝詞(注)にもそれはしめされ、親鸞たちの思想もそれを核心とした。河内の楠木正成も、薩摩の島津家も、その核心を決して失わなかった。


 では、明治維新以降、国家が教科書の中で流布させた「近畿天皇家中心、一元」の歴史観は、果たして本当に日本の歴史を貫く真実だったか。
 では、明治維新以降、靖国神社は、大陸や太平洋で殺した膨大な「敵」の民衆や兵士や指揮官を祭ることを、何よりも重んじ、先としてきたか。


 わたしは愛国者である。それゆえ真実の歴史を望み、虚偽を許さない。わたしは伝統を何よりも愛する。それゆえ敵を祭る心を失った人々と国家に対して、明白に「ノン(否)」の一語を告げるのである。

注 六月の晦(つごもり)の大祓(はらえ)

さきに掲げた古田先生の言葉は「序言」だけです。
続きはつぎにあります。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nakatta2/ztmogon2.html

山田さんへ
コメントありがとうございます。

ナイスフォローというか,素晴らしい返球というか,
古田さんの言葉をこのタイミングで紹介していただいて,
あらためて「愛国者」という言葉の意味を考えさせられました。
初めて知った方は,きっと驚かれると思います。

肥さんへ

古田先生は思想家なのです。古田思想という礎石の上に古田史学という伽藍が建てられているのです。
「古田思想」なき「古田史学」はあり得ません。
古田史学の会の代表である古賀達也さんの次の文、これが古田史学の神髄を表しています。

第1314話 2016/12/30

古田史学の会, 古田武彦, 古賀達也, 史料批判, 現代

「戦後型皇国史観」に抗する学問

 藤田友治さん(故人、旧・市民の古代研究会々長)が参加されていた『唯物論研究』編集部からの依頼原稿をこの年末に集中して書き上げました。市民の日本古代史研究の「中間総括」を特集したいとのことで、「古田史学の会」代表のわたしにも執筆を依頼されたようです。
 今日が原稿の締切日で、最後のチェックを行っています。論文の項目と最終章「古田学派の運命と使命」の一部を転載しました。ご参考まで。

「戦後型皇国史観」に抗する学問
-古田学派の運命と使命-
一.日本古代史学の宿痾
二.「邪馬台国」ブームの興隆と悲劇
三.邪馬壹国説の登場
四.九州王朝説の登場
五.市民運動と古田史学
六,学界からの無視と「古田外し」
七.「古田史学の会」の創立と発展
八.古田学派の運命と使命
(前略)
 「古田史学の会」は困難で複雑な運命と使命を帯びている。その複雑な運命とは、日本古代の真実を究明するという学術研究団体でありながら、同時に古田史学・多元史観を世に広めていくという社会運動団体という本質的には相容れない両面を持っていることによる。もし日本古代史学界が古田氏や古田説を排斥せず、正当な学問論争の対象としたのであれば、「古田史学の会」は古代史学界の中で純粋に学術研究団体としてのみ活動すればよい。しかし、時代はそれを許してはくれなかった。(中略)
 次いで、学問体系として古田史学をとらえたとき、その運命は過酷である。古田氏が提唱された九州王朝説を初めとする多元史観は旧来の一元史観とは全く相容れない概念だからだ。いわば地動説と天動説の関係であり、ともに天を戴くことができないのだ。従って古田史学は一元史観を是とする古代史学界から異説としてさえも受け入れられることは恐らくあり得ないであろう。双方共に妥協できない学問体系に基づいている以上、一元史観は多元史観を受け入れることはできないし、通説という「既得権」を手放すことも期待できない。わたしたち古田学派は日本古代史学界の中に居場所など、闘わずして得られないのである。
古田氏が邪馬壹国説や九州王朝説を提唱して四十年以上の歳月が流れたが、古代史学者で一人として多元史観に立つものは現れていない。古田氏と同じ運命に耐えられる古代史学者は残念ながら現代日本にはいないようだ。近畿天皇家一元史観という「戦後型皇国史観」に抗する学問、多元史観を支持する古田学派はこの運命を受け入れなければならない。
 しかしわたしは古田史学が将来この国で受け入れられることを一瞬たりとも疑ったことはない。楽観している。わたしたち古田学派は学界に無視されても、中傷され迫害されても、対立する一元史観を批判検証すべき一つの仮説として受け入れるであろう。学問は批判を歓迎するとわたしは考えている。だから一元史観をも歓迎する。法然や親鸞ら専修念仏集団が国家権力からの弾圧(住蓮・安楽は死罪、法然・親鸞は流罪)にあっても、その弾圧した権力者のために念仏したように。それは古田学派に許された名誉ある歴史的使命なのであるから。
本稿を古田武彦先生の御霊に捧げる。
(二〇一六年十二月三十日記)

山田さんへ
コメントありがとうございます。

〉 古田先生は思想家なのです。古田思想という礎石の上に古田史学という伽藍が建てられているのです。
「古田思想」なき「古田史学」はあり得ません。

これは板倉聖宣氏についても同様のことが言えると思います。
板倉思想という礎石の上に仮説実験授業という伽藍が建てられている,と。
したがって,「板倉思想」なき「仮説実験授業」はあり得ない,と。

仮説実験授業と古田史学,一見つながりがないように見える2つの内容ですが,
その構造をみれば「強固な思想の土台の上に建てられた緻密な建築物」
という共通点を持っていると言えましょう。
そして,「夢ブログ」はそれらを読者の皆さんに紹介するために作られた
ということですね。

肥さんへ

〉仮説実験授業と古田史学,一見つながりがないように見える2つの内容ですが,
その構造をみれば「強固な思想の土台の上に建てられた緻密な建築物」
という共通点を持っていると言えましょう。
そして,「夢ブログ」はそれらを読者の皆さんに紹介するために作られた

そうか、そういうことだったのですね。

礎石「古田思想」をすこし補っておきます。

「古田思想」は古田先生の思想であるのは言うまでもないことですが、
これば突如天啓をうけて出現したのではありません。
この日本列島の中で、それぞれ時代に起きたの出来事に対して、
先人がどのように受け止め、どのように思ったのか、つまり、
幾重にも積み重ねられた歴史的出来事と、
その歴史的出来事を突きつめた先人の思想を古田先生は学び、
そこから「古田思想」を得たのだと考えます。
「古田思想」という礎石は
「先人の思想の伝統」という版築基壇の上に据えられているのです。
それは次の言葉にも表れています。

「愛国者は伝統を愛する。わが国の伝統は、敵味方を差別せず、敵を祭るにあった。祝詞(注)にもそれはしめされ、親鸞たちの思想もそれを核心とした。河内の楠木正成も、薩摩の島津家も、その核心を決して失わなかった。」

私も伝統を愛します。明治政府(薩長政権)は廃仏毀釈をおこなった。天皇家の仏式葬儀まで禁止した。わが国の伝統は「神宮」(神社と寺院の習合したもの)なのです。聖徳太子も憲法の最初に言っています。「和を以て貴しと為す(一曰。以和為貴。)」次が「篤く三宝を敬え。三宝とは仏(お釈迦様)・法(その教え)・僧(僧侶)である。(也篤敬三宝。三宝者仏・法・僧也)」(『日本書紀』推古天皇十二年(六〇四)四月条)と。これがわが国の伝統、神と仏が争わない「神宮」の教えなのです。

神社の代表格の「伊勢神宮」(正式名称は単に「神宮」)が「神宮」であることを忘れていけないと思います。

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