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2017年3月 6日 (月)

武蔵国分寺の塔は「何尺」で建てられたか?

何気なく「武蔵国分寺」のパンフレットを読んでいたら,
以下のような記述に出くわした。

「再建塔の基壇は一辺17,7m四方の乱石積基壇で,
その上に9,8m四方の礎石建物が建ち,高さは60mを越えるものと推定されています」

武蔵国分寺跡資料館だより 2014年2月号

http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/239/news10.pdf#search=%27%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA+%E5%A1%94+%E5%AE%9F%E6%B8%AC%E5%80%A4%27

昨日から川端俊一郎著『法隆寺のものさし』(ミネルヴァ書房)を読んでいた私は,
何かあったら割り算をしてみようと電卓を持ち歩いていた。
(というのは半分嘘で,あと1クラス残っているテストの採点で使おうと持ち帰ったのだった)
さっそく9,8mを南朝尺の24,5cmで割ってみた。すると・・・

980÷24,5(南朝尺)=40尺

うそっ!まさに整数値中の整数値である。(端数がまったくない!)
「武蔵国分寺」(国府寺)の塔は,南朝尺=太宰府政庁や観世音寺,法隆寺らと共に
九州王朝採用の尺で作られていたのか。(当り前と言えば,当たり前だが)

ということで,今後ほかの「国分寺」を調べる際に,
「24.5で割る」という作業が有効だと思われます!

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※ ちなみに,武蔵国分寺の金堂の柱と柱の間の距離は,
592.0÷29.6(唐尺)=20
532.8÷29.6(唐尺)=18
384.8÷29.6(唐尺)=13
444.0÷29.6(唐尺)=15
というように唐尺(1尺=29.6cm。大和政権が採用した尺)を利用している。
(『法隆寺のものさし』の中では,29.7cmとしている)
明らかに,塔と金堂以下の建物は違う尺をもとに建てられたと言える。

私の「武蔵国分寺」への最初のこだわりは,
「同じ「武蔵国分寺」の伽藍なのに,どうして塔と金堂以下の建物の方位は
7度も違っているのだろう?もしかしたら建てた王朝が違うのではないか?」
(塔が南北軸に対して,金堂以下は7度西偏している)というものだった。

今回「南朝尺」と「唐尺」というそれぞれの王朝の採用した「ものさし」の違いから,
私の疑問が解けるのではないかと思い拙文を書かせていただいた。
いかがでしょうか。

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※ 「甲斐国分寺」の塔も,9.6m四方に見えるので,
これも「武蔵国分寺」と同規模=南朝尺の40尺ではないだろうか。
『国分寺の創建 組織・技術編』P354

※ 武蔵国分尼寺についても,南朝尺が使用されたと思われるが,
まだ実測値が入手できていないので,「宿題」とさせていただく。

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コメント

肥沼さんへ
 武蔵国分寺の塔の大きさが9.8m四方。だから南朝の尺である1尺=24.5㎝で割ってみると、ぴったりの整数。40だ。
 つまり武蔵国分寺の塔は南朝尺でできているので、九州王朝時代のものである。

 少し調べてみました。この9.8mという数字は、三間四方の塔の、三間の両端にある柱と柱の距離だと思います。ちなみに唐尺1尺=29.7㎝で割ってみると、33.00。これでも整数です。
 28年度にでた僧寺の発掘報告書で確認すると、塔の礎石から判断した柱間は、33尺=10.7尺+11.6尺+10.7尺とありました。これは唐尺で測った数字。ですから実寸法は、29.7㎝をかけますので、981㎝=318+345+318㎝。これを1尺=24.5㎝で割ってみると、40.04尺=12.98尺+14.08尺+12.98尺 およそですが、40尺=13尺+14尺+13尺 となります。
 たしかに南朝尺の方が整数に近いのだと思いますから、武蔵国分寺の塔は、南朝尺がつかわれた時代。九州王朝時代だろうと判断はできます。ただし発掘報告書のミリ単位の数値がわからないので、不正確な計算ですが。

 ただし金堂もまた九州王朝時代ではないかと私は考えます。
 最大の理由はその金堂院の伽藍配置。なんとこの寺は中門から始まる築地で囲む方形の聖域の中に、南から金堂・講堂、そして講堂の左右に僧坊と鐘楼・経蔵が置かれている。8世紀の寺院では僧坊は聖なる空間から外に出され、そして講堂や経蔵・鐘楼もまた外に出される。
 つまり武蔵国分寺の金堂院は、信濃国分寺よりもさらに古い形態をとっていることです(信濃国分寺については多元的国分寺研究のサイトのほうに、藤原京の小山廃寺と同じ伽藍なので、670年代以前としました)。つまりはこの金堂院が作られたのは670年代以前ということ。
 こう考えて金堂の柱間寸法を見れば、これも南朝尺、1尺=24.5で割ったほうが整数に近い数になると思いますよ。ちなみに、先の報告書では、金堂の柱間は、13尺+18尺+20尺+20尺+20尺+18尺+13尺で、東西が122尺=36.2m。南北は、13尺+15尺+15尺+13尺で16.6m=56尺となっています。1尺=29.7㎝で計算していることは明らかです
 きっとこれも唐尺でも整数にならないのだと思います。元の実寸法が知りたい。
 

追伸
 金堂の柱間寸法を計算するのに1尺=29.6㎝にしたのは、唐尺の1尺=29.7㎝だと整数にならないからではないでしょうか。
 この推理が正しければ、
 592.0÷29.6(唐尺)=20  592.0÷29.7=19.93  592.0÷24.5=24.16
 532.8÷29.6(唐尺)=18  532.8÷29.7=17.94  592.8÷24.5=24.20
384.8÷29.6(唐尺)=13   384.8÷29.7=12.96  384.8÷24.5=15.71
444.0÷29.6(唐尺)=15   444.0÷29.7=14.95  444.0÷24.5=18.12
 
 南朝尺でもかなり整数に近い数字が出てきます。
 僧寺の報告書では唐尺1尺=29.7㎝だと整数にならないので、29.6にして整数にするという数字偽造がされたのではないでしょうか。やはり発掘報告書で礎石間のミリ単位の数値をしりたいですね。

追伸:肥沼さん。このスレッドもまた多元的国分寺研究のブログにこそふさわしいと思いますが?

肥さんへ

資料館だより、なかなか良いですね。
ただ、「国分寺建立の詔」はいまさらなので言いませんが、塔が金堂(大仏殿)の2倍の高さだから重視されていた、というのはおかしい。
私の理解では、法隆寺の五重塔でも金堂の二倍の高さで、普通のことだと思います。誤解を与える文章ですね。七重塔が重要なのは、書かれている通り、お経を納めるから建てろと言った詔によるものです。蛇足でしたね。

この記事とコメントを多元的「国分寺」研究サークルに移動します。
肥さん

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