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2017年2月11日 (土)

「寺院の移築」について

「夢ブログ」の兄弟サイトである多元的「国分寺」研究サークルのサイトには,
「寺院の移築」の話が少なくありません。
なので,読者の方々の中には,
「寺院の移築なんて,そんなに簡単にできるの?」
と思われた方もいることでしょう。

先日そのサイトでのコメントの中で,
山田さんがそのことをわかりやすく説明されていました。
こんな話(古代建築物は「動産」である)です。

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読者の方へ
「移築」という言葉が簡単に使用されているのに驚かれているかも知れませんが、
古代建築物は釘をほとんど使わずに木の部材同士を組み合わせて建てられているものなので、
それほど遠いところでなければ、解体して運んで移築できるものなので「(不動産ではなく)動産」なのです。
しかし、移築先が遠すぎる場合は新造したほうが安上がりになることがあります。
因みに、現代の木造建築の(法定)耐用年数も、使用される釘の耐用年数をもとにして定められているようです。

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「なるほど!」と納得していただけたら,うれしいです。
私たちは釘を使って,木材と木材をつないだりしていますが,
これをあまり使いすぎると,せっかく木の耐用年数は長いのに,
「釘を使ったために,かえって耐用年数を短くする」ということも出てくるわけですね。
これを知っただけでも,古代建築物の見方が変わってくるような気がします。(o^-^o)

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥さんへ

「夢ブログ」への転載、大変光栄です。調子に乗って釘の話です。これは、私の愛読書『法隆寺 世界最古の木造建築』(西岡常一、宮上茂隆、イラスト穂積和夫、草思社1980)からの引用です。西岡常一さんは他の本でもこの釘について書かれています。

「(前略)また、クギも鍛造所でつくりました。砂鉄からつくった鉄材を真赤(まっか)に熱して、折り曲げてはたたき、また折り曲げてはたたいてつくった、鍛造(たんぞう)のクギでした。それは日本刀のつくり方に似ています。表面がさびても、そのさびは心(しん)まで浸透(しんとう)しません。また、かんたんに折れたりしません。しかも木となじみがよいという、すぐれたクギでした」(前掲書P.72)
この本はルビを振ってあり低学年でも読めるように配慮されている良い本です。引用のルビは括弧()内に示しました。

解体修理のとき、この古代のクギをたたいて再利用した、再利用できるほどのクギだったと、西岡さんが別の本で書かれていた記憶があります。「日本刀のつくり方に似ています」と書かれていますが、時代はクギの方が先なので、日本刀はこのクギのつくり方の技術の伝統から生まれたといえると思います。現代のクギは鍛造されたものではなく鋳物(鋳造)なので心までさびてしまいますね。
なお、西岡さんによれば、木は切られたときまでの年代の時間もつ(極端なたとえですが千年杉を切ったものなら千年もつという意味)と書かれていました。うーん、長持ちですね~木は。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

無断転載,ごめんなさい。
これはとてもいいお話だ!と思い,「夢ブログ」で使わせていただきました。
常識的には釘でがんがん留めた方が頑丈そうに思うのですが,
「何が耐用年数を決めるか」と言えば,歴史が証明してくれるわけで,
法隆寺は「釘を使っていない」からこそ丈夫だったということなのですね。

※ 法隆寺も釘を使っているそうです。
それも数千本も!
ただし,鍛造の和釘なので今の釘の40倍の耐久力だそうです。
だから1000年もつわけです。
(今の鋳造釘は20~30年と書いてありました)

肥さんへ

多元的「国分寺」研究サークルに私がコメントなどで記した内容は、私にことわらずに「夢ブログ」へ自由に転載していただいてかまいません。むしろ、こちらに転載されるということはそれだけ多くの方の目に触れるべき内容と判断されたのであり、前のコメントで書きましたように、光栄なことです。これは、あらかじめお知らせしておくべきことでした。遅くなってすみません。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

転載へのご心配までいただき,どうもすみません。
どうも勢いで動いてしまう性格のようで・・・。
(実は昨日も「遠出」を考えていましたが,なんとか関東地方にとどめました)
今回の場合も「多くの方の目に触れるべき内容」と判断いたしました。(o^-^o)

山田さん・肥沼さんへ
 鍛造の釘が日本刀より早いというお話。これは間違いですよ。刀は釘より先にあります。鉄の刀が出てきた時点でこれは鍛造のはず。青銅剣のように鋳造では鉄はもろいですからね。(なお青銅の釘や木釘はすでにあったと思います)
 鉄刀の出現はすでに古墳時代前期。建物建造に鍛造の釘を使うのはこのあとです。
 日本刀の出現が、平安時代初ということから錯覚をしたのではないでしょうか。
 ただし平安時代まで鉄刀は、日本刀のように反りがありません。直刀です。鉄刀が日本刀のように反りをもつようになったのは、蝦夷の刀が馬上剣だったので反りがあったのに学んで奈良時代末から平安時代初に蕨手太刀という柄の元で曲がった刀を造ったのが最初です。
 建物に釘を使ったといっても、法隆寺だけではなく、主要な柱や梁などの木材の組み合わせはみな木組みです。それ以外の壁に使う板などのところに釘を使っただけ。この壁板などは消耗品。古くなって使えなくなれば捨てる。もしくは建物を移築する際にも捨てる(ほかのところに再利用はあります)。でも柱や梁などの建物本体はみな釘を使わずに木組みで組んでいるので、釘で止めた部材をすべて取り外せば、あとは木組みをはずすだけ。移築したところで柱や梁の木組みを再度組み合わせ、そのあと釘で止める部材を新たにつける。こうして建物の移築の基本部分は終わりです。
 この木組みを中心とした建築法は、江戸時代になっても寺社建築や城の建築でも続けられ、明治以後も寺社建築の作り方を継承した旅館の建築など、宮大工がかかわった工事では使われています。
 だから木組み法を中心にして作った古い建物は、江戸時代や明治、そして大正・昭和のものでも、解体して移築することが今でもできるのです。
 古くなった建物をユンボでバリバリと壊してしまい、柱や梁すらも廃材にしてしまうのは、戦後の釘や金物で柱や梁を止める、大量生産住宅ですね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

川瀬さんの登場で,さらに古代の技術について正しく詳しく学べて幸せです。
このこととあのことは,こういうところで繋がっているのか等。
(「それは肥さんがあまりにも知らないからでは・・・」という読者の声。)(^-^;
私たちの多元的「国分寺」研究サークルは,国分寺問題だけでなく,
たくさんの歴史的事象が学べますので,今後ともよろしくお願いいたします。

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