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2017年1月14日 (土)

上野国分寺の「2つの金堂の謎」が解けるかも!

上野国分寺(群馬県)に何回も足を運び,
研究してきた成果が出てきたように思うので,
忘れないうちに書いておきたい。
(以下は,多元的「国分寺」研究サークルのサイトに,
コメントとして書いたものである)

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山田さんへ 川瀬さんへ

上野国分寺の話が出てきているので,何回も上野国分寺に
足を運んだ私の経験がお役に立つかと思い,コメントします。

(1) 数年前の発掘により,これまで金堂としていた場所の南に「本来の金堂」が出現」した。

(2) 私は2015年の11月頃「夢ブログ」で「今上の国分寺が面白い」という連載をして,
 「九州王朝が建てた国分寺の地層」の上に,「大和政権があらたな国分寺を建てた」と考えた。

(3) ところが,資料館の人に質問すると,「いや同じ地層の上に建っています」といことで,
 「違う地層」に「違う王朝」が建てた別の国分寺という事実そのものを否定された。

(4) 今思うに,これは寺の伽藍配置を入れ替えたための「金堂他の移動」で,
 当然「同じ地層の上」で行われた作業だったため,「同じ地層」であるという説明となったわけだ。

(5) 川瀬さん・山田さんとの共同研究の中で,伽藍配置の入れ替えがあることが明らかとなり,
 私の認識も進歩して,「下層に九州王朝の国分寺&上層に大和政権の国分寺」から,
 「同一地層での伽藍配置の移動・改築」というイメージへと変わってきた。

(6) やはり「もとの金堂の礎石」は九州王朝の「国分寺」(国府寺)のものであった。

(7) ということは,我々の説の正しさを上野国分寺の発掘状況は素直に表している。
 これでこそ「2つの金堂の謎」は解けるのである。

いかがでしょうか?

※ 『新修 国分寺の研究』 第七巻・補遺
値段は高いが買うことにしました。

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今「上野国分寺跡」が面白い!(1)

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2015/11/post-9e4c.html



今「上野国分寺跡」が面白い!(2)

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2015/11/post-f331.html


今「上野国分寺跡」が面白い!(3)

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2015/11/post-0e1e.html

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