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2017年1月16日 (月)

「国分寺」はなかった・・・

古田武彦著『「邪馬台国」はなかった』という本がある。
これは「魏志倭人伝」の中には,「邪馬台国」という国名はないという意味である。
(あるのは,「邪馬壹国」という名称)

それになぞらえて,我が多元的「国分寺」研究サークルの
サイトの中にも書いたのが,「「国分寺」はなかった」というフレーズである。
つまり聖武天皇が出した「国分寺建立の詔」の中には,
「国分寺」という言葉は1回も出てこないということを言いたいのである。
(九州王朝が各国に置いた国府寺を改築したりして作ったもの)
では,何が書いてあるかというと,
「七重塔」を建てよということと,
「聖武天皇(私)が金泥でお経を書くので,そこに納めよ」
ということである。

ところが,事はそう簡単には進まなかった・・・
というのが今私たちが行っている研究の内容だ。
大変衝撃的であるとともに,大変論理的な内容になると思う。

ちなみに「新古代学の扉」でサイト内検索をしたが,
まだ1件もヒットしなかった。

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コメント

肥さん

聖武天皇の詔に「国分寺」はなかった、は肥さんが気づかれたことでしょう?
投稿なされてください。採用間違いなしだと思います。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

そうですかねえ。
「国分寺建立の詔」には,国分寺という言葉は1回も出てきません。
出ているのは,「七重塔を建てよ。そうすれば金泥のお経を納めるぞ」ということで,
それだけではちょっと「研究」というわけにもいかず,おそらく「第1発見者」でもない。
やはり,全国の国分寺を調べ上げていかないと,研究者向けには足りない気がします。
普通の方との会話では,「えっ,ほんと。知らなかった。国分寺は同じ規格の建物が
全国どこにでもあると思っていた」と驚いてもらえるのですが・・・。

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