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2016年11月 4日 (金)

九州年号&「倭国」と「日本国」

九州年号の証言

九州王朝説を支える有力な証拠の1つが,
517~700年の183年にわたって
連綿と続いていた31個の九州年号である。
それを紹介しておこう。

継体・・・517~521年(5年間)
善記・・・522~525年(4年間)
正和・・・526~530年(5年間)
教到・・・531~535年(5年間)
僧聴・・・536~541年(5年間)
明要・・・541~551年(11年間)
貴楽・・・552~553年(2年間)
法清・・・554~557年(4年間)
兄弟・・・558年(1年間)
蔵和・・・559~563年(5年間)

師安・・・564年(1年間)
和僧・・・565~569年(5年間)
金光・・・570~575年(6年間)
賢接・・・576~580年(5年間)
鏡当・・・581~584年(4年間)
勝照・・・585~588年(4年間)
端政・・・589~593年(5年間)
告貴・・・594~600年(7年間)
願転・・・601~604年(4年間)
光元・・・605~610年(6年間)

定居・・・611~617年(7年間)
倭京・・・618~622年(5年間)
仁王・・・623~634年(12年間)
僧要・・・635~639年(5年間)
命長・・・640~646年(7年間)
常色・・・647~651年(5年間)
白雉・・・652~660年(9年間)◆
白鳳・・・661~683年(23年間)
朱雀・・・684~685年(2年間)
朱鳥・・・686~694年(9年間)◆

大化・・・695~700年(6年間)◆

日本書紀によると,年号は大化(645)から始まり,
飛び石的に白雉や朱鳥があり,
大宝(701)につながるというのだが
およそ年号というものは「すき間なく続いている」
ことに意義があるのであり,
それでこそ年代のモノサシ足りうるのだ。
その点,日本書紀に出てくる3つの年号は
そもそも「年号」としてのテイをなしていないのである。

また,当時朝鮮半島では高句麗・新羅・百済の国々が
それぞれの年号を持ち,誇っていた。
倭国が年号を持っていておかしいことはないし,
むしろその支配権を中国に認めてもらおうとした倭国が
逆に年号を持つことを遠慮していたとしたら
その方が当時の「アジアの常識」としておかしいのだ。

いくつかの年号にふれておく。
全体として「僧聴」「和僧」「金光」「仁王」「僧要」など
仏教の影響が色濃く出ている。
この年号を定めた王朝は深く仏教に帰依していた
ものと思われる。
(九州の仏教受容年代はかなり早い時期のようである)

また,白鳳が23年間と圧倒的に長い。
その前半の白村江の戦いでの敗戦を受け,
長く改元することもままならなかった王朝の
事情が表わされているのではないか。
(実際「薩夜馬」と呼ばれる九州のリーダーが
捕虜になっており,後に送還されてきている)

江戸時代,九州年号については
「邪馬台国」論争とともによく議論されたらしい。
しかし,明治時代になりこれらの年号は
私年号として葬りさられてしまった。

その九州年号を発掘し,歴史の光を当てたのが
古田武彦氏と彼を支持する市民の人たちだったのだ。
九州年号についての最新の研究が
「新古代学の扉」というサイト(古田史学の会)で
見ることができる。
興味のある方はぜひのぞいて見てほしい。
(7/18)

● 中国史書に登場する「倭国」「日本国」情報

2冊の岩波文庫の本を使って,
古代の日本の歴史の資料を作ってみた。

【三国志・魏志倭人伝】
・倭人は漢の時朝見してきた。
・30国が使訳を通じている。
・「邪馬壱国」という国があり,卑弥呼という女王が治めている。

【後漢書】・・・成立年代によりここに置く
・大倭王は「邪馬台国」に居る。
・倭奴国が朝見してきたので,金印等を与えた。
・女王国の東に「拘奴国」があり,女王国に属していない。
・また別に「東テイ国」という国もある。

【宋書】
・倭国は代々使いを送ってきた。
・讃・珍・済・興・武などの王がいて,朝鮮半島の支配権を
中国に認めてもらおうとした。
(中国と対等になろうとはしていない)

【隋書】
・タイ(倭と似ているが違う字)王の姓は「阿毎」,
字は「多利思北孤」という。
・その地には阿蘇山があり,火山活動をしている。
・タイ王は小野妹子を使者として,対等外交をしようとした。
(「日出処天子」→「日没処天子」)
・隋の皇帝は憤慨し,使いを送ってその国の様子を報告させた。
・その後,国交が絶えた。

【旧唐書】・・・2つの国伝
1.倭国伝
・その王は「阿毎」氏である。
・古の倭奴国のことで,代々中国と国交があった。
・648年に最後の使いが来た。

2.日本国伝
・日本国は倭国の別種である。
・小国だったが,倭国を併合した。
・東方にある。さらに大山があり,その向うには
毛人の国がある。
・多く自らキョウ大で実をもって対えず,
中国はこれを疑っている。

【新唐書】
・日本国は元の倭奴国である。
・王は「阿毎」氏で,「天御中主」以来32代が
筑紫で治めてきた。
・神武天皇に至って大和へ進出した。
・用明天皇の亦の名は「目(代理)多利思北孤」で,
この時から大和は中国(隋)と通じるようになった。

参考文献~
岩波文庫『魏志倭人伝・他三篇』
岩波文庫『旧唐書倭国日本伝・他ニ篇』
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