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2016年9月10日 (土)

「最新報告書」を借りてきた

『国指定遺跡 武蔵国分僧寺 発掘調査報告書 Ⅰ
~史跡保存整備事業に伴う事前遺構確認調査[遺構編] 平成28年3月』
という長~い名前が付けられた報告書を昨日借りてきた。

P9101359

調査・・・平成15年~24年の10年間
整理・・・平成25・26年の2年間
印刷・・・平成27年の1年間

という,これまた長~い過程を経て作られた報告書なのだ。
一般には頒布されず,大きな研究機関や国分寺市内の図書館に配られた。
(残念ながら,我が多元的「国分寺」研究サークルには寄贈されなかった!)

『Ⅰ』となっているのは,来年度に『Ⅱ』が予定され,
さらに再来年度に『総括編』が予定されているという。
本当に壮大な出版計画である。

しかし,これで武蔵国分寺の謎は解けるのか?
我が多元的「国分寺」研究サークルとしては「NО」と言いたい。
多元的古代の考え方を取り入れず,一元的な思考にとどまる限り,
謎は謎のまま終わると考えるからである。
(そもそも,なぜ東山道武蔵路と7度西偏して,金堂以下の主要伽藍が建てられているか?
またその一方,塔や尼寺は東山道武蔵路に沿うように建てられているのか?
その謎がいまだに解けないでいる) 

さて,借りてきた調査書を,現実問題として9月23日までに返さなくてはならない。
全部コピーすればいいとはいえ,それは著作権的にはまずいだろう。
その上280ページに及ぶ報告書のうち約7分の1が豪華カラーページで,
コピー料金は5倍かかるのである。

ア 前半の論文(66ページ)のみコピー
イ 全部白黒コピーで行く
ウ 覚悟を決めてカラーで行く

選択肢はさまざまだが,そもそも私がコピーをとるのはいつなのか?
という時間の制約もある。(今週末の予定はすでに書いた)
とりあえず第1回は,明日の午前中にスーパーのコピー機でやろうと思っている。
白黒5円,カラー30円の魅力には勝てないので・・・。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥さん

借り出し、ご苦労さまです。

カラーか白黒かですが、当面は「遺跡の状況はどうであるのか」、それを「従来説ではどう解釈しているか」がわかればよいと考えますので、白黒でよいのではないでしょうか。
「カラーで確認しなければならない」事情が出てきたら、そのときに再度借りてコピーされてはどうでしょうか。再貸し出しは難しいのかな?
アイウの選択はアの論文部分のみでよいと思いますが、いままでの議論の中で問題になっている部分については肥さんがカラー写真から抽出されて白黒あるいは必要と思えばカラーでコピーされたらよいと考えますが、川瀬さんはどう考えるのか...。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

65ページまでの論文はすべてコピーしました。(以降,写真や図版)
ほとんどが白黒ですが,一部カラーのものもあります。
そのほか,図版であるといいなと思ったものをカラーで何枚か入れました。
(2つの塔や地下レーダーなど)
ということで,安いコピーを使ったこともあって,
コピー代はとても安く済みました。
また,必要になったら借ります。
国分寺市内の図書館にはみんな入っているらしく,
またこのような本を借りる人は滅多にいないと思います。
(請求してから来るまでに10日ほどかかり,借りられる期間は2週間です)

肥沼さん 山田さん ご無沙汰しています

 武蔵国分寺の詳しい調査報告の件。
 前にもコメントに書きましたが、私が今行っているまとめには不要と。肥沼さんが個人的に手に入れておこうと考えておられるのならご自由にとも。

 報告書は全部で三冊になる大部なもの。しかも最初の二冊が発掘報告書でここに10年分以上の発掘成果が整理され、最後の一冊で「まとめ」となり、ここに考古学の立場からの最新の知見がまとめられるものと思われます。まだ最初の一冊しか出ていない。二冊目が来春。まとめが再来年の春。
 おそらくすでに文化課課長を退職された福田さんが(私の一つ下ですから定年延長かもしれないが)文化課に通われているのは、ご自身が長年30年にわたって発掘に携わった武蔵国分寺の考古学的調査の成果を完全にまとめておき、考古学の立場から、武蔵国分寺の歴史について発言しようとの狙いだと思いますね。これ自身壮挙です。
 従来は国分寺など古代寺院については文献史学の立場から勝手な立論が賑わっていましたが、最近は考古学者の発掘がかなり進んでいるので、考古学の立場から遺跡に依拠し、文献史学に頼らない見解が次々と出ているようです(国分寺・薬師寺・太宰府・藤原京など)。この一つの成果だと思います。

 ただ私たちは多元的古代論、すなわち近畿天皇家だけが列島の王者ではなかったという観点から国分寺論を再点検しているので、その時々の最新の成果を参照する必要はありますが、主要なことは従来説では、遺跡の状況のどこが解明不可能なのかを明らかにし、ここが多元論からでは明らかにできることを示せば足りることです。この点で、武蔵国分寺について南北軸の向きの異なる二つの伽藍が存在していたことを従来説では説明できないが、多元論からなら説明できることは、すでにこのサイトの多くの検討で明らかです。
 今はこれをなるべく早くにまとめておく必要があると思っていますので、私はこれに専念します。自分の研究課題も山積みですので(これについては私の個人サイトをご覧ください)。

 私のまとめができたあとで、山田さんが補足や訂正をしてくれると思います。
 そのあとこの報告書を肥沼さんが読んでみられて、「ここは多元論の今の仮説では説明不能」という箇所を見つけられたら、またコメントしてくださると良いとは思っています。

 だから結論としては、報告書のコピーは急ぐ必要なしです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

すでに「夢ブログ」で書いたようにコピーはしたのですが,
私のところに置いておくことにします。
『Ⅰ』の論文では参考文献まで出てきて,後半は遺構の図版。
したがって『Ⅱ』は遺物の図版」かな?
まあ『Ⅲ』が総括というのですから,それを待ちましょうか。
三分冊の「構成」が分かっただけでも,
取り寄せた価値はあったかな。

Ⅰの図版がすべて遺構の図版ということは、前半の論文も遺構についてのものではないでしょうか。だとしたら、後半の遺構の図版も全部コピーしてみてください。
 そのうえで図版を参照しながら論文を読んでみて。
 読む中で「この遺構は何?」とか「この遺構は多元論で説明できる?」とか「川瀬説ではこの遺構は説明できる?」と感じたところがあったらブログ(多元的国分寺論の方)で指摘してください。

 私のまとめはかなり時間がかかります。何しろ「創建伽藍の復元」「武蔵国分寺とされた寺院の変遷」なのですから、ちゃんとやらないと。その上福田さんの本と、「新修国分寺研究」などのまとまった論文の内容とで、多少数字の違いがわかってきました。これを精査してどちらをとるかなど考えるとかなり時間がかかります。
 私は現在、この夏に全く手が付けれなかったこと、秋の写真展の準備に没頭しながら、斉藤修一郎研究や徹底検証新しい歴史教科書五冊目のための原稿に取り組んでいます。これのめどがついてから武蔵国分寺のまとめには取り掛かる予定です。

 時間はありますから、じっくりコピーされた報告書に目を通してください。

追伸:やっと母の体調も次第に戻ってきて私の体調も回復しつつあります。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 時間はありますから、じっくりコピーされた報告書に目を通してください。
追伸:やっと母の体調も次第に戻ってきて私の体調も回復しつつあります。

こちらも夏休みが終わってしまいましたから,時間を作りながらやっていきます。
図版のほとんどは部分写真で,我々に必要と思われる図面はすでにコピーしたと思います。
追伸,早くお母様の体調が回復して下さるといいですね。(我が家も,人ごとではありません)

前言訂正です。この最終報告書は精査が必要です。

 特に寺院の区画溝。
 現在資料館が出している史料や本に載っている図面では、「武蔵国分寺」の西に7度傾いた中心軸を持つ伽藍の区画溝しか掲載されていません。すなわち金堂などがある内郭の区画溝。そして塔も含めた伽藍の全体を区画する外郭溝。さらに寺院の寺域を区画する溝。
 しかし山田さんが気が付き、私がさらに追加したように、従来説では発掘されて報告書には記載されているのに、意味がわからないために公開図面にも掲載されず解釈されていない溝が多数あります。
 一つは塔1の南側90mのところにある東西に走る大溝。これは福田氏の著書にしか書かれていない。ここは現在外郭溝とされるEFGH線(実際は創建伽藍の内郭溝を後に延長したもの)の南側48mほどを走る溝で、創建伽藍の外郭溝と考えられます。
 さらに南門の東西にあったGH線(創建伽藍の内郭溝の西側延長)に南北に直交する二つの大溝。
 どうやらいろいろ図面をみると、さらにあるらしい。
 福田氏の本で言うと、P27の1956・57の調査区域を示した55年度作成の詳細な地形図。ここには南門のさらに南「推定南大門跡」のところにも東西南北に走る溝らしきものが見受けられる。

 寺院の区画溝と思われて従来説では解釈不能とされている溝をすべて洗い出すことで、この伽藍の創建から廃絶までの歴史が、従来説とは異なる観点でまとめられると考えます。

 何とかして私もこの報告書を読もうと思っています。

追伸:創建伽藍の復元案に重大な間違いをさらに発見。南門の東側の南北に走る大溝を塔1の南90mに東西に走る大溝と連結と仮定してこれを創建伽藍の外郭溝と考え、南門の西側の南北の大溝を創建伽藍の寺域区画溝と考えましたがこれは間違いです。理由は寺域溝と外郭溝との距離が10数mと狭くて不自然なこと。この南門の東西に南北に走る二本の大溝は、それぞれ異なる寺院の寺域区画溝と考えた方が自然。東のは武蔵国府寺僧寺の寺域溝の西側。西のが武蔵国寺尼寺の寺域溝の東側と考える。当初の計画では二つの寺は国府の北側で東山道武蔵道の東側に東西に並んで計画された。こう考えることが可能です。こう考えると、塔2は前に考えたように、伽藍焼失後に再建する際に、創建伽藍の双塔を復元しようとした可能性が。そしてこの双塔の北側に、のちに武蔵国分寺とされた金堂院をそのまま東に持ってくるとぴったり一致。東西南北それぞれおよそ140m四方の正方形の内郭伽藍の中に、東西の双塔とその北に金堂・講堂が連なる薬師寺式伽藍が浮かび上がります。この件については別して報告します。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 何とかして私もこの報告書を読もうと思っています。 

「この報告書」というのは,「昔の報告書」ということですか?
それとも「最新報告書」ということですか?

最新のこの最終報告書に決まっていますよ。「武蔵国分寺遺跡」の遺構について詳しく記してある。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

では,先日コピーした最新調査書(論文や図面)をお送りしてよろしいですか。
まだたくさんのお仕事があると聞いて,逡巡していたので,念のため。

肥沼さんへ

 ありがとうございます。最新報告書のコピーをしばらくお借りします。じっくり時間をかけて検討します。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

さっそく送らせていただきます。
コピーは3人分とってあります。

なお,山田さんの住所を書いた紙がみつかりません。
すみませんが,コメント欄を利用してお知らせいただけますでしょうか。
(私が許可しない限り,表には出ませんので)
たまに片づけをしたら,紛失してしまいました。

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