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2016年8月 2日 (火)

7度西偏は,「未来へのメッセージ」なのか?

山田さんからヒントをいただいたが,
日本書紀の中には,明らかに「未来へのメッセージ」
と思われる記事が載せられていると思う。
白村江の戦いがきっかけで滅亡した九州王朝ではあったが,
そこには「日本旧紀」を作成するほどの史官がいたわけだし,
それを大和政権も再雇用したに違いない。
もちろん生きていくためには「九州王朝の痕跡を消す」
あるいは「大和政権の業績」として書き換えるなど,
歴史のねつ造行為も多々あったであろう。
しかし,そのような中にも未来へのメッセージを残す知恵が
在ったのではないかと思うのだ。
いわゆる矛盾した事実を残しておくという手だ。

「武蔵国分寺問題」への入りが,方位だったため,
私は長い間「九州南北・大和は西偏」のように
バカのひとつ覚えのように唱え,突っ走ってきた。
それが「権力を持った者」は都を南北に置く権限が
あるようであるということが分かってきて,
それでは謎が解けないと思うようになった。
しかし,西偏7度の違いというのは「はっきりわかる」ほどの違いである。
それがなぜ武蔵国分寺で起きているのか。

川瀬さんが,河内祥輔さんの「皇位継承の法則」を取り上げて,
聖武天皇は本来天皇になれるかどうか,
あるいは皇位を子孫に継げるかどうか微妙な立場であった
という話を展開されている。
(国司たちからの支持もあまり強くなかったようだ。続日本紀)
そして,一番の「強敵」は長屋親王。
血統的に聖武天皇を圧倒する存在である。
ついにこれを陰謀で滅ぼしてしまう。
川瀬さんは聖武天皇がそのような中ですがったものが,
仏教であり,東大寺を中心とした国分寺・国分尼寺の建立であったとしている。
そして,それは成功したかに見えた。

しかし,相次ぐ都の移動や大仏建立で相当な批判を浴び,
また政府内でも謀反の動きがあったことを続日本紀は伝えている。
聖武天皇は,実際上は大変な精神状態だったのではないか。
最初はよく思っていなかった行基もその過程で
大仏建立に取り込んだりもしているから。

そして,全国に建設された国分寺・国分尼寺は,塔でさえ,
当初の計画通りには国司は協力してくれず,
特別郡司にエサの位をあげ,子孫にも継がせるなどという方向に行く。
そんな時,未来へのメッセージを持つ者がいたと私は考えた。
(肥さんの「妄想シリーズ」第○弾である)
自分の(あるいは親の)墓を西偏7度に造立し、
その方位と同じやりかたで武蔵国分寺の造立に「協力」し,
同時に「未来へのメッセージ」としようとしたのではないか。

その主とは誰か。それは上円下方憤の主(あるいは息子)である。
この古墳は全国でも大変珍しく4~5例しかないユニークなものである。
そして,一番奥の玄室部分がドーム状に広がり,宇宙のようだ。
実際,下の■が大地を表し,上の●が宇宙を表す言われている。
さらに、この石室の作り方は九州系のものであると聞いている。

話をもとに戻そう。
最初に書いた日本書紀の中に出て来る矛盾した事実の話である。
この西偏7度の古墳と同じ方位を持つ武蔵国分寺。(塔は南北方位なのに)
未来の人から見れば,「あれ,なんで同じ方位をしているのか」と
疑問に思い,調べてみようということになるだろう。
そして,やがて彼らは気づく「この古墳の作り方は九州系だよ」と。
また,ほかにも九州系のもの(天文台構内古墳や北大谷古墳)があるから,
このあたりには九州の影響が強かったんだなあ。
こんなに離れているのに影響があったということは,
もしかして九州王朝があったんじゃないのかな?と。

つまり協力した郡司(あるいはその子孫)は九州系の郡司であり,
大和の支配下にはなったが聖武天皇の政治に憤り,
未来へのメッセージを古墳と武蔵国分寺の伽藍方位を同じにしたのではないか。
(ちなみに,金堂以下の基壇の作り方も,乱石積みで古いやり方である)

私は当初,九州南北+大和は西偏と考えてわけがわからなくなったが,
磁石が導入されれば,大和南北+九州は7度でもいいわけである。
これは,「いつまでもこだわっていないで」という川瀬さんのアドバイス。

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コメント

妄想構想はいろいろ進んでますね。岩手に来てます。外山節全国大会、盛岡さんさ踊りの観覧です。岩手は鬼の岩への手形からというそして鬼を追い払って、喜んで踊ったのがさんさ踊りだとか。

翔空さんへ
コメントありがとうございます。

鬼はたいていそれ以前の支配者だったりします。
岩手の「それ以前の支配者」とは誰だったのでしょうね。

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