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2016年7月11日 (月)

臼井正さんの「平安京の方位はどうやって決められたか」という論文

川瀬さんからヒントをいただいた「都の方位」の調査について,
検索の結果,以下の論文があることがわかりましたのでリンクしました。
ぜひお読み下さい。

平安京の方位はどうやって決められたか
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/hosizora/astron/astron1/astron1_P11-15.pdf

これによると,難波京・藤原京・平城京・長岡京・平安京とも
ほぼ南北軸と言っていいようです。

寺院については,個別に調べてみました。

・斑鳩寺(若草伽藍)・・・西偏20度?
・法隆寺東院(夢殿)・・・西偏20度?
・法隆寺西院・・・西偏3~4度

・薬師寺・・・ほぼ南北軸
・東大寺・・・ほぼ南北軸
・唐招提寺・・・ほぼ南北軸

・飛鳥寺・・・ほぼ南北軸
・川原寺・・・ほぼ南北軸

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥さん
有益な掘り起こし、ありがとうございます。
この論文にあるような、太陽から方位を求めるという試みは貴重です。
しかし、根本的な疑問が。
古代から太陽は観測されてきましたが、その理由は、太陽は天球上を一年かけて移動するからなのです。これで季節がかわるので、暦計算上大切な冬至がいつなのかを知るために太陽の影の長さと方位を観測してきたのです。決して方位を確定するためではありませんでした。「天球上を移動する」ということが観測対象となる理由だったのです。「月」も同じ理由です。一年や一月そして一日を決めるためでした。つまり、「暦」(年月日)を作るために観測したのです。
では、方位はといえば、言うまでもなく天球が回転する中心、地球の自転する軸の延長線ですが、これが方位の基準でした、というよりも、地球の上では今もこれが基準です。太陽や月は「天球上を動く」ことが、北極は「天球が回転していても動かない」ことが、重要な点でした。
ちなみに、天体観測の道具の一つである渾天儀(天球儀)の発展が「暦」の精度の向上と一致しているのが面白いですね。
後漢時代、張衡、38歳で暦をつかさどる長官太史令となり、117年世界初の水力渾天儀を発明。水力渾天儀は漏刻(水時計)としても使用された。一年が365日と1/4であることを天体観測データから算出した。「後漢四分暦」ですね。
なお、「漏刻」とあったからといって、枡から枡へと水が落ちるだけのものとは限りませんね。「漏刻」は水力渾天儀(天体観測用具)かも知れませんから。
唐時代、李淳風、633年複数の天文観測を計算できる3つの球からなる渾天儀を発明した。この方は、唐朝初の暦である「戊寅元暦」が冬至で三刻(約43.2分)違っていたことを正す「麟徳甲子元暦(麟徳暦)」を作られました。「麟徳甲子元暦(麟徳暦)」は日本国ではなぜか「儀鳳暦」と呼ばれています。
同じく唐時代、僧一行と役人梁令瓉が張衡の水力渾天儀に脱進機(振り子状のものが左右に一往復動く度に歯車が歯ひとつ動く装置)を取り付け世界初の水力機械時計を発明。僧一行は、日食などの食計算に経度緯度の調整を施す唯一の暦「大衍暦」を作りました。

 さてこの調査結果から何がわかったのでしょうか。ここが問題です。いやこの調査で新たな問題が出てきたはずですが。

山田さんへ
 「根本的な疑問が」と書かれていながら、その疑問が書かれず、太陽観測は暦の確定のために観測されてきたという歴史が書かれているだけなのですが。
 「根本的な疑問」とは何でしょうか?

川瀬さん
肥さんの掘り出したデータに疑問があったのではなくて、
太陽という方位には無関係な天体から方位を割り出そうとしている方法、木によって魚を求めるという方法を疑問としたのです。
題は「平安京の方位はどうやってきめられたか」でしたよね。
何日観測してわりだすのか知りませんが、正確な観測技術がありさえすれば、晴れた夜なら一夜で出せる真北を、あのような方法で求めたのではないかとする神経を疑ったのです。中国の天文学や数学の書を読んだからかどうか知りませんが(中国天文学・数学集にそのような解説がある)、確かに黄動面に対して地軸が傾いている。だから季節によって影が異なる。そこから方位(東西)も出せる。でしょうが、そんな間接的なまどろっこしい方法で平安京の方位を出したのかもと思っている神経を疑ったのです。それとも古代の人は馬鹿だったとでも思っているのでしょうか。あるいは学位をとるためにしいてあのような試みをしたのでしょうか。そこまで言いたくはなかったから、あのような書き方をしました。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

暦や天体観測についてのお話は興味がないわけではないのですが,
何しろご存知の通り「予備知識」がなさ過ぎで,
猫に小判,豚に真珠のたとえの通りです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 追伸:もうひとつ。他のスレッドで私が、「武蔵国分寺の二つの伽藍のうち、塔中心の伽藍が磁石を使わず、金堂中心の伽藍が磁石を使っていたことがあきらかになっても、前者が九州王朝主体で、後者が近畿天皇家主体とは証明できない」という意味の発言をしました。そして「全国で権力交代に伴って建設思想が、天体観測から磁石による観測に変わった」という事実が証明されないかぎり、前の仮説は証明できないということも言いました。
 ではどうするのだ。と肥さんは思っていませんか。そんな膨大な話と。
 簡単な方法を見つけました。それは近畿天皇家が建設したことが確実な、6世紀から8世紀の都や宮殿そして寺院の遺跡を見て、その南北軸がほぼ真北を向いていたりわずかに東に偏っているのか、それとも西に偏っているのかを確認すれば、先の仮説の実証実験となります。
 候補は藤原京・宮と平城京・宮、そしてこれらに付属する寺院です。さらに藤原京に先行する大和盆地の宮跡と寺院。これらは確実に近畿天皇家主体のもの。これらをグーグルマップかヤフーマップで確認し航空写真があるのでこれで見てみればわかると思います。
 これを行えば、「6から8世紀の寺院で南北軸が西に傾いているものは近畿天皇家主体、そうではなくほぼ真北か東に傾いているものは九州王朝」という仮説が成り立つのかどうか証明できると思います。

以上の川瀬さんのコメントからヒントをいただき,調べてみたのが上記の結果です。
「ほぼ南北軸」というのが一番印象に残ったことで,
これで「傾きによって証明できる」とは思えなかったというのが正直のところです。

山田さんへ
 了解です。その通りですね。何も季節や日々によって高さの変わる太陽によって真北を求めなくても、北極星を元にすればすぐわかること。もしかしたら古代の天体観測に何か思い違いをされていたのかもしれません。

肥さんへ
 そのとおりです。真北から西に傾いた建造物がすなわち近畿王朝建造とは言えないわけです。ただしもう少し詳しく分析してみましょう。
 唯一西に20度も傾いてたのが法隆寺の若草伽藍と東院。これ7世紀初めのもの。
 次に西に3・4度傾いてたのが法隆寺の西院。これ7世紀前半のもの。
 あとは全部ほぼ真北ですが古い順に行くと
 飛鳥寺 7世紀中ごろ
 川原寺 7世紀中ごろ
 藤原京 本薬師寺 7世紀後半
 平城京 東大寺 薬師寺 8世紀初め
 平安京 8世紀末
以上はすべて近畿天皇家建立です。近畿天皇家は7世紀前半は真北を求める技術をもたなかったが、7世紀中ごろにはそれを持っていた。以後はすべてこの方法で真北を求めて造った。

 したがって武蔵国分寺の後の方の伽藍である金堂中心の伽藍の南北軸が西に約7度傾いていたことでもってこの伽藍建造が近畿天皇家だとは断定できないことが確定しました。確実なのはこの伽藍建造者は磁石を用いたということ。
 これに対して最初の伽藍塔中心の伽藍建造者は、真北を測定して建造した。
 確実に二つの伽藍の建造者はことなります。
 ではこの金堂中心の伽藍の建造者は誰か。ヒントは武蔵府中熊野神社古墳です。

 これで武蔵国分寺研究のまとめに一歩前進です。

 あと上の表に難波京を除外しました。
 あの論文の言う難波京が、前期なのか後期なのかが不明なので。
 前期は7世紀初め 後期は7世紀末 前者の建設主体は九州王朝説では九州王朝、後者は確実に近畿天皇家。どちらか確定されていないのでとりあえず除外。
 興味深いのは検討した他の寺や京がわずかに西に傾いているのに、難波京だけがわずかに東に傾いていることです。
 九州王朝の首都太宰府もまたわずかに東に傾いています。
 何か関連があるのでしょうか。これも面白いテーマです。

この「正方位」か否かという点については、すでに「王権」が関与したものだけに見られる特徴という言い方がされており、「正方位」を得る技術が「王権」に独占されていたという可能性が指摘されています。つまり「正方位」を得るには(それが太陽なのか北極星なのかは別としても)時間も手間もかかるのに対して、磁北はそれほどの時間もかかりません。しかし、その分精度は落ちるわけです。そのように精度良く「正方位」を得る方法は王権の独占するところであった可能性があるのに対して、「聖武」の詔によって造られた国分寺はその財政部分も含め地方に委ねられていたようですから、「王権」が直接関与したわけではなく、地方の権力者は「正方位」を得られず「磁北」で代用していたと言うことが考えられるのではないでしょうか。つまり「正方位」ではあるかないかということは、時代差を示すと同時に時の王権の「関与の程度」を示すものともいえるものと思います。この考えが正しいとすると正方位であるか否かが九州王朝なのかそうでないのかという試金石として仕えるという見方は問題の解決とはなり得ないこととなるでしょう。
 ただし、「古代官道」が正方位を示す場合が多いということから(武蔵道もそうですが)その「構造」と「規模」から考えても非常に強い権力の存在とその直接的関与を示唆するといえますが、それは即座に初期の「国分寺」の創建にも王権が直接関わったということがやはり強く示唆されることにもつながるといえます。私見では初期「国分寺」の創建は「隋」の高祖による「仁寿元年」の詔に基づく舎利塔建立という事業に触発されたものと見ていますが、そうであれば六世紀末から七世紀初めの時期の王権が非常に強力であったらしいことが窺えるわけであり、それを示すのが「遣隋使派遣」であり「天子標榜」という「荒技」?ではなかったかと思われるわけです。そしてそれが「阿毎多利思北孤」という存在につながっていてしかも「近畿王権」の中に適者がいないと言うことは、この強力な王権の実態が「九州王朝」という存在とつながることを示すものであり、その意味で「正方位」を得る技術を最初に獲得した王権は「九州王朝」であったといえるかもしれません。

肥さん
テーマは掘り起こしたデータであることはわかっていましたが、あのような論文をみたら一言言いたくなってしまいました。申し訳ありませんでした。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 これで武蔵国分寺研究のまとめに一歩前進です。

まだ十分私が理解しているとは言い難いのですが,
川瀬さんの「一歩前進」というお言葉を信じて前に進みます。

PS 難波京についてですが,古賀達也さんが第1次難波京は,
九州王朝の副都であるという説を出されています。
「少し東偏」というのは,そのことと関係があるかもしれませんね。

James Macさんへ
コメントありがとうございます。

わかりやすく説明していただき,
いろいろな事情を知ることができました。
本当に私が学校で教えている歴史は何なのだろうという気がしてきます。
(新しい歴史研究の例として,古田説は「聖徳太子」「白村江」
そして「大宝建元」の授業で紹介してはきましたが)

James Mac さんがおっしゃった、「正方位を図る技術も権限もともに王権が独占していた」と考えると、国分寺の南北軸がほぼ真北の場合は王権が強く関与し、そうでない場合は王権の関与が弱り在地勢力によって建立されたと考えられるというお説は、武蔵国分寺を考える上でとても良い視点だと思います。
 これによって、武蔵国分寺が、1:真北を向いた塔中心の伽藍⇒2:西に7度傾いた金堂中心の伽藍へと変更された経緯を推理できますね。同じく西に7度傾いた熊野神社古墳の存在を結合して考えれば。
 これに1が東山道武蔵道と並行であることや、この道と並行の南北道の北側にあること、そして1の伽藍のすぐ南側の方形の地域が国府・国庁所在地であると考えられることを入れれば、先の伽藍変更についての、私たちの新しい理解が出来上がることになると思います。
 肥さん。これで武蔵国分寺をまとめるポイント1の伽藍の項の大筋のまとめができたのではないですか。
 残る問題は、1の伽藍形式。1塔式なのか2塔式なのか。これを遺跡状況で確認し、さらに基壇形式などから2の伽藍の建設過程を復元し、出来上がった伽藍の消失⇒再建が確定できる。
 次の問題は、ポイント2の建設時期の問題ですが、ここに入る前に、ポイント1をまとめてみませんか。

James Macさま
気づかれないかもしれないので、こちらにもお知らせいたします。お約束した南朝印の最終報告は、「武蔵国分寺」についての検討(2)にアップしてあります。

それと、「正方位」を得る技術は独占されていた可能性がある、とのご教示ありがとうございます。私見では、観象授時(暦の発布)は天子の特権ですが、正確な暦を造れることが天子の証明ともなるので、独占されていたと推測できます。後世に史書で明らかになっていても、それはその王朝が滅んでいるからの話ではないでしょうか。
もし、そうだとすれば、わずかに東偏していることも、なにか理由があると思われます。

川瀬さんへ
近畿天皇家は七世紀前半には真北を求める技術を持っていなかったが、七世紀中頃にはそれを持っていた。とすると、七世紀中頃になにか画期的出来事があったのでしょうね。対唐戦争に備えた遷都かな、それとも天智の分派王朝建国かな、とても時期と事件が興味深いですね。

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