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2016年7月12日 (火)

社会科サークルでの報告のために

明日社会科サークルで古代史研究の報告をすることになっている。
歴教協の所沢サークルで,私が古代史研究の報告をするということは,
当然古田史学についての研究動向でいいので,その点は気が楽ではある。
(考えてみると,こんなサークルも珍しいと思うのだが,
なにしろこのサークルで私が35年間報告してきたのは,
ほぼ「仮説」と「古田史学」だけといっていいのだから仕方ない)

幸いこのサークルで武蔵国分寺跡にフィールドワークに行ったこともあり,
土地勘を持っている人も少なくないし,古田本の読者も少なくない。
そう考えてみると,摩訶不思議なサークルということなのであった。
閑話休題。さて,何を話すかのイメージトレーニング。

(1) これまでの武蔵国分寺研究への疑問

・塔と東山道武蔵道と尼寺が南北軸の地図の中に,金堂以下の西偏7度の主要伽藍の謎
・社会科サークルとのフィールドワークの経験(これを古田説ならどう考えるか?)

(2) 古田史学の会の古賀さんとのやりとりから,多元的「国分寺」研究のスタート

・2015年8月のメールのやりとり
・9月5日の有志によるフィールドワーク(『盗まれた「聖徳太子」伝承』の出版記念講演会の前日)
・2016年1月,古賀さん・宮崎さんと東京でオフ会(古田氏の追悼会の前日)
・多元的「国分寺」研究サークルの立ち上げ(肥沼がサイトを作る。意見交流の場を作る)
・川瀬さん・山田さんと肥沼のやりとりで,これまで歩んでくる

(3) 多元的「国分寺」研究サイトでの話題の紹介

・「国分寺」はなかった!(聖武天皇の「国分寺建立の詔」には「国分寺」という言葉は出てこない)
・2016年2月,「古田史学会報」に今井久論文「伊予国分寺と白鳳瓦」が掲載される
・川瀬さんの今井論文批判から今井論文のもとになっている『倭国とは何か』の庄司圭次論文にあたる
・2016年4月,『新修 国分寺の研究』7冊と『国分寺の創建』2冊の購入(国分寺研究の源へ)
・陸奥国分寺をめぐって,多賀城廃寺が九州王朝の中心の寺院である観世音寺式ということが分かる
・川瀬さんの批判により「陸奥国」はなかった!ということに(『真実の東北王朝』の再読)
・郡山廃寺(宮城県)も観世音寺式
・秋田城の付属寺院も観世音寺式
・庄司圭次論文の再読~学ぶべきこと(塔の位置や近くに白鳳の国府付属寺院がないか)とそうでないこと
・このあたりで川瀬さんより木下良著『国府』を紹介してもらう
・このあたりで山田さんがコメントを入れ始める
・6月下野国分寺のフィールドワークの際,「本朝三戒壇」である下野薬師寺を訪問()
・6月4日,常陸国分寺のフィールドワークに行ったことにより,古東海道は茨城廃寺と外城遺跡でストップし,
下野国府や下野国分寺にむかっていないことを発見
・6月7日,「国府の部族寺院」の分布図をグラフに描く(多くが白鳳寺院であり九州王朝の国府寺の可能性)
・6月12日,武蔵国府の付属寺院とされる京処廃寺跡のフィールドワーク(川瀬さんは郡家の付属寺院説)
・このあたりで南九州の3つの国分寺(薩摩・大隅・日向)の研究。山田さんのコメント多くなる
・このあたりで,「遠賀軍印」と「御笠軍印」の研究(南朝の尺と寸から北朝の尺と寸へ)
・このあたりで,武蔵国分寺への方向転換に向かう
・6月19日,『国府』掲載の典型的な国府跡である周防国府(山口県)を訪問する旅
・6月26日,千葉県の3つの国分寺である安房・上総・下総の国分寺跡を訪ねる旅
・このあたりで,川瀬さんが府中刑務所地下に国府の可能性を考えられる
・7月1日,川瀬さんと武蔵国分寺のフィールドワーク。土壇の形式について学ぶ
・7月2日,上野国分寺跡・国府推定地・山王廃寺などをフィールドワーク

・7月13日,社会科サークルで「国分寺の「謎」を解く!」を報告予定
・7月22日,古賀さん・宮崎さんとオフ会を行う予定

・夏休みに東北旅行(郡山市の遺跡,多賀城廃寺,秋田城跡,秋田孝季の故郷)の予定

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