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2016年7月13日 (水)

「ふちゅう地下マップ~発掘!ここまでわかった武蔵国府」

上記の地図を持っていたことが昨日判明した。
これは先日の実踏の際資料館で川瀬さんがもらったものと同じと思われる。
かなり前に資料館を訪問した時にもらっていたが,
その時は国府や付属寺の京所廃寺に関心がなく,
「お蔵入り」していたものだろう。
今回江口さんの『古代武蔵国府の成立と展開』で
掲載されている地図が小さかったので失念してしまったが,
このカラー版を見れば区画施設(区画A)や東西道路も印象的で,
南の京所廃寺のところの京所通りと並行で,
東偏3度のの街並みが一目霊山であった。

ふちゅう地下マップ

P7120876


これによると,その東西の幅は,西の府中警察署あたりから
東の東府中駅あたりまで1キロ近く広がり,
(甲州街道ということは,旧甲州街道?にそった方位ということである)
国府「方八丁」の規模というのもまんざら嘘ではない。
今は府中の名だけが残り,国府国衙の名は消えているけれど。

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コメント

  たしかにこの東西軸が南に三度傾き、南北軸が東に三度傾いた街路。その広さがなんと東西南北でそれぞれ約1キロ。通常の国府の広さに匹敵する広さ。
 ただこれは古代の街路の反映ではなくて、旧甲州街道が京所道に並行するようにして八幡宿のあたりから南に3度傾いたことが元になっていて、この旧甲州街道に直角に交わるようにして最近の市街地ができた結果ではないでしょうか。旧甲州街道が京所道に並行に曲がったことはもちろん古代街路の痕跡なのですがね。
 ところでこの区画A。区画の中に大型井戸を持っていたということは大勢の人が暮らしていたことを示していますが、はたして郡家なのでしょうか。この区画から発掘された建物や遺物、さらにはこの区画周辺で発掘された墨書土器などから何がわかるか。ここがポイントです。

肥さん
仏塔に関するサイトを発見しました。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/

サイト内検索を行えば、欲しいデータが載っていれば出ます。とても参考になりました。どこにのせたらいいか分からず、とりあえずここに。
適切なスレッドに貼りかえていただければ。

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