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2016年6月25日 (土)

千葉県内の3つの「国分寺」を巡る旅

昨日は,上記の旅をしてきた。
最初は午前中に上総国分寺だけ廻って,
午後は仮説社の『たの授』公開編集会議に顔を出すつもりだったが,
なんとか午前5時所沢駅発の始発に乗れたので,
チャレンジしてみることにしたのであった。


(1) 安房国分寺跡(館山市国分寺)

JR館山駅からタクシーで10分,安房国分寺に向かった。
(すでに自宅からここまで4時間かかった!)
現在の国分寺の後継寺と重なって全体像はわからないが,
金堂跡が見つかっているほか,何かの礎石の石が4つ出ているらしい。
あと,瓦や上等な焼き物の一部。
伽藍配置が知りたい私としては,残念な状況ではあるが,
金堂が門から入って,左手にあった。
ということは,観世音寺式や法起寺式の可能性あり?
金堂の向きを知りたいものである。

黒潮が洗う海岸に近い温暖なこの地は,住むのに悪くないぞと言う気がした。
また,東京湾沿いに陸上移動するより,船の方が便利というのも実感した。
JR内房線の沿線には,いくつもの港があった。
(源頼朝が流れ着いたのは,上総勝山という場所だ)
また,確か安房の特産である石が,
埼玉古墳群の中の将軍塚古墳の石室内に使われていたような気がする。※
関東ネットワークが存在したのだろうか?

※ 官庁の許可を得て発掘を進めた結果、縦1.5メートル、横0.8メートル、
厚さ30センチメートルの秩父青石(緑泥片岩)の天井板、
側壁は房総半島の富津市付近で産出される房州石が用いられていた

安房国分寺跡

http://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/6035

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(2) 上総国分寺跡(市原市惣社)

JR内房線の五井駅で小湊線に乗り換え(この1~2両だけの車両は,
なかなか癒されるものがあります),
上総村上駅から徒歩25分の上記の国分寺跡を訪問した。
国分寺は後継寺の下に重なっているのでわかりにくいが,
「藤原京の大官大寺式に似る」という表記があった。
巨大な古式の伽藍配置である(回廊の中の東側に塔)。
1キロほど離れたところに尼寺があり,回廊の復元がしてあったり,資料館もあり,
館員の方もくわしく話ができる方で,多元的「国分寺」研究にも興味を示された。
尼寺のさらに北には「王賜・・・」という銘の入った剣が出土した古墳があったのだが,
先を急ぐ時間になったので,また次回ということになった。


上総国分寺跡と国分尼寺跡

http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/chiba_folder/kazusa-kokub1.html
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(3) 下総国分寺跡(市川市国分寺)

市川駅からタクシーを拾って向かったが,途中で急に坂を登りだし,
海岸段丘の上に築かれた寺のような感じがした。
こういう観察は,地図だけではわからない,フィールドワークの強みだ。
ここは,法隆寺式の伽藍配置の寺であるという。(確か相模国分寺もそうだった)
海を隔てて,両寺は同じ方式で建てられているのだった。
しかし,角度が伽藍によって違い,ちぐはぐなのだ。
西側の塔は大きく西偏し,金堂と講堂はそれほどではないが少し東偏している。
ということで,単純な法隆寺式というわけにはいかないかもしれない。
塔の心礎の写真を撮れなかったのは,残念。(リンクしたサイトには載っています)

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下総国分寺跡

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E7%B7%8F%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA

とにかく,千葉県下の3つの国分寺が,
みな古式の伽藍配置で建てられていた可能性が出てきた。
(少なくとも東大寺式ではない)
それが今回の収穫かな。

来週末は,高崎サークルがあるので,午前中に上野国分寺跡&山王廃寺(放光寺)に行く予定。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

再び驚異の「休日エクストリーム出社」!
午前中に千葉の三国分寺を回るとはすごいです。

 安房国分寺が法隆寺式や法起寺式かもとの判断は、根拠薄弱です。
 第一今の国分寺の伽藍の西側だということと、創建当時の伽藍の西側にあったこととは別のこと。安房国分寺が今の国分寺の西側に広がっていたと考えるべきでしょう。創建年代(分国されたのは8世紀ですから)からして東大寺式をまず想定すべき。そして第二に、すでにあった郡寺を国分寺としたと考えると、7世紀の古式の伽藍であることも想定すべきです。
 もっと調査されないと判断できません。専門家はどう判断しているのか、論文を見てみましょう。
 上総国分寺は大官大寺式伽藍配置そのものですね。ちょっと違うのは金堂と講堂とが道または回廊でつながっていることでしょうか。
 下総国分寺の伽藍はいちは法隆寺式で良いと思うが。はたして堂塔の軸がずれているかどうかは。この程度の略図で即断するのは危険ですね。
 でも三つ見てきたことでイメージがわいてきたでしょうか。
 肥さんはもっと地図を詳細にみる訓練をした方が良いですね。読めれば行かなくても済みますから。今はねっとで3D画像で立体画面で地図地形図が見られるサイトすらあります。
 またグーグルマップは便利ですね。現在の地図に航空写真を加えてありますから。これに等高線の入った地形図が一緒に見られるとさらに便利なのですが。

 あともう一つ勉強しておいた方が良いことが。
 古代寺院の伽藍配置の種類とそれぞれの共通点と異なる点の確認。そして通説ではそれぞれの伽藍配置が流行した時代をどうとらえているのかという点と、金堂・塔・講堂・僧堂のそれぞれの建物の役割とその時代的変化。
 これ知っていると、古代寺院を考察をするのに便利です。

あじすきさんへ
コメントありがとうございます。

今年は多元的「国分寺」研究のお陰で,
いい旅をさせていただいています。
しいて言えば,ご一緒する方が欲しいということです。
1つは,2倍のノーミソで考えられるということ。
そして,もう1つは,2分の1のタクシー料金で済むということです。(笑)

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

私の拙い旅行記から,たくさんの学びの原則を引き出していただき,感謝です。
今週はテスト期間に入るので,時間が取れそうです。
「武蔵国分寺」で再出発できるといいです。

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