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2016年6月12日 (日)

京所廃寺の塔心礎を訪ねて

昨日上記の心礎を訪問した。
別に直接訪ねなくてもサイトの写真でわかることも少なくないのだが,
今回も私の心が「訪問せよ」と命じた。
遺跡というのは環境と共にあり,それは1枚の写真からではわからず,
「実際に行くことによってしか得られない感覚」というものもあり,
たいてい行くと何かの発見や確信に恵まれるものなのである。
さてさて,今回は何が待っているのだろうか。

京所通りを歩いていく。
案内には,「経所」(きょうじょ)が訛って「京所」(きょうず)になったという説が書いてあった。

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府中本町駅すぐの大國魂神社の東側に「武蔵国府跡」という資料館があり,
そこから歩いて10分くらいのところにそれはあった。
初めて行くにはちょっと案内がいりそうな路地を入っていくと,
そこにはぽかっと空間が広がり,別な世界に入り込んだ感覚がした。

P6110444

資料館の東の猿渡家の墓の中に,それはある。
サイトの写真で見たあの大石の塔心礎が,
本来の役割ではなく何かの供養塔のど台座として,
私を待ち受けてくれていた。

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表側からは穴が開いていないような感じで,
しかし,裏側に回ると明らかに穴が見えていて,
例の塔心礎であることはすぐにわかる。
何枚か写真を撮ってそこを辞す。

P6110451

P6110449

先ほどの資料館の方にお礼を言いつつ,
今度はふるさと府中歴史館へ。
このような大きな発掘には,かならず報告書があるだろうとにらんでのこと。
2階の資料室には,たくさんの行政資料が保管してあり,
昔からのものがすぐ見つかった。

P6110454

1995年の「ライオンズマンション府中宮町地区」という名前で,
「京所廃寺」という名前は出ていないので,ちょっと探すのに手間取ったが,
何しろ口絵のカラー写真が「地業」についてのものなので,
それをたよりに10数枚コピーを取ることができたのは幸いだった。
「求めよ,さらば与えられん」である。

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大きな収穫を胸に,私は午後の飯能・日高サークルへと向かった。

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