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2016年5月22日 (日)

熊本大震災・支援報告(その1)

たの社メーリングリストに,國友さんの被災地支援報告が
入っているのに気が付いたのは,30分ほど前だった。

現在,5月22日(日)の午後11時20分だが,
2回に分けて熊本大震災・支援報告を転載させていただく。

震災1か月を過ぎて,新聞の1面から記事が無くなってきた。
これは「その後の様子」を伝える貴重な情報であると思う。

読みにくいところについては,肥沼が改行等をおこなったが,
内容についてはそのままにしてある。

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簡単ですが、カレーの炊き出し支援の結果をご報告いたします。     
 
5月9日、益城町中央小学校避難所に対して、カレーの炊き出し支援を行いました。
あいにくの小雨が降る中、益城町に入ると目を覆いたくなるような惨状が続いていました。
益城町役場の入り口には立ち入り禁止のロープに「被災に関する手続きはここでは出来ません」
の張り紙がぶら下げられていました。役場も被災してその機能を停止しているようです。

1階部分がつぶれた家が何軒も続き、壁にひびが入ってねじられたような家、
おもちゃの家が転がったように見えるところもありました。
ほとんどの家の壁に立ち入り危険の「赤い紙」が張り付けられていて、
後片付けもままならない様子でした。

中央小学校の体育館には、昼間は120~130人の方が避難生活を送られていました。
夜になると300人を超える方が避難してこられるそうです。
益城町では水道が回復しているところが半数近くあるようですが、
中央小学校の周りはまだ復旧していないそうです。

電気も回復しているようですが、大部分の家では電線が垂れ下がっていて
怖くて電源を入れられないそうです。
体育館の中はマットレスと布団で寝る場所を確保してあるだけで、
間仕切りになるようなものは一切ありません。

体育館と校舎の間の屋根がある通路が炊き出し場所と、
ボランティアスタッフの控室になっていました。
その通路の端でカレー温めご飯を炊きました。

最近起こったノロウイルスの食中毒がありましたので、
私たちの炊事の様子を京都から支援に来ている栄養士さんたちが監督していました。
「加熱していないものは提供しないし、調理後2時間たったら廃棄します」という戒厳体制でした。

私たちの調理の様子に納得されて配膳OKが出ました。
配膳も常駐のボランティアスタッフが体育館に運び入れます。
衛生面とプライバシーの両面から私たちは自由に体育館に入れないようにしていました。
 
最初に代表として一人だけ被災者の皆さんにあいさつをさせてもらいました。
「みなさん今日はカレーですよ。作ってきていただいた代表の方にご挨拶していただきます。」

「八女市からやってきました。美味しいかどうかはわかりませんが、
みんなが朝早くから起きだして作りましたカレーです。
愛情だけはいっぱい入っていると思いますから、みなさんめしあがってください。
おかわりもたくさん用意しています。たくさん召し上がってください。」
たくさんの拍手をいただきました。
そのあと、「美味しかった。おかわりを3杯しました」などと声をかけてもらいました。

避難所のボランティアのサブリダーの軸丸さんとお話をしました。
ご自身も被災者でご自宅は町の中央通りで看板屋さんを営んでおられたそうです。
家は建ってはいるがずたずたで赤紙だらけで何もできません。
ここでみなさんのお世話をするのがただ一つのやりがいです。
私たちの仲間のTシャツの「がんばろい八女」の言葉を見て、
「頑張ろう益城」と手書きしたTシャツを見せてくれました。
ここでの生活がまだ2ヶ月は続くでしょう。
みなさんがこうやって支援に来てくださるので、私たちは負けません。
と笑顔で話してくれました。その笑顔に、私たちも元気づけられる思いでした。

この避難所はテレビで放送されているグランメッセや陸上競技場のような避難所ではないため、
お風呂やシャワーの設備がないため、3日に一度、そちらに行くそうです。
そこには自衛隊によるお風呂とシャワー室があり、色とりどりのテントがたてられていて、
子供たちは「お祭りみたい」と喜んで帰ってくるそうです。
(大きな避難所には人も物資も豊富に集まるのに、小さな避難所までは届いていないのだなと、
この子供たちの言葉で知らされました。)

各地から災害支援で派遣されてきている職員の人ともお話をしました。
2週間ここでお手伝いをしているという方もいました。
その間、被災した人たちと寝食を共にして支援しているとの話で、
暖かいご飯は久しぶりですと言ってくれました。

この避難所では、室内では原則的に火を使うことが出来ないそうで、
何かをしようとするならば、屋根のある通路でカセットコンロを使うくらいだそうです。
(カセットコンロの横にカップうどんが一つ置かれていました。
おそらくカセットコンロで沸かしたお湯で作る暖かい食べ物だったのでしょう。

体育館の入り口に、30kg入りのコメの袋が5~6俵積み上げてありました。
米は届いても、それを炊飯する手立てはないようにも思えました。)

私たちが到着したとき、業務用の小さな冷蔵庫が届けられ、
コンセントに差し込んだばかりのところでした。
 
テレビなどで放送されるような大きな避難所には、物資が潤沢に届けられるようですが、
小さな避難所はその情報網から洩れて、物資が十分届かないようです。
 ここでは、4月中はときどき炊き出しがあったそうですが、5月に入ってからは、朝はおにぎり、昼はパン、夜は弁当という通知があり、毎日がその繰り返しだそうです。

現地に入ってみて、その被害のひどさを目の当たりにし、
被災を受けられた方たちの悲惨な生活を知り、
私たちの小さな力で出来ることをやらなければならないという事を再認識しました。

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