« この夏の研究旅行 | トップページ | 出でよ,作問の神! »

2016年5月18日 (水)

『真実の東北王朝』読了

『真実の東北王朝』を昨日読了した。
ミネルヴァ書房版のもので,当然「寛政原本」発見後の増補付きだ。

今回の読書は,川瀬さんのご指摘から始まった。
「肥さんの「蝦夷国」理解は大和一元史観そのものですよ」
という手厳しいものであった。
私は駸々堂刊の『真実の東北王朝』で「読んだ」つもりになっていたが,
実は「読めて」いなかったようである。
こちらから見れば「陸奥国」=あちらからみれば「蝦夷国」。
その多元性を私は深くとらえていなかったのだった。
したがって,多賀城碑の「多元性」もわかっていなかったし,
「蝦夷国」のなかに差し込まれていた多賀城や秋田城の意味も
よくわかっていなかったのだった。しかし,「謎は解けた」(コナン肥さん)。

P5070294

地図グラフで表したように,観世音寺式の伽藍配置の廃寺や付属寺院を持つ
多賀城や秋田城があり,同時にそれは九州王朝のものであり,
東北地方経営の先陣は大和政権ではなかったということが。

もしかしたら,それは中国の西域経営の真似かもしれない。
また,高句麗の南下で朝鮮半島の鉄が入手困難になり,
東北地方の鉄や金に目を付けたのかもしれない。
少なくとも二ギエミシとは友好関係があり,中国にも連れて行っているから。
しかし,アラエミシやツガルとは,まだそうなってはいなかったようだ。
それが,多賀城だったり,秋田城というわけだろう。

多元的「国分寺」研究サークルの「第1章」は,このような結論に達した。
これらは考古学の成果といってもよく,そのなかで一元史観の方法ではあるが,
貞清世里氏という若い研究者の存在も知ることができた。
いずれ連絡を取ってみたい。

また,この夏の研究旅行で,多賀城&秋田城に行く計画を立てた。(次話にて)
今回の読書のおまけとして,「秋田土崎之住人」とも出会うこととなった。
その地に立ってみたいと思う。
同行してみたいという方は,ご連絡下さい。

« この夏の研究旅行 | トップページ | 出でよ,作問の神! »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« この夏の研究旅行 | トップページ | 出でよ,作問の神! »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ