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2016年5月21日 (土)

古賀達也の洛中洛外日記より 5/21

「十三弁家紋」の研究に進展があったようです。
「九州王朝の家紋ではないか」とねらいをつけているわけですが,
家紋研究からだけでなく,多元的「国分寺」研究からも,
さらに成果を挙げていきたいところです。
では,長文転載させていただきます。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1188話 2016/05/16
十三弁花紋と五十猛命と九州王朝

久留米市の犬塚幹夫さんの調査によると、
わたしが九州王朝の家紋ではないかと推定している十三弁の花紋ですが、
単弁十三弁蓮華文軒丸瓦が出土する遺跡は次のように
筑前・筑後を中心として北部九州に分布しているようです。

筑後国分寺跡(久留米市)
堂ヶ平遺跡(広川町)
太宰府史跡(太宰府市)
鴻臚館跡(福岡市)
宝満山遺跡(太宰府市)
浄妙寺(榎寺)跡(太宰府市)
筑前国分寺跡(太宰府市)
菩提廃寺(福岡県京都郡みやこ町)
豊前国分寺跡(福岡県京都郡みやこ町)

 他方、十三弁の菊家紋を紋章としている神社として
兵庫県たつの市の中臣印達神社(なかとみのいたてじんじゃ)が知られています。
その御祭神を調べてみますとなんと五十猛命でした。
わたしにはこの五十猛命に見覚えがありましたので、『太宰管内志』で確認したところ、
筑紫神社(福岡県筑紫野市)と荒穂神社(佐賀県基山町)の御祭神が五十猛命(筑紫の神)でした。
 両神社は比較的近傍(基山の東麓と西麓に位置します)にある神社で、
御祭神が共通していることから、五十猛命は筑紫と肥の国にまたがる
古い神様(天孫降臨以前の権力者)と思われます。
 偶然かもしれませんが、筑紫と五十猛命と十三弁紋が「九州王朝の十三弁紋」という仮説が
結節点となって有機的な繋がりが見えてきそうです。
調査はまだ始まったばかりですので、あまり断定せずに研究を進めたいと思います。
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