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2016年3月14日 (月)

庄司圭次さんの論文の「構成」

九州古代史の会編『「倭国」とは何か』(同時代社)掲載の
庄司圭次さんの論文「誰が国分寺の制度作ったか」を,
構成から振り返ってみることにする。
自分の勉強にもなり,読者に情報提供するためである。

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はじめに

1 国分寺の制度とは

2 聖武天皇の天平十三年三月の詔

3 国分寺制度を巡る疑問文献が示す疑問

 国分寺遺跡出土の遺構・遺物が示す疑問 ← 塔が回廊の「内」か「外」かの分類
 学者・研究者の見解 ← 学者・研究者の伽藍配置の違いには気がついていた
 国分寺を巡る疑問が示すもの ← 九州王朝説がないと様々な謎は解けない
 国分寺制度を創始した倭国王は誰か
 国分寺創設の王権者の要件
 国分寺の制度を創った王は二人

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最後に「4」として結論を書くのかと思いきや,
「3」の中に含めて結論を書いている。
後半の3つは,「私の結論」として章を分けると,
「起」「承」「転」「結」ではないが,構成としてもすっきりすると思った。
すなわち,結論とは,「倭国王、天子多利思北弧」と「大委国王、上宮大王」が
「国分寺の制度を創った王は二人」だということだ。

今回の文章で庄司圭次さんの論文に興味を持った方は,
実際に『「倭国」とは何か』を読んでほしい。

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