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2016年3月31日 (木)

『新修 国分寺の研究』の研究(2ー筑後)

まだ研究の「方法」についてはしっくりいっていないが,
それにこだわっていると春休みはすぐ終わってしまうので,
西海道までをハードルをあまり上げないで進めていきたい。
それだけでもあと500ぺージある。
よろしくお願いしたい。

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(0) 筑後国分寺・国分尼寺の位置等・・・高良山のふもとの高良川中流左岸の低い台地上にある。
久留米市国分町で,国分寺の北約300㍍に国分尼寺ある。

(1) 筑後国分寺跡・・・国分町宇谷の日吉神社を中心に字宮ノ脇・字政所・字大木下に及んでいる。
日吉神社境内の北西隅に,唯一の礎石(それを除いた礎石は「抜き取られている」)が遺っている。

P3301529

(2) 筑前国分寺の伽藍配置と同じ=大官大寺式である。

P3301530

(4) 条里と寺域・・・発掘調査の結果,国分僧寺の推定中軸線は真北よりやや西に偏き,
周辺の条理とは異なった方位を示している。(因みに,国分寺周辺条里の南北線は,
Nー7度20分ーEを示している)

(3) 国府・・・筑後国府跡は,久留米市街地の東方合川町枝光の台地上に存在する。
国府条坊の中軸線延長上に国分寺があることも想定している。
国衙(ということは,九州王朝の官庁街ということだと思う。肥沼)は,
風祭・ギャクシ地区から朝妻地区に,さらに「今ノ府」へと三次にわたり営まれたと考えられている。
「今ノ府」についても,御井町横道遺跡で検出された掘立柱建物がそれに当たるものと考えている。

(最後)筑後国分寺についてのサイト

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E5%BE%8C%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA%E8%B7%A1#cite_note-.E9.83.B7.E5.9C.9F-1


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