東日本大震災から5年
2011年3月11日,午後2時46分。
私は前任校の4階の教室で,ちょうど社会科の授業を始めたところだった。
ものすごい2回の揺れと校庭への避難。
そして,その年「安全主任」だった私は,
全校の生徒たちの前で話をした。
帰宅して見たテレビでは,
本当に信じられない映像や情報が
次々と伝えられて来た。
それから1週間は,「夢ブログ」でも
毎日震災に関することが綴られていった。
その反動というわけでもないが,
それから1年余り「何もできない焦燥感」を感じながら
時間だけが過ぎて行った。
2012年7月,仮説実験授業研究会の松島大会が開かれ,
目と鼻の先にあった被災地(東名ー野蒜間の様子)を知り,
私の拙い「被災地支援」がようやく始まった。
それから3年ほど,日帰りや夜行バス+新幹線での帰還という形で,
仙台~気仙沼~釜石という地域にかけての
私の写真で記録をしていく活動が10回ほど続いた。
(私は中学高校時代写真部に入っていて,その後も趣味として続いていた。
それと「夢ブログ」への掲載という形が「定番」となっていった)
その間三ケ島中時代に「教育を語る会」で協力関係だったお母さんたちの
「花咲くチャリティーコンサート」という企画に加えていただいた。
今でも毎年4月に音楽会を開き,募金を被災地に送るという活動を続けている。
(来月の2日には,小手指公民館分館で4回目のコンサートを行う。
私はその会のおしまい頃に登場し,「被災地報告」をしている)
さらに,2年前の大晦日に見た陸前高田の方々の
「おのくん」というソックモンキーの取り組みに関わり,
そこにも2年ほどが過ぎた。(先日4回目の訪問)
これからもまだ被災地の支援は続くが,
それを時々「夢ブログ」でお知らせしていく。
これが「私の被災地支援」といえばそうなのだろう。
これまで手探りでやってきたが,
私が等身大でできることを,
これからも続けていきたいと思っている。
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