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2016年3月29日 (火)

『新修 国分寺の研究』の研究(1ー筑前)

『新修 国分寺の研究』の精査などという仕事が
今の私にできるかどうかわからないが,
多元的「国分寺」研究の一環として
誰かがやらなくてはならない仕事である。
それなら,私がやろう。

どの程度の読書が「精査」に値するのかというのも,
未知のことである。
よろしくアドバイス願いたい。

では,まず九州王朝の地元・筑前から。
はじまり,はしまり。

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(0) 筑前国分寺の位置は,大宰府の西北方の丘陵上である。
筑前国分尼寺は,僧寺の西約400m。

P3291525_2

(1) 『類聚国史』の807年の項に,金光明寺が出てくる。
執筆者の森田勉氏は「すなわち国分寺」と書いているが,言っていいのか。

(2)「観世音寺謹牒案」(1035年)には「筑前国分寺」と書かれている。

(3) 発掘調査が昭和35年に鏡山猛氏らによって行われている。
以降,昭和49年,昭和51~53年にも。

(4) 金堂の場合,「基壇上面は完全に削平されており,礎石の根石すら見出し得ず,
金堂平面は明らかではない」と。いろいろな工事がされていた模様。

(5) 発掘調査により,土器,陶磁器,金属製品,土製仏像残片などと共に
おびただしい量の瓦が発見されている。

(6) 軒丸瓦16種,軒平瓦18種が出土している。各建物によって出土比率が
相違していることから,建物毎に使い分けがなされていたものと推知される。

(7) 大官大寺式の伽藍配置である。
 
P3291526_3

(8) 「伽藍配置と出土古瓦から国分寺に先行する寺院を想定し,その寺院を改修することにより
国分寺としたという論攷もある」と指摘している。

(9) 塔・講堂とも基壇は大きな改修が行われている。「前身寺院」の存在も考えられる。

(10) 『続日本紀』の701年8月の項に,観世音寺と並び「筑紫尼寺」の表記あり。
「これについては全く不明で,「前身寺院」を想定する時,検討するに十分値する」と。

☆ 筑前国分寺についてのサイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E5%89%8D%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA#cite_note-.E8.AA.AC.E6.98.8E.E6.9D.BF-1

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このような文章が「精査」に当たるものかはなはだ自信がないが,
何かいいアドバイスがあれば,ぜひしていただきたいです。
次回は,「2ー筑後」です。


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