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2016年2月 5日 (金)

国分寺・国分尼寺のもとの「名前」

国分寺・国分尼寺のもとの名前は,何だろう?
それは,「国分寺建立の詔」に書いてある。

第二条 僧寺には必ず二十人の僧を住まわせ、その寺の名は金光明
四天王護国之寺としなさい。また、尼寺には十人の尼を住まわせ、
その寺の名は法華滅罪之寺としなさい。

つまり,「金光明四天王護国之寺」と「法華滅罪之寺」である。
しかし,これは聖武天皇が付けた名前であって,
もともと付けられていた名前ではない。(だって,「しなさい」だから)
すると,以下のような変遷が考えられるのではないか。

(1) もともとの名前(国府寺・国府尼寺?)

(2) 「金光明四天王護国之寺」と「法華滅罪之寺」(聖武天皇)

(3) 国分寺・国分尼寺

(1)→(2)→(3)の順序かどうかわからないが,
たたき台として,これを提出しておこう。

前に書いたが,国分寺・国分尼寺という名前は,
いつ誰が付けたのかも知りたい。

どなたかコメントしていただるとうれしいです。

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コメント

 国分寺の名前の変遷は、肥さんのお考えでよいと思います。
 一つ付け加えれば、大仏を建立し大和の金光明四天王護国寺を東大寺と改称し、これを護国寺の総本山としたことで、
この名前は東大寺の別名となり、そのことで諸国の護国寺を国分寺と再度改称したのではないかと思います(尼寺のほうも同じ)。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

「改称→別名→再度改称」ということですか。
なかなか手がこんでいますね。

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