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2016年2月 6日 (土)

東大寺のホームページ

「東大寺」で検索すると,東大寺のホームページに行ける。
そのコンテンツの中に「東大寺の歴史」があるので,
古い方を転載させていただく。

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奈良時代創建期 -聖武天皇の願い-

7~8世紀の東洋の世界

7~8世紀の東洋の世界は、唐を中心に善隣友好の国際関係が昇華した時代であった。
当時の唐朝は道教を信奉したが、同時に仏教も振興し、
帰化僧による仏教聖典の漢訳の盛行もそのひつの現れであり、
各地で仏教寺院が建立され、それぞれの国家の安寧と隆昌を祈願させた。
これらの政策が、わが国で聖武天皇が天平13年(741)に、
国分・国分尼寺建立の詔を発する範となったことは周知のところである。

聖武天皇(画・小泉画伯)

8世紀の日本 -東大寺の前身寺院-

良弁僧正

奈良時代は華やかな時代であると同時に、政変・かんばつ・飢饉・凶作・大地震・天然痘の大流行
などが相次ぎ、惨憺たる時代であった。
このような混乱の中、神亀元年(724)二月、聖武天皇が24歳で即位し、
待ちのぞんでいた皇太子基親王が神亀四年(727)10月5日に誕生する。
ところが、神亀五年(728)9月13日、基親王は一歳の誕生日を迎えずして夭折する。
聖武帝は、すぐに親王の菩提を追修するため金鍾山寺を建立(同年11月)し、
良弁(のちの東大寺初代別当)を筆頭に智行僧九人を住持させた。
天平13年(741)に、国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、
この金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となり、これが東大寺の前身寺院とされる。

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これまで知らなかったエピソードと歴史が書いてあった。
「天平13年(741)に,国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い,
この金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となった」というのだ。そして,これが東大寺の前身寺院だ」と。
名称の変更は,その存在の在り方の変更に他ならない。
これからも名称に注意して,多元的「国分寺」研究を進めていきたい。

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コメント

摂津国分寺のあらましといい、
前身の寺の存在が前提になっていることが有るみたいですね。
七重塔建設の背景には、
それまでに存在した寺の改修や増築が有りそうです。
調べてみても国分寺の創建が何時なのか、
はっきりしないところを見ると怪しいです。

閑人さんへ
コメントありがとうございます。

多元的「国分寺」研究サークルのサイトの方に,
川瀬さんがコメントされていますので,
ぜひご覧になって下さい。
「自らの皇統の維持を図った一連の政策」と
川瀬さんは推理されています。

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