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2016年2月21日 (日)

住本さんの講演に「邪馬台国はなかった?」

昨夜,京都の竹田さんから「メールde資料」の最新号が配信されてきた。
その中で,私が最も反応したのが,住本健次さんの講演だった。
住本さんは今「東アジア講座」というのをやっていて,
その第1回が「中華思想と中国人」というもの。
下の講演記録(浜野純一さん編集)を読んでみてほしい。

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● 邪馬台国はなかった?

 そのうち,周辺の民族が文字をもちはじめたりすると,自分たちで文字を選ぶようになります。
自分たちでネーミングするんだから,いい文字をつかおうとします。
 中国人は,日本のことを「倭」とつけました。「倭」の意味はわかりますか?
これは「チビ」という意味です。中国人が日本人の使者に「おまえは,どっから来たんだ?」ときいたら
「わ」と言ったんでしょうね。そしたら,「わ」と発音する漢字のなかで一番悪い字を選んだのが「倭」です。
 「あんたたちのリーダーは,なんというの?」古代やまとことばでは「フィミカ」と発音した。
「フィミカ」というのを中国人の記録官が「卑弥呼」という字をあてた。「卑」は「いやしい」という字です。
 「邪馬台国」というのも,日本には文字がなかったから,中国人があてた漢字です。
「おまえたちの国は?」と中国人が質問したら「やまたい」と言った。それで,この漢字をあてた。
「邪」は「邪悪」の「邪」です。「馬」は動物ね。その南にあったと記されている「狗奴国」の「狗」は「いぬ」です。
悪い字をつかった。
 そういうふうに考えてくると,ここには歴史をくつがえす重大なことがかくされているんです。
「邪」は「邪悪」の「邪」。これは悪い字ですね。
「馬」は動物で言ったら,そんなに悪くもないけど,「馬面」の「馬」だと悪い意味になりますね。
それでは「台」は,なんだと思いますか?
 「台」という字は,中国でとてもいい字なんですよ。「台」は略字です。というのがもともとの字です。
これは,「うてな」です。皇帝がすわるいすのことです。だから,そんな文字を東夷の国の名前にあてるはずがない。と思うんです。
 『魏志倭人伝』の原点(原典?肥沼)にはという字で出てくるんです。これは「壱」の旧漢字です。
 歴史の中で、魏志倭人伝のあとで,からにかわってくるんです。よく似てるし,字数が多いでしょ。
書写するときに,どっかの段階でまちがって,「台」になってしまったんじゃないか。
原点(原典?肥沼)に忠実だったら,「壱」でなければならないはずです。一,二,三,四の「いち」です。
それなのに代々「『魏志倭人伝』の方がまちがってる」と考えられてきた。そのあとの歴史は,ずーっと「台」できてしまってる。
 「やまたい」ではなくて,日本の使節は「私の国はヤマイ」と言ったにちがいない。
「邪悪さで一番」なら,完全に悪い意味です。こうなってくると,邪馬台国論争は,根底からくずれるんです。
「やまたい」という発音に近いところで「やまと」の国をもってきたり,「近畿だ」「九州だ」と言ってるわけです。
ひょうっとしたら「やまい」というところをさがさなければいけないのかもしれない。
これまでの主流は「やまい」という名前で探されてきたわけではないから,
もし「やまい」だとすると,大きくかわる可能性があります。
 「うてな」というすばらしい字を周辺民族の国にあてるはずがないから,「邪馬台国」と書かれたはずはない。
と思います。

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一瞬住本さんは,古田武彦著『「邪馬台国」はなかった』をご存知なのかな,と思ったが,
よく読んでみると「誤写説」をとっておられるようで,「臺のインフレーション」との考えはないようである。
しかし,『魏志倭人伝』の原典には「壹」とあることはちゃんとご存知で,
もしそうなら「邪馬台国はなかった?」ということになり,
「邪馬台国」論争が根底から覆されることになる破壊力を持つことは承知されている。
さすが住本さん,と思った。

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コメント

「うてな・臺」確かに変換できました。
「皇帝の座る椅子」とはびっくり、
確かに当時の中国がこんな文字をあてるとは、
思われないというのが説得力がありますね。

 「壱」か「臺」か。この問題を最初に提起したのが古田武彦さんの論文「邪馬壱国」でした。この時は東大の榎さんも「新たなる実証史学」が出てきたと言って大いに称賛したのですが、これは古田さんの学問の方法論を理解せず、古田さんが自分たちの学問方法論が間違いだと言っていることを理解しない反応だったのですね。そして古田さんの第1書『「邪馬台国」はなかった』が出てきて大慌てでさっそく榎さんが読売新聞紙上で古田批判をやったら、「あなたの学問の方法論は間違ってますよ」と返す刀でバッサリと切られて、それ以後著名な古代史家は古田説にだんまりを決め込んだ。先日1973年に朝日ジャーナル誌上で、家永三郎さんが古田さんの著作を評価する書評を書いていたのを国会図書館に出向いて手に入れて読んでみましたら、家永さんは古田説の肝を正確に理解しておられました。いわく、「古代史の専門家じゃないので結論の当否は判定できないが、古田さんが提起したことは歴史研究の根本的方法の面で従来説は根本的に間違っているとしたことで、村岡学派の実証的な文献批判の方法を受け継いだもの。だから古代史家は古田説に反論すらできない」という意味の発言でした。さすが日本思想史の大家で古田さんの師匠村岡さんの後を継いで東北大学の日本思想史学科で古田さんを教えた人だけのことはあります。
 この住本さんという方も実は古田説はちゃんと読んでいるのじゃないのかな。魏志倭人伝の原典にはちゃんと「邪馬壱国」と書いてあるのに、勝手に「邪馬臺国」にして「ヤマト」と解釈してきたと批判すると日本古代史学会の態度を根本的に方法論的に批判することになるので、後代史書の後漢書では「邪馬臺国」になっていて日本古代史家はこれを正しいとして論証してきたのを「誤写」だとオブラートに包んで発言したのだと思います。「魏志倭人伝の後で壹から臺にかわってくるんです」というくだりは、正確には「魏志倭人伝の後の後代の歴史書では」だと思いますので。通説派はこのうちの後漢書の記述を正しいとしたわけ。
 でも後代史書の中で誤写が生じたのではなく、魏志倭人伝はその後の刊本でもみな「邪馬壱国のままなのだけれども、後漢書が書かれた時代には倭国の名乗りそのものが「大倭国」「邪馬大倭国」となっていことを反映した記述であるとは、古田さんが論証されたことですが。

翔空さんへ
コメントありがとうございます。

そうでしょう。
とりあえず,『「邪馬台国」はなかった』を
読み返してみませんか?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

やはり「オブラートに包んで」の発言でしょうかね。
住本さんは60代のもと高校社会の先生ですし,
仮説社から板倉さんと共著で『差別と迷信』も出版されていますから。
住本さんの講演は定評があるので,こういう形で古田さんの説が伝わるのは
私としてはうれしいことです。

こまかいことですが,「京都の竹田さん」はまちがいです。愛知ですね。失礼しました。

jwaさんへ
コメントありがとうございます。

勘違いでした。
竹田さんは愛知の方ですね。

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