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2016年2月 1日 (月)

「洛中洛外日記」第24話より

※ 「12弁の菊花紋」研究に関連して,
古賀さんの「洛中洛外日記」第24話を転載します。

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古賀事務局長の洛中洛外日記
第24話 2005/08/21

「稲員家と菊の紋」

高良玉垂命の家系は七世紀末頃に五家に分かれます。
その内の一つが草壁氏となり、後に稲員(いなかず)姓を名乗ります。
この流れがAさんの家系へと続くのですが、
この稲員家は八女郡広川村の大庄屋となり、近現代にまで至ります。

稲員家には多くの古文書や記録がありますが、
その中の一つに『家勤記得集』(江戸時代成立)という同家の歴史や由緒を記した書物があります。
その末尾には次のような興味深いことが記されています。

「稲員家の紋、古来は菊なり、今は上に指合うによりて止むるなり。」

稲員家の家紋は皇室と同じ菊の紋だったが、「上」との関係で止めた、という内容です。
九州王朝王家末裔の家紋が皇室と同じ菊だったということで、
この事実も興味深い問題です。
付け加えれば、Aさんのお話しでは皇室の十六弁の菊とは異なり、十三弁の菊だったとのこと。
筑後国府跡から出土した軒丸瓦の十三弁の文様とも対応しており、
偶然とは思えない一致ではないでしょうか。

また、高良大社の御神幸祭では稲員家が主役ですし、
その行列には皇室と同じ三種の神器が連なります。
こうした伝統も稲員家が九州王朝の末裔であることの証拠ではないでしょうか。
本当に歴史とは不思議なものです。
歴史学界の大家がいかに九州王朝説を無視否定しようと、
このように「真実は頑固」(古田武彦談)なのです。

参照

高良玉垂命の末裔 稲員家と三種の神宝(古田史学会報二十六号)

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