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2016年2月29日 (月)

真っ白な表紙の『あの日』

古賀さんや川瀬さんも読んでいる
小保方晴子著『あの日』(講談社)を,
私も遅ればせながら入手した。

本屋で立ち読みして,いい感じは持っていたが,
お二人の推薦や大宅健一郎氏(ジャーナリスト)の論評もあり,
古田本の読書を中断してでも読もうと思った。

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まず,手に取って思ったのは,真っ白な表紙のメッセージ性だ。
白色にはどんな効果があるかは,
もちろん出版の際考えに考え抜かれてのことだろう。

白色が持つ効果

http://www.siruhanote.jp/entry/2015/08/29/%E7%99%BD%E3%81%8C%E6%8C%81%E3%81%A4%E5%8A%B9%E6%9E%9C

彼女は,細胞についての研究だが,
これがもし古代史についてのそれだったらと思い,
若い研究者が勇気を持って通説を突破してほしいと願い,
読んでみようと思ったことを記しておく。


かんたん古田本目録

昨日,神保町の書泉グランデで,
ミネルヴァ書房の古田武彦氏の本を買った。
その際,近くにあったかんたん目録をいただいてきた。
B4判の表裏に印刷してあるもので,
所狭しと古田本情報が印刷されている。

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開くと・・・

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2016年2月28日 (日)

しゅーぞ氏が「あいせだラジオ」のゲストに

先ほど「あいせだラジオ」のサイトを訪問したら,
だいぶ前の素敵な「ぐめちゃん」に続き,heart04
第2のゲストが出演していた。

その名は,しゅーぞ氏。
私を立川の音楽酒房「農家」に連れて行き,
頭慢氏や「愛の世代ズ」の2人に出会わせてくれた張本人!
ではなく恩人であった。happy01

この収録の日は,だいぶお酒も進み,beer
(5~6杯を3.5杯と偽って申告していた)
本領発揮といかなかった印象だが,
みなさんの「あいせだラジオ」への出演のハードルを,
だいぶ低くしてくれたような気がする。

私も「夢ブログ」100万アクセス達成の暁には,
出演をお約束することにしたい。
早く出演させようと思った人は,
「夢ブログ」への訪問を頻繁にして下さいね。(o^-^o)

「あいせだラジオ」

http://ameblo.jp/ainosedaizu/

「おじいちゃんの唄」

https://www.youtube.com/watch?v=ZxXFgXK7yNE

仮説社・史上最大の祭

昨日は,午後から上記の会に参加した。
要は,社長の交代(竹内さん→川崎さん)を
イベントとして楽しんじゃおうということだった。

新旧2人社長のあいさつのほか,
長年『たの授』誌の表紙を担当した馬場雄二さんや
口絵写真担当の泉田謙さんも紹介された。

手品や落語の余興もプロ級で,
大変楽しく過ごすことができた。

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『盗まれた神話』読了

仕事が忙しくて,少し時間が掛かったが,
古田武彦氏の上記の本を読み終わった。

初期三部作の3冊を2月までに読み終えることができて,
うれしい気持ちだ。

読書中,ちょうど「古事記と日本書紀」のところを教えたりして,
「共に天を戴くことのできない「記紀」」を書いたりもした。

章立ては,以下の通り。

(1) 謎にみちた二書
(2) いわゆる戦後史学への批判
(3) 『記・紀』にみる九州王朝
(4) 蔽われた王朝発展史
(5) 「盗作」の史書

(6) 蜻蛉島とはどこか
(7) 天孫降臨地の解明
(8) 傍流が本流を制した
(9) 「皇系造作説」への疑い
(10) 神武東征は果たして架空か

(11) 侵略の大義名分
(12) 『記』と『紀』のあいだ
(13) 天照大神はどこにいたか
(14) 最古王朝の政治地図
結び 真実の面前にて

補章 
日本の生きた歴史

次は,『邪馬壹国の論理』に向かいます。

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2016年2月27日 (土)

洛中洛外日記~大宅健一郎「SТAP騒動の真相」

古賀さんが「洛中洛外日記」に連載されていた
SТAP騒動についての考えと同じようなことを,
ジャーナリストの大宅健一郎さんが書かれていた。
それを古賀さんに情報提供した結果,
「洛中洛外日記」に掲載していただけることになった。

===========
古賀達也の洛中洛外日記
第1142話 2016/02/27

大宅健一郎「STAP騒動の真相」

 「古田史学の会」会員で、多元的「国分寺」研究サークルのサイトを開設され、
わたしと共同研究されている東京都の肥沼孝治さんから、
ネットサイト「ビジネスジャーナル」に大宅健一郎さんの「STAP騒動の真相」
という記事が掲載されていることを教えていただきました。
わたしが「洛中洛外日記」で連載した「小保方晴子著『あの日』を再読」と同じ主張が述べられており、
意を強くしました。
冒頭部分を転載し、ご紹介します。

大宅健一郎「STAP騒動の真相」 2016.02.26

STAP問題の元凶は若山教授だと判明…恣意的な研究を主導、全責任を小保方氏に背負わせ

 「私は、STAP細胞が正しいと確信したまま、墓場に行くだろう」

 STAP論文の共著者であるチャールズ・バカンティ博士は、
米国誌「ニューヨーカー」(2月22日付電子版)の取材に対して、こう答えた。
2015年にもSTAP細胞の研究を続け、万能性を示す遺伝子の働きを確認したという。

 また、「週刊新潮」(新潮社/2月11日号)では、
理化学研究所・CDB(発生・再生科学総合研究センター)副センター長だった故・笹井芳樹博士の夫人が、
インタビューにおいて次のように発言している。
「ただ、主人はSTAP現象そのものについては、最後まで『ある』と思っていたと思います。
確かに主人の生前から『ES細胞が混入した』という疑惑が指摘され始めていました。
しかし、主人はそれこそ山のようにES細胞を見てきていた。
その目から見て、『あの細胞はESとは明らかに形が異なる』という話を、家でもよくしていました」

 ES細胞に関する世界トップクラスの科学者である2人が、ES細胞とは明らかに異なるSTAP細胞の存在を確信していたのだ。

 一体、あのSTAP騒動とはなんだったのだろうか――。
ファクトベースで書かれた手記

 小保方晴子氏が書いた手記『あの日』(講談社)が1月29日に発刊され、
この騒動の原因が明らかになってきた。
時系列に出来事が綴られて、その裏には、
関係者間でやりとりされた膨大なメールが存在していることがわかる。
さらに関係者の重要な発言は、今でもインターネットで確認できるものが多く、
ファクトベースで手記が書かれたことが理解できた。
いかにも科学者らしいロジカルな構成だと筆者は感じた。

 しかし、本書に対しては「感情的だ」「手記でなく論文で主張すべき」などの批判的な論調が多い。
特にテレビのコメンテーターなどの批判では、
「本は読みません。だって言い訳なんでしょ」などと呆れるものが多かった。

 手記とは、著者が体験したことを著者の目で書いたものである。
出来事の記述以外に、著者の心象風景も描かれる。それは当然のことだ。
特に小保方氏のように、過剰な偏向報道に晒された人物が書く手記に、
感情面が書かれないことはあり得ないだろう。
それでも本書では、可能な限りファクトベースで書くことを守ろうとした
小保方氏の信念を垣間見ることができる。 
また、「手記でなく論文で主張すべき」と批判する人は、
小保方氏が早稲田大学から博士号を剥奪され、研究する環境も失った現実を知らないのだろうか。
小保方氏は騒動の渦中でも自由に発言する権限もなく、
わずかな反論さえもマスコミの圧倒的な個人攻撃の波でかき消された過去を忘れたのだろうか。
このようないい加減な批判がまかり通るところに、そもそものSTAP騒動の根幹があると筆者はみている。
小保方氏が担当した実験は一部

 STAP騒動を解明するために、基礎的な事実を整理しておこう。

 小保方氏が「STAP細胞」実験の一部だけを担当していたという事実、
さらに論文撤回の理由は小保方氏が「担当していない」実験の部分であったという事実は、
しばしば忘れられがちである。
いわゆるSTAP細胞をつくる工程は、細胞を酸処理して培養し、
細胞塊(スフェア)が多能性(多様な細胞になる可能性)を示す
Oct4陽性(のちに「STAP現象」と呼ばれる)になるところまでと、
その細胞塊を初期胚に注入しキメラマウスをつくるまでの、大きく分けて2つの工程がある。

 小保方氏が担当していたのは前半部分の細胞塊をつくるまでである。
後半のキメラマウスをつくる工程は、当時小保方氏の上司であった
若山照彦氏(現山梨大学教授)が行っていた。

 もう少し厳密にいえば、小保方氏が作製した細胞塊は増殖力が弱いという特徴を持っているが、
若山氏は増殖力のないそれから増殖するように変化させ幹細胞株化(後に「STAP幹細胞」と呼ばれる)させるのが仕事だった。つまり、「STAP現象」が小保方氏、「STAP幹細胞」が若山氏、という分担だが、マスコミにより、「STAP現象」も「STAP幹細胞」も「STAP細胞」と呼ばれるという混乱が発生する。

 本書によれば、若山氏はキメラマウスをつくる技術を小保方氏に教えなかった。小保方氏の要請に対して、「小保方さんが自分でできるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、どこかに行っちゃうかもしれないから、ヤダ」と答えたという。

 この若山氏の言葉は見逃すことはできない。なぜなら、STAP細胞実験を行っていた当時、小保方氏はCDB内の若山研究室(以下、若山研)の一客員研究員にすぎなかったからである。小保方氏の当時の所属は米ハーバード大学バカンティ研究室(以下、バカンティ研)であり、若山氏は小保方氏の上司であり指導者という立場であった。

 当時の小保方氏は、博士課程終了後に任期付きで研究員として働くいわゆるポスドク、ポストドクターという身分だった。不安定な身分であることが多く、日本国内には1万人以上いるといわれ、当時の小保方氏もそのひとりであり、所属する研究室の上司に逆らうことはできなかったのだ。

 この弱い立場が、のちに巻き起こるマスコミのメディアスクラムに対抗できなかった最大の理由である。メディアがつくり上げた虚像によって、まるで小保方氏が若山氏と同じ立場で力を持っていたかのように印象づけられていた。
===========

「下から目線」のすすめ

相手を見下したようにすることを,
「上から目線」という言い方をすることがある。
じゃあ,反対に「下から目線」という言葉はあるのか?

昨日,歴史の授業で桓武天皇の「蝦夷平定」のところを扱った。
当然歴史の教科書には大和政権が蝦夷を「平定」しようと
北上していく地図が載っている。

そこで,ひと工夫。
「みんな,教科書を逆さにしてご覧よ。
自分が青森県から見ているようにすると,
自分たちを「平定」するために近づいて来る
坂上田村麻呂たちの姿が見えてきませんか?」

歴史の教科書というのは,日本書紀を下敷きにしている。
だから,何も考えないで学んでいくと,
「神代の昔から天皇がこの国を治めてきた」
という思想の形成に寄与することになる。

時には,教科書を逆さから眺めて,
蝦夷(「神武東征記」には「愛瀰詩」という美しい呼び名が
出ているらしい)の気持ちになってみることも必要ではないかな?
それを「下から目線」と呼ぼう。

練習試合の予定

今後の練習試合の予定について,
書いておこう。

残念ながら,勝瀬中との練習試合は都合が悪くなり,
春休み以降に延期となった。
(予定表が出たら,再度検討したい)

3月6日(日)・・・午前中に豊岡高校へ(午後練習ありの日)

3月19日(土)・・・3年生の「引退試合」。夜は,焼肉屋?

3月20日(日)・・・午後1時からの練習に合わせ,
 鯨井中が来てくれる。

3月21日(月)・・・スプリングコンサートで体育館が使えない日は,
 午前中狭山工業高校へ出かける。(3年生も帯同?)

伊香保温泉

私は,生まれてこの方,
群馬県の伊香保温泉を訪れたことが,
ついぞ1回もなかった。

それなのに2週間前に初めて,
仮説の夏の大会の実行委員会で訪問し,
昨日から別のことで訪問し,
また7月下旬に夏の大会で訪問予定である。

このように,人生どこで
これまでと違う経験をするかわからない。
そして,来年以降また1度も訪問しない年が一生続くのか,
はたまたこれをきっかけに
毎年のように訪問するようになるのか,
それもわからない。

しかし,昭和レトロを思わせる射的屋で遊んでいたら,
ふとまたこの温泉に来たいなと思う私であった。

(夕食)

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(朝食)

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2016年2月26日 (金)

もう1冊「ミニガリ本」を作りたい

数十ページの薄い「ミニガリ本」=
「肥さんのこの10年~50代前半の仕事」を作ったことがあった。
部数は少ないが,「肥さん年図」も入り,思い出に残るものになった。
(あと数冊残っています。読んでみたい方は,お知らせ下さい)

もう1冊「後半の仕事」を作ろうと考えていたが,
ここへきて『歴史地理教育』誌の原稿や「くわ」の原稿もあり,
『たの授』誌の原稿も2本ある。
この合計11ページに,最近の多元的「国分寺」研究サークルの
資料を加えたら,「中盤の仕事」として発行できそうな気がしたし,
またそれをすることによって,「後半の仕事」という3冊目も
よりグレードアップするような感じである。

ということで,目次案を。

(1) 「仮説実験授業の授業書《世界の国ぐに》とGDPボックス」・・・6ページ
(2) 「私の授業の工夫」・・・2ページ
(3) 「『空 見上げて』の書評」・・・2ページ
(4) 「フライング○○」・・・1ページ
(5) 「多元的「国分寺」研究サークル」関係・・・10ページ
(6) 「肥さんの夢ブログ」関係・・・10ページ

おお,これだけでも30ページになってしまう。
あとは,作るタイミングということかな。
な~んて言いながら,「はい,出来上がりました!」
ということもあるかも。

なお,「後半の仕事」は,今の中1のみんなが卒業する時期に
作りたいと思っている。
私としても「卒業」を考える時期だし,
それがいいと思っている。

2016年2月25日 (木)

ご褒美

昨日,保護者会があった。
私は全体会の司会を担当した。
私なりに動けたので,ちょっとご褒美。
所沢駅構内の「回転しない寿司」。
回転しない割には,値段も安く美味。
時々フェアをやっていて,寄るのは2度目。

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雪化粧

一昨日の夜,雪が降った。
写真は,学校の近くのみかん園。

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We love 社会 , Enjoy.

あるクラスの教科連絡の話題。
表題のような「連絡」が書いてあった。

そこで,私「誰ですか,こんなことを書くのは?」
みんな「社会科係で~す!」
私「これはうれしいので,成績が上がるかもしれません」
社会科係の生徒「やったー!」
私「下がるかもしれません」
みんな「(笑い)」

ある生徒「主語はWeだから,みんなです!」
私「それなら,成績は上がるかもしれません」
みんな「やったー!」
私「下がるかもしれません」
みんな「(笑い)」

こんな感じで,楽しくやっています。
(彼らとは,私史上最多の社会の科学の仮説実験授業を楽しみました)


3回目の「出し物」の練習

昨日上記の卒業を祝う会の練習があり,
体育館で1時間過ごした。

何しろ全体の責任者であるとともに
学年の責任者であるというのが,
今年の「大変さ」の原因だった。
それもあと少しで終わる。

2回通しで練習し,途中から来ていただいた
音楽の先生に合唱の指導をお願いした。

次回最終練習は,3月3日のテスト明けの1時間。
こちらは2年生と半分ずつ時間を使う。

楽天にゴームズ外野手が入団

オコエの明るい話題でにぎわっている今年のキャンプだが,
ここへ来て大物外野手を獲得だ。
ゴームズ外野手(35歳,右投げ・右打ち)がそれで,
大リーグで162本塁打のスラッガーである。
また,人物としてもいい意味で話題の多い人物とのこと。
そういう選手にふれて,若い選手たちが成長の刺激を
受けてくれればいいと思う。

2016年2月24日 (水)

「くす玉作り」で仮説実験

卒業を祝う会のフィナーレは,
くす玉割りである。

これが割れると割れないでは,
大きく雰囲気が違ってくる。

生徒5名・教員2名がそのプロジェクトチームで,
昨日「どう開くか」の予備実験をした。

仮説を立て,実験してみた結果は大成功!
(2方向から斜めに引っ張り上げられているくす玉は,
底部の紙が破れたら,その重みでパカッと開くはずである)

なんだか「祝う会」全体も成功する気がしてきた。(o^-^o)
(なにしろ,今年度の担当者は私なもので・・・)

昨日の部活動 2/23

昨日は,「定休日」だったので,
テスト前は朝練が最終練習だった。

今度の相手は期末テストで,
日頃の努力が必大切なのはバレーボールと同様。
自分の力が試される時である。

私も問題作りに頑張る。
みんなもテスト勉強を頑張れ!( ^ω^ )

今度「再会」するのは8日後。
3月3日(木)の午後2時過ぎだ。

2016年2月23日 (火)

コンビニで「誕生日」の新聞

ファミリーマートで高速バスの予約をしようと,
マルチコピー機を操作してみた。
残念ながら午前6時からスタートということで,
入手できなかったのだが,
別のコンテンツで面白いものがあった。
「誕生日」の新聞をコピーサービスしてくれるというのだ。

1面のみ・・・500円
1面とテレビ番組・・・800円

社会科では大きな事件を扱うことも少なくないので,
臨場感を持ってもらい授業を盛り上げるためにも,
活用しない手はないと思った。

とりあえず手に入れた朝日新聞には,
「軍縮問題と別建で 核実験の禁止 国連総会へ 日本決議案
国際協定 恒久化めざす」という記事が出ていた。

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「太字」の合計95個!

いつもテスト前には,
「太字プリント」をプレゼントしているのだが,
今回の期末テスト用のものを作っていてビックリ!
なんと95個もあった。

今使っている東京書籍の歴史教科書は,
太字が多い印象だったが,
それにしても95個とは・・・。

ちなみに,次の言葉も太字である。
「聖徳太子」「大化の改新」「白村江の戦い」「壬申の乱」
「古事記と日本書紀」「聖武天皇」「国分寺と国分尼寺」等。
多元的古代の研究者のハシクレとしては,
うずうずするところではある。

昨日の部活動 2/22

猫の日(2/22は,ニャー×3ということらしい)の昨日は,
朝練+午後3時15分から5時のコマだった。

テスト前の最後の午後練だったが,
職員会議が長引いて,体育館に駆けつけた時には
もう片付けに入っていた。

本日は,「定休日」のため,
テスト前の活動は朝練で終了となる。

2016年2月22日 (月)

共に天を戴くことのできない「記紀」

本日「古事記」「日本書紀」のところを授業でやる。
そもそもこの両書は,「共に天を戴くことができない存在」である。
と,古田武彦著『盗まれた神話』(ミネルヴァ書房)を何回目かの読書している私は思う。
(この「共に天を」の表現は,古田氏から教えてもらった)

どうして「共に天を」かというと,両書は矛盾するからである。
「古事記」は基本的には大和政権の伝承を伝えるために作られ,
白村江の戦いの(倭国の)敗戦後,九州王朝の伝承や外国の情報などを取り入れて
編集(天武天皇いわく「削偽定実」)=正史化されたものが「日本書紀」だ。
だから「記紀」と普通呼ばれる両書が「並立」している現状(歴史教科書)を見たら,
天武天皇は冷や汗をかくことになるわけである。

平安時代には何回も講読会が行われたらしく,「古事記」は公のものではなくなった。
それが鎌倉時代に偶然出現してしまって私たちが見ることができるようになり,
古田武彦氏によって研究され,『盗まれた神話』で真実の歴史が明かされてしまうという運命になろうとは,
やはり人間「悪いことはできないもの」である。
ちなみに「古事記」は九州の王族の「悪口」が書かれている部分があるのだが,
さすがにこれは「日本書紀」に正史化する段階では削られている

昨日の部活動 2/21

昨日は,午後1~5時のコマだった。
木下兄コーチ夫妻にお世話になった。
(女子も入れると,弟コーチと本コーチにも)
テスト前の最後の休日なので,新しいことは行わず,
これまでのおさらいやゲームを中心に行った。
女子も少しずつチームとして守り攻めることを意識できてきて,
協会長杯でその成果が出たら幸いである。
火曜日まで活動があり,水曜から1週間テスト期間に入る。
再開は3/3(木)の午後2時半くらいかな。

2016年2月21日 (日)

住本さんの講演に「邪馬台国はなかった?」

昨夜,京都の竹田さんから「メールde資料」の最新号が配信されてきた。
その中で,私が最も反応したのが,住本健次さんの講演だった。
住本さんは今「東アジア講座」というのをやっていて,
その第1回が「中華思想と中国人」というもの。
下の講演記録(浜野純一さん編集)を読んでみてほしい。

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● 邪馬台国はなかった?

 そのうち,周辺の民族が文字をもちはじめたりすると,自分たちで文字を選ぶようになります。
自分たちでネーミングするんだから,いい文字をつかおうとします。
 中国人は,日本のことを「倭」とつけました。「倭」の意味はわかりますか?
これは「チビ」という意味です。中国人が日本人の使者に「おまえは,どっから来たんだ?」ときいたら
「わ」と言ったんでしょうね。そしたら,「わ」と発音する漢字のなかで一番悪い字を選んだのが「倭」です。
 「あんたたちのリーダーは,なんというの?」古代やまとことばでは「フィミカ」と発音した。
「フィミカ」というのを中国人の記録官が「卑弥呼」という字をあてた。「卑」は「いやしい」という字です。
 「邪馬台国」というのも,日本には文字がなかったから,中国人があてた漢字です。
「おまえたちの国は?」と中国人が質問したら「やまたい」と言った。それで,この漢字をあてた。
「邪」は「邪悪」の「邪」です。「馬」は動物ね。その南にあったと記されている「狗奴国」の「狗」は「いぬ」です。
悪い字をつかった。
 そういうふうに考えてくると,ここには歴史をくつがえす重大なことがかくされているんです。
「邪」は「邪悪」の「邪」。これは悪い字ですね。
「馬」は動物で言ったら,そんなに悪くもないけど,「馬面」の「馬」だと悪い意味になりますね。
それでは「台」は,なんだと思いますか?
 「台」という字は,中国でとてもいい字なんですよ。「台」は略字です。というのがもともとの字です。
これは,「うてな」です。皇帝がすわるいすのことです。だから,そんな文字を東夷の国の名前にあてるはずがない。と思うんです。
 『魏志倭人伝』の原点(原典?肥沼)にはという字で出てくるんです。これは「壱」の旧漢字です。
 歴史の中で、魏志倭人伝のあとで,からにかわってくるんです。よく似てるし,字数が多いでしょ。
書写するときに,どっかの段階でまちがって,「台」になってしまったんじゃないか。
原点(原典?肥沼)に忠実だったら,「壱」でなければならないはずです。一,二,三,四の「いち」です。
それなのに代々「『魏志倭人伝』の方がまちがってる」と考えられてきた。そのあとの歴史は,ずーっと「台」できてしまってる。
 「やまたい」ではなくて,日本の使節は「私の国はヤマイ」と言ったにちがいない。
「邪悪さで一番」なら,完全に悪い意味です。こうなってくると,邪馬台国論争は,根底からくずれるんです。
「やまたい」という発音に近いところで「やまと」の国をもってきたり,「近畿だ」「九州だ」と言ってるわけです。
ひょうっとしたら「やまい」というところをさがさなければいけないのかもしれない。
これまでの主流は「やまい」という名前で探されてきたわけではないから,
もし「やまい」だとすると,大きくかわる可能性があります。
 「うてな」というすばらしい字を周辺民族の国にあてるはずがないから,「邪馬台国」と書かれたはずはない。
と思います。

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一瞬住本さんは,古田武彦著『「邪馬台国」はなかった』をご存知なのかな,と思ったが,
よく読んでみると「誤写説」をとっておられるようで,「臺のインフレーション」との考えはないようである。
しかし,『魏志倭人伝』の原典には「壹」とあることはちゃんとご存知で,
もしそうなら「邪馬台国はなかった?」ということになり,
「邪馬台国」論争が根底から覆されることになる破壊力を持つことは承知されている。
さすが住本さん,と思った。

昭島サークル 2016年2月

昨日は,上記のサークルに参加してきた。
(正式名は,たのしい教師入門サークル)
参加者は10名ほどでいつもより少なかったが,
こじんまりとした感じだったが,中身は充実していた。

提出資料は,以下の11点。

(1) 田辺さん「退職記念研究会へのお礼メールより~
 人生のターニングポイントにいた田辺さん」
(2) 伴野さん「何もしない星人・悠大君~教育ってなんだ・・・~」
(3) 木下さん「小学校3年生の理科でやってよかったこと」
(4) 奥さん「本の紹介~奥修著『珪藻美術館』(旬報社)」
(5) 小原さん「授業の見方/楽しみ方~〈子どもの予想〉を予想する
 ・〈自分のすばらしさ〉の発見」

(6) 田辺さん「「宝」となる先生との出会い」
(7) 肥沼さん「私の授業の工夫」(埼玉・歴教協「くわ」1月号掲載)
(8) 佐竹さん「まいどおおきに~真似できる中学年担任の定番授業ほか」
(9) 小川さん「山本正次さんの講演「感動について」をめぐって」
(10) 小川さん「「おぼえていろよおおきな木」の授業について」

(11) 悩み相談「クラス・学年・学校~悩みの「優先順位」?」

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(写真をクリックすると,拡大します。
ぜひ拡大してみて下さい。)

2016年2月20日 (土)

忙しさの先に見えた光明

この1週間,モー二ング娘。の歌ではないが,
超・超・超・超忙しい感じだった。
どのくらい忙しかったかといえば,
私の「部活ノート」に月曜から金曜までメモがないほどだった。
(ブログの記録はあるけどね)
つまり,卒業を祝う会の関係の仕事がたくさんあって,
「空き時間」もそちらに尽力していたということだ。

2回の「1学年の出し物」の練習も,
私が仕切ることになりてんてこ舞い。
もう普通ならキレそうな展開だったが,
昨日の練習には音楽の先生が特別ご指導を入れていただき,
(本来だったら,来週の24日の1回だけだったが,時間を割いて見に来ていただいた)
かなりグレードアップというか,基準ラインを上げていただいたというか,
「1週間頑張ってきて良かった!」と思えるものだった。
生徒たちの「明日の空へ」の合唱の曲想が伝わってきて,
思わずウルっと来そうになった私だった。

教育という仕事は,こういうことが時々あるので,
これまで34年やってこれたのだなあと思う。
もちろん仮説実験授業や古田史学に出会えたことも大きかったが,
それに加えて時々見ることのできる生徒たちの輝きに,
私は元気をもらってきたのだと改めて思った。(o^-^o)

昨日の部活動 2/19

昨日は,朝練+午後4時15分~5時のコマ(金・中)だった。
木下兄コーチにお世話になった。

1点でも多く上げるためのトレーニングが,
個別に進んているように思う。
女子の攻守の陣形(今年版と来年版)も慣れてきた。
これの成果も楽しみである。

なお,3月21日のスプリングコンサートの日(体育館使用できず)は,
午前中狭山工業に行けることになった。
人数が少ないので,狭山経済と合同で活動していて,
しかもその大会が前日あるが,
相手をしていただけるとのことである。
ありがとうございます。

2016年2月19日 (金)

相互交通

以下の記事を「多元的「国分寺」研究サークル」サイトに書きました。
「相互交通」できるようにするためです。
「夢ブログ」からあちらへ。
あちらから「夢ブログ」へ。
このことにより,新たな読者が増えてくれればと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

多元的「国分寺」研究サークルへようこそ!

私はこのサイトの開設者の肥沼です。

このサイトは,2016年1月23日(土)に結成されました。

まだ結成1か月しか経っていませんが,従来の通説(国分寺は741年,

聖武天皇によって建てられたもの)という概念に疑問を持ち,

「国分寺」の本当の歴史を明らかにしようと立ち上げられたものです。

これまで,「肥さんの夢ブログ」の中に書かれていましたが,

この際「国分寺」研究に特化して研究をさらに促進しようと,

新たなサイトを開設したというわけです。

どうぞよろしくお願いいたします。

なお,これまでの「肥さんの夢ブログ」には,それ以外の多元的古代の話題が

掲載されていますので,そちらもご一緒にも訪問していただければ幸いです。

肥さんの夢ブログ

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/

あちらのサイトには,以下のボタンで行けます。

多元的「国分寺」研究サークル

http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/

またも異常アクセス数を記録!?

昨日の午前1~8時に,本サイトは異常アクセス数を記録した。
検索アクセスがこの8時間に平均100ずつあり,
1日だと1000アクセス数以上になってしまったのだった。

通常1日で,200~300アクセス(実質訪問者100~200)なのが,
検索アクセスの異常値をもろに受けてしまった格好だ。

アクセス数が少ないより多い方が普通はうれしいが,
これではうれしくもなんともない。
そして,実質訪問者は「いつも通り」(143)だった。

昨日の部活動 2/19

昨日は,朝練+午後4時15分~5時のコマだった。
木下兄コーチにお世話になった。

今女子教えていただいている攻守の陣形を,
男子も教えていただいているわけだから,
さらにシャープに試合に出していけたら,
得点力を伸ばせるのではないかと思った。

前にコーチが「個々の力ではうちが勝っているが,
チームとしての力はあちらが上」と,
他のチームを評していたことがあり,そう思った。
「チーム」として守り,「チーム」として攻める!

2016年2月18日 (木)

充実の1日

昨日は,充実の1日だった。

午前中・・・小中交流(15)で,「4分の4」の満杯。
 ただし,手品2つ(不思議な電卓と果物を真っ二つ)と
 授業プラン「狭山丘陵の自然と歴史」だったので,
 充実していたことは充実していたが・・・。

5時間目・・・歴史の授業(大化の改新)

6時間目・・・体育館で,卒業を祝う会の学年練習
 私がマイクを握り,前半の25分を仕切る。
 一応「流れ」はできた。あとは,練習あるのみ。

部活動・・・30分ほど。

社会科サークル・・・「南京事件を考える」という題で,
 充実した報告書をもとに最近参加された中国旅行を報告が行われた。
 大石さん,篠原さん,宮崎さん,清藤さん,坂屋さん,
 高橋さん,もう一人の若い先生,そして私。
来月は,本田さんによる「ちいちゃんのかげおくり」かな。3/9(水)
 
懇親会・・・例会後,恒例の「魚民」で呑み,喰い,語る。
 楽しい楽しい2時間であった。(o^-^o)

昨日の部活動 2/17

昨日は,朝練+午後4時15分~5時のコマだった。
木下兄コーチにお世話になった。

女子の指導もしていただき,
ありがたい限りだ。
いつの日かアベックで県大会に出たいものだ。

2016年2月17日 (水)

やりにくい単元

現在,中1で歴史を教えている。
古代史なので,やりにくい単元が当然ある。

(1) 志賀島の金印の読み方

(2) 「邪馬台国」はどこにあったか

(3) 「倭の五王」はどこの誰か

(4) 聖徳太子はどこのだれか

(5) 白村江の戦い(どこが戦って,その結果どうなったのか)

多元的古代を研究しているので,かえってやりにくいわけである。
どう教えているかは,今度会った時にお話ししましょう。

多元的「国分寺」研究サークルの1か月

多元的古代研究の中でも,
特に国分寺に関わる研究をすすめるために開設された
多元的「国分寺」研究サークル。
(現在20~30人の常連さんに訪問いただいている)

1月24日開設なので,約1か月が経つわけだが,
早くも大きな成果をあげつつある。

(1) 昨年の8月以来の成果のまとめ

(2) 「古田史学会報」に掲載された今井久さんの論文
「伊予国分寺と白鳳瓦~最初に国分寺制度を作ったのは誰か
(伊予国分寺出土の白鳳瓦を巡って)~」の紹介

(3) 川瀬健一さんによる今井久さんへの批判論文(まだ「習作」と名前はついているが)

古代史の研究に興味のある方は,
ぜひ訪問していただき,議論に加わっていただけたら幸いである。


多元的「国分寺」研究サークル

http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/

昨日の部活動 2/16

昨日は,朝練+「定休日」(自主練)だった。
木下兄コーチにお世話になった。

3月19日(土)は「引退式」だということを忘れていた。
なので,練習試合は入れられない。

3月21日(月)はスプリングコンサートなので,
どこか外でやれないかなあ。

2016年2月16日 (火)

250+380=630人の笑顔

以前「ブロックスと250人の笑顔」という資料を書いた。
宗さんに作っていただいた発泡スチロールの教材は,
多くの生徒たち・サークルで出会った先生方の共感を呼び,
こんなにもたくさんの笑顔につながったことを書いたものである。

ところで,今年は中1(160人)に加えて
小中交流(小5の100人+小6の120人)で,
合計380人ということになりそうだ。

以前の250人と今年度の380人はほとんど重なっていないので,
単純に足し算してみる。

250+380=630

つまり「630人の笑顔」となるのである。
(これは中規模程度の学校の生徒数に匹敵する!)
こんなに多くの人の笑顔が期待できる教材を,
仮説実験授業の授業書をのぞいて私は知らない。
本当に感謝状を差し上げたくらいだが,
そんなものより現物でということで,
宗さんには,拙論掲載の『歴史地理教育』誌を差し上げた。
(昨日うれしいメールをいただいた)

素晴らしい教材というのは,それを授業で活用してこそ価値がある。
名称が何と変わろうと(現在は,GDPボックス),
生徒たちが待っている限り,私は授業に持って行って見せたいと思う。
(退職後の「訪問授業」も考えている)

015

昨日の部活動 2/15

昨日は,午後3時15分~5時のコマだった。
木下兄コーチにお世話になった。

なお,3月19日~21日に新座中との練習試合の話が出ている。
またはっきりしたら連絡したい。
その前週の13日(日)には勝瀬中との練習試合。
さらに,日曜日に練習試合をした富士見西中と富岡中からは,
「3月にもやりましょう」というおさそいをいただいている。
ぜひこのチャンスを生かそう!

2016年2月15日 (月)

富士見西中&富岡中との練習試合 2/14

昨日は,上記の練習試合を行った。
低気圧の接近で天候が心配されたが,
幸い雨も風も弱くなり,午後は晴れた。
しかし,練習試合の内容は波乱万丈だった。

対富士見西中 2ー1(25ー15,25ー19,13ー25)
対富岡中 2ー1(17ー25,25ー9,25ー13)

どのチームも2勝以上でき,
「油断をすると試合を持っていかれる」
そんな雰囲気の練習試合だった。

低気圧の通過で気温はぐんぐん上がり,
練習試合が終わる頃には
20℃を越えていたと思う。

調子が狂う高気温

昨日は「低気圧の通過」に伴って,
気温が上がるという触れ込みだった。

風雨が止んだ後,それがやってきた。
生暖かい空気が支配し始めた。

1日中ぬるま湯に浸かって
いる感じがする気がした。

それは練習試合も含め人間の活動に
少なからず影響するのだと思った。

もうすぐ92万アクセス

現在「919750」アクセス。
あと250アクセスで,
次の大台=92万アクセスである。

このところアクセス数が増えているので,
順調にいけば明日の午後には達成予定だ。

たかがアクセス数,されどアクセス数。
これを励みに明日も更新していく。

2016年2月14日 (日)

田辺さんの退職記念授業&「授業の楽しみ方」研究会

昨日上記の授業&研究会があり,参加してきた。

田辺さんの担任クラスでの授業は,
《浮力と密度》の第1時。
水の中に,バネに付けたボールを入れていき,
その位置によってバネの長さがどうなるかを
尋ねる問題群だった。

約20名の参観者(ほとんどが研究会の人)を前にして,
田辺さんはやや緊張気味だったが,
(奥様もお嬢様も参観なさっていた)
生徒たち(中1)は次第に授業内容に集中していき,
問題2=昨日の4番目の問題では正解は少なかったものの,
高い授業評価を書いてくれていた。
(⑤が30人,④が2人,③②①はなし)

ここで昼食。
私たちは,サイボクハムが使われているという
小川家(和風の食堂)へと向かった。
私は「カツ丼と関西風味のうどんセット(サラダ&漬物付き)」を注文した。
その量と味に大満足し,学校に戻った。゜

P2131304

午後の「授業の楽しみ方」研究会は,
まず「高い授業評価」をネタにしたもの。
生徒たちがどんな授業評価をしたのか,みんなで予想した。
また,田辺さんはどうだったかも予想したが,
田辺さん自身には「授業評価」は知らされていないという状況の中でのもので,
こういう研究会を行えるのも,まさに仮説の会だからであった。

生徒たちの感想も抽出した生徒幾人かのものを知らせ,また予想して楽しんだ。
(「授業で活躍した生徒の感想は短い」等の法則がある)
小原さんの「授業の楽しみ方」の講演はそのように行われ,
授業にもいろいろな楽しみ方があるものだと感心した。

休憩の後には「同僚の先生方」による田辺さんの話もあり,
うち1人は小泉さんで興味深く聞かせていただいた。
こういうコーナーもなかなか面白い。

最後の田辺さんの講演は,大量の資料をもとにして行われた。
特に「年図」はくわしくこれまでの活動を表し,
板書した「38年間の幸せ度」のグラフもわかりやすかった。
(ブラスの時期,マイナスの時期が曲線のグラフになっている)

文字資料は本当に「ガリ本が作れる程の量」で,驚かされた。
「印刷・紙合わせ」だけでも,相当大変だっただろう。
もちろんその前に「書き,まとめる」という仕事が当然あったわけだ。

私は午後4時半でサヨナラしたが,
大部分の人は「退職記念パーティー」へ。
さらに宿泊してナイターへと突入した模様。

私は,綿貫さんといっしょに帰り,仮説&古代史のよもやま話。
狭山市駅までダイエットも兼ねて歩いた。
(小川家で一番たくさん食べた2人だったので)
最近「時代物」の面白さに目覚めたという綿貫さん。
私も以前吉村昭の『長英逃亡』には感動したことがあり,
その気持ちに同感できた。

そうそう原さんから「GDPボックス」のリクエストがあった。
マンツーマンの授業のようなので,
平野さんに分けていただいた「ペーパー版」を
お貸しすることにした。(本日発送予定)(o^-^o)


2016年2月13日 (土)

私の多元的「自己紹介」

今日は少々趣向を変えて,「自己紹介」といきたい。
多元的「国分寺」研究サークルのサイトを立ち上げた肥さんとは,
どんな人物なのであろうか?

生まれ・・・父の会社が山口県岩国市にあったので,山口県生まれである。
長門国は,銅が採れたためか九州王朝の版図のようである。
また和銅開珎を作った鋳銭寺や柿本人麻呂ゆかりの柿本神社,
そして最近の話題としては「十二弁の菊花紋」の石祠の話題がある。

古田史学との出会い・・・高校時代に『「邪馬台国」はなかった』に挑戦し,返り討ちに。
高校生は真面目なので,漢文も1つひとつも理解しようとしたみたいで,あえなくダウン。
今なら「論理を追う」という読み方もできたのにと思うが。

古田史学との再会・・・歴史には興味があったので,その後も好きで,
30歳の頃『吉野ヶ里の秘密』(カッパブックス)で再会することになった。
「あれっ,この人の本を前に読んだことがあるぞ!」と。
それ以来,古田本の渉猟の道へ。

古田武彦氏講演会,各地への研究旅行,白樺湖シンポジウム,
その後始まったОN研究会に参加しつつ,その都度発刊された古田本を購入・読書。
一昨年まで行われていた古代史セミナーには3回目から参加し,最終11目回まで。

参加サークルは,市民の古代→多元的古代・関東だが,
広報紙は「東京古田会」「多元」「古田史学会報」の三紙を購読している。
最近では,古田史学の会の方々とも親しくさせていただいて,
何か思いつくと新代表となった古賀さんにメールを差し上げたりしている。

研究課題は,多方面に及び(というかアットランダムで),
以下のように自在に活動している(というか揺れ動いている)。

(1) 多元的「国分寺」研究・・・今のメインはこれ。今井論文の登場で,
一気に研究の機運が高まることを期待している。

(2) 古代ハイウェーの研究・・・全国に6300キロにわたって作られた
「日本古代ハイウェーは,九州王朝が作った軍用道路か?」という観点から
研究を進めている。同名の拙論が,「古田史学会報」2012年2月号に。

(3) 二倍年暦の研究・・・国会図書館に一日「缶詰」をして,「平安遺文」の調査。
「古田史学会報」2004年2月号に「古代戸籍に二倍年暦」。
その他,「多元」2001年2月号に「二倍年暦の実例になるか?」
2002年5月号に「続編 二倍年暦の実例になるか?」

(4) 九州年号・・・関心を持っていて,ことあるごとに「肥さんの夢ブログ」などで,
「公開捜査」をしている。

(5) 十二弁の菊花紋・・・Мさんという生徒を担任したことがあり,
古田武彦氏講演会で九州王朝関係の名字と聞いていたので,
彼女のおじいさんに書状で質問して,福岡県の出身ということまでわかったが,
それ以上はご存知なかった。

その流れで,天皇家は十六紋・宮家は十四紋とのことを聞いていたので,
「無紋銀銭」に刻印された十二紋の菊花紋は九州王朝のものに違いないと考えた。
そうしたら,古賀さんの話では江田船山古墳出土の太刀にも
十二紋の菊花紋があるというし,山口県や福岡県の多くの祠などに
十二紋の菊花紋があることが次々とわかってきて,盛り上がっている。

(6) その他の拙論

・「多元」2000年11月号に「古代史と教育」
・「多元」2006年11月号に「『徹底検証「新しい歴史教科書」(古代篇)』」
・「多元」2007年1月号に「房総半島から八丈島が見えた!」

小中交流はあと2回に

あと3回かと思っていた小中交流が,
小学校の行事の関係で2回となった。

2月17日(水)・・・手品+私家版・狭山丘陵の自然と歴史(1回目)

3月9日(水)・・・手品+同(2回目)+GDPボックス披露+平面図の配付

以上のようにやっていく予定である。
手品は何にしようかな?

昨日の部活動 2/12

昨日は,朝練+午後4時15分~5時のコマだった。

卒業を祝う会の実行委員会を終えて,
生徒たちのところへ。
「金・外」なので,走るのが中心。

昨日は,部活の場所に荷物を持って行ったので,
午後5時18分発のバスに乗れた!ヽ(´▽`)/
(現在,5時15分が最終下校)

「洛中洛外日記」より 2/11

「洛中洛外日記」に転載していただきました。
それをまた再転載させていただきます。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1136話 2016/02/09

一元史観からの多層的「国分寺」の考察

肥沼孝治さん宮崎宇史さんと立ち上げた多元的「国分寺」研究サークルですが、
肥沼さんが開設された同サークルのホームページは順調にアクセス件数が増えているとのこと。

そのホームページで肥沼さんが梶原義実さんの「国分寺成立の様相」
(『考古学ジャーナル』2月号所収)という論文を紹介されました。
同論文の存在は宮崎さんから教えていただいていたのですが、わたしはまだ入手できずにいます。

肥沼さんの紹介によれば、大和朝廷一元史観に立った国分寺研究ですが、
一元史観では説明しきれない様々な考古学的知見が記されているとのこと。
わたしも同論文を読んだ上で、改めて論評したいと思います。
取り急ぎ、肥沼さんによる紹介文を転載させていただきます。
多元的「国分寺」研究はいよいよ面白くなってきました。

〔追記〕本稿執筆後に図書館で梶原義実さんの「国分寺成立の様相」を閲覧しました
(最新号のためコピー不可)。各地の国分寺遺跡には白鳳時代の瓦が出土していたり、
その下層に堀立柱の遺構があるものがあり、
古い寺院があった場所に新たに国分寺が建てられたとする説が紹介されています。
しかし、梶原さんの結論としてはそれらは7世紀に遡るようなものではないとする見解でした。
従って、わたしたちの多元的「国分寺」説とは真っ向から対立する立場のようです。

【ホームページ・多元的「国分寺」研究サークルより転載】
梶原義実さんの「国分寺成立の様相」論文

宮崎さんのアドバイスもあり,
通説のおさらいにと思って買った『考古学ジャーナル』2月号。
(たった30数ページなのに薄いのに,1700円もする!)
ところが,それに掲載されていた上記の論文がとても刺激的なので,
このサイトで紹介しようと思った次第である。
もちろん通説の立場であるから,九州王朝なんて言葉は出てこないが,
しかしそれだからこそ,「雑念」が入らず読めるのではないかと。

(1)小田富士雄氏によると,西海道の国分寺には,
国分寺の造営にあたって大宰府の影響がきわめて大きかったと論じた。

(2)山崎信二氏は,平城京と国分寺との瓦の同はん関係は,
いまだに確認されていないと指摘した。

(3)1970年台以降,とくに80年代から90年代にかけて,
武蔵・上総・下総・上野・下野など,関東地方の国分二寺を中心に,
伽藍の中枢域(伽藍地)ばかりでなく,周辺域(寺院地)も含めた
広域的な調査がおこなわれるようになった。
須田勉氏は,それらの調査を受け,関東地方の多くの国分寺の造営計画について,
方位の異なる2時期の遺構が検出されることに注目した。(上総国分寺の伽藍変遷図)
さらに造営においては金堂より塔が先行する例が多いこと,
本格的な礎石建の伽藍の下層に,掘立柱建物の遺構が先行
してみられる例が存在することなどから,国分寺の造営計画に変更があったことを指摘した。

これまで多元的「国分寺」研究サークルが考えてきたことに,
まさにぴったり重なる発掘結果というべきではないだろうか。
しかし,この謎は大和一元史観では解けない。
7世紀末までは九州王朝が,8世紀以降は大和政権が,
我が国を代表する主権国家だったとする多元史観をもってして,
初めて解き得る謎(=歴史的真実)なのではないだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記は,朝の忙しい時に入力したもので,電車の中で「これも入れたかった」というものを見つけた。
半日立ったが,補足しておきたい。

追伸

(4) 八賀晋氏は,出土瓦について,白鳳期の瓦が一定以上出土する国分寺が多いこと,
美濃国分寺などの国分寺の伽藍の下層に,掘立柱建物が確認される事例があることなどを示しつつ,
これら古相を示す伽藍配置については,
白鳳期以前の氏寺(前身寺院)を改作・拡充整備したものとの見解を著わした。
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古賀達也の洛中洛外日記
第1137話 2016/02/11

『古田史学会報』132号のご紹介

『古田史学会報』132号が発行されましたので、ご紹介します。
西条市の今井さんの力作が掲載されています。
「古田史学の会」会員の肥沼孝治さんが今井稿を
ホームページ“多元的「国分寺」研究サークル”で要領よく紹介されていますので、
転載させていただきます。

なお、掲載された論稿・記事は次の通りです。

『古田史学会報』132号の内容

○『日本書紀』に引用された「漢籍」と九州王朝 川西市 正木裕
○伊予国分寺と白鳳瓦 -最初に国分寺制度を作ったのは誰か
 (伊予国分寺出土の白鳳瓦を巡って)- 西条市 今井 久
○「皇極」と「斉明」についての一考察 -古田先生を偲びつつ-  松山市 合田洋一
○追憶・古田武彦先生(2)
 池田大作氏の書評「批判と研究」 古田史学の会・代表 古賀達也
○古田武彦先生追悼会の報告 八尾市 服部静尚
○二〇一五年の回顧と年頭のご挨拶  古田史学の会・代表 古賀達也
○『古田史学会報』原稿募集
○お知らせ「誰も知らなかった古代史」
○史跡めぐりハイキング 古田史学の会・関西
○古田史学の会・関西例会のご案内
○編集後記 西村秀己

【転載】「今井久さんの論文から学ぶ」 肥沼孝治

今井久さんの論文から学ぶために,「見出し」の書き出しをしてみる。
つまり「構成」から学ぼうというワケである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 記

一.「国分寺建立」は聖武天皇が始めた,その実態の検討
 イ.「国分寺」創建の詔の寺の「名称」
 ロ.聖武天皇の詔の前にすでに国分寺が存在している事を示す記録があること
 ハ.『続日本紀』は詔勅の「金光明寺・法華寺」の寺名を抹消した

二.聖武天皇の詔の前に全国に国が統制する寺院が存在
 イ.「詔」以前の文献にあらわれる国分寺と推定される寺院の存在
 ロ.聖武天皇の詔の百年前.七世紀に寺院数が激増
 ハ.九州地方には左記の初期寺院が,小田富士雄氏に仍って列挙されている

三.国分寺遺跡出土の遺構・遺物が示す疑問点
 1.国分寺遺跡出土の伽藍配置が大きく二つにわかれている
(塔が回廊内か回廊外か。前者が古式)
 2.全国の国分寺遺跡から出土する国分寺の伽藍配置が分裂
(古式からは白鳳瓦が出土)

四.伊予の国分寺の考察(古式の伽藍配置で白鳳瓦が出土)

五.国分寺制度を最初に創ったのは倭国九州王朝である

六.「国分寺制度創設」を開始した倭国王は誰か

まとめ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 なるほど,構成がすっきりしていてわかりやすい。
統計的に分類し,しっかりとした結論を導き出している。
天国の(もしかしたらご希望だった地獄の)古田先生にも
喜んでいただけるのではないかと思った。
===========

2016年2月12日 (金)

田辺さんの『たの授』記事

田辺さんの退職記念の授業研究会があるのだが,
それに何かお土産を持っていこうと思っている。

1つは今日「夢ブログ」に書いた「今年度行った〈仮説実験授業〉」。
もう1つは,「田辺さんの『たの授』記事」。

その資料を「あのな検索」(難波二郎さんが開設)で検索してみた。
全部で57件がヒットした。

これをたどっていくだけでも,田辺さんの30年余りの
仮説・たの授の歩みがたどれるのではないかと思う。

あのな検索(田辺さんの本名で検索する)

http://anona.skr.jp/tanoju/

今年度行った「仮説実験授業」

これまで年に数時間だった年もある仮説実験授業だったが,
今年度は中1担当だった上に,小中交流も担当し,
肥さん史上最多の「仮説実験授業」を実施した。
それを集計してみよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

世界の国ぐに~6時間(GDPボックス作りを含む)×5クラス=30時間
世界の国旗(簡易版)~1時間×5クラス=5時間
ルネ版・日本歴史入門~3時間×5クラス=15時間
私家版・「邪馬台国」はどこだ!~1時間×5クラス=5時間(以上,中学校のみ)

日本国憲法とその構成~1時間×4クラス=4時間(小学校のみ)

私家版・狭山丘陵の自然と歴史~1時間×12クラス=12時間(小中の合計)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まことに驚くべき時間数,実施することができた。w(゚o゚)w
そして,これらの多くはこの「夢ブログ」でお伝えしたように,
かなり高い授業評価を生徒たちにもらうことができた(o^-^o) 
中でも,世界の国ぐには,『歴史地理教育』(地歴社)2月号にも報告することができ,
サイコーの年だった。

今井久さんの論文から学ぶ(2)

今井久さんの論文は,論理的な進め方をされているので,
読む方にも新たなアイデア(思いつき)をいただくことができる。
いくつか書いてみよう。

(0) 今井さんも「国分寺建立の詔」の中に「国分寺」が出ていない
ということに注目されており,私としてはとてもうれしかった。

(1) 今井さんの分類によると,畿内には「塔を回廊の内に置く
古式の伽藍配置の国分寺」が「なし」である。
各地方には,少しは「ある」という中で,「なし」というは異文化性を感じる。
逆に,西海道は「塔を回廊の外に置く新しい形式の伽藍配置の国分寺」が「なし」。
この対照的な伽藍配置の謎は,多元的「国分寺」論でしか解けない。

(2) (1)の状況(畿内に古式の国分寺なし)の中で,
もし畿内にそのような寺院があるとしたら,
それは九州からの移築を考える必要があるのではないか。
(飛鳥寺,川原寺,四天王寺,法隆寺,法輪寺,法起寺,薬師寺)

『失われた九州王朝』読了!

正月から始めた古田本の再読・第2弾=
『失われた九州王朝』を昨日読了した。

もともとこの本はボリュームがある本(480ぺ)だが,
さらに「補章」と「日本の生きた歴史」で70ぺを加え,
約560ページの長編となり,時間も掛かった。

序章・・・連鎖の論理
第1章・・・邪馬壹国以前
第2章・・・「倭の五王」の探求
第3章・・・高句麗王碑と倭国の展開
第4章・・・隣国史料にみる九州王朝
第5章・・・九州王朝の領域と消滅

上記のように多様な内容が詰まっていて,
それらが論理で繋がっている。
実に中身の濃い読書であった。

もちろん次は,初期古代史三部作のラスト=
『盗まれた神話』へと向かう。

昨日の部活動 2/11

昨日は,午後1~5時のコマだった。
本コーチお世話になった。
3人対3人は大いに盛り上がったし,
力も付くと思った。

明日は「金・外」。

土曜日は,時間変更で,午前11時~午後2時である。
間違えないように集合してほしい。

2016年2月11日 (木)

「人間は嘘をつけない」という法則がある?

多元的な歴史研究によって,
少しずつ古代史の実相が明らかになってきた。
その度に思うことを書いておく。
それは,「人間は嘘をつけない」というか,
「嘘をつきたくない」という法則?があるのではないかということだ。

たとえば,6300キロにも及ぶ古代ハイウェー。
その建設命令がないのに,「コース変更」が初出記事なのである。
揚げ句,「こんな大事業が可能なのは大和政権しかない」と
一元史観の研究者は結論する。

今回研究してきた国分寺もそうだ。
「国分寺建立の詔」とあるから読んでみると,
国分寺の一語がその中にまったく出てこない。
聖武天皇は,別名で「国分寺」「国分尼寺」を呼んでいたのであった。
それを「国分寺建立の詔」と称してきた。

思えば古田武彦氏の研究は,
それへの挑戦の連続だったのではないかと思う。

しかし,謎を解くカギもそこにあった。
「おかしいな」「なぜだろう」と感じる心が,
やがて謎を解く最初の手がかりだ。

同時代の人には嘘はつきにくい。
もし嘘をついたら,目の前の事実ですぐばれてしまうからである。
では,歴史書の嘘はどう見破ったらいいか?
そのコツもどうやらその辺にあるのではないかと思う。(未完)

3月の楽しみ

1月は往き,2月は逃げ,3月は去ると
昔の人はこの3か月の時の速さを
ダジャレで表現してくれた。
忘れないうちに,3月の楽しみを。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3/3(木)・・・『たの授』3月号

5(土)・・・高崎サークル

8(火)・・・卒業を祝う会
9(水)・・・小中交流(16)=最終回
      社会科サークル

12(土)・・・飯能・日高サークル
13(日)・・・勝瀬中と練習試合

15(火) 卒業式
      西武球場で楽天戦

19(土)・・・昭島サークル

27(日)・28(月)・・・東日本たの授フェスティバル

今井久さんの論文から学ぶ

今井久さんの論文から学ぶために,「見出し」の書き出しをしてみる。
つまり「構成」から学ぼうというワケである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一.「国分寺建立」は聖武天皇が始めた,その実態の検討

 イ.「国分寺」創建の詔の寺の「名称」
 ロ.聖武天皇の詔の前にすでに国分寺が存在している事を示す記録があること
 ハ.『続日本紀』は詔勅の「金光明寺・法華寺」の寺名を抹消した

二.聖武天皇の詔の前に全国に国が統制する寺院が存在

 イ.「詔」以前の文献にあらわれる国分寺と推定される寺院の存在
 ロ.聖武天皇の詔の百年前.七世紀に寺院数が激増
 ハ.九州地方には左記の初期寺院が,小田富士雄氏に仍って列挙されている

三.国分寺遺跡出土の遺構・遺物が示す疑問点

 1.国分寺遺跡出土の伽藍配置が大きく二つにわかれている(塔が回廊内か回廊外か。前者が古式)
 2.全国の国分寺遺跡から出土する国分寺の伽藍配置が分裂(古式からは白鳳瓦が出土)

四.伊予の国分寺の考察(古式の伽藍配置で白鳳瓦が出土)

五.国分寺制度を最初に創ったのは倭国九州王朝である

六.「国分寺制度創設」を開始した倭国王は誰か

まとめ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なるほど,構成がすっきりしていてわかりやすい。
統計的に分類し,しっかりとした結論を導き出している。
天国の(もしかしたらご希望だった地獄の)古田先生にも
喜んでいただけるのではないかと思った。

「房ya なう!! Ⅱ」を作成

一昨日,「房ya」に出掛け,近況を知らせたが,
前に作った「房ya なう!!」があと1部になったとのことだった。
同じものを増刷しようとも考えたが,せっかくなので
その後の文章をまとめた「Ⅱ」を作成することにした。

判型は,前回より少し小ぶりのB6判サイズ。
ただし,横幅が広い縦開きのタイプで24ページだ。
試作品を作ってみた。
また60部ほど作ろうと思っている。

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昨日の部活動 2/10

昨日は,朝練+午後4時15分~5時のコマだった。
短い時間だが集中してやれた。

明日は,予定通り午後1~5時のコマだが,
13日(土)は,午前11~午後2時に変更になったので,落ちのないように。
14日(日)は,午前8時半~12時半に練習試合で,
富士見西中と富岡中を迎えて行う。

2016年2月10日 (水)

『歴史地理教育』2月号の写真

ずいぶん時間がかかりましたが,
ようやく発行されました。

700円くらいしますが,
今なら著者割引で半額です。

(写真をクリックすると拡大します)

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「くわ」1月号

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埼玉・歴教協の機関紙です。

2016年2月 9日 (火)

今井久さんの「伊予国分寺と白鳳瓦」論文

今井久さんの「伊予国分寺と白鳳瓦」という論文が掲載された
「古田史学会報」2016年2月号(Nо.132)が昨日送られてきた。
副題に~最初に国分寺制度を作ったのは誰か
(伊予国分寺出土の白鳳瓦を巡って)~とある。

力点は違うものの,昨年の夏から研究してきたこととほぼ同じ方向の内容が,
6ページに渡って見事に書かれていたのだった。
そして,論文の最後に,日付が記されていて驚いた。
「二〇一二年五月五日」
えーっ,3年半も前にこの結論に達していたのかあ。(。>0<。)

今朝「考古学ジャーナル」誌に「白鳳瓦」記事を見つけて大喜びし,
夕方それを「追伸」という形で「ブログ」に付け加え,
充実の1日を終えて帰宅した私にとって,
大きなショックを浴びせ掛けるものだった。
う~ん,古田史学の会,恐るべしである。

でも,もし昨今の多元的「国分寺」研究の動きが,
今井さんの今回の投稿につながっていたとしたら
喜ぶべきことではあるのだが・・・。

なお,上記の論文によると,741年の「国分寺建立の詔」の中の
「金光明寺」「法華寺」でスタートした寺の名称は,
8年後の749年から「国分金光明寺」と変わり始め(頭に「国分」を被せ),
756年に「国分の丈六仏像」,758に「国分の僧寺・尼寺」,
760年6月には「天下の国分寺」と初めて国分寺を固有名詞で表記。
以降12年間いろいろな名前を登場させ(混在表記させ),
772年11月以後(光仁)は,「金光明寺」の名前を「続日本紀」から消し去り,
寺の名前がすべて「国分寺」と表記されているそうである。
これが「歴史を作り変える」ということなのかと思った。

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パソコン回復

私のパソコン・インターネットの師匠は九想さんだが,
もう一人職場にすごい方がおられて,
私の相談役になっていただいている。

最近のパソコンの不調について相談したところ,
10分するかしないうちに,原因を見つけ,解決していただいた。

今回の不具合は,パソコン本体ではなく,Wi-Fiの方で,
私がいろいろボタンを押しているうちに,
インターネットをしない設定にしてしまったらしい。

伊香保のホテルでインターネットをするために,Wi-Fiを使おうとしたのだが,
ホテル内は使わなくても大丈夫な設備になっているらしく,
それを知らない私は「余計なこと」をしてしまったらしいのだ。
(詳しいことはわからないけど)

なんとか,今朝9時に開通したので,
学校を出てからメールの返信をしたり,
2つの「ブログ」の更新をしたりしている。
ご心配かけました。

「洛中洛外日記」より 2/9

「十二弁菊花紋」の研究は,その後ものすごい展開を見せている。
古賀さんの「洛中洛外日記」の転載から,
その勢いをご一緒に味わっていただければ幸いである。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1134話 2016/02/07

大善寺の十二弁菊花紋の御神像

「洛中洛外日記」1130話で肥沼孝治さんの「十二弁菊花紋」研究を紹介したところ、
鳥栖市のTさんから久留米市大善寺にも十二弁菊花紋を持つ祠があることをお知らせいただきました。
メールで送信していただいた写真には確かに石の祠に十二弁菊花紋があり、御神像が安置されていました。

そこで、久留米市の研究者で威光理神や筑後国府のことをお調べいただいた犬塚幹夫さんに
その祠のことをお伝えし、調査協力をお願いしたところ、早速次のメールが届きました。

なんと十二弁菊花紋の祠の神様は女性の恵比寿様とのこと。
恵比寿様といえば男性と思いこんでいたのですが、これには驚きました。
ちなみに、筑後地方には恵比寿信仰が濃密に残っており、
その淵源は九州王朝や高良大社とも関係がありそうです。
楽しみな研究テーマがまた一つ増えました。
当情報をお知らせいただいたTさんと犬塚さんに感謝いたします。

以下、犬塚さんのメールをご了解の上、転載します。

古賀達也様
十二弁菊花の祠について

先だっては、貴重なお話を聞かせていただき大変刺激になりました。ありがとうございました。
さて、遅くなりましたが、十二弁菊花の祠について現在までに判明したことをお知らせします。

1 現地調査

祠は西鉄大善寺駅の近く、明正寺という浄土真宗のお寺の脇にあります。祠自体にご祭神の情報がなかったため、お寺の方に聞いてみたところ、ご祭神は恵比須様であること、毎年七月下旬に町内の子どもが集まってお祭りをすること、祠がいつの時代からあるのかはわからないことなどを聞かせていただきました。

2 文献調査
 
この祠と神像について、「久留米市史第5巻」では、「大善寺町には、明正寺前の祠にも木彫の恵比須(女形)が祭られている」とあり、ご祭神は恵比須様の女神であることがわかります。

また、加藤栄「史料とはなし 鄕土大善寺」では、「恵比須さん 明正寺の道端にある町祠。明治初年からの木像がある。」とあるます。明治になって木像が補修されたのでしょうか。

坂田健一「恵比須の中の筑後」で、次のように述べています。
 
「恵比寿を単体で祭祀する場合、抱鯛型通相の神像がほとんどであるが、
時に女神だけの事例もある。」として、久留米市大善寺にある
二例の女神だけの恵比寿神像について説明しています。
 
一つは、大善寺藤吉の称名院前の石祠にある神像で、
「筑後秘鑑」によれば日本最初の市蛭子ということです。
現地で確認したところ、神紋は「十二弁の菊花紋」ではなく「三つ蔓柏」でした。
 
もう一つが大善寺宮本の恵比寿像です。
坂田氏はこれについて、「石祠は大型の入母屋平入りの堂々たる構えで破風面に
十二花弁の菊花が彫り出されているのが特徴的で珍しかった。
『享和元年(一八〇一)酉年十月吉馬焉』の銘の外に、
『上野町願主 江口吉右衛門』や庄屋の江口小右衛門、別当の田川儀七などの刻銘がある。
 
内部の神像は高さ約二五センチほどの木彫で、頭頂部分が欠失しているが、
明らかに垂髪の女神像である。
目は線状に彫りくぼめ、鼻は三角形の小さな突起をつくり、
両手を膝上に組んで何かを捧げている態様であるが、詳細は不明。
小袖・袿・長袴姿を着た平安期の正装女性を感じさせるが、
着衣の袖が左右に大きく張り出し、全体の形が三角形を呈しているのが出色である。

神像の周囲に素焼きの恵比須・大黒像が置かれていて、
この女神像が恵比須として祭祀されていることは明らかである。」としていますが、
十二弁の菊花紋が使用されている理由などについては特に触れていません。

3 御廟塚

大善寺町から約2キロメートル離れた三潴町高三潴にある
高良玉垂命の墓と伝えられる御廟塚に祠がありますが、
「三潴町文化財探訪」に「正面鳥居の前に小さな石祠がある。
恵比須神の石祠である。」とされています。
 
また、坂田氏の「恵比須の中の筑後」では、
「三潴町の恵比須  塚崎の高良廟の境内に石祠がある。
もとは古い石祠だったと思われるが、現在の祠は奥壁の一枚を保存して再建したものと推測される。
この奥壁は平石の中央を彫りくぼめ、左右の縁部を前方に突出した形になっている。
半肉彫に表現された恵比須は、高さ三二センチほどあり、
両手で大鯛をがっちり抱え込む珍しい様式のものである。
再建石祠の向かって右側面に『文政五年(一八二二)六月吉日 昭和七年十月再建』の銘がある。」
とされています。
 
念のため現地で確認したところ、大善寺藤吉の神像と同じく「三つ蔓柏」の神紋を使用していました。

4 十二弁菊花の神紋について
 
十二弁菊花の神紋については、どの文献も触れていなかったため、
神社に関するサイト「玄松子の記憶」を参照しました。
玄松子さんが自ら調査した神社という制約はあるもののかなりの数の例が挙げられていますので
大変参考になります。
 
菊花の神紋を持つ254社のうち
十二弁       3社
    宇佐神宮  大分県宇佐市
    明治神宮  東京都渋谷区
荏原神社  東京都品川区
 
八弁        4社
十四弁       5社
十五弁       1社
十六弁その他 241社
(分類・集計は犬塚による)

以上現在まで判明した事項についてお知らせしました。
今後、私も十二弁、十三弁の神紋について探していきたいと思っております。

参考文献

加藤栄「史料とはなし 郷土大善寺」 1977
久留米市史編さん委員会「久留米市史 第5巻」 1986
坂田健一「恵比須の中の筑後」 1998

犬塚幹夫===========

梶原義実さんの「国分寺成立の様相」論文

宮崎さんのアドバイスもあり,
通説のおさらいにと思って買った『考古学ジャーナル』2月号。
(たった30数ページなのに薄いのに,1700円もする!)
ところが,それに掲載されていた上記の論文がとても刺激的なので,
このサイトで紹介しようと思った次第である。
もちろん通説の立場であるから,九州王朝なんて言葉は出てこないが,
しかしそれだからこそ,「雑念」が入らず読めるのではないかと。

(1)小田富士雄氏によると,西海道の国分寺には,
国分寺の造営にあたって大宰府の影響がきわめて大きかったと論じた。

(2)山崎信二氏は,平城京と国分寺との瓦の同はん関係は,
いまだに確認されていないと指摘した。

(3)1970年台以降,とくに80年代から90年代にかけて,
武蔵・上総・下総・上野・下野など,関東地方の国分二寺を中心に,
伽藍の中枢域(伽藍地)ばかりでなく,周辺域(寺院地)も含めた
広域的な調査がおこなわれるようになった。
須田勉氏は,それらの調査を受け,関東地方の多くの国分寺の造営計画について,
方位の異なる2時期の遺構が検出されることに注目した。(上総国分寺の伽藍変遷図)
さらに造営においては金堂より塔が先行する例が多いこと,
本格的な礎石建の伽藍の下層に,掘立柱建物の遺構が先行
してみられる例が存在することなどから,国分寺の造営計画に変更があったことを指摘した。

(4) 八賀晋氏は,出土瓦について,白鳳期の瓦が一定以上出土する国分寺が多いこと,
美濃国分寺などの国分寺の伽藍の下層に,掘立柱建物が確認される事例があることなど
を示しつつ,
これら古相を示す伽藍配置については,白鳳期以前の氏寺(前身寺院)を改作・拡充整備したもの
との見解を著わした。

これまで多元的「国分寺」研究サークルが考えてきたことに,
まさにぴったり重なる発掘結果というべきではないだろうか。
しかし,この謎は大和一元史観では解けない。
7世紀末までは九州王朝が,8世紀以降は大和政権が,
我が国を代表する主権国家だったとする多元史観をもってして,
初めて解き得る謎(=歴史的真実)なのではないだろうか。

2016年2月 8日 (月)

パソコン不調

皆様,どうもすいません。

パソコンが土曜日から不調で,

更新できないでいます。

これはインターネット・カフェからの送信です。

所沢駅近くにお店を見つけました。


週末は,伊香保温泉に行って,
仮説の夏の大会の実行委員会に参加しました。
なかなか大変なこともありそうですが,
いろいろ面白い大会が経験できそうでもあります。
楽しみです。

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この間部活は,もう一人の顧問の先生と,
木下兄コーチにお世話になりました。
いつもありがとうございます。

学校の方では,「卒業を祝う会」が忙しくなってきました。
倒れない程度に頑張ります。

授業で,「歴史人物かるた」を登場させました。
小学校復習編ということもあって,
みんな盛り上がってくれています。

2016年2月 6日 (土)

東大寺のホームページ

「東大寺」で検索すると,東大寺のホームページに行ける。
そのコンテンツの中に「東大寺の歴史」があるので,
古い方を転載させていただく。

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奈良時代創建期 -聖武天皇の願い-

7~8世紀の東洋の世界

7~8世紀の東洋の世界は、唐を中心に善隣友好の国際関係が昇華した時代であった。
当時の唐朝は道教を信奉したが、同時に仏教も振興し、
帰化僧による仏教聖典の漢訳の盛行もそのひつの現れであり、
各地で仏教寺院が建立され、それぞれの国家の安寧と隆昌を祈願させた。
これらの政策が、わが国で聖武天皇が天平13年(741)に、
国分・国分尼寺建立の詔を発する範となったことは周知のところである。

聖武天皇(画・小泉画伯)

8世紀の日本 -東大寺の前身寺院-

良弁僧正

奈良時代は華やかな時代であると同時に、政変・かんばつ・飢饉・凶作・大地震・天然痘の大流行
などが相次ぎ、惨憺たる時代であった。
このような混乱の中、神亀元年(724)二月、聖武天皇が24歳で即位し、
待ちのぞんでいた皇太子基親王が神亀四年(727)10月5日に誕生する。
ところが、神亀五年(728)9月13日、基親王は一歳の誕生日を迎えずして夭折する。
聖武帝は、すぐに親王の菩提を追修するため金鍾山寺を建立(同年11月)し、
良弁(のちの東大寺初代別当)を筆頭に智行僧九人を住持させた。
天平13年(741)に、国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、
この金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となり、これが東大寺の前身寺院とされる。

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これまで知らなかったエピソードと歴史が書いてあった。
「天平13年(741)に,国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い,
この金鍾山寺が昇格して大和金光明寺となった」というのだ。そして,これが東大寺の前身寺院だ」と。
名称の変更は,その存在の在り方の変更に他ならない。
これからも名称に注意して,多元的「国分寺」研究を進めていきたい。

青春の詩

翔空さんのサイトで,
サミュエル・ウルマンの「青春の詩」のことが話題に出ていた。
知らない人のために行けるようにした。
(ミスプリもありますが)
六十になっても七十になっても,青春でありたいと思う。

「青春の詩」

http://homepage3.nifty.com/gakuyu/turezure/seisyun.html

『たの授』2月号の感想

仮説社御中

『たの授』2月号で特によかったのは,次の3点です。

(1) 〈病休〉という選択肢(松島さん)

今学校の先生は,精神疾患での病休が増えています。
原因はさまざまですが,その大変なところは
経験年数と関係なく私たちに襲いかかってくるということです。
しかし,〈病休〉という選択肢が思い浮かべば,
それからの回復も早くなるのではないかと思います。
そのことを詳しく報告していただき,ありがたいと思いました。

(2) 君は宇宙線を見たか(山本さん・小林さん)

日本人のノーベル賞受賞が増え,それが宇宙線に関することとは知っても,
いったいどんなことなのか,その魅力はなかなか伝わりませんでした。
今回の報告は,まさしく「見えないものを見えるようにする」ような
画期的な方法だと思いました。

(3) 私の研究史と発想法(板倉さん)

今回の話題の中心は,『日本歴史入門』でしたが,
まさしくこの本で,私は仮説実験授業と出会いました。
それは就職浪人をしていた34年前。
ふと本屋の歴史コーナーを眺めていた時です。,
この本が「読んでくれ」というような雰囲気で並んでいました。
歴史はもともと好きな方でしたが,こんな方法で学べるとは。
教職への志をさらに強くして,私は翌年教壇に立ちました。

歴史人物かるた 2016

色上質特厚の紙が届いたので,
昨日の「空き時間」に上記のかるたを印刷した。
これは2000年から作り始めた「肥さんの社会科かるたシリーズ」の
2番目の作品である。

『社会科教育』誌(明治図書)の臨時増刊号の人物画を
利用させていただいた。
小学校で既習の40人を取り上げたもので,
歴史人物シリーズの最初のもの。

● 歴史人物かるた①

① 「邪馬台国」のナゾの女王・卑弥呼
② 法隆寺を建て遣隋使を送った?聖徳太子
③ 遣隋使として中国に渡った小野妹子
④ 「大化の改新」で蘇我氏を倒した中大兄皇子
⑤ 藤原氏のもとを築いた中臣鎌足
⑥ 仏教の力に頼り東大寺を建てた聖武天皇
⑦ 農民たちに支持された僧・行基
⑧ 荒海を渡り唐招提寺を建てた名僧・鑑真
⑨ 「この世をば・・・」と歌によんだ貴族・藤原道長
⑩ 『源氏物語』の作者・紫式部

⑪ 『枕草子』の作者・清少納言
⑫ 「平氏でない者は・・・」とおごり高ぶった平清盛
⑬ 鎌倉幕府を開いた将軍・源頼朝
⑭ 「一の谷」の戦いで活躍した武将・源義経
⑮ 二度にわたる元寇の時の執権・北条時宗
⑯ 室町幕府の頂点金閣寺を建てた足利義満
⑰ 銀閣寺を建てたが銀ははれなかった足利義政
⑱ 水墨画を大成した雪舟
⑲ 日本にキリスト教を伝えたザビエル
⑳ 楽市・楽座で商業を保護した織田信長(大幅に変更)

21 全国統一に成功して大阪城を築いた豊臣秀吉
22 関が原の戦いに勝ち江戸幕府を開いた徳川家康
23 「生まれながらの将軍」といわれた3代・徳川家光
24 元禄文化人形浄瑠璃の作者・近松門左衛門
25 化政文化「東海道五十三次」の作者・歌川広重
26 国学者で『古事記伝』を著した本居宣長
27 『解体新書』を仲間と翻訳した杉田玄白
28 全国を測量して「日本全図」を作った伊能忠敬
29 鎖国する日本に開国をせまったアメリカのペリー
30 江戸城の無血開城に成功した勝海舟

31 西南戦争の中心人物・西郷隆盛
32 明治初期に欧米に派遣された大久保利通
33 薩長同盟で日本の流れを変えた坂本竜馬
34 慶応義塾を建て『学問のすすめ』を著した福沢諭吉
35 早稲田大学を建て立憲改進党を作った大隈重信
36 自由民権運動をリードし自由党を作った板垣退助
37 ドイツに憲法を学び初代内閣総理大臣の伊藤博文
38 治外法権の撤廃に成功した陸奥宗光
39 関税自主権の回復に成功した小村寿太郎
40 細菌学で黄熱病の研究をした野口英世

昨日の部活動 2/5

昨日は,朝練+午後練(金・中)だった。
女子といっしょの練習。
見ていたら,まえよりずいぶん上手くなっていた。
やはり「積み重ね」は大切なんだなあ。

土日は群馬行きで付き合えないが,頑張ってほしい。

2016年2月 5日 (金)

「洛中洛外日記」より 2/5

またまた「洛中洛外日記」より,
転載させていただきます。
古賀さん,毎度すみません。
もちろん多元的「国分寺」研究の関係です。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1133話 2016/02/03

多元的「国分寺」の考古学

大阪と東京で古田先生の追悼会・お別れ会が二週連続で続くという1月が過ぎ、
ようやく落ち着いて研究に取り組める環境に戻りました。
もっとも肥沼孝治さんや宮崎宇史さんと多元的「国分寺」研究サークルを立ち上げたり、
『古代に真実を求めて』の古田先生追悼特集号の追加原稿執筆など、忙しい日々は当分続きそうです。

国分寺遺跡に7世紀に遡るものがあることが濃厚となっているのですが、
昨年末に大阪歴史博物館の考古学者の李陽浩さんにこのことを説明し、
7世紀の国分寺遺構と8世紀の遺構との見分け方について意見交換しました。

瓦による編年については地域差が大きく、簡単ではないとの見方で意見が一致しました。
そこで古代建築を専門とされている李さんから、
塔の心柱の構造から一定の判断が可能と教えていただきました。

7世紀の五重塔などは心柱が版築基台を掘りこんで埋められた形式だが、
8世紀以降は心柱は基台上に乗っている形式が主流になるので、一応の目安になるとのことでした。
たしかに7世紀初頭の造営で8世紀初頭に移築されたと考えられる
法隆寺の五重塔の心柱は版築基台に埋め込んだ形式です。
更に、8世紀の国分寺には七重塔が造営されるが、7世紀前半にはせいぜい五重塔なので、
その差も判断材料に使えるのではないかとのことでした。

伽藍配置などの南北軸の振れの他にも、
こうした考古学的判断も多元的「国分寺」研究に役立つように思われます。
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久しぶりの「6分の6」

う~ん,疲れたあ。
やはり,「フル稼働」は効くぜ。

でも,一昨日印刷等をやっておいたおかげで,
帰りのバスの時間は遅くならなかった。
やはり「備えあれば,憂いなし」だ。

昨日の部活動 2/4

昨日は,朝練+午後練のフツ―の日だった。
フツーの日とは言っても,考えてみると,
40分+50分=90分(1時間半)の立派な活動なのだ。
それを積み重ねているから「今」があるんだな。
大変なこともあるけれど,努力を続けよう!

富岡中から練習試合の申し込みがあった。
2/14(日)ということだったので,富士見西中と同じ日である。
「3校で磨きあう」という目標に向けて頑張ろう!

明日は「金・中」である。
有効に使おう。

国分寺・国分尼寺のもとの「名前」

国分寺・国分尼寺のもとの名前は,何だろう?
それは,「国分寺建立の詔」に書いてある。

第二条 僧寺には必ず二十人の僧を住まわせ、その寺の名は金光明
四天王護国之寺としなさい。また、尼寺には十人の尼を住まわせ、
その寺の名は法華滅罪之寺としなさい。

つまり,「金光明四天王護国之寺」と「法華滅罪之寺」である。
しかし,これは聖武天皇が付けた名前であって,
もともと付けられていた名前ではない。(だって,「しなさい」だから)
すると,以下のような変遷が考えられるのではないか。

(1) もともとの名前(国府寺・国府尼寺?)

(2) 「金光明四天王護国之寺」と「法華滅罪之寺」(聖武天皇)

(3) 国分寺・国分尼寺

(1)→(2)→(3)の順序かどうかわからないが,
たたき台として,これを提出しておこう。

前に書いたが,国分寺・国分尼寺という名前は,
いつ誰が付けたのかも知りたい。

どなたかコメントしていただるとうれしいです。

歴史の「常識」

中学で社会科を教えているが,
生徒たちはすでに小学校卒業までに
歴史の「常識」をたっぷり身につけてくる。

(1) 邪馬台国は大和にあった。

(2) 「日出づる処の天子が,日没する処の天子に・・・」は聖徳太子である。

(3) 江戸時代の農民はあわやひえを食べていた。

これらは,大人にとっても「常識」となっているが,
当然子どもたちも同じなのである。

私は〈古田史学〉や〈仮説実験授業〉に学んでいるので,
そのまま教えるわけにはいかないが,
子どもたちが混乱しないように教える配慮はしている。

(1) 授業プラン「〈邪馬台国〉はどこだ!」を実施する。

(2) 「白村江の戦い」のところで,「違和感」の整理をする。

(3) ルネ版《日本歴史入門》を実施する。

押しつけはしないが,予想を立てて,事実は知ってもらう。
それで納得できる生徒はするし,
納得できない生徒は教科書に沿った授業プリントで学んでもらえばいい。

社会科の教員になったことは幸いである。
緊張感を持ちながら授業実践ができるからである。

2016年2月 4日 (木)

スイスイ水曜日

昨日は小中交流のない水曜日だったので,
たくさん教材研究や印刷をすることができた。
やはり時間に余裕があるといい。
ついでに職員室の机の整理整頓ができ,すっきりした。

色上質特厚が届いたら,かるたを印刷したかったのだが,
注文が遅くなってまだ刷れないでいる。(今回は歴史人物かるた)
小学校復習編なので,生徒たちも楽しんでやれるだろう。

昨日の部活動 2/3

昨日は,午後4時15分~5時のコマだった。
木下兄コーチにお世話になった。

富士見西中との練習試合は,
2月14日(日)と決定した。
午前8時半~12時半の日なので,
朝早くから準備する必要があるが,
相手はそれ以上に早くあちらを出発して来てくれるのだ。
それくらいは頑張ろう。
そして,それ以上に大切なのは,ホームでの試合。
1つでも多く勝って「上中強し」と思ってもらうことだ。

先日のモルテン杯では,0ー2(21一25,21ー25)で敗れた。
両セットとも点数のわりに中身が良くなかった。
第1セットは,16ー16からの6連続失点。
第2セットは,スタートからの劣勢。
それを「あれは幻だった」と相手に思わせてこそ,
今回の練習試合の意味がある。

むしろ,長く敗戦の後味の悪さを引きずらず,
対戦から2週間でリベンジさせてもらえることを感謝しよう。
場合によっては,半年・1年対戦がないこともある訳だから・・・。

なお,狭山工業は「いつ来てもいいよ」と顧問の先生に言っていただいたので,
話が流れたままになっている豊岡高校とも合わせて,
「対戦・高校シリーズ」として,2~3月に組みたい。

2016年2月 3日 (水)

「全問不正解」でも大丈夫

自作の授業プラン「「邪馬台国]はどこだ!」は,
全部で4問の短いものだ。

しかも,予想の選択肢は毎回

ア.北九州
イ.大和
ウ.その他

の3つというワンパターン。
勢い,「4連敗」ということもあるのだが,
そこは毎回真剣に予想しての「4連敗」である。
最後のページまで行くと,
「なるほどそういうことか!」という形に話をまとめてある。

自己評価表の感想欄には,
「全部間違えた」とだけ書いてあっても,
それほど気にすることはない(と私は思っている)。

むしろ,「それでも,邪馬台国は大和にある!」
という勇ましい「通説派」の方がちょっと心配。
大和一元説の脳みそは,4問くらいではそう簡単に変わらない?

でも,押しつけは禁物。
これは仮説実験授業から学んだ鉄則。
やがて,この授業プランで学んだことが,
後で生きてくるからネ!

多元的「国分寺」論に有利な事象

今のところ多元的「国分寺」研究にとって,
有利と思われる事象を整理しておこう。

(1) 武蔵国分寺の塔跡(南北軸)に対して,他の伽藍跡の方位が7度西偏している。

(2) 摂津国には2つ,「国分寺」を名乗る寺がある。

(3) 総国分寺・東大寺のおひざ元・大和国の橿原に国分寺を名乗る寺がある。

(4) 「国分寺建立の詔」の中には,「国分寺」という言葉がない。(「七重塔を造れ」とは言っているが)

(5) 九州年号(金光三年,勝照三年・四年,端政五年)を持つ『聖徳太子伝記』
(文保2年〔1318〕頃成立)の告貴元年甲寅(594)に相当する「聖徳太子23歳条」の
「国分寺(国府寺)建立」記事= 「六十六ヶ国建立大伽藍名国府寺」
(六十六ヶ国に大伽藍を建立し、国府寺と名付ける)

さらに,米田良三さんの『逆賊磐井は国父倭薈(いわい)だった』によると,
「東大寺は,豊前国・宇佐の小倉山の寺からの移築ではないか」という視点も,
頭に入れておきたいところである。(『太宰管内志』)

各国の「国分寺」を多元的に調査し,また 関連文献をチェックして,
多元的「国分寺」論に有利な事象を増やしていきたい。
当然これは各都道府県にお住いの皆さんのご協力を得なければ,
できない研究である。ぜひご協力をよろしくお願いいたします。

時には場所を変えてみる

当初,先月の雪の時期に計画された3人オフ会だったが,
(九想さん,翔空さん,肥さんのブログ仲間の会)
やはり「君子危うきに近寄らず」で延期し,昨日行った。
場所も,初めて魚民にしてみた。

それがかえってうまくいき,話は盛り上がるし,
制限時間内に終われるしなど,いいことづくめだった。

時には場所を変えてみると,
気分が変わっていいものだ。
そんな楽しい3人オフ会の新年会だった。

昨日の部活動 2/2

昨日は,朝練+「定休日」(自主練)の日だった。
学年朝会があったので,5分早めに終了した。

2016年2月 2日 (火)

プロ野球キャンプ開幕 2016

昨日は,今年度のプロ野球のキャンプ開幕であった。
楽天にはオコエ選手が入団して,楽しみなところだ。

西武球場で楽天が見られるのは,3月15日(火)のオープン戦。
ペナントレースだと,4月22日(金)からの3連戦ということになる。
できるだけ都合をつけて行きたい。

弥生時代の授業も楽しい

先日「縄文時代の授業は楽しい」と書いたが,
「弥生時代の授業も楽しい」と書かせてもらおう。
私は2時間かけて行うことにしている。

第1時・・・「まんが日本史」より「日本の誕生」を視聴する。
      自作の授業プラン「〈邪馬台国〉はどこだ!」を実施する。

第2時・・・教科書で「定食授業」を行う。
      「まんが日本史」より「幻の邪馬台国」を視聴する。

授業プラン「〈邪馬台国〉はどこだ!」で,
考古出土物(鏡,青銅器の武器,鉄器の武器,絹)による
「邪馬台国」探しをする。
この方法を知れば,歴史学の大家に対しても,
「そうは言っても,考古出土物の多いのは~ですから」
と正攻法の議論ができるからである。

多くの生徒が予想を外すが,承知の上。
生徒たちは「白紙の状態」で入学してくるわけではなく,
ちゃんと「大和一元説を身に着け」て入学してくるので,
それを打ち砕く必要があるのだ。
しかも押しつけなく・・・。

昨日の部活動 2/1

昨日から30分活動時間が延長され,
5時まで活動できることになった。
木下兄コーチにお世話になった。

職員会議が長くて,下校寸前まで続いた。
男女いっぺんに見ていただいたコーチに,
土日の「6校の練習試合」と「モルテン杯」の記事を書いた
部活通信を差し上げた。

2016年2月 1日 (月)

引越して1か月

引越して1か月。
それは,プラスが多かったのか,
それともマイナスが多かったのか。

【プラス面】

・実家まで1分(これまでは,自転車で30分。往復だと1時間)

・家賃が2万円あまり安くなった

・読書をする時間が増えた(『「邪馬台国」はなかった』と『失われた九州王朝』の3分の2まで読んだ)

・古代史研究が進んだ(多元的「国分寺」研究サークルのサイト開設。「国分寺」はなかった!12弁の菊花紋)

・アルコール量が減り,体重もダウンした(授業書《ものとその重さ》の応用)

・今のところ健康で過ごせている


【マイナス面】

・公団住宅の気密性がなく,朝晩寒い(冷蔵庫の中にいるようである)

・午前6時半ぐらいに家を出発しないと,タイミングのいい電車に乗れない(自転車→電車+バス通勤)

・新所沢に出掛けにくい(房yaが,3分→30分に)

今のところ,だいたい2対1の割合でプラス面が多いようだ。
プラスの割合を増やしていきたい。

モルテン杯 2016

昨日,今年度のモルテン杯があり,
男バレとともに参加してきた。
木下兄コーチにお世話になった。

【午前中・予選リーグ】

対勝瀬中 2ー0(25ー19,25ー23)
対所沢東中 2ー0(25ー5,25ー15)

強い勝瀬中の上を行く積極的なバレーで,
ストレート勝ちすることができた。
みんなのいいところが出て,コーチも喜んでくれた。(o^-^o)
さらに「参加者・全員出場」で所沢東中も下し,
予選リーグを1位で通過した。

【午後・決勝トーナメント】

対富士見西中 0ー2(21ー25,21ー25)

富士見東中へ移動しての決勝トーナメント。
相手は相性のいい富士見西中。
午前中の勢いのまま勝てるかと思いきや,
勝瀬中戦で力を使い果たしたのか,
はたまた昼食をはさんで集中力が落ちたのか,
16ー16からまさかの連続6失点。
勝利を自滅で逃してしまった。
(まあ,4人もサーブミスをするチームは,
バレーボールの神様から見放されるということだが)

2セット目は,その流れで,最初の10点が3―7の劣勢。
20点まで6ー14という展開で試合が決してしまった。(。>0<。)
後半追い上げて4点差までいったが,
逆転まではとてもいかなかった。
前半のビハインドは自分で自分の首を絞めていることを,
もっと自覚するべきだ。(逆に,前半リードすると,
思い切ってどんどん攻めることができるのである)

たくさんの保護者&家族の方に応援していただいた。
ありがとうございました!

PS モルテン杯効果として,「勝瀬中」と「富士見西中」より
練習試合の申し込みをいただいた。
みんなが頑張っている姿を見て,
他のチームはそういう形で評価してくれるのだ。
今後は彼らの挑戦に応えられる(「さすが上中」と言わせるような)
さらに積極的なバレーボールをしていってほしい。
私たちにとっても,チャレンジあるのみ!

PS2 土日の疲労回復のためということで,
「本日の朝練はなし」ということをコーチから提案していただき,
МLで連絡が回った。

支店が先か,本店が先か

「柳の下にドジョウが二匹」を狙って,
「大仏建立の詔」を読んでみた。
私が読んで「おやっ?」と思ったのは,以下のところだ。

(1) 支店(国分寺。741年)より本店(東大寺。743年)の方が後という謎

たいていの会社は,まず本店があって,その営業成績が良いので,
各地に支店を置くというのが世の常識というものではないだろうか。
(私が社長なら,そうする)
ところが,支店にあたる国分寺が先行して,その2年後に本店ができる。
何だか,また狐につままれているような気がしてきたぞ~。

(2) 「堂を構え」とはあるが,「堂を造り」とは書いていない謎

これは細かいことを言っていると言うかもしれないが,
私は多元的「国分寺」研究をしている者で,
国分寺が「九州王朝の建てた国府寺」を利用していると考えており,
東大寺も「九州王朝の建てた豊前国(大分県)の東大寺」を移築したものと考えている。
そんな疑い深い私なので,「構え」とは書けるが「造り」とは書けないのではないかと,
「ゲスの極み」ならぬ「ゲスの勘ぐり」をしているわけである。

「大仏建立の詔」

http://www.tetsureki.com/home/library/shiryoukan/daibutu.html

「洛中洛外日記」第24話より

※ 「12弁の菊花紋」研究に関連して,
古賀さんの「洛中洛外日記」第24話を転載します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

古賀事務局長の洛中洛外日記
第24話 2005/08/21

「稲員家と菊の紋」

高良玉垂命の家系は七世紀末頃に五家に分かれます。
その内の一つが草壁氏となり、後に稲員(いなかず)姓を名乗ります。
この流れがAさんの家系へと続くのですが、
この稲員家は八女郡広川村の大庄屋となり、近現代にまで至ります。

稲員家には多くの古文書や記録がありますが、
その中の一つに『家勤記得集』(江戸時代成立)という同家の歴史や由緒を記した書物があります。
その末尾には次のような興味深いことが記されています。

「稲員家の紋、古来は菊なり、今は上に指合うによりて止むるなり。」

稲員家の家紋は皇室と同じ菊の紋だったが、「上」との関係で止めた、という内容です。
九州王朝王家末裔の家紋が皇室と同じ菊だったということで、
この事実も興味深い問題です。
付け加えれば、Aさんのお話しでは皇室の十六弁の菊とは異なり、十三弁の菊だったとのこと。
筑後国府跡から出土した軒丸瓦の十三弁の文様とも対応しており、
偶然とは思えない一致ではないでしょうか。

また、高良大社の御神幸祭では稲員家が主役ですし、
その行列には皇室と同じ三種の神器が連なります。
こうした伝統も稲員家が九州王朝の末裔であることの証拠ではないでしょうか。
本当に歴史とは不思議なものです。
歴史学界の大家がいかに九州王朝説を無視否定しようと、
このように「真実は頑固」(古田武彦談)なのです。

参照

高良玉垂命の末裔 稲員家と三種の神宝(古田史学会報二十六号)

スタート後1週間のアクセス数

パソコンに付いている「アクセス解析」によると,
「多元的「国分寺」研究サークル」サイトの
スタート後1週間の「検索ーのべ訪問ー実際の訪問人数」は,
以下の通りです。

古賀さんのご紹介もあって,
この1週間でかなり増えました。
ありがとうございます。

38人も見ていただいていると思うと,
文章を書いたり,コメントを入れたりする気持ちも変わってきますね。
今後ともよろしくお願いいたします。

「国分寺はなかった!」に対しても,
川瀬さんより「大発見だ!」とのうれしいコメントが,
閑人さんより「いったい学校の歴史教科書って何なんでしょうか」
との悲痛なコメントが寄せられています。

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01/25(月) 検索5 のべ訪問 1  実際の訪問人数1
01/26(火) 24-9-4
01/27(水) 61-15-11
01/28(木) 48-14-9
01/29(金) 61-13-9
01/30(土) 64-26-15
01/31(日) 140-44-38

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