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2016年1月24日 (日)

小倉山の東大寺から大和の東大寺へ

『法隆寺は移築された』の著者の米田良三さんには,
『逆賊磐井は国父倭薈(いわい)だ』(ともに新泉社)という本があり,
多元的「国分寺」研究に役に立つのではないかと思っている。

P1241263_2

8世紀半ば・・・大和の東大寺→国分寺・国分尼寺

というのが教科書に載っている通説だが,その前に

7世紀前半・・・小倉山の東大寺(大分県)→国分寺・国分尼寺((摂津国に2つの国分寺や
大和国分寺も含む)

というように100年以上前にさかのぼって,国分寺・国分尼寺(国府寺?)が作られたようだ。

小倉山東大寺が,大和に移築されたのは,
やはり白村江の戦い(九州の倭国の敗北)以降のようで,
法隆寺や長谷寺や薬師寺もそうだったとすると,
本当に大規模な寺院の解体・移動が行われたことになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なお,古賀さんより提案で,多元的「国分寺」研究サークルという
インターネットのサークルを作ってはどうか,ということになった。
私にとっても異存はない。
さっそく,本日からスタートさせようと思う。
「思い立ったが吉日」である。

基本的なルールとしては,

(1) 約2年後の『多元的「国分寺」研究のすゝめ』の刊行をめざし,
全国の皆さんの情報を集める。
(2) 多元的「国分寺」研究についてのガイドラインを示す。
(3) 各地の成果をアップして,閲覧をしていただく。

といったところか。

武蔵国分寺の7度西偏,摂津国の2つの国分寺,大和の国分寺等,
私たち多元的古代を研究する者に有利な情報も少なくない。
さらに文献と考古学の両面での研究を進めていきたい。


koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/2016/01/post-5a2f.html

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

翔空さんへ
コメントありがとうございます。

「日本の奈良時代から平安時代に、
令制国の国府への水運のために設けられた港。
国府が内陸等にある場合はその外港」
とウィキペディアには出ていました。

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