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2016年1月31日 (日)

「洛中洛外日記」より 1/31

またまた「洛中洛外日記」に取り上げていただきました。
うれしい限りです。また転載させていただきます。
今回は,「十二弁菊花紋」についてです。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1130話 2016/01/30

肥沼孝治さんの「十二弁菊花紋」研究

多元的「国分寺」研究サークルを一緒に立ち上げた肥沼孝治さん(東京都・会員)のブログ
「肥さんの夢ブログ(中社)」は古田史学のことも頻繁に取り上げられていることもあって、
古田ファンからも人気のサイトです。
そのブログで最近面白いテーマ「十二弁の菊花紋」についての論稿が報告されていますので、
ご許可をいただいて「洛中洛外日記」に転載させていただきます。

九州王朝の家紋は「十三弁の菊」とする説を
九州王朝のご子孫のMさんから以前お聞きしたことがありますが、
「十二弁の菊」も江田船山古墳から出土した大刀に銀象嵌されており、
十三弁と十二弁の関係なども興味深い問題です。
「十三弁の菊」については「洛中洛外日記」第24話や
「天の長者伝説と狂心の渠」などをご参照ください。

「肥さんの夢ブログ(中社)」から転載・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 2016年1月25日 (月)

「12弁の菊花紋」無紋銀銭の出土地

上記の無文銀銭について,先ほど今村啓爾著『富本銭と謎の銀銭
~貨幣誕生の真相』(小学館)で確認したところ,出土地が判明した。
摂津国天王寺村の眞實院という字名の畑の中からである。

摂津国天王寺村といえば,どんぴしゃり!古賀さんが「九州王朝の副都」として論証を進めている
まさにその場所で,その九州王朝の発行したと思しき「12弁の菊花紋」入り無文銀銭が発見されたのだ。
まさにキャッチャーの構えたミットにズバッと直球が投げ込まれたようなものである。
しかもその発見場所の名前が「眞實(真実)院」というわけだから,まさに人生の不思議この上ない。

なお,無文銀銭が最初に発見されたのも,この眞實院である。
(100枚ほど。このうち1枚が現存で,2枚が拓本と図がある)
無紋銀銭というと滋賀県の崇福寺が有名だが,あちらは昭和15年と新しい発見で,
こちらは1761(宝暦)年10月7日というのだから,桁違いに古い発見なのだ。
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コメント

> 3人オフ会は2日(火)の午後6時半,
> いつもの駅の改札集合ということにしましょう。

了解しました。

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