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2015年12月 3日 (木)

高島忠平氏が「西日本新聞」に古田氏の追悼記事

「古賀達也の洛中洛外日記」に,以下の記事が出ていた。
高島忠平氏が「西日本新聞」に古田氏の追悼記事を書いて下さったとのこと。
古賀さんも紹介されているが,私も24年前のシンポジウムのことも思い出した。
33歳の若き頃のことである。
今考えると,本当にすごい場にいられたのだな,と思う。
その感動を胸に,これからも古代史研究に精進していきたい。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1099話 2015/11/29
高島忠平さんが追悼記事

「洛中洛外日記」の読者で久留米市の犬塚幹夫さんからメールをいただき、
「西日本新聞」11月4日朝刊に高島忠平さんによる古田先生の追悼記事が
掲載されていることを教えていただきました。
高島さんは吉野ヶ里遺跡を発掘された著名な考古学者で、
学界内では少数派の「邪馬台国」九州説に立たれています。
現在は学校法人旭学園(佐賀市)の理事長をされておられますが、
古田先生とは古くから親交がありました。
1991年8月に昭和薬科大学諏訪校舎で1週間にわたり開催された
「古代史討論シンポジウム『邪馬台国』徹底論争
--邪馬壹国問題を起点として--」(東方史学会主催)に、
七田忠昭さんとともに参加されています。
そのときの発表や討論の内容は『「邪馬台国」徹底論争』1~3巻(新泉社)に収録されています。
24年前のことですが、読み返してみますと、懐かしさがこみ上げてきます。
「西日本新聞」の追悼記事は「古田武彦さんを悼む」という表題とともに、
「常識、定説、権威に対する疑問と反抗心」という見出しと先生の遺影・著作の写真が掲載されています。
そして「邪馬壹国」説に始まり、「多元的古代」「九州王朝」説にもふれられ、
「私は多元的古代史観に共感している。古田さんの描く九州王朝説をそのまま受け入れられないが、
「地域史観」を持っている。(中略)私も邪馬台国のフォーラムに呼ばれたことがある。
自説は確固として、激しく主張されるが、他説には謙虚に耳を傾けておられた姿が印象的であった。」
と記されています。
そして最後に、「古田さんは、もともとは思想史が専門で、親鸞の研究で知られている。
既成の日本仏教に反旗をひるがえし、仏教に革命をもたらした親鸞と古田さんの間には、
共通して常識、定説、既成の権威に対する絶えない疑問と反抗心があったように思う。
冥界で出会った2人はどんな論争をしているだろうか。ご冥福を祈ります。」と結ばれており、
とても誠実な追悼文です。先生も冥界で喜んでおられることでしょう。
高島さんに感謝したいと思います。
なお、同記事の全文は「古田史学の会」や
わたしのfacebook(TatuyaKoga)に張り付けていますので、ぜひご覧ください。
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古田史学」カテゴリの記事

コメント

そのうちに
㏋を訪ねて読んでみたいと思います。
吉野ヶ里遺跡が見つかった時に出した古田氏の本に
高島氏はよく出ていたような気がします。
新書版でじっくり読んだような気がします。

古田氏関連の本が本棚で目に留まったので
ちょっと目を通してみようかと
手に取りました。
「市民の古代15号」と「日本国民に告ぐ」
1998年ごろの論文、講演記録のようですね。

翔空さんへ
コメントありがとうございます。

「市民の古代15号」と「日本国民に告ぐ」とは,ずいぶん前の本ですね。
引越でも終わったら,古田氏の本をじっくり読んでみたいです。

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