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2015年12月18日 (金)

肥さんの「徒然草」

何とタイトルを付けていいかわからないので,
とりあえず「徒然草」とした。
心に浮かんだよしなしごとを綴ったからだ。
(もしかしたら,時々これからも書くかも)

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自分の力を出す方法 ~ どうせ実力以上のものは出ないのだから,あせりは禁物である。
力んで何かをしても,かえって自分の悪いところが出るだけ。
力んで三振する打者。力んで四死球を出す投手。
スポーツなどのパフォーマンスでは,平常心を保つのがいつでも大きな課題だ。
生き方についてもそれが言えるのではないか。

幸せになる方法 ~ 幸せになりたいと誰しも思うが,自力の努力はかえって幸せから遠ざかる。
ところが他の人のための応援は自分を幸せにする。自分が幸せになるのと違うはずなのに,
他の人の幸せが自分の幸せにつながる。より次元の高い幸せ観なのかもしれない。
「這えば立て,立てば歩めの親心」という言い方があるが,
最初は小さな進歩にも喜びを感じていた心が,それが満たされるとそれでは満足できなくなり,
より大きなものを求めるようになる。時々原点を思い出す作業が必要なのか。

細く長くより,太く短くか ~ これは二者択一という訳にはいかないが,
生き方としての両者だったらどうか。
20勝0敗の投手と10勝10敗の投手。どちらにあこがれるかで,
ある人は後者が絶対いいと言っていた。
私も最初は前者の方がいいと思っていたが,
話を聞くにつれその人の話にも納得できるものを感じた。
まあ,田中マー君のように24勝0敗ということも現実には起こるが,
これは実力+チームのバックアップの結果だ。
彼自身も「たくさん勝たせていただいた」と,
チームのバックアップを忘れていないのが素晴らしい。

みんなが協力するということ ~ 私もなかなかそういう境地になれないのだが,
学年にいろいろな教科の教員がいることの意味。
教科が違うということは考え方が違うということであり,
それは本来より多くの生徒のタイプを受け入れることにつながるべきである。
しかし,場合によってはこれが反対のベクトルに働き,生徒指導のためには
「一枚岩」でいなくてはならないと考え,
教員自身の個性も殺しながら過ごさなければならない。
私たちが「殺し」あっていて,生徒には「生きろ」と言えるのか。
もちろん私たちは学校という名の「井の中」にいるので,
世の中(大海)のことも学ばなければならない。
だが同時に,「井の中」でこそ実現でき,それが世の中(大海)を変えていくような力も
培うようにしていかなければならないのではないかと思う。

ブログを書くということ ~ ブログを書くことによって,いま自分が何を考え,
何をしようとしているかを明確にしようとする試みが,
私の場合ブログを書くということのように思う。
書くことによって,自由を広げるという感じもある。
仮説実験授業,古田史学,教育(社会科),音楽,部活動など,いろいろなことに関わりながら,
それらを日々綴っていくことで,肥さんという人間を表現している。
それを読んで喜んでくれる人もいるだろうし,同情してくれる人もいるだろうし,
たまには怒る人も?
それもこれも含めて,生きることは学ぶこと。学ぶことはブログを綴ること。
そんな感じでこれからもやっていきたい。

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「心と体」カテゴリの記事

コメント

 「肥さんの徒然草」すごくいいですね。
 肥沼さんに接していて、「俺にはできないなぁ」と思うことがよくあるんですが、
この言葉を胸のうちに活動されていることがよくわかります。
 肥沼さんのお顔を思い浮かべながら読むと、心に沁みますね。

小泉さんへ
コメントありがとうございます。

私は「ほめられて伸びるタイプ」ですので,
とてもうれしいです。
続編を乞う御期待です!

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