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2015年12月22日 (火)

『日本書紀』安閑紀に「九州年号建元」記事発見!

大変なビッグニュースが,古賀さんの「洛中洛外日記」に報告されていました。
『日本書紀』安閑紀に「九州年号建元」記事が発見されたというものです。
それも,その存在すら隠していると思われていた『日本書紀』の中にとは,
歴史の「犯人」は,何気ないところにその証拠品を残していたようです。
今引越の荷物は,東村山へ。早く「安閑紀」が見たいよう!
以下,長文転載させていただきます。

===========
古賀達也の洛中洛外日記
第1107話 2015/12/19
『日本書紀』安閑紀に「九州年号建元」記事発見!

 先月公開されたテキサス医科大学の研究者による下記論文は、
損傷筋細胞からいわゆる「STAP現象」による
幹細胞の発現を確認したというものらしいのですが、
ネイチャーの電子版に掲載されています。
残念ながらわたしの英語力では全く理解できませんでした。
もちろん、門外漢のわたしには当否も判断できません。

『Characterization of an Injury Induced Population of Muscle-Derived Stem Cell-Like Cells』
損傷誘導性による筋肉由来の幹細胞様細胞(iMuSCs)
http://www.nature.com/articles/srep17355

 願わくは、小保方さんや笹井さんの時のような
集団バッシング(マスコミなどによる日本型リンチ)にあうことなく、
発表者たちが落ち着いた環境で研究を進められますように。
仮に間違っていたり不正確な仮説であっても、
自由に発表しあえる学問的寛容性もまた科学を発展させてきたのですから。

 本日の「古田史学の会」関西例会では正木裕さん(古田史学の会・事務局長)から、
『日本書紀』安閑紀に「九州年号建元」記事発見を報告されました。
従来から『日本書紀』編纂にあたり漢籍(「芸文類聚」等)からの転用が
あることは知られていましたが、
その漢籍転用は九州王朝が先行して行っており、
その転用した九州王朝史書を『日本書紀』編纂にあたり
そのまま引用した可能性があることを指摘されました。

 そうした研究過程で安閑紀に「九州年号建元」記事なるものを発見されました。
さらに、この方法論による『日本書紀』史料批判の結果、九州王朝の漢籍受容の検証が進み、
九州王朝思想史の研究にも道を拓くことが予想されます。
とても興味深く重要な発表でした。今後の展開が楽しみです。

 12月例会の発表は次の通りでした。
〔12月度関西例会の内容〕
①「九州年号」と「評」から見た九州王朝の風景(八尾市・服部静尚)
②多利思北孤の都は伊勢(三重県)にあった(姫路市・野田利郎)
③仮説「イ妥国伝」のご意見への回答(姫路市・野田利郎)
④狗邪韓国の一考察(奈良市・出野正)
⑤『三角縁神獣鏡研究の最前線』~精密計測から浮かび上がる製作地~(京都市・岡下英男)
⑥『日本書紀』における「神武紀」の役割及びニギハヤヒの位置付け 後編2(東大阪市・萩野秀公)
⑧『大唐青龍寺三朝供奉大徳行状』の空海(高松市・西村秀己)
⑦『日本書紀』の「原典」と九州王朝(川西市・正木裕)

○水野顧問報告(奈良市・水野孝夫)
 古田先生追悼会の準備・宮本美代志氏(米子市)から質問fax・史跡巡りハイキング(JR四条畷駅付近・市立歴史民俗資料館〔開館30周年特別展「継躰天皇と河内の馬飼い」〕・楠正行墓)・TV視聴(奈良大学文学講座)・別府史談会30周年記念投稿募集案内・蛭田喬樹『周髀算経』と「短里」、『歴史研究』No.636、2015/11・その他
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古田史学」カテゴリの記事

コメント

私も毎朝、通勤途上で『日本書紀』を読んでいて、漢籍の引用は九州王朝史料のものもありそうだと注意してはいました。該当箇所がどこなのかむろん気づきませんでしたが。

どうしても安閑紀が早く見たければ、岩波文庫の書紀第三巻を今日買っては(笑)。

岩波文庫版は、岩波大系本を文庫化してくれたので持ち運びに便利で、重宝しております。

あじすきさんへ
コメントありがとうございます。

見る人が見るとわかるんでしょうね。
ちょっとくやしいですが・・・。
正月には引っ越すので,冬休みの楽しみにします。

たった今、中央公論社の『日本書紀 下』(井上光貞氏監訳)を
調べてみました。
そして安閑紀の元年閏十二月の条文に「これちゃうかぁ?」と
いう一文を発見しましたよ!
とりあえず該当部分(と思われる箇所)の原文校訂部と現代語訳部を
スキャンしてメールで送ってみますね。

ツォータンさんへ
コメントありがとうございます。

よろしくお願いいたします。
メールの到着を,首を長くして待っています。

メール送りました。届きましたでしょうか?

安閑紀の元年閏十二月条に

…故先天皇、建顯號(以下略)

とありますがこれではないかと思われます。
当用漢字に直すと、「故先天皇、建顕号」となるのでしょうか。
素人目に読んでも
「先代の天皇がすばらしい元号を建てた」
と解釈するのが妥当なような…

九州年号そのものが書かれているわけではないのですが、
考えてみれば通常は「建元」に該当する元号はひとつしか
ないのでわざわざ年号そのものを書く必要はないと思われます。

そう思ってみると「建元して大化」「建元して大宝」と書く方がなんだか
あやしい気がしてきました(笑)

ツォータンさんへ
コメントありがとうございます。

どうもそのようですね。
「九州王朝のことが書いてあるに違いない」
という「多元史観」を持っていなければ.
読み飛ばしそうな記事です。
こういうものにも細かく目を配って,
私たちの研究が進んでいくのですね。
ご協力ありがとうございました。

ちょいちょい読ませてもらってます。安閑紀に建元記事があるとはねぇ。先代の天皇が継体天皇ですから、時代的には倭王武の後、筑紫君磐井と継体天皇の時代と被ってますね。もう、九州年号の継体がジャストミートじゃないでしょうか?

芸文類聚の主上を先天皇に置き換えただけの文章ですから、原文と違う意味に顕号を読むなら、それなりの根拠が要求されるとかんがえます。古田先生の学問の方法は失われたのでしょうか、悲しいことです。

原文をみれば明らかなように、顕号を建て鴻名を垂れてーと書かれているように、明らかにする名前を
つくり云々と読むべきもので 、年号を建てると読むのは困難ですね。

閑人さんへ
コメントありがとうございます。

これが九州年号の実在の証拠となれば,
すごいことだと思います。

上城さんへ
コメントありがとうございます。

「年号を建てる」と読むのは,困難ですか。
う~ん,残念。

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