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2015年11月27日 (金)

聞く地蔵と聞かぬ地蔵

今から約一世紀前,宇野浩二 は『地蔵様の村 』を書いた。
この人は,「赤い鳥」の運動に参加した人のようだ。
その話は,今も「聞く地蔵と聞かぬ地蔵」として,
道徳の研究授業などで使われているらしい。
昨日あるクラスの道徳ファイルでそれを見つけて,
ぜひ紹介したいと思ったので,以下に転載する。
いろいろなサイトに引用されているが,
「龍のブログ」に出ていたものが使いやすいかと思い,
それを利用させていただくことにする。

以前「夢ブログ」に「自分のことばかり考えている時は幸せになる感じが少ないのに,
人のことを応援している時はなぜか幸せな気持ちになれる」といったようなことを書いたが,
それに近い寓話(ぐうわ)のようにも思える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
聞く地蔵と聞かぬ地蔵

150年ほど前、村へひょっこり現れた年老いた僧侶が二体のお地蔵様を建立しました。
「私(ワシ)は国々に二体づつの地蔵様をもって歩いているものじゃが、この村にも持って来た。
この東の山の上と、西の野原とに一つづつ据えておいたから、お前たち勝手に信心するがいい。」

そして、不思議なことを言い添えました。
「ところが、一つは聞く地蔵様、一つは聞かぬ地蔵様、
つまり少々無理なことでも願をかけると、きっとかなえて下さるのと、
願をかけても、めったに聞き届けて下さらないとの違いじゃ。

一寸(チョット)考えると、聞かぬ地蔵様に参るのなぞは馬鹿々々しい、
聞く地蔵様に参る方がいいと、みんなは思うかも知れないが、
それはどうも、そうばかりは一概に言えないのじゃ。

私は実はもう三百幾(イク)つになる老人じゃが、
私も初めのうちは聞かぬ地蔵様よりも、聞く地蔵様の方がいいと思っていたんだが、
これは仏様のお言い付けで、仕様がないから、どこでもこの二つの地蔵様を据えて歩いているのじゃ。

ところが、この二百年以来、私もだんだん聞く地蔵様より、
聞かぬ地蔵様の方へ熱心に参る方がよいということを知り出したので、
こうして、二つづつ据えて廻ってはいるが、
聞かぬ地蔵様はお参りしよいように、野原へ置いて、
聞く地蔵様をお参りしにくいように、山へ置くことにしているんじゃが、
どうもやっぱりどこへ行っても、誰でも、聞く地蔵様の方が好きと見えて、
その方が繁昌(ハンジョウ)して困るのじゃ。
 ……私の言うことはこれだけじゃ。」

西の野原に建てられた「聞かぬ地蔵様」へは道がつけられ、
東の山に建てられた「聞く地蔵様」へは道もありませんでした。

ところが、ご利益のあるお地蔵様のおられる山へは村人がこぞってお詣りするので、
いつしか立派な参道ができ、野原へは誰も行かなかったので、
50年もすると、道は草に埋もれてしまいました。

さて、たくさんのご利益を受けた村人たちは誰しもが健康でお金持になりました。
そして、思わぬ心が起こりました。

「人々は余り丈夫で、余り仕合わせで、それに皆々もう十分お金持ちでもあったものですから、
毎日額(ヒタイ)に汗水たらして働く必要がなくなりましたので、次第々々に退屈になって来ました。

余り退屈になって来ますと、悪いことでも、善いことでも、何でもかまわないから、
何か目の覚めるような事件が起ってほしいと待つようになりました。

それに人間というものは、それぞれ仕合わせで、金持ちになってしまうと、
どんな人でも、誰よりも仕合わせになりたいとか、誰よりも金持ちになりたいとか、
始終一段上を、一段上をと望むようになるものです。

そこで、村の人は、言わず語らずのうちに、誰も彼もみんな山の地蔵様に出かけて、
『私が一番金持ちになりますように、私が一番仕合わせになりますように、』と願うようになりました。

すると、聞く地蔵様はそれぞれ誰の願も聞き届けるのですから、
誰も彼も村中で一番の金持ちで、そして一番の仕合わせものになりました。
そして又三十年も、五十年もの日がたちました。」

この頃になると、もう、まじめにはたらく人はいません。
では、めでたし、めでたしとなったかと言えば、そうではなく、
人々は、誰もが自分と同じように幸せ であることに耐えられなくなり、
さらに競争心が高まり、ストレスはついに、とんでもない願いを起こさせます。

「どうか私の鄰の家の人たちがみんな病気になりますように、
又私の向いの家が急に貧乏しますように、地蔵様、どうぞお願い 申します。」

病気になり、貧乏になった祈りの〝被害者〟たちは、自分だけが不幸になったことに耐えられず、
周囲の人々の不幸を祈りました。

悪しき願掛け が蔓延した結果、病人と貧乏人ばかりの村へは近づく人もなくなり、
村の様相は一変したのです。

それぞれ生活に困難を抱えた人々は、身体に無理をかけながら、昔のようにはたらき始めました。
それでも、「聞く地蔵様」へのお詣りは欠かしませんでした。

ある日、村へ、ひょっこり、年老いた僧侶が現れました。
もちろん、村人の誰も、この僧侶が〝あの僧侶〟であることは知りません。
「もうお前たちもいいかげんに欲張ることを止めて、
聞く地蔵様の方へは少し足を絶って、聞かぬ地蔵様の方に参ったらいいだろう」

「百年の間、お前たちの内で、誰一人野原の方の地蔵様に参るものがなかったので、
せっかく私が附けておいた路も何もなくなってしまった。
今、私が行って、改めて路を開いておいて来てやった。

聞く地蔵様の方は、あの時も私が言ったように、めったに参っちゃいけないと思ったので、
わざと路を附けずにおいたのに、お前たちであんな立派な路をつけてしまったが、
今日から当分あの山の方の地蔵様は止めて、野原の地蔵様の方に参るがいい。

そして、あの山の地蔵様の路にすっかり草が生えて、
あの路がすっかりなくなってしまった時分には、
又むかしのように、多分お前たちは仕合わせになれるだろうから……。」
村人の目に、「聞かぬ地蔵様」のもとへ伸びる道がうつりました。

「しかし、聞かぬ地蔵様には何と祈りましょう?
人々は何と祈っていいのか分からないものですから、無論もう人を呪う願をかける訳にも行かず、
と言って自分たちの欲張った願い をしても無駄な訳ですから、唯だその地蔵様の前に行っては、
何にも願うことなしに、ただ拝んで帰って来ました。
 
そして働かなければなりませんから、男も女も、朝から晩まで働きました。
そして朝か晩かの暇な時に、一寸(チョット)野原の地蔵様のところへ行っては、
ただ何にもお願い しないで拝んでは帰って来ました。

そして、もう誰も、恐いものですから、あの山の地蔵様にはお参りしなくなりました。」
やがて、僧侶の預言どおり、村はだんだん「仕合わせな、平和な村」として甦りました。

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「教育」カテゴリの記事

コメント

この話もいいですね。
冒頭の僧侶の話を紹介して、
「なぜそう言うのか」を少し考えてもらう、というのも手かなと思いました。
これも使わせていただきますね。

小泉さんへ
コメントありがとうございます。

この話を前半(僧が去るまで)で切って,
この村はその後幸せになったと思いますか?
ア.幸せになった イ.幸せにならなかった
という二択で意見を言い合うようです。

そして,後半の話(村のその後)を読んだ後,
「聞く地蔵と聞かぬ地蔵」の話を読んで,
自分も同じ経験をしたことがあると思いませんでしたか?
と言って,感想を書かせているようです。

討論があまり続かなければ,さっと切り上げて,
教師の体験談を入れてもいいと思います。
あくまで押し付けなく,
「聞かぬ地蔵」の大切さは知らせつつ・・・。

インターネットで検索すると,
いろいろな授業記録が出ています。

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