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2015年11月24日 (火)

今「上野国分寺跡」が面白い!(2)

「2つの金堂」問題は,「2つの中門」問題でもあり,
論理的に「2つの南大門」問題にも発展するだろう。
伽藍予想図には,金堂と中門は2つずつあることになるが,
南大門は1つだけ。すると,さらに南に(現在想定している寺域を越えて)
南大門があったのではないかと考える。
第1,今の南大門と中門の距離は近すぎて,
「南大門を過ぎたら,すぐ中門」というあわただしさなのだ。
だから,そうならないためにも,寺域をもっと南まで想定する必要がある。
そして,それは大和政権による国分寺の変遷(第1次,第2次)になるかもしれないし,
瓦の年代測定によっては九州王朝が建てたものと同じ方位に,
しかし,位置は40m位ずらされて建てられたものかもしれないのだ。
もしかしたら,「金堂は火災で焼けたが,塔は類焼を免(まぬが)れた」
ということもあるかもしれない。武蔵国分寺が塔だけ前の王朝の作ったものが残り,
それを再利用する形で(方位は7度再偏させて)金堂や講堂等を再建したのに
似た形を取ったのかもしれない。しかし,「想像の翼」だけ羽ばたかせてもしかたない。
発掘調査書を読んで,詳しいことを調べてみたいと思う。

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