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2015年11月29日 (日)

今「上野国分寺」が面白い!(7)

「ぐんまの歴史/ぐんまの遺跡」というサイトに,
上野国分寺についての様々な知見をまとめてある。
せっかくなので,そこから基本的なことがらを学ばせていただくことにする。
もちろん一元史観・大和中心で書かれているので,その点は悪しからず。

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名称 上野国分寺跡  こうづけこくぶんじあと
区分 ぐんまの遺跡 寺院跡
指定 国指定・史跡 8世紀の国分寺跡
場所 〒370-3517 群馬県 高崎市引間町、東国分町 上野国分寺館
電話&HP 027-371-6767 HP なし
撮影日 2009年4月23日

上野国分寺跡
国分寺建立の歴史 国分寺は奈良時代の天平13年(741年)に、
聖武天皇により国ごとに鎮護国家の為の「金光明四天王護国之寺(僧寺)」と
「法華滅罪之寺(尼寺)」の建立が命じられたことに始まる。
はじめは国分二寺とされていたが、次第に僧寺が国分寺と呼ばれるようになった。
 当時の国分寺は,地方政治の中心地であった国府(今の県庁に相当)の北西に
僧寺(国分寺)と尼寺が建立された。 
(つまり、国府は国分寺から南東方向にあった)

「続日本紀」には、天平勝宝元年(794年)に碓氷郡の石上部君諸弟と勢多郡の上毛野朝臣足人が、
国分寺に知識物を献じたことにより外従五位下を授けられたことが記されていて、
上野国分寺はこのころには一応の姿が整ったものと想像できる。 
大和国分寺である奈良東大寺の完成が752年であったことから、
上野国分寺の完成がそれより早いということになり、上野国が豊かで力があった国だったと想像できる。

上野国府 国府とは今の県庁に相当する地方政治の中心地のことである。
上野国分寺の位置から推定してゆくと、上野国府は前橋市元総社町あたりにあったと推定される。

ちなみに、上野国分寺のある高崎市引間町の周囲には、
高崎市東国府町、西国府町や前橋市総社町、元総社町の町名が残っている。
総社とは、国府や国府周辺にあった各神社をまとめて1ヶ所にしてしまい、
個別にお参りに行くのを省略したと推定できるし、地名に「国府」が残っているのは、
国府の近くの町であったと推定できる。 
 更に、このあたりは合併して高崎市となったが、以前は、群馬県群馬郡群馬町であったところで、
群馬県(上野国)がまだ上毛野国であった頃に「車評(くるまのこおり)」と言われ、
群馬発祥の郡であったと推定できるのだ。
 
東山道 当時の都からの幹線道路であった東山道は岐阜県、長野県を経由して、
碓氷峠を越えて群馬県に入り栃木県に抜けてから東北方面に通じていた。
 そして、この東山道は、大和朝廷が蝦夷を征伐し、
征伐後の各地を統治するための重要な役割を持っていた。
 また、軍隊や役人や各地で集めた税を、都や太宰府、各地の国府へ輸送することであった。
 そのために、うまや(駅)を各地に配した。
東山道は中路といわれるクラスであったので、各駅家には常時10疋の馬が配置されていた。

駅(うまや) の 名称と場所 現在の住所表示
坂本駅 (さかもとのうまや) 上野国 碓氷郡 群馬県 安中市 松井田町坂本
野後駅 (のしりのうまや) 上野国 ?? 群馬県 ???
群馬駅 (くるまのうまや) 上野国 群馬郡 群馬県 高崎市 引間町
上野国府 (こうづけこくふ) 上野国 国府 群馬県 前橋市 総社町
新田駅 (にったうまや) 上野国 新田郡 群馬県 太田市 新田??町
 
上野国分寺の概要 上野国分寺(僧寺)は東西220m、南北約235mの広さで、
周囲は築垣(土塁)で囲まれていて、四方の塀の中心に南大門、西大門、北大門、東大門があった。
 中庭には南から、中門、本尊の釈迦像をまつる金堂、講堂、僧房と建物があり、
金堂の西側には高さ約60.5mの七重の塔(高さ60メートル)があった。

その後の上野国分寺 西暦1000年頃:
記録によれば、上野国分寺は荒れ始め、築垣や門はなくなってしまっていたが、
建物は残っていたとある。

西暦1380年頃:
記録によれば、上野国分寺の全ての建物は崩壊して、荒地になっていたが、

その後は道路などで分断などされずに残っていた。

大正時代:
大正15年(1926年)に国の史跡として認定された。

昭和時代:
昭和55年、群馬県教育委員会による発掘調査が行われた。 

平成時代:
その成果に基づいて史跡公園とするための工事が平成になり行われ、
上野国分寺館の建設、築垣の復元、七重塔の基段の複元、構堂の基段の複元などが行われた。
 ・・・しかし、建築物の復元はまだ行われていない。

今の上野国分寺跡
上野国分寺館  IMG_2009_9569C
復原された築垣  IMG_2009_9561C

七重塔の基壇と榛名山  IMG_2009_9563D
金堂の基壇と赤城山  IMG_2009_9564D
上野国分寺の
パンフレット    

上野国分寺(及び関連した)年賦
西暦 和暦   できごと
538年   仏教が日本に伝来
    宝塔山古墳、蛇穴山古墳 (前橋市総社町総社) が造られる
    山王廃寺(放光寺) (前橋市総社町総社) が建てられる
701年   大宝律令が制定される
741年 天平13年 聖武天皇「国分寺創建の詔」を発し、日本全国に国分寺を建てることを命じた
743年 天平15年 聖武天皇「大仏建立の詔」を発し、大和国分寺(東大寺)に大仏を建立するよう命じた
749年   この頃、上野国分寺が建てられる
752年   東大寺(大和国分寺)が完成、 上野国分寺を修理する
939年   平将門が上野国府を占拠する
1000年   南大門が壊れ、築垣や他の大門も壊れ始める
1108年   浅間山が大噴火、上野国分寺にも灰が積もる
1180年   足利俊綱が上野国府を攻める
1786年   紀行文に上野国分寺の遺跡になったようすが書かれる
1887年   七重の塔の礎石の上に石碑が建てられる
1980年   県教育委員会により発掘調査が始まる
1988年   整備工事が始まる

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