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2015年11月22日 (日)

今「上野国分寺跡」が面白い!

久しぶりに古代史の話題である。
なんかホームに戻ってきたみたいで心が弾む。(o^-^o)
閑話休題。先へ進もう。

「上野国 国分寺」で検索すると,
ウィキペディアの「上野国分寺跡」という項目に行く。
そこに,以下のような記述を見つけた。

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上野国分寺跡

僧寺跡の寺域は東西220メートル・南北235メートルに及ぶ。
伽藍配置は、南北の軸上に中門・金堂・講堂が設けられ、中門と金堂は回廊で接続、
その南西側に塔があるという東大寺式(ただし西塔はなし)と推定される[2]。
現在は、金堂と塔に関しては基壇が整備されている。
ただし平成26年(2014年)の調査で、それまで金堂基壇とした場所の南方から真の金堂基壇が見つかり、
それまでの基壇については見直しの段階にある[3][4]。
また築垣が確認されており、南辺の築垣に関しては復元がなされた。
そのほかの建物に関しては現在も調査・整備が続いている。
周辺からはこれまでに多くの瓦が出土し、郡名・人名が記されたものも多数ある[2]。

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ここで特に興味を引くのは,「ただし平成26年(2014年)の調査で、
それまで金堂基壇とした場所の南方から真の金堂基壇が見つかり、
それまでの基壇については見直しの段階にある」という記述である。
すでに金堂があるのに,あらたに真の金堂基壇が発見されるとは!
前に発見された金堂は「偽の金堂基壇」となってしまうのか?
どちらが「本当の基壇」なのか,いやそれとも両方「本当の基壇」なのか!
(九州王朝の建てたものと,大和政権の建てたものと,両方とも本物いうこと)
そこで,後半に掲載されている参考文献を見てみることにした。
平成26年10月19日・26日 (PDF)には,以下のような記述があり,
多元的「国分寺」論にとっては,ドキドキが高まってくる。

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参考文献

上野国分寺館説明資料

上野国分寺跡発掘調査の現地説明会資料(群馬県教育委員会)

金堂の位置が変わった!

今回の調査で、新たに金堂が発見されました。
この発見により、金堂はこれまでの想定より約40m南の位置に、
塔と並んで建てられていたことが判明しました。
となると、これまで金堂とされていた建物は何だったのか、という問題が浮上してきます。
単純に配置から考えれば講堂ですが、
礎石のつくりが格式が高く、講堂に似つかわしくないという意見もあります。
このことも視野に入れ、来年度調査を検討していきます。

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私としては,これは「両方とも真の基壇」という仮説を提起したいところである。
南北軸の傾きを詳しく知りたい。
また,寺域がやや西偏しているのに,主要伽藍の中心線がやや東偏しているのも気になる。
しかし,「礎石のつくりが格式が高く,講堂に似つかわしくない」という意見もあったという。
職業的誠実さということだと思う。
「おかしいな」と感じてはいるが,多元的な思考がないので先へ進めないのではないか。
もちろん,通説的な立場から言えば,第1次,第2次のものとしたいところだろうが,
もう21世紀になっていることだし,そろそろ多元的「国分寺」論を
認めていただいてもよろしいかと思う。

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