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2015年10月19日 (月)

「古田先生の思い出」その(3)

5月の九州旅行を終えた2ヶ月半後の1991年8月1~6日には,
「邪馬台国」徹底論争シンポジウムに参加した。

場所は,長野県茅野にある昭和薬科大学の「諏訪校舎」(白樺湖の近く)で,
私もプロジェクター係として参加し,吉野ヶ里遺跡出土の銅剣のレプリカを展示し,
もちろんシンポジウム自体も楽しんだ。

九州王朝説に賛成であろうが,反対であろうが,自分の説を主張していいということで,
本だけで名前を知っていた人や芸能人の方の話もたくさん聴くことができた。

本の著者・研究者・・・三木太郎,奥田尚,山尾幸久,白崎昭一郎,谷本茂,
高島忠平,奥野正男,下條信行,藤田友治,壱岐一郎,田中卓,中小路駿逸,
山田宗睦,原田実,戸沢充則等
作家・芸能人・・・小松左京,上岡龍太郎,中山千夏等
ビデオ出演・・・吉本隆明等

私は実行委員の1人としての役割を果たすと共に,
こういう会を主催する意義を感じながら参加していた。
「邪馬台国」論争を無駄にしてはいけない。
みんなで討論し尽して,必ず学問的成果をあげるのだと・・・。
(実際,「木佐発言」(倭国へ訪問した中国人たちは軍事顧問である。
したがって,「魏志」倭人伝はいいかげんな報告などではなく,
皇帝に報告するに値するものであったはず)などの成果があった)

九州王朝説に賛成の人だけでなく,反対の人にも来てもらって討論する。
その志の高さに私は感動した。
数年後生徒会本部が主催して「いじめ討論会」をやったのだが,
このシンポジウムの志を引き継ぎたいという深層心理が働いていたのかもしれない。
(20数名が集まってなかなかいい討論になった。
私はその会の司会を担当し,その記録を生徒会新聞として発行した)

シンポジウムの内容は,翌年から新泉社(討論が中心で3冊)と
駸々堂(論文が中心で厚い1冊)で出版された。

次回は,さらにその年の12月から始まった「共同研究会」(隔月で3年間)についてです。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

「邪馬台国」徹底論争シンポジウムは本当に画期的な試みですね。古田説に賛成の人も反対の人も対等に議論する。従来の学会ではありえませんでした。肥さんはこの歴史的瞬間に実行委員の一人として参加されたのですね。素晴らしい。きっと多くの学問的刺激を受け、熱い息吹を感じられたことでしょう。僕はのちにこのシンポジウムの成果をまとめた新泉社の本を読んで、このシンポジウムの内容を知りました。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

本当に古田さんや〈仮説〉の板倉さんは,すごいことをやられる方なので,
「歴史に立ち会った」と言える場面が少なくないです。
このシンポジウムもそうだし,後日紹介する「和田家文書
(「東日流外三郡誌」等)」をめぐる出来事もそうです。

また,板倉さんは,その著書『歴史の見方考え方』(仮説社)で,
原子論的な考え方を歴史にも取り入れ,
「江戸時代の農民は米を食べていた」という常識破りの論証をしました。
頭で正しいと分かっていても,世の中の賛成を得られるかどうかわからない。
そういう勇気の必要な挑戦ができる人たちに若い頃から接することができたのは,
私の人生にとって本当にラッキーでした。

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