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2015年10月31日 (土)

今週はもう1日ある!

「「管理訪問(11/16)の指導案提出」が月曜日で,
疲れきってのスタートだったのだが,
実は,今週はもう1日ある。
本日(10/31)は,学校公開なのであった。

ちなみに,本日の日程は?

1校時・・・月3~空き時間
2校時・・・月4~学年の合唱リハーサル
3校時・・・月1~空き時間
4校時・・・月2~授業
5校時・・・全校合唱練習会

私は意外と楽な日程であることが判明。
むむむ。これは何かできそうな気が!
(それは,明日の「夢ブログ」で)

2つの合唱は,写真係として働こう。
そして,撮った写真を掲示しよう。

ヒポクラテスの格言の中の「二倍年暦」

昨日は,「ヒポクラテスの格言」について,
古賀さんから突然のコメントをいただき,驚くやら嬉しいやら,
記念すべき「夢ブログ」となりました。

『新・古代学』古田武彦とともに 第7集 2004年 新泉社
「新・古典批判 二倍年暦の世界」

『新・古代学』古田武彦とともに 第8集 2005年 新泉社
「新・古典批判 続・二倍年暦の世界」

以上2つの論文で,東西のたくさんの二倍年暦とおぼしき例を
古賀さんは集めていらっしゃいます。
その研究にまた新たな例を付け加えることができたとすれば,
日頃お世話になっている「恩返し」ができたと言えるかもしれません。
これを機会に,二倍年暦についてもアンテナを張っていなければ・・・
と気持ちを新たにした肥さんなのでした。

かく言う私も,古賀さんの講演に刺激を受けて,国会図書館に出かけたことがあります。
その報告を「新古代学の扉」サイトに載せてもらっていますので,どうぞご覧下さい。

古代戸籍の二倍年暦(「古田史学会報」2004年2月号,NO.60)

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou60/kai06008.html#koseki

参考資料・日本と世界の平均寿命

http://www.geocities.jp/yasuragigogo/nagaiki3.htm

昨日の部活動 10/30

昨日は,3時半~5時半のコマだった。
「金・外」ということで,走るのが中心。
インターロッキングのリレーなどで時間を使った。

本日は,学校公開日。
「弁当日」のため朝練はなく,
午後3時半~5時半,体育館での練習の予定。

2015年10月30日 (金)

ヒポクラテスの格言

大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」から,
「ヒポクラテス」を検索し,
「ヒポクラテスの格言」に至った。
今の私の健康へのアドバイスに満ちた格言であった。
また、医者を教師と置き換えることもできるかもしれない。

ヒポクラテスは約2000年前の古代ギリシャの人で,
西洋医学に影響を与えたところから,
「医学の父」,「医聖」,「疫学の祖」などと呼ばれている。

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【ヒポクラテスの格言】

・「火食は過食に通ず」
・「満腹が原因の病気は空腹によって治る」
・「月に一度断食をすれば病気にならない」
・「病気は神が治し、恩恵は人が受け取る」
・「汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ」
・「人は自然から遠ざかるほど病気に近づく」
・「病気は食事療法と運動によって治療できる」
・「食べ物で治せない病気は、医者でも治せない」
・「人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている」
・「賢者は健康が最大の人間の喜びだと考えるべきだ」
・「病人の概念は存在しても、病気の概念は存在しない」
・「健全なる体を心掛ける者は完全なる排泄を心掛けねばならない」
・「食べ物について知らない人が、どうして人の病気について理解できようか」
・「人間がありのままの自然体で自然の中で生活をすれば120歳まで生きられる」
・「病人に食べさせると、病気を養う事になる。一方、食事を与えなければ、病気は早く治る」
・「人生は短く、術のみちは長い。機会は逸し易く、試みは失敗すること多く、判断は難しい」
・「病気は、人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである」

『空見上げて』の書評が掲載

編集部からメールが届き,
『たの授』11月号に,小川洋著『空見上げて』(仮説社)の書評が
掲載されることがわかった。

このところ『たの授』掲載があまりないので,
ガリ本『肥さんのこの5年~50代後半の仕事』のためにも,
ありがたいことだ。

10月4日に「夢ブログ」に書いたもので,
著者の小川さんにも喜んでいただけると思う。

道徳の出張 10/29

昨日は,午後から,道徳の出張に行ってきた。
小学校の授業で,いつもなら行かないのだが,
南地区担当のものであり,駐車場係&書記として行った。

駐車場係はいっしょにやった中学国語の先生と,
共通の知り合いの加藤先生の話などをした。
また,書記は役員の先生が代わって下さって事無きを得た。

一番大変だったのが,授業と検討会だった。
理由は,私が心身ともに疲れていたからだった。
(今はだいぶ元気を回復しました)

映画「ベトナムの風に吹かれて」

イタリア風レストラン「房ya」で時々お会いするMさんが,
「風に立つライオン」に続いて推薦して下さった作品が,
上記のものである。ぜひ時間を見つけて観に行きたい。

「映画.com」というサイトの解説を転載させていただく。

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ベトナムで日本語教師として働く日本人女性・小松みゆき氏が
認知症の母との暮らしをつづった「越後のBaちゃんベトナムへ行く」を、
フィクションを交えながら松坂慶子主演で映画化した人間ドラマ。

日本で離婚した後に憧れの地ベトナムへ移住し、日本語教師として働いているみさおは、
認知症が進行しはじめた母を義兄が施設に預けようとしていることを知り、
母をベトナムに連れて来ることを決意する。

母は慣れない土地での生活に戸惑いながらも、
ベトナムの人々の温かさに触れるうちに少しずつ笑顔を取り戻していく。
そんなある日、母が思わぬケガを負ったことをきっかけに、
みさおは介護の現実に直面する。

母役に「Shall We ダンス?」の草村礼子。
「ヒポクラテスたち」の大森一樹が監督を務めた。

2015年10月29日 (木)

小中交流(8)

高崎サークルの峯岸さんが,先日「衝動に突き動かされて行動している時は,
たいていのことがうまくいく」というようなことをおっしゃっていたが,
昨日の私がまさしくそうだった。
仮説実験授業とトトロのふるさと基金(財団)の両者から学んだ成果である
授業プラン「狭山丘陵の自然と歴史」を抱え,私は自転車を走らせていた。

025

このプランは,今から15年前に私が作ったものだ。(B6判・23ペ)
しかし,なぜかその後この授業プランはお蔵入り。
わずかに加藤先生(中学社会の先生)によって,総合の時間に行われてきた。
作者としては,それで「満足」していた。

しかし,小中交流の中で,どうしてもこの授業プランをやりたいという「衝動」が起こり,
忙しいなか3クラス100人分以上の印刷と冊子作りも行い,
この日に至ったのだった。

(1) 小学5年の教科書をやることになった苦悩の時期
(2) 内容を授業プリントB4判・4枚に仕上げた修行の時期
(3) ダイオキシンから「もし原」の分子模型への「コペルニクス」的授業展開の時期
そして,昨日の,
(4) 授業プラン「狭山丘陵の自然と歴史」の実施

と事態は「起」「承」「転」「結」という流れで進んできた。

もちろん,満を持しての授業プラン「狭山丘陵の自然と歴史」は,
小学5年の子どもたちの大歓迎を受けることになった。
子どもたちが予想に手をあげ,自分の考えを発表し,正解に歓声をあげ,
という「仮説実験授業的な授業」となったのだった。
(形式としては,イメージ検証授業というのだろうか)
私が尊敬する学年主任のA先生にも「面白かったですよ!」と言っていただけ,
私としては大満足な小中交流の1日となった。
こんな日が来るとは・・・。(うれし涙)

029

5年生たちとの授業はあと1回で,授業プランの残り数問を実施し,
最後はビッグ・プレゼント「GDPボックスの黒板いっぱいの展示」である。
このようにして小学5年生たちとの華々しいお別れをして,その後は・・・
同じ校舎の同じ階にある6年生の教室に通う予定。
(6年生は4クラスあるので,2クラスずつ隔週で行うことになりそう)
そして,ここでも最初は「教科書をやって」と言われるかもしれないが,
「ぜひ卒業前の6年生たちに伝えたい授業がある」と訴えて,
最終的には堀江さんのまとめられたルネ版「日本歴史入門」をやりたいと思っている。
果たして,私の思惑通り行きますか,
ますます「夢ブログ」から目が離せなくなりました!(笑)
ということで,今回の報告を終わります。

オリソン定演2015

昨日,頭慢さんより,上記の案内が送られてきた。
私は何重もの意味でうれしくなった。

(1) オリソンメンバーの「仲間」に加えていただいたこと
(2) 部活動の県大会に次ぎ,またまた11月の楽しみが増えたこと
(3) 「定演2015」ということは,これからも毎年この楽しみが続きそうだということ

オリソン自体は,「埼玉大学オリジナルソング研究会」という組織であるが,
うれしいことにこの組織は,ゆる~く「特別会員」も認めて下さっていて,
私も「愛の世代ズ」とともに加えていただいている。
私としては,こういう柔軟な思考のできる組織が大好きなのだ。

というわけで,11月14日(土),
私はSlow Lifeで開催される「オリソン定演2015」に,
万難を排して参加するつもりである。

2015年10月28日 (水)

大きな仕事と小さな仕事

幼い頃「大きな太鼓と小さな太鼓」
というような題名の歌を聴いたことがある。
なんでこんな歌があるのか知らないが,
妙に心に残るメロディーだった。

♪大きな太鼓 ドーンドーン
小さな太鼓 トントントン
大きな太鼓 小さな太鼓 
ドーンドーン トントントン♪

このところ,大きな仕事に気を奪われていて,
小さな仕事のことを忘れていた。
なにしろ,9月から10月にかけては,
「3つの大きなヤマ」が私に押し寄せてきて,
それをしのぐのが精一杯だったからだ。
そのことはすでに「夢ブログ」に書いた。

その「3つの大きなヤマ」を乗り越えた今,
ふと「大きな仕事」の陰に隠れてやれなかった
「小さな仕事」のことを思い出して,
昨日対処することができた。

(1) 部活動に関する書類
(2) 人事に関する書類
(3) 年末調整に関する書類
(4) ワークの点検150人分
(5) 週末果たせなかった実家訪問
(6) 冬物の一部をアパートからこちらに戻す

昨日の「空き時間」と「年休1時間」でこれらをクリアー!
「小さな仕事」に気がつけて,良かったな!
「小さな仕事も積れば,山となる」!

PS 先ほどインターネット検索をしたところ,
冒頭の歌は,「大きなたいこ」という歌で,
「 小林純一作詞・中田喜直作曲」ということがわかりました。

九州年号と行政表記「評と郡」の証言

九州王朝説を支える有力な証拠の1つが,
517~712年の195年にわたって
連綿と続いていた32個の九州年号である。
それを紹介しておこう。

継体・・・517~521年(5年間)
善記・・・522~525年(4年間)
正和・・・526~530年(5年間)
教到・・・531~535年(5年間)
僧聴・・・536~541年(5年間)
明要・・・541~551年(11年間)
貴楽・・・552~553年(2年間)
法清・・・554~557年(4年間)
兄弟・・・558年(1年間)
蔵和・・・559~563年(5年間)

師安・・・564年(1年間)
和僧・・・565~569年(5年間)
金光・・・570~575年(6年間)
賢接・・・576~580年(5年間)
鏡当・・・581~584年(4年間)
勝照・・・585~588年(4年間)
端政・・・589~593年(5年間)
告貴・・・594~600年(7年間)
願転・・・601~604年(4年間)
光元・・・605~610年(6年間)

定居・・・611~617年(7年間)
倭京・・・618~622年(5年間)
仁王・・・623~634年(12年間)
僧要・・・635~639年(5年間)
命長・・・640~646年(7年間)
常色・・・647~651年(5年間)
白雉・・・652~660年(9年間)◆
白鳳・・・661~683年(23年間)
朱雀・・・684~685年(2年間)
朱鳥・・・686~694年(9年間)◆

大化・・・695~703年(9年間)◆
大長・・・704~712年 (9年間)

日本書紀によると,年号は大化(645)から始まり,
飛び石的に白雉や朱鳥があり,
大宝(701)につながるというのだが
およそ年号というものは「すき間なく続いている」
ことに意義があるのであり,
それでこそ年代のモノサシ足りうるのだ。
その点,日本書紀に出てくる3つの年号は
そもそも「年号」としてのテイをなしていないのである。

また,当時朝鮮半島では高句麗・新羅・百済の国々が
それぞれの年号を持ち,誇っていた。
倭国(九州王朝)が年号を持っていておかしいことはないし,
むしろその支配権を中国に認めてもらおうとした倭国(九州王朝)が
逆に年号を持つことを遠慮していたとしたら
その方が当時の「アジアの常識」としておかしいのだ。

いくつかの年号にふれておく。
全体として「僧聴」「和僧」「金光」「仁王」「僧要」など
仏教の影響が色濃く出ている。
この年号を定めた王朝は深く仏教に帰依していた
ものと思われる。
(九州の仏教受容年代はかなり早い時期のようである)

また,白鳳が23年間と圧倒的に長い。
その前半の白村江の戦いでの敗戦を受け,
長く改元することもままならなかった王朝の
事情が表わされているのではないか。
(実際「薩夜馬」と呼ばれる九州のリーダーが
捕虜になっており,後に送還されてきている)

江戸時代,九州年号については
「邪馬台国」論争とともによく議論されたらしい。
しかし,明治時代になりこれらの年号は
私年号として葬りさられてしまった。

その九州年号を発掘し,歴史の光を当てたのが
古田武彦氏と彼を支持する市民の人たちだったのだ。
九州年号についての最新の研究が
「新古代学の扉」というサイト(古田史学の会)で
見ることができる。
興味のある方はぜひのぞいて見てほしい。

なお,大宝は大和政権が建てた(建元した)最初の年号であり,
それは続日本紀が誇らかに語るものである。
さらに,この続日本紀には,712年に作られた
古事記のことは出てこない。
なぜなら,九州王朝の歴史を取り込んだ日本書紀が作られ,
それが古事記と矛盾する内容であるため,隠されたからである。

以上は,「肥さんの夢ブログ」の前身にあたる
「肥さんのホームページ」に書いたものに
若干の加筆をしたものである。

そして,ONライン(OLD=九州王朝とNEW=大和政権)の画期を,
最もはっきり示すのは,木簡の行政表記である。
700年までは「国・評・里」なのが,
701年からは「国・郡・里」の表記。
真実の歴史は,やがては明らかにされてしまうのである。
(大和政権自らが定めた制度によって,それは明らかにされた!)

また「異常アクセス数」か

200~300という平均アクセス(検索も含む)が,
このところまた乱れ400台や500台,
ついに昨日は700台と「異常アクセス数」を記録している。

なんで「異常」かというと,パソコンでもケータイ・スマホでもない
「その他のデバイス」からのものらしく,
また,ある県が集中しているとアクセス解析の結果がでているからだ。

時間帯は,以下の3時間である。
午後7時台・・・182
午後8時台・・・259
午後9時台・・・93
これだけで,合計534になってしまう。

これが,善意のアクセス数増加なのか,
悪意のアクセス数増加なのか,わからないが,
実質アクセス者数は128(通常100~150)なので正常範囲内で,
700台の「異常アクセス数」だけがアクセスカウンターに加算されてしまうのは,
迷惑なことであり,喜びが半減してしまうのである。

善意の方へは「ひいきの引き倒しとなること」を,
悪意の方には「もっと他にやることがあるのではないかということ」を通告いたします。

2015年10月27日 (火)

最後に,指導案の神,降臨せよ! (3)

昨日,上記の指導案を80部印刷し,
印刷室のダンボール箱に収めてきた。
これで,また1つのヤマを越えた。
本当に9月から10月にかけては,
「ヤマだらけ」だった。

「指導案完成祝い」に記念写真を撮った。
前半が指導案3枚で,後半3枚が添付資料の
授業プラン「狭山丘陵の自然と歴史」である。
どちらに愛着があるかは,ここでは書かない。

028

昨日の部活動 10/26

昨日は,午後3時半~5時半のコマだった。
木下兄コーチにお世話になった。

昨年ジャージとシャツをプレゼントしていただいて
大変ありがたかったのだが,
今年も温かそうなウィンドブレーカーを
いただいてしまいました。
ありがとうございます!
コーチの「赤色」と私の「青色」で,
ペアルックというわけで,
今後ともよろしくお願いいたします。

027

また,一昨日もコーチに
県大会の応援用に机を用意していただきました。
これから新人・春の協会長杯・学総体と,
長期の戦いが続くことが予想されますので,
各地の会場での応援態勢を整えていくことも必要となってきます。
よくオリンピックは「参加することに意義がある」と言いますが,
これからの男バレは「参加するために(だけに)来た訳ではない!
(何回も勝ちに来たのだ!)」と,
胸を張って言えるようにしていきましょう。

2015年10月26日 (月)

「コエ」つながりのオコエ瑠偉選手を応援します!

土曜日に荒川さん(小学校の先生)から,
「オコエが楽天に入りますね!」と言われて,
誰のことか私にはわからなかった。
(引越のため,3月からテレビ,6月から新聞の情報がない)

調べてみたら,すごいことがわかった。
なんとオコエ選手は,私の実家のある東村山出身だったのだ。
(私は,となりの秋津小,二中であった)
しかも「コエ」つながりである。
こいつは応援するしかないぜ!

以下,いくつかのサイトの情報。
野村克也・もと楽天監督も,
俊足・強肩のすごい選手と評価していた。

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オコエ 瑠偉
おこえ るい
背番号:8
関東第一高 3年
外野手(右投右打)
1997年7月21日生まれ
(身長183cm、体重85kg)
経歴所属 東村山ドリーム(軟式)(東京都東村山市秋津東小)
→東村山シニア(硬式)(東京都東村山市東村山第六中)
→東京都関東第一高校

代表歴・Jrトーナメント 2009年読売ジャイアンツJr.

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Q&A

甲子園出場経験~有
野球を始めた年齢~6歳
野球を始めたきっかけ~近所のおじさんに誘われた
高校野球の魅力~最後の最後まで何が起きるかわからないところ
8月26日 大学代表戦への意気込み・楽しみな点~大学生のトップレベルと戦わせてもらえる事
ワールドカップへの意気込み~とにかく優勝
アピールポイント~走・攻・守で攻めるところ

江戸時代の虚像と実像

昨日,竹田美紀子さんから『メールde資料』
第274号(2015.10 .25)を送っていただき,
その中に出てきた以下の資料が刺激的だった。

【2】講演記録(2015.8.23)
  「江戸時代の虚像と実像」
 住本健次【編集:浜野純一】

私たちが江戸時代のイメージとして持っているものは,
けっこう違っているということである。
(私たちが「江戸時代のもの」と思っていた多くの言葉も,
江戸時代のものではなく,明治時代に作られていたということである)
その1つが板倉さんが『原子論的な歴史の見方考え方』で証明した
「農民は米を食べていた」という話なのだが,
それ以外にもたくさんの例が出ていて,
中学社会の教員をしている私としては,
刺激をいっぱいいただけたというワケだ。

いずれ『たの授』にも掲載されると思うが,
とりあえずそういうことがありましたという報告だけ,
「夢ブログ」でさせていただきます。

最後に,指導案の神,降臨せよ! (2)

昨日は,午前中の小中交流(8)のための資料作りに手間取り,
(お昼近くまで掛かってしまった!)
午後も霞ヶ関中との練習試合が4時間入ったので,
指導案について十分な時間をかけられなかった。

しかし,以下の3つのことが進んだので,
「神は,一応降臨してくれた」と言っていいだろう。

(1) 地理と歴史をつなぐ授業ということで
授業プラン「狭山丘陵の自然と歴史」をやる。

(2) 添付資料として,上記プランを縮小コピーで付ける。

(3) 本日の「空き時間」と放課後の学年会の後の時間で,
指導案の続きをやる。(午後7時までには,帰りたいよ~)

霞ヶ関中との練習試合 10/25

昨日は,午後から霞ヶ関中に来ていただいて,
練習試合を行った。
木下兄コーチにお世話になった。

3ー1(25ー11,25ー18,25ー20,18ー25)

双方とも諸事情からベストな状態ではなかったが,
ケガをすることもなく,またさせることもなく,
県大会に向けてのトレーニングができたと思う。

私にとって勉強になったのが,
唯一奪われた第4セットで,
M先生の1年生2人の起用的中と
バックアタックからの2年生の得点力を感じた。
やはり,相手チームの特徴を出させてしまったら,
セットを落とすものだと再認識した。

次の練習試合は,11/1(日)のOBとの強化試合。
その次が,11/3(文化の日)の八王子中に出かけての練習試合である。
そこには新座中も来る。

なお,5日(木)の夕方は,公民館の体育館が5時半から取れているそうなので,
5時に上がって移動する予定。

11/8(日)の県大会まで,ちょうど2週間。
次第にペースを上げていって,ピークが当日に来るように持っていこう!

「古田先生の思い出」その(10)

最後は,「未来」について書こう。
「思い出」という題名で,なんで「未来」のことが出てくるかといえば,
古田先生の確立されたものの発展・継承を考えるからである。

(1) 古田先生を偲(しの)ぶ会

ぜひ3団体(古田史学の会・多元の会・東京古田会)の協力で実現させましょう。
できたら,今年中。遅くとも来年前半には開きたい。

(2) 古代史セミナーの発展・継承

(1)を終えたら,その年の11月から古代史セミナーの復活をしたい。
古田先生はいないけれど,古田先生の残してくれた方法はある。

(3) 多元的「○○」論シリーズの刊行

今古田先生の本の復刊をしてくれているミネルヴァ書房の協力を得て,
ぜひ上記のシリーズを刊行していきたい。
その中に,私も関っている「国分寺」が入ってくれたら言うことはない。

【謝辞】

今回の「古田さんの思い出」シリーズには,
川瀬さんは毎回,ツォータンさんも1回コメントを書いて下さいました。
「夢ブログ」の読者の皆さんにとっても,話が「多元的」になり,
より分かりやすくなったと思います。
どうもありがとうございました。

2015年10月25日 (日)

『たの授』公開編集会議 2015年10月

昨日は,上記の会に参加してきた。
巣鴨の新しい仮説社ではフェア(8%引き)が行われる中,
徒歩1分のところにある喫茶店「ルノアール」の会議室で行われた。(o^-^o)

参加者は,編集部が3人と編集委員が5~6人といったところ。
『たの授』の発行部数も5000部となり,
表紙の変更やグラフが毎号ではなくなる等の話題が出た。

古田さんの話題やGDPボックスの平面グラフ等についてけっこう話したが,
編集部の意向と噛み合わない部分もあった。
「古田さんは,どんな仕事をやった人で,どのように世の中を変えたか」みたいな,
『社会の科学・人名辞典』が必要なのかな?

たとえば,私(わたくし)こと肥さんだとすると,こんな感じか。

「中学社会の教員として,フツーに教科書の授業の進める一方,
板倉聖宣氏の提唱した仮説実験授業を取り入れて授業書を実施したり(1982年~),
肥さんの社会科かるたシリーズ(2000年~)を開発して生徒たちに喜ばれた。
また,古田武彦氏の「多元史観」と呼ばれる研究方法に学び(1989年~),
「〈邪馬台国〉はどこだ!」(1992年)などといった
仮説実験授業と古田史学の「いいとこ取り」をした授業プランを作ったり,
「日本古代ハイウェーは九州王朝が作った軍用道路か?」(2012年)などの論文を書き,
古田史学の発展にも貢献した。
さらに,2005年から「肥さんの夢ブログ」を10年にわたって更新し,
さまざまな分野のたのしいこと・役立ちそうなことの紹介をして,喜ばれた。
「夢ブログ」は,2016年には100万アクセスを達成する見込み。
部活動は,若い頃文化部(写真や社会・科学),逆に40代半ばからは運動部
(バレーボール)を担当し,老体に鞭打って頑張っている。
「私は世の中を変えるような仕事は何もしていないが,
世の中から学んで自らを変革する教師像を示した」と言っているとかいないとか」」(笑)

11月号と同時に国語関係の臨増号がでるとのことで,
そちらも楽しみだ。社会科関係はいつになることやら。(。>0<。)

昨日の部活動 10/24

昨日は,市民バレーの開会式に
男バレ部員の3人と行ってきた。

50チームが参加するというが,
昨日はママさんバレーの試合が行われただけで,
小中学生の試合はなかった。

男バレの試合があるのは,まだ1ヶ月先の11/23(勤労感謝の日)。
対戦相手はもう決まっていて,所沢東とまず行う。
それに勝ては,今度は向陽と富岡の勝者との対戦。
もちろんこれにも勝って,優勝カップを持ち帰りたい。
そうなれば,学総体・新人・市民バレーの三冠達成ということになる。ヽ(´▽`)/

PS 帰りしなに,所沢北高校に寄って,
県大会出場と代表者会議の報告をしてきた。
顧問のO先生も喜んで下さった。

「古田先生の思い出」その(9)

「ミニ・ガリ本」という名称で,
10~20ページの資料を作っていた時期があった。
これらは『肥さんのこの10年~40代の仕事』というガリ本を作る時,
大いに役に立った。

そのスタートのシリーズで,川瀬さんらにコメントをいただいた。
川瀬さんのコメントには,私の間違いやあいまいさを厳しく指摘するものもあり,
「あー,またやっちまったか!」と思う時もあるのだが,
これは学問に対する誠実な態度であり,最後には私を成長させることにつながると,
ありがたく思っています。今後ともよろしくお願いいたします。

では,10回以上に渡る連載のラインナップを紹介いたします。
これらは今,ミネルヴァ書房から増補・復刊しているので,
ぜひまだお読みでない方はチャレンジしてみて下さい。
教科書では学べなかった「本当の歴史」が学べると思います。
また旧著をお読みの方も,増補部分がうれしいですよ!

(1) 私にとっての古田本シリーズ 2007.02.10
(2) 私にとっての『「邪馬台国」はなかった』 2007.02.11
(3) 私にとっての『失われた九州王朝』 2007.02.12
(4) 私にとっての『盗まれた神話』 2007.02.13
(5) 私にとっての「古代は輝いていたシリーズ」 2007.02.14
(6) 「古代は輝いていた」(2)~室見川の銘版 2007.02.15
(7) 「古代は輝いていた」(3)~鈴文明圏 2007.02.16
(8) 私にとっての『関東に大王あり』 2007.02.17
(9) 私にとっての『真実の東北王朝』(1) 2007.02.18
(10) 私にとっての『真実の東北王朝』(2) 2007.02.19
(11) 私にとっての『よみがえる九州王朝』 2007.02.20
(12) 私にとっての『「君が代」は九州王朝の讃歌』 2007.02.21
(13) 私と古田史学のかかわり 2007.02.22

次回は,古田先生なき後の「未来」についてである。
古田先生自身も心配しておられたように思うが,
念願の研究の書『俾弥呼ひみか』や
自伝『真実に悔いなし』を書き上げられ,
ミネルヴァ書房から次々と著書が復刊され,増補もできたので,
あとは残された私たちの研究体制かと思う。

楽天が新人9名を指名する

今季は最下位だっただけに,
新人選手の頑張りが期待される。
どうぞよろしく!

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【2015年ドラフト会議】「契約交渉権獲得」選手

1位 オコエ 瑠偉 (外野手) 関東一高

2位 吉持 亮汰 (内野手) 大商大

3位 茂木 栄五郎 (内野手) 早稲田大

4位 堀内 謙伍 (捕手) 静岡高

5位 石橋 良太 (投手) Honda

6位 足立 祐一 (捕手) パナソニック

7位 村林 一輝 (内野手) 大塚高

育成1位 出口 匠 (内野手) 学法津田学園

育成2位 山田 大樹 (内野手) 菰野高

2015年10月24日 (土)

最後に,指導案の神,降臨せよ!

【御礼】

昨日は,仮眠をうまく使って,
採点の神に降臨していただいた!
ありがとうございます。
お陰様で,2日目のテスト教科だったのに,
4クラスのテスト返しができました。

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バレーの神,テストの神,採点の神に助けられて,
なんとかここまでやってきた。
最後に4つ目の神の降臨をお願いしたい。
指導案の神である。
11/16(月)の管理訪問のための指導案を,
月曜日に提出しなければならない。
しかし,本日は『たの授』公開編集会議にも行きたいし,
仮説社フェアにも寄りたい。
また,明日は午後霞ヶ関中が練習試合に来るので,
その時間帯はやれない。
ということで,最後のお願いです。
指導案の神,降臨せよ!

「四つのお願い」という歌もあるのだから,
4番目もお願いしますネ!

昨日の部活動 10/23

昨日は,午後4時半~5時半のコマだった。
生徒たちが自分たちで練習した。
私はユニフォームの用意をして,
すぐに持って帰れるようにした。

県大会に選手として出る人は,300円必要です。
(12名中7名出ました。あと5名です)

庁務手の方が,うれしいことを言って下さった。
「男バレの活動の日は,体育館の戸締りがよくできていて助かります」
こういう言葉をいつもいただける部でありたいものだ。

本日・・・
市民バレーの開会式の参加者は,午前7時半に自転車で正門前に集合。
(雨の時は,下山口駅)
その他のメンバーは,11~14時に体育館に集合。

明日・・・
午後1~5時に体育館。霞ヶ関中との再度の練習試合を行う。

「古田先生の思い出」その(8)

今回は少々趣きを変えて,私が書いた「論文」と
私が作った「授業プラン」を紹介させていただく。
もちろん古代史についてのものである。
これらには,古田先生の本の影響を直接受けたもの,
間接的なものが混在しているが,
いずれにしても古田先生がいなければ,また交流がなければ,
書けなかったものばかりである。
もしよろしければ,実際に手にとって読んでいただければ幸いである。
まずは,「論文」から紹介しよう。

1.「古代史と教育」
(「多元NO.40,2000-12」)
【多元的古代研究会・関東の例会で,
私が行った北九州旅行の報告と中学校における
歴史教育について話した内容をまとめたものです】

2.「二倍年暦の実例になるか?」
(「多元NO.41,2001-2」)
【滝沢馬琴が書いた『玄同放言』という本の中に
出てくる194歳の老人(三河国の満平)は
二倍年暦で歳を数えていたのではないかと
論じたものです】

3.「続報「二倍年暦の実例になるか?」」
(「多元NO.49,2002-5」)
【パソコンで検索して「百姓満平の長寿話」という
論文を書かれていた豊川市のお医者さんと連絡がとれ,
調査が少し前進したという報告です】

4.「古代戸籍の二倍年暦」
(「古田史学会報NO.60,2004-2」)
【「平安遺文」の中から「二倍年暦」に該当しそうな
ケースをさがしたもの。国会図書館に1日カンヅメ!】

5.「『徹底検証「新しい歴史教科書」』の紹介」
(「多元NO.76,2006-11」)
【川瀬健一さんの著作の紹介。新しい歴史教科書の
古代史編を古田説を使って批判している】

6.「房総半島から八丈島が見えた!」
(「多元」NO.77,2007-1)
【楽家の旅行の折,沖合い190キロの八丈島が
前夜の嵐のために見えた!その感動をもとに書いた。
博多から朝鮮半島も,ほぼ同じ距離というところがミソ】

7.「日本古代ハイウェーは,九州王朝が作った軍用道路か?」
(「古田史学会報NO.108,2012ー2」)
【全長6300キロ,幅12メートルの高速道路が,
古代に作られていた。誰が,何のために作ったのかを,
古田説の立場から論じたもの。ちょっぴり自信作です】

次に,「授業プラン」を1つ。

「〈邪馬台国〉はどこだ!」
(1992年作成)
【私が〈仮説〉と古田史学から学んだ成果を,
古代史の授業プランにまとめたもの。私は『日本古代新史』を読んで,
こり授業プランを作ったが,その下敷きになっているのは,
『ここに古代王朝ありき』のようである。
概要は,魏志倭人伝の中に出てくる弥生時代の文物が,
考古学によってどこで多く発掘されているかを問う4つの問題からなる。
銅鏡,青銅器の武器,鉄器,絹。たった4つの文物を,
北九州が多いか,大和が多いか,その他が多いか予想していくだけで,
古代史研究が中学生にもできるというところがセールスポイントである。
もし授業にかけてみたいという方がいれば,送らせていただきます。
私の作った授業プランの中で,もっとも多くの人に追試していただけ,
もっともご好評をいただいているものです】

ということで,今回はコマーシャル的な話が多くなりました。
次回は,8年ほど前にこの「夢ブログ」に10回ほど連載した
「私にとっての古田本」シリーズの話を書く予定です。
あの時も川瀬さんには,お世話になりました。

2015年10月23日 (金)

採点の神,降臨せよ!


中間テストが終わって,部活再開。
しかし,ここから「先生たちの中間テスト」が始まる。
テストの採点のことである。

今回は「テスト2日目」ということもあり,
「次の日に全クラス返す」というのは無理。
事情により,2クラスだけ返すという形になりそうだ。

では,これから採点に取り掛かります。
採点の神,降臨せよ!

昨日の部活動 10/22

昨日は,午後4時半~5時半のコマだった。
木下兄コーチにお世話になった。

新人戦に勝ち残っているということで,
県大会まで+30分の活動が許されている。
他の部は30分のところが,男バレは1時間。
これはたいへん助かる。

久しぶりにバレーボールを扱う喜びと,
トーナメントの良い位置にエントリーされた高揚感に心も弾むといった調子。
コーチもさっそく県大会までの細かいスケジュールを立てて下さった。

11月8日までの約2週間,ケガのないように過ごし,
調子を上げていって,これまでにない成果を残そう!

【今後の予定】

23日(金)・・・体育館での放課後練習。
24日(土)・・・部長・副部長は市民バレーの開会式に参加。
その後,11~14時,体育館練習。
25日(日)・・・午後1~5時,霞ヶ関中が来校。練習試合。

11月3日(文化の日)・・・八王子中へ。
午前8時半~午後1時,八王子中・新座中と3校で練習試合。

「古田先生の思い出」その(7)

「肥さんの「多元的古代」通信」というものを,
1990年から1996年まで60号ほど発行していた。

体裁は,B5判で4ページ。(時により,増ページ)
ファックスの原稿用紙の「5ミリ方眼」に,
黒のボールペンで書いていくのがお決まりである。

古田先生の著書を渉猟(しょうりょう)する中で,
ほかの人にもその存在を知らせたいと思い,
「“多元的古代”の文献紹介~古田武彦氏を中心として」
という資料を作った。
それの延長として,資料を作っているうちに,
講演会の時の覚え書きとして,旅行の報告用として,
多元的古代に関する記事などを載せてみようと思った訳である。
(この7年間の古田先生の講演内容や旅行での様子が出てきます)

今だったら,パソコンでブログを書くみたいなことだが,
その頃は「こてこてのアナログ派」で,学級通信はもちろん,
職員会議の提案も手書きでやっていたから,
手書きの通信を発行するということは自然なことだったのだ。

それらは,今,『ぼちぼちいこか』『レッツ・ゴー3組』
『肥さんのー「多元的古代」通信』『5組 かわら版』の
4冊のガリ本に収録して,あなたに読まれるのを待っている。
ぜひご注文下さい。郵送費を出していただければ無料で~す。
(古代史の関係が半分,教育実践(〈仮説〉など)が半分)

次回は,これまで書いてきた「論文」と作ってきた「授業プラン」についてです。

2015年10月22日 (木)

バレーの神様,テストの神様

だいぶ前に「トイレの神様」のことが話題になったが,
一昨日のバレーの神様に続いて,昨日はテストの神様が降臨!
1行もできていなかった中間テストが,約3時間で完成した。

本当はこんな曲芸のような自転車操業はしたくないのだが,
何しろ,昨日の「次のヤマ」で書いたように多忙な毎日で,
いろいろな神様の降臨をお願いしなければならない。

その点わが国には「八百万(やおよろず)の神」がいらっしゃるから,
せいぜい分業して仕事をしていただこう。(本当?)
「困った時の神頼み」である。
次は,採点の神様と指導案作成の神様の降臨をお願いします!

その代わり,バレーの神様やテストの神様に見放されないように,
私なりの努力はしたいと思いますよ。

社会科サークル 2015年10月

昨日は,上記の例会に参加した。
参加者は,大石さん,山田裕さん,宮崎さん,森田さん,
宮澤さん,荻原さん,本田さんと私の8名だった。

メイン報告は,山田裕さんの「戦争展28年」。
石の上にも3年というが,28年の所沢・戦争展を
20年以上支えてきた山田さんの報告には説得力がある。
今年はお盆と時期が重なったため,700人にとどまったが,
例年だと1000人以上が集まるという。

報告はいつしか韓国についてのこととなり,
明治期に日本の軍部が起こした事件についての話となった。
私も韓国旅行にご一緒したことがあるが,
山田さんの韓国や台湾の知識は素晴らしいものがある。
またいつか,ご一緒して勉強してきたい。

若手の2人にそれぞれお子さんが誕生し,
みんなでお祝いをした。

例会後は,懇親会。4人が参加した。
いつも行くチェーン店が諸事情でだめだということで,
私のお気に入りの居酒屋「3丁目の夕日」にご招待。
ちょうどMさんが美味しいものを仕入れてきたという留守電が
私の自宅にかかって来ていたので,一石二鳥となった。
店の雰囲気と出される料理は,かなり気に入っていただけたと思う。

「戦争法案」,「道徳の教科化」,「教育現場でのパワハラ」等,
巷(ちまた)には暗いニュースも多いが,
すべては後世の歴史が,何が正しかったかを証明してくれるであろう。
今は,学んで,語って,呑んで,笑って,ストレス発散することが大切な時だ。

古田先生の思い出」その(6)

2004年から始まった古代史セミナーに,
私は3回目の2006年から参加した(9回参加)。
第1回から参加しなかったのは,かえすがえすも残念だが,
その内容が難しそうに思えたからであった。
会場は,八王子の大学セミナーハウス。
だいたい11月の初旬に1泊2日で行われた。

なにしろ,1泊2日古田先生を独占し,
昼間の講演はもちろん,夜の懇親会も講演が半分あり,
先生の最新の研究の話が聞ける。
参加者との質疑応答も山ほどあって,それへの回答も勉強になった。
時々おしかりを頂戴する質問者もいたけれど,
古田先生の人柄を表すものとして記憶している。

2006年・・・初めて参加する
2007年
2008年・・・「寛政原本」の出現
2009年・・・県大会からトンボ帰り。この年からパソコンでの報告を始める
2010年・・・県大会のため夕食から参加。
2011年・・・これまで最高の84名(うち,初参加の人が19名)が参加
2012年・・・勇気をだして「古代ハイウェー」を発表
2013年・・・98名が参加。伊勢神宮の始期について質問する
2014年・・・最終回とのうわさもあって,120人が参加する

「これから私も発表したり,質問したりすることができる」と思っていたら,
2014年で終わりになるということで残念無念。
これまでの古代史セミナーの内容は,『古田武彦が語る多元史観』にまとめられ,
ミネルヴァ書房より刊行された。
もう古田先生はいらっしゃらないが,釈迦の弟子たちの集まりが昔あったように,
多元的古代の研究者の集まりとして,また大学セミナーハウスに集いたいものだ。

次回は,私が発行していた「肥さんのー「多元的古代」通信」というものについてである。

2015年10月21日 (水)

次のヤマ

次のヤマが,今日からの6日間である。

21日(水)・・・テスト第1日。放課後,テスト問題を作る。
        夜,社会科サークルの例会に参加
22日(木)・・・テスト第2日。社会科は,その3時間目。
        部活再開。テストの採点
23日(金)・・・テスト返しと授業
24日(土)・・・朝から,ひたすらテストの採点。
        部活はK先生にお願いして,午後『たの授』公開編集会議(巣鴨)へ        
25日(日)・・・朝から11/16の研究授業の指導案作り。
        午後は,霞ヶ関中が来校して練習試合
26日(月)・・・授業ももちろんあるが,帰りまでに,指導案の提出

これは無理だ。忙しすぎる。倒れる。
授業の準備は,あと2~3時間ストックがあるので,
1日1クラスのテスト返しにして,あとは授業をしよう。
何時間もかかる指導案作りもあるのだから。

なにしろ一番怖いのは,自分が過労で倒れることである。
学年の先生の負担も増やすことになる。
「健康第一」という基本方針を貫こう!

「古田先生の思い出」その(5)

和田家文書(「東日流=つがる外三郡誌」等)をめぐる議論で,
市民の古代研究会は解体され,あらたに古田氏を支持する団体
「多元的古代研究会・関東」と「古田史学の会」が作られ,
「東京古田会」とともに3つの連合となった。。

私はおもに,「多元的古代研究会・関東」で活動した。
今は「古田史学の会」の古賀さんと親しくさせていただいているが,
「東京古田会」も含め,3つの広報紙は,今でも継続して読んでいる。(どれも隔月刊)
古田先生も内容を書き分けて,この3紙に論文を掲載。
それがある程度まとまると本として出版されるという仕組みだ。

さて,和田家文書の話だが,これは青森県の話でもある。
この県は「津軽藩の勢力」と「南部藩の勢力」が対立しており,
そのあおりを受けて「和田家文書が偽書扱いされる」という構図を取っている。
その当時の所有者であった和田喜八郎氏と古田先生が懇意にしたところ,
反対勢力の側から「偽書」を「偽書扱い」しない
不埒(ふらち)な研究者として攻撃されたのである。
本来の意味で言えば,日本書紀こそ歴史を改ざんしている
「偽書中の偽書」(偽書のチャンピオン)なのだと考えるが,
通説がそれに従い,教科書もそれを下敷きに書かれるのだから,
なんとも難しい問題なのである。

私は1995年に,古田さんや多元的古代・関東の方たちと
「青森遺跡巡りの旅」に行っている。(7/28~30)
石塔山神社も訪問し,和田喜八郎氏とも懇親会をした。
しかし,あのような「偽書を大量生産する人」には見えなかった。
むしろ,偽書扱いされて困惑し,孫へのいじめにも心をいため,
誰を信じていいか困っているおじいさんという印象だった。
(その人も古田さんだけには,心を許しているようだった)

なかなか出現しない「寛政原本」(著者の秋田孝季=
たかすえの書いたもの)を首を長くして待ちながらも,
1995年には『新古代学』という和田家文書解明のための雑誌も出され,
研究は着実に続いていった。(この機関誌は,2005年までに8号出された)

その後,2006年からは古田先生自身の編集による『なかった』の創刊(6号まで発行)となる。
その中でついに2008年,寛政原本の出現をみた。
ちょうど古代史セミナーの開かれる時期で,たくさんの参加者の人たちとともに感激を味わった。

これらの和田家文書は,現在,多元的古代・関東などのサイトで閲覧することができる。
秋田孝季,和田家文書を写本した和田家の人々,和田喜八郎氏などの筆跡の違いが,
これを見ればよくわかると思う。

ТAGEN

http://www.tagenteki-kodai.jp/

次回は,大学セミナーで11年間開かれてきた「古代史セミナー」についてです。
私も,第3回から9回連続で参加しました。

2015年10月20日 (火)

速報!「初戦の相手は,秩父一中」

本日「代表者会議」に行ってきた。
会場は,上尾市民体育館だった。

往きはソフト部の顧問・K先生に,
帰りは霞ヶ関中のM先生に車で送っていただいた。

抽選の結果は・・・?
なかなか良い位置を取れたと思う。

(1) 四隅から離れている
(2) 坂戸桜とも,準決勝まで当たらない。
(3) 四隅の学校と当たるのは,準々決勝の熊谷東が最初。
こんな良いクジ,引こうと思ってもなかなか引けないよ。

初戦の相手は,第2試合の秩父一中である。
まずこの学校を破って,勢いに乗ろう。
次の相手は,さいたま大砂土。
それも破れば,次は2日目の試合。
春日部豊野とさいたま土合の勝者だ。

くわしくは,埼玉・中体連「バレーボール」のホームページを。

なお,アスカル幸手は駐車場が広いので,
駐車券は必要ないだろうとのことでした。

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その場に居合わせた顧問の先生たちと
練習試合の相談をした。

25日(日)・・・霞ヶ関中がまた来ることに。
あちらも漢検でベストではないが,
こちらもテスト2日後ということで,
県大会に向けての「慣らし運転」に。

11月3日(文化の日)・・・午前中に八王子中に行く。
8時半~13時。弁当を持っていきます。
早朝の試合に慣れる。八王子中と新座中と練習試合。
(木崎中とは,またも日程が合わなくなった)

夢は実現しないとネ!

平野さんへ みなさんへ
埼玉の肥沼です。

GDPボックスのことでは,大変お世話になっております。
先日,平野さんからいただいた「平面版」を生徒たちにプレゼントしたところ,
とても喜んでくれました!(o^-^o)
さっそくノートに貼り,生徒たちの宝物になりそうです。

『歴史地理教育』誌(地歴社)の原稿(授業書《世界の国ぐに》と
GDPボックスを活用した授業記録)の方もなんとか書けたので,
次はガリ本『ケント紙でGDPボックスを作ろう』(仮称)に
取りかかっていきたいと思っています。
夢は実現しないとネ!

(たの社MLでのやり取りから)

「古田先生の思い出」その(4)

さらにその年(1991年)の12月から「共同研究会」が始まった。
(隔月で,1993年10月までの3年間続く)
会場は文京区民センターの会議室で,古田武彦氏講演会でもよく使うところ。
地下鉄の後楽園駅から徒歩10分という場所にある。

旧勢力である九州王朝を,新勢力である大和政権が,
(OLDとNEWなので,「ONライン」と呼んだ)
どの時点で逆転したかというのが中心的な課題であった。

従来,大化の改新(645年)を重視してきたが,
どうもそうではないらしい。
「評」から「郡」に行政呼称が変化するのは700年と701年だし,
九州年号も700年ぐらいまで続くし(大宝は701年からだし),
55年間歴史がずらされているらしいのだ。
(日本書紀による歴史の改竄=かいざん)

難しい論文がテキストの時は,うとうとしてしまったりするが,
(なにしろ仕事が終わってからの研究会である)
歴史研究の最先端のことをやっているという自負はあった。

古田先生はもうすでに多くの著書を書いておられたが,
ONラインの決定で勝負(いわゆる「勝負」ではないが)をつけようと
したのかもしれなかった。(そのへんはよくわからない)

そんな中,八女での講演会で,九州王朝家の子孫である
松延(まつのぶ)さんと稲員(いなかず)さんが名乗り出るなどの朗報もあった。

しかしその後,和田家文書をめぐり,市民の古代研究会が分裂する事態になった。
古田先生をあくまで中心にして多元史観で研究していこうとする人たちと,
他の研究者と同列に扱っていこうとする人たちの2つに分かれることとなったのだ。
私は両方の側に懇意にしていた人がいたので,心を切り裂かれる思いがした。
これは研究ではない,政治闘争になってしまっていると思った。
どちらも正論を主張している。敵か味方かという議論になってしまってはまずい。
当時発行していた「肥さんのー「多元的古代」通信 33号」には,
「最近の動きについての個人的見解」と題して,写真のようなことを書きとめている。

026

次回は,和田家文書(「東日流=つがる外三郡誌」等)をめぐる議論についての話をする予定です。

「アフリカを覚えよう」プリント

世界の200ほどの国のうち,
約4分の1がアフリカ諸国である。
それなのに,アフリカについて
国の名前と場所があまりよくわからない。

そこで,上記のプリントを作ってみた。
といっても,白地図を印刷して,
(1) 今知っている国を記入する
(2) 覚えておきたい国を30以上記入する

ということで,過半数の国を記入することになるのだが,
毎回授業の最初に国探しを10問ずつやっている成果か,
ほとんどの生徒がほとんどの国を記入していた。
ちょっとうれしい1コマだった。

このプリントは,日付けゴム印を押して,
ノートの後ろに貼るように指示して,すぐに返却した。

2015年10月19日 (月)

88万アクセス達成!

「本日中に88万アクセス達成」という記事を考えていたら,
なんと先ほど(19日の午前0時30分)達成してしまいました!
読者の皆様のご愛読に感謝いたします。m●m

2005年に開設した「肥さんの夢ブログ」は,現在11年目を迎えています。
「定年までに100万アクセス」を合言葉にやってきましたが,
それも遠い夢ではなくなりつつあります。

今後も,数だけでなく,中身の充実をめざします。
ご愛読よろしくお願いいたします。
(そして,時にはコメントを!)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2000年~ 肥さんのメールマガジン(終了。仮説・古代史・部活動等)
2003年~ 肥さんのホームページ(更新はできないが,閲覧できます)
2005年~ 肥さんの夢ブログ(毎日更新しています)

授業プラン〈狭山丘陵の自然と歴史〉(2)

昨日学校に行き,「善は急げ」とばかり
上記の印刷をした。

120部・・・小中交流用
30部・・・サークル等での学習用

とりあえず,後者の30部だけホチキスでとじた。
小中交流はまだ1週間以上あるので,
時間を見つけてとじる予定。

025


「古田先生の思い出」その(3)

5月の九州旅行を終えた2ヶ月半後の1991年8月1~6日には,
「邪馬台国」徹底論争シンポジウムに参加した。

場所は,長野県茅野にある昭和薬科大学の「諏訪校舎」(白樺湖の近く)で,
私もプロジェクター係として参加し,吉野ヶ里遺跡出土の銅剣のレプリカを展示し,
もちろんシンポジウム自体も楽しんだ。

九州王朝説に賛成であろうが,反対であろうが,自分の説を主張していいということで,
本だけで名前を知っていた人や芸能人の方の話もたくさん聴くことができた。

本の著者・研究者・・・三木太郎,奥田尚,山尾幸久,白崎昭一郎,谷本茂,
高島忠平,奥野正男,下條信行,藤田友治,壱岐一郎,田中卓,中小路駿逸,
山田宗睦,原田実,戸沢充則等
作家・芸能人・・・小松左京,上岡龍太郎,中山千夏等
ビデオ出演・・・吉本隆明等

私は実行委員の1人としての役割を果たすと共に,
こういう会を主催する意義を感じながら参加していた。
「邪馬台国」論争を無駄にしてはいけない。
みんなで討論し尽して,必ず学問的成果をあげるのだと・・・。
(実際,「木佐発言」(倭国へ訪問した中国人たちは軍事顧問である。
したがって,「魏志」倭人伝はいいかげんな報告などではなく,
皇帝に報告するに値するものであったはず)などの成果があった)

九州王朝説に賛成の人だけでなく,反対の人にも来てもらって討論する。
その志の高さに私は感動した。
数年後生徒会本部が主催して「いじめ討論会」をやったのだが,
このシンポジウムの志を引き継ぎたいという深層心理が働いていたのかもしれない。
(20数名が集まってなかなかいい討論になった。
私はその会の司会を担当し,その記録を生徒会新聞として発行した)

シンポジウムの内容は,翌年から新泉社(討論が中心で3冊)と
駸々堂(論文が中心で厚い1冊)で出版された。

次回は,さらにその年の12月から始まった「共同研究会」(隔月で3年間)についてです。

レッド・アイ

レッド・アイという飲み物をご存知だろうか。
若い人なら知っているらしいが,
私は「昔の若い人」なので知らなかった。

房yaでこれを注文している若いカップルがいたので,
Yさんに質問したところ,それだと判明した。

以下,フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

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レッド・アイ

レッド・アイ (Red Eye) とは、ビールベースのカクテル。
ピルスナースタイルのビールに
トマト・ジュースを加えたもので、赤色のカクテル。
やや大きめの細長いグラスで出されることが多い[2]。
スライスしたレモンが添えられていることもある。

アルコール度数が低くビールの苦味が抑えられるので、
ビールが苦手な人でも飲みやすいと言われている。
これにウォッカを加えたものがレッド・バードとなる。

2012年アサヒビールが「アサヒ レッドアイ」として商品化している[3]。

毎月10日は、レッドアイの日である
(2014年10月10日、レッドアイ推進委員会が制定)。
10月10日のトマトの日から派生。
0(レ)10(ド)の語呂合わせ、
10が横にすると目(EYE)に見えることに由来している。

由来

名前の由来で一般的に良く言われているのは、
二日酔いで目が赤くなったような人が
好んで飲んでいたからだという説(迎え酒のようなもの。)[4]。

また、元々は生卵を割り入れるカクテルで、
グラスの底から卵黄が見えて赤い目のように見えるのが
名前の由来であるという説もある。
トム・クルーズ主演の映画「カクテル」がそれにあたり、
劇中、店の開店前にバーのマスター(ダグラス)が、
ビアマグにビールとトマト・ジュースを注ぎ、
さらにタバスコやコショウ、ウスターソースを加え、
それをかき混ぜたところに「生卵」を割り入れて
「バーテンダーの朝食だ」と言ってトム・クルーズに差し出すシーンがある。
この時のセリフで「世の中には生卵を割り入れずに
レッド・アイを出すアホが多いが、
卵を入れなきゃ『赤い目』にならない。
やつらは、赤い目をしている時に飲むから
レッド・アイだと思っているけれど、
こいつを見れば真実は明らかだ」という言葉が有名であるが
実際の作中ではダグラスの人生哲学を話しているだけで
彼の口からは言われてはいない。
これは、二日酔いで食欲のない時に
迎え酒と栄養補給を兼ねて飲むカクテルで、
スパイスの刺激で気分が悪くても飲みやすくなっている。

2015年10月18日 (日)

授業プラン〈狭山丘陵の自然と歴史〉

上記の授業プランを私が作ったのは,もう15年前のことだ。
(B6判・23ページのミニ冊子である)
その授業評価が「引越荷物」の整理の中で出てきたので,
ここに書いておこうと思う。。

「たのしさ・わかりやすさ」の2つを同時に聞いている。
(5クラスの合計156人中で)

5・・・44人
4・・・90人
3・・・20人
2・・・2人
1・・・なし

今考えると,すごく高い評価であった。
しかし,この授業プランをその後私はなぜか活用せず,
実施回数は加藤先生(中学社会)の方が圧倒的に多い。

活用しなかった理由としては,
あるクラス(たぶん担任クラス)での評価が
あまり良くなかった(「3」が11人,「2」が2人いた)ので,
ショックだったのだろうと思う。
(私も「若かった」ということです)

5クラス計なら気にならないし,
そのクラス以外の計は,
「38ー76ー9ー0ー0」
という驚異的評価だったのにね!

授業プラン〈「邪馬台国」はどこだ!〉のように,
また製本してみよう。

飯能・日高サークル 2015年10月

昨日は,上記の会に参加した。
会場は,飯能市立富士見公民館。
参加者は,丸屋さん,佐藤さん,原さん,藤原さん,私の5名。

内容は,先日ノーベル物理学賞をもらった梶田さんの
兄弟子にあたる戸塚さんについてのビデオ鑑賞。
私の持っていった5つの資料(『歴史地理教育』誌の原稿,
平面GDPボックス図(平野隆昭さん作),小中交流その後,
「もし原」色ぬり用プリント,世界の気候かるた)であった。

例会後は,いつもの「山葵(わさび)」で懇親会を行った。


「古田先生の思い出」その(2)

初めて古田先生とお話しできたのは,
三省堂が企画した「邪馬壹国探訪の旅(2泊3日)」だったと思う。
(1991年5月17~19日)

空路福岡入りして,バスで3日間,
九州王朝関係の遺跡を廻るというぜいたくな旅行である。
志賀島,太宰府政庁,天満宮,須玖岡本遺跡,
井原(いわら)遺跡,平原(ひらばる)遺跡,高祖山神社,
細石(さざれいし)神社,吉野ヶ里遺跡,岩戸山古墳にも行った。
(地元では「太宰府」を使っているのに,行政施設は
日本書紀ばりの「大宰府」を使っているのにも驚いた)

何が一番ぜいたくかというと,全行程古田先生の解説付きなのである。
(移動のバスの中でもミニ講演会。なんとパワフルな方!)
そして,疑問に思ったことや発見したと思ったことを
古田先生に直接お話し,すぐにコメントをいただける。
これで古代史が好きにならなかったらウソである。
私も何回も質問し,「発見」を報告して答えていただいた。
たいてい古田先生は,「それはいいところに目をつけましたね。
さらに深めて論証して下さい」とか「文献と考古学との対応はどうでしょう」とか,
「それは私にもわかりません」(知ったかぶりしない)という形で,
その気さくなやりとりは,学ぶ者の知的好奇心をさらに刺激する
有益な言葉が多かったように思う。

旅行用に持っていった古田武彦著『古代史ー60の証言ー九州の真実』に,
初めてのサインをいただいたのを「家宝」としている。

024

後日,出版されたばかりの『九州王朝の歴史学』も,
サイン入りで参加者にプレゼントして下さった。

023

次回は,昭和薬科大学の山荘で行われた5日間のシンポジウムの話です。

牧衷さんも亡くなっていた

岩波映画の方で,
仮説実験授業研究会の人たちにも知られていた 牧衷さんが,
13日に亡くなったそうだ。
仮説社(巣鴨)を訪問した時,それを知った。

翌日には古田武彦さんが亡くなったことはすでに書いた。
私に大きな影響を与えた「戦後精神」(牧さんの造語?)のお二人が
相次いで逝かれてしまった。

仮説社(巣鴨)への初訪問

昨日の午前中,仮説社(巣鴨)への初訪問を行った。
23~25日の仮説社フェア&
公開編集会議でもよかったが,
なんとなくぶらりと行ってみたかったのだ。

JR巣鴨駅南口より徒歩2分。
写真の真ん中の黒っぽいビルの3階だ。
まだ仮説社の看板はないので,
稲門学舎(学習塾。「とうもんがくしゃ」と読む)
の看板をたよりに訪問した。

020

面積は狭くなったそうだが,
うなぎの寝床のようなL字型の前社屋とは違って,
四角形なので,広く感じた。
売り場も明るくていい感じ。
書棚が移動できるようになっていて,
会合の時にはそれを動かしてスペースを作るらしい。

021

昨日の買い物は,「分子かるたモルカ」。
私はもう6組持っているのだが,
下の一覧表がおまけに付いているというので,
もう1組買ってしまった。
なかなかいい感じでしょ!

022


2015年10月17日 (土)

『歴史地理教育』誌の原稿(3稿)ができる

「2稿」を編集部にお送りしたところ,
重要な指摘をしていただき,修正したものが本稿です。
より内容を伝わりやすくしていただき,
編集部に感謝いたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

仮説実験授業の授業書《世界の国ぐに》と
立体教材「GDPボックス」を使った6時間

はじめに 
中学一年で出会う世界地理は、社会科を好きになっ
てもらうという意味で、大変重要な位置を占めている。
その点仮説実験授業には、授業書《世界の国ぐに》
というピッタリの授業プランがあり、それと伴走するかの
ように開発された立体教材の「GDPボックス」があって、
とてもたのしい授業が期待できる単元である。
(GDPボックスとは、発砲スチロールあるいはケント紙で
作られた立体教材で、 底面積がその国の人口を表し、
体積がその国のGDPを表し、高さがその国の一人当
たりのGDPを表すというスグレモノなのである)

 これまで、この立体教材を「ブロックス」と呼び、生徒
たちにもそう紹介してきたが、これを開発した「楽ちん
研究会」(秋田総一郎さん、小出雅之さん、宗敦夫さん)
によると、別の教材と混同させないようにしてほしいという
ことなので、研究協力者・平野隆昭さんと相談の上、
現在では「GDPボックス」と改名している。

 ところで、私は「肥さんの夢ブログ」というサイトを開設
している。今回の授業の様子もそれで記録してきたので、
「臨場感」を味わっていただく意味でも、利用させていた
だきたいと思う。最初は読みにくいかもしれないけれど、
ブログを通しての授業記録によろしくお付き合い下さい。

 授業は、授業書《世界の国ぐに》第一部に四時間、
「GDPボックス」作りに二時間で、合計六時間だった。
さあ、始まり始まり・・・。

「出会い」の授業!
 昨日、今年度の初授業があった。クラスも1年1組で,
まさにスタートにふさわしいクラスだった。
まずは、手品2種(マジック・ノートとスプーン曲げ)で、
生徒たちのご機嫌うかがい。その後,授業書《世界の
国ぐに》の第一部=「いろいろな世界地図」の[問題一]
~[問題三]を行った。(ここで切るのが効果的である)
[問題一]は、スウェーデンとナイジェリアの面積比べ。
[問題二]は、米国と中国の面積比べ。
[問題三]は、ロシア連邦と中国の面積比べ

021

 これらは「メルカトル図法」を扱ったもので、仮説
実験授業の醍醐味を味わえる問題群である。

[問題一]でさっそく盛り上がり、それが、[問題二]と
[問題三]につながっていった。最高の「出会い」であった。
次回の授業が,とても楽しみである。(o^-^o)
2015年4月14日 (火)

「全部間違えたけど,楽しかった!」
 板倉聖宣さんの作られた授業書《世界の国ぐに》は、
やはりよくできている。(後述の仮説社から購入できる)
 昨日三クラスで、[問題一]~[問題三]をやったのだが,
どのクラスでも表題のような感想が多かった。
普通人は間違えることが嫌いだから、三問も続けて間違え
たくはないけれど、授業書《世界の国ぐに》のような
メルカトル図法のたのしい問題なら、「間違えたこと
(直感を優先させた故の間違い)が、次につながっていく」
ということなのだろう。その点,この授業書は社会の科学の
ものだが、自然科学の雰囲気も持っているのだ。
 今日は、[問題四]からのスタートのクラスが三つ。
初めてのクラスが一つとけっこうきつい1日だった。
疲れるけれど、もしかしたらこの授業書をやれる最後の機
会(定年まであと三年である)となるかもしれないので、
「サービス精神の塊(かたまり)」でいくことにする。
なお、[問題四]は、面積でベスト六を予想させるものである。
六位までと七位以下では二倍以上違うので、六位まで予想
させるということも意義が深いのである。
2015年4月15日 (水)

「今日もたのしかったです!」の感想に、疲れも半減
 新学期の緊張の中での、それもほとんど空き時間の
ない授業は本当に疲れる。これが仮説実験授業だから
いいものの、普通の教科書の授業だったら、なおさらだ。
本日は六時間出ずっぱりの授業だった(。>0<。)
 でも、今はまだ授業書《世界の国ぐに》をやっているので、
「今日もたのしかったです!」などと感想に書いてもらうと、
疲れも半分になるのですが・・・。(o^-^o)

「人口の多い国の覚え方」で一挙に覚える
 人口の多い国の覚え方を使って、みんなでバレーボールの
応援のように覚えたりもした。
「人口多いは,中 印 米国、インドネ、ブラジル、
パキスにナイジェ、バングラ、ロシアに、我が日本(にっぽん)、
チャチャチャ」。最後の「チャチャチャ」は、元の授業書には
入っていないのだが、調子よく唱えるために変えてみた。
みんな笑いながら、楽しんで覚えられた。テストにも
出題したが、もっとも正答率の高い問題の一つになった。
2015年4月16日 (木)

初めて見る「GDPボックス」に大興奮!
 授業書《世界の国ぐに》第一部も後半に入り、
[問題七]の「一人当たりのGDP」を聞く問題。
その答えには、GDPボックス を登場させた。

020

Photo

 これには生徒たちも大興奮!初めて見る 「GDP
ボックス 」に、視線が集まる。一つひとつ貼っていく
たびに、歓声が上がった。黒板いっぱいに世界
地図を描き、中国→インド→米国、日本→西ヨー
ロッパ→北ヨーロッパ→その他の地域という順番
で貼っていった。チャイムが鳴って片付ける際には、
「お手伝い」が続出したほどだ。やはり「GDPボックス」
の力はすごい!あらためてそう感じた。片付けを
手伝ってくれたある女子生徒が、「私、これ欲しい
なあ」と言っていた。
2015年4月17日 (金)

 このあと、授業書《世界の国ぐに》は、[問題八]の
「日本との貿易関係」をやって終了。生徒たちに、
ここまでの授業評価と感想を書いてもらった。
 仮説実験授業では、最後にこの二つを書いてもらい
授業を終わる。さらに、テストもしてから感想を書いて
もらうという先生もいるが、私は中間テストで問題を出
したいので、今回はここで行なった。

高い授業評価とうれしい感想たち
 今週は疲れたが、収穫の多い一週間だった。
まず、授業書《世界の国ぐに》第一部「いろいろな
世界地図」が終わり、GDPボックスの紹介もあって、
破格の授業評価をもらうことができた。ヽ(´▽`)/

【生徒たちの授業評価】
  〈たのしさ〉 五クラスの合計
⑤とてもたのしかった 一一三人
④たのしかった 四一人
③たのしくもつまらなくもなかった 一二人
②あまりたのしくなかった 一人
①まったくたのしくなかった なし

  〈わかりやすさ〉 五クラスの合計
⑤とてもよくわかった 八七人
④よくわかった 六四人
③わかった 一四人
②あまりよくわからなかった 二人
①まったくわからなかった なし

【生徒たちの感想】
 「社会の勉強をして、いろいろ世界のことが
分かってうれしかったです。もっといろいろな国
の細かい所を知りたいです。社会が好きにりま
した。」(女子)
 「本当の面積は、メルカトル図法で描かれた
面積と違うことがには驚きました。」(男子)
 「一番楽しかったことは、人口の多い国を覚え
るための歌をリズムよく歌うことでした。家に帰っ
てすぐに紙に書き、覚えるために壁に貼りました。
今ではすらすら言えるほど、完ぺきに覚えまし
た。」(女子)
 「世界の国ぐにのGDPや貿易のことが、わか
りやすくてよかった。クイズ形式でたのしかった。」
(男子)
 「一番「世界の国ぐに」で印象に残ったのは、 
やっぱり「GDPボックス」でした。たのしかったし、
分かりやすかったし。GDPボックスを全部貼って
もらった時の風景を思い出して、今後の勉強に
役立てたいと思いました。今まであまり興味が
なかった世界の国ぐにのことを、もっと知りたいと
思いました。ありがとうございました。」(女子)

二時間の「ペーパー・GDPボックス」の製作
 このあと飛び石の二時間で、「ペーパー・GDP
ボックス」を作ってもらったが、その取り組みを書き
出すと、今回の紙面からはみ出てしまう量なので、
手本にした模型の写真だけ載せておくことにする。

007

 第一回目・・・日本、米国、中国、ロシア、ドイツの五か国。
 第二回目・・・インド、ブラジル、オーストラリア、インドネシア、ナイジェリアの五か国。


「世界の人口ベスト十」を書いてみます。(選んだ国には☆)
一位・中国☆ 二位・インド☆
三位・米国☆ 四位・インドネシア☆
五位・ブラジル☆ 六位・パキスタン
七位・ナイジェリア☆ 八位・バングラデシュ
九位・ロシア☆ 十位・日本☆
 十か国のうち八か国まで入れることができました。

終わりに
 就職浪人の時に出会った「仮説実験授業」は、私の
教員生活を一変させたと思う。初期には自然科学が
中心だった授業書も、今では社会の科学の広い分野を
扱えるようになってきている。代表的で使いやすいものを、
いくつか紹介しておこう。

世界地理・・・《世界の国ぐに》《世界の国旗》
日本地理・・・《日本の都道府県》《沖縄》
世界歴史・・・《世界史入門》《二つの文明の出会い》
日本歴史・・・《日本歴史入門》《日本の戦争の歴史》
政治経済・・・《三権分立》《日本国憲法とその構成》
 《おかねと社会》《生類憐みの令》《禁酒法と民主主義》

仮説社の連絡先は、十月に高田馬場から巣鴨に移転するので、
後日分かり次第連絡します)。

「古田先生の思い出」その(1)

ネット上で「古田武彦氏の訃報」を扱っているマスコミは数多く,
あらためて古田先生の存在が大きかったという感じがする。
しかし,「邪馬壹国」と「九州王朝説」の表面的なことを書いてあるだけで,
一般の人にはなかなかその内容や人柄については伝わらない。
直に接していた私が,少しでも古田先生の人間性を伝えることができたらと思い,
未熟な筆で書き始めてみる。
一応,10回の連載をめざします。

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古田先生の支持者やファンの間での会話には,
「どの著作から古田ファンになったか?」
という定番の質問がされることが多い。
私の場合,古代史の第1作である『「邪馬台国」はなかった』(角川文庫)である。
というとカッコイイが,実は高校生でこの本にチャレンジし,
あえなくノックダウンしたというのが本当のところだ。
漢文の細かいところまで理解しようと頑張って,息切れしてしまい,
十数ページの「短命」の読書に終わった。

次に「再会」したのが,『吉野ヶ里の秘密』(カッパブックス)。
こちらはその頃興味があった遺跡についてのものだったので,
ついていけたし,「あれ,この人の本を前に読んだことがあるぞ!」と思い,
十数年前の『「邪馬台国」はなかった』のことを思い出した次第。
31歳,少しは読書力もつき,古田本の渉猟(しょうりょう)も始まり,
当時の研究会(市民の古代研究会)にも加入した。
しかし,まだ古田先生と直接話す機会はなかった。

次回は,「初めて古田先生と話せた倭国探訪の旅(三省堂主催)」です。

これから1週間の予定

「大きなヤマ」は終わったが,
「小さなヤマ」をいくつか越えなければならない。

土・・・仮説社(巣鴨)と飯能・日高サークル
日・・・テストづくり,『歴史地理教育』誌の原稿(3稿)
月・・・授業,放課後に最後の選挙管理委員会(反省)
火・・・生徒会朝会(当選証書と任命証),2時間目まで授業,その後代表者会議
水・・・中間テスト1日目,テストの印刷
木・・・中間テスト2日目,社会科のテスト。採点
金・・・テスト返し(4クラスは無理だよなあ)

昨日の部活動 10/16

昨日は,部活動ではないが,
3年生の卒業アルバム用の撮影があった。
しばらく部活としての集まりはなかったので,
なんだか不思議な感じだった。
3年生7人がそれぞれ手に持てるように,
新人戦と学総体の2つの優勝カップと
5枚の賞状を用意した。
久しぶりにユニフォームに袖を通して,
3年生たちもうれしそうだった。(o^-^o)

2015年10月16日 (金)

11月の楽しみ

10月も半ばとなった。
そろそろ「11月の楽しみ」を書いてみよう。

3日(火)・・・『たの授』11月号・『たの授』臨増号(国語)の発売

7日(土)・・・高崎サークル
8日(日)・・・県大会の初日(アスカル幸手)

10日(火)・・・県大会の2日目(久喜総合体育館)
11日(水)・・・県大会の3日目(久喜総合体育館)

14日(土)・・・

18日(水)・・・社会科サークル

21日(土)・・・昭島サークル

28日(土)・・・『たの授』公開編集会議
      飯能・日高サークル
      「農家」で頭慢さんがワンマンライブ

11月中・・・『歴史地理教育』12月号の発売
引越完了(予定)

「スマホ・ケータイ安全教室」開かれる

昨日の5・6校時を使って,
体育館で上記の会がひらかれた。
NТТドコモの方を講師に,
スマホ・ケータイを安全に使うための知識を
レクチャーしてくれるというわけだ。

019

私はケータイ・スマホをやらない人なので,
そういうことも必要だが,
お金さえ出せば買えて使える仕組みを
変えてもらえるように願うものだ。
ラインをはじめケータイ・スマホを
中学生に買い与える弊害(へいがい)は少なくない。
車が人を傷つけるのとは違うが,
そうとう危ない道具だと思っている。
免許制度はきついにしても,
せめ習会に出て合格をもらってから使い,
もし違反があればある期間は使用停止にするなど,
規制するのがいいと考える。

古田武彦氏の訃報

私の古代史研究の師であった古田武彦氏(古田先生,古田さん)が,
14日亡くなられていたことがわかった。(私は,古賀達也さんからのメールで知った)
古田先生には,高校生の頃『「邪馬台国」はなかった』で初めて出会い,
30歳の頃『吉野ヶ里の秘密』で再会して以来,27年のお付き合いであった。
古代史の研究方法はもちろん,人間としての生き方も教えていただいたと思う。
古賀さんへの返信メールにも書いたが,その学恩に報いるべく,
今後も多元的古代の研究に励んでいきたい。

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各位

古田先生御逝去の報に接し、涙がとまりません。

取り急ぎ、下記の点をお知らせいたします。

1.先生の御遺命により、葬儀は行われず、ご家族による密葬となるようです。
2.明日、わたしは古田先生宅を伺います。
  東京古田会の藤沢会長も来られるとのことです。
3.来週、わたしは東京出張のおり、多元の会・東京古田会の幹部と会います。
  そこで、当面の「偲ぶ会」などについて相談します。
4.藤沢さんのご要望は三団体共催で京都にて「偲ぶ会」を開催してほしいとのことです。
5.17日の関西例会時に当面の対応について検討いたします。

古賀達也

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古賀達也様
ご連絡ありがとうございました。
埼玉の肥沼孝治です。

いつかこの日が来ると頭ではわかってはいましたが,
こんなに早いとは思いもしませんでした。
古田先生の学恩に報いるべく,
多元的古代の研究を進めてまいりましょう。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1076話 2015/10/15

古田武彦先生ご逝去の報告

 古田武彦先生が昨日10月14日午後10時13分、
京都府向日市物集女のご自宅にてご逝去されました(享年89歳)。
謹んで皆様にご報告申し上げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 なお、古田先生の御遺命により、葬儀は執り行われず、ご親族によるお別れがなされます。
「古田史学の会」としましては、友誼団体ともご相談の上、
「お別れ会」(仮称)を執り行います。
日時・会場など詳細が決まりましたら改めてご報告申し上げます。
 また、「九州年号特集」を予定していました『古代に真実を求めて』19集(来春発行)は
「古田武彦先生追悼号」に変更させていただきます。
 先生の御遺志と学問、古田史学・多元史観を
これからも継承発展させることをお誓い申し上げます。

 平成27年(2015)10月15日

         古田史学の会 代表 古賀達也

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訃報:古田武彦さん89歳=古代史研究家 - 毎日新聞 - 毎日

7時間前 - 邪馬台国論争などで斬新な独自説を打ち出した古代史研究家、
古田武彦(ふるた・たけひこ)さんが14日、京都市西京区の病院で亡くなった。89歳。
葬儀は故人の意向で営まず、お別れの会を行う。責任者は長男光河(こうが)さん。

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古代史研究家の古田武彦さん死去 邪馬台国に強い関心

朝日新聞 2015年10月16日 0時38分

古田武彦さん古田武彦さん(ふるた・たけひこ=古代史研究家)が14日死去、89歳。
故人の遺志で葬儀は行わない。 
福島県生まれ。東北大で日本思想史を学んだ後
、高校教諭などを経て昭和薬科大教授に着任。

当初、親鸞の研究で知られたが、邪馬台国問題に強い関心を持ち、
「魏志倭人伝」に記された国名は「邪馬台(たい)国」ではなく「邪馬壹(いち)国」と主張。
九州説の立場で70年代以降、
「『邪馬台国』はなかった」、「失われた九州王朝」(いずれも朝日新聞社刊)などの著作を次々と発表した。

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古田武彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この項目は亡くなったばかりの人物について扱っています。
その人物の死の詳細や取り巻く環境また状況が知れ渡っていくに従い、
この項目の内容もまた急速に大きく変化することがありますのでご注意ください。
2015年10月15日 (木) 00:00 (UTC)貼付。(表示終了予定:2015年10月22日 (木)

古田 武彦
(ふるた たけひこ)

誕生 1926年8月8日
福島県喜多方市
死没 2015年10月14日(満89歳没)
京都府京都市
職業 思想史学者・古代史研究家
国籍 日本
最終学歴 東北帝国大学法文学部日本思想史学科卒業
活動期間 1969年 - 2011年
ジャンル 歴史学
主題 日本思想史、日本古代史、親鸞
代表作 『「邪馬台国」はなかった』
『失われた九州王朝』
『盗まれた神話』
主な受賞歴 金沢大学暁鳥賞
処女作 『「邪馬台国」はなかった』
影響を与えたもの竹内均、中嶋嶺雄、山田宗睦、西村俊一、川端俊一郎、森嶋通夫、安川寿之輔

古田 武彦(ふるた たけひこ、1926年(大正15年)8月8日 - 2015年(平成27年)10月14日[1])は、日本の思想史学者・古代史研究家。専門は親鸞等の中世思想史だが、むしろ古代史研究において著名である。


目次
1 人物
1.1 出生から高校教員時代
1.2 文献史学研究での活動
1.3 『東日流外三郡誌』研究の開始とその影響
1.4 「寛政原本」発見とその後
2 仮説とその評価
2.1 仮説
2.2 研究スタイル
2.3 評価
3 その他
4 主な著作
4.1 論文
4.2 単著
4.2.1 古田武彦・古代史コレクション
4.2.2 単著(親鸞関係)
4.3 共著
4.4 訳書
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク

人物[編集]出生から高校教員時代[編集]福島県喜多方市生まれ。旧制中学の英語教師をしていた父親の転勤にともなって、広島県に育つ。旧制広島高校を経て、1945年(昭和20年)、東北帝国大学法文学部日本思想史学科に入り村岡典嗣に師事する。1948年(昭和23年)に大学卒業。

大学卒業後は公立高等学校教員(地方公務員)となり長野県松本深志高等学校教諭、神戸森高等学校講師、神戸市立湊川高等学校教諭、京都市立洛陽工業高等学校教諭として国語科・社会科を教える。在職中から、親鸞に関する研究で知られた。家永教科書裁判では、親鸞に関する記述について、原告(家永)側証人となった。

文献史学研究での活動[編集]1969年(昭和44年)、『史学雑誌』に邪馬壹国説を発表。1970年(昭和45年)に教職を離れ、以後研究に専念する。九州王朝説を中心とする独自の古代史像を提示し、学界の通説に再検討を迫る。このなかには神武天皇実在説など「記紀」の内容を信用したうえでの説があるため釈古派や右翼とも言われている。また広開土王碑の改竄否定説を主張。それにより、多くの支持者・賛同者を集めるとともに、自説を巡って安本美典[2]など多くの研究者と論争を繰り広げた[3]。一時は高校教科書の脚注に仮説(邪馬壹国説、また親鸞研究時代の内容)が掲載されたこともある。賛同者・読者の会として「市民の古代研究会」が組織され、1979年(昭和54年)より雑誌『市民の古代』が刊行された。

1979年(昭和54年)度、龍谷大学文学部非常勤講師。1984年(昭和59年)4月より昭和薬科大学(文化史研究室=歴史学)教授となる[4]。

『東日流外三郡誌』研究の開始とその影響[編集]『東日流外三郡誌』などの和田家文書と出会い、その内容を肯定的に評価した[5]。さらに後年、同書に対して「偽書ではないか」との強い疑念が提出されて以降も[6]、所蔵者の和田喜八郎を支持する姿勢を貫き、昭和薬科大学の「紀要」に論文を記載するなど、積極的な研究をしていた。それをきっかけとして、市民の古代研究会の分裂を招くに至り、運営に当たっていた関西を中心とした一部の会員が古田から離れた[7]。ただし、神代文字や和田家文書以外の古史古伝一般については充分な研究が必要として扱うのに消極的だった。

1996年(平成8年)3月に昭和薬科大学を定年退職した後、京都府向日市に戻り、執筆・講演活動を続けている。2006年(平成18年)5月には雑誌『なかった 真実の歴史学』を創刊し、直接編集にあたっている。

昭和薬科大学の文化史研究室は、古田の退職後廃止された。市民の古代研究会は古田から独立した研究会としてしばらく存続したが、雑誌は終刊となり、2002年(平成14年)12月に解散した[8]。古田を支持して脱退した人々は「古田史学の会」「多元的古代研究会」など複数の研究会を結成し、連合して年刊の雑誌『新・古代学』を発行していた。この中で古田は、和田家文書偽書派の主張に対して反論を行っている[9]。

「寛政原本」発見とその後[編集]2007年(平成19年)、古田は東日流外三郡誌の「寛政原本」を発見したと主張し、翌年にはその写真版を出版した[10]。この書籍には、笠谷和比古(国際日本文化研究センター研究部教授)による鑑定文が収録されている[11][12][13]。公表された文書については、かつて和田喜八郎が公表していた写本に過ぎず、突然、「寛政原本」と断定されたことになる。また和田喜八郎の筆跡と一致しているとする主張がある[14][15][16][17]。「寛政原本」を発見したという発表が、学会やマスコミで取り上げられることはなかった。

2009年(平成21年)、国記と天皇記からの引用を和田家文書の中から発見したと主張した。それと同時に『なかった』を休刊する[18]。

2010年(平成22年)から、『「邪馬台国」はなかった』『失われた九州王朝』『盗まれた神話』[19]以下、古代史関係の著作をミネルヴァ書房より「古田武彦・古代史コレクション」として復刊。また、2011年(平成23年)9月10日にミネルヴァ日本評伝選として『俾弥呼(ひみか) 鬼道に事え、見る有る者少なし』を発刊した。

2015年(平成27年)10月14日、京都市西京区の病院で死去[1]。

仮説とその評価[編集]仮説[編集]『魏志倭人伝』にある国の名を邪馬台国とせず、現在伝わる「魏志倭人伝」の原文通りに「邪馬壹国」の表記[20]が正しいとする。所在地を博多湾岸とする。
『魏志倭人伝』のみならず魏晋朝では1里75m~90mの短里が公式に用いられたとする。
『魏志倭人伝』にある裸国、黒歯国は南米大陸北半(エクアドル)にあるとする。エクアドルの歴史参照
金印を賜った倭奴国から一貫して、倭国は、九州王朝であるとする。白村江の戦いによって急激に衰退し、分家である近畿天皇家(日本国)に吸収されたとみる。
須久岡本遺跡(福岡県春日市)の弥生王墓の年代は3世紀まで下るとする(通説では後1世紀頃)。
三角縁神獣鏡について通説だった魏鏡説を批判、国産説を唱える。
九州王朝説をはじめ、列島各地に王権が存在したとする「多元的古代史観」を提唱。稲荷山古墳金錯銘鉄剣銘文の分析などから、関東にも大王がいたとする。
広開土王碑は改竄されていなかったとする(古田武彦の説で唯一定説になったもの)。
研究スタイル[編集]原文に忠実な文献の解読を求めている。従前より行われているような、歴史的資料の校訂、原文改定を批判している。
評価[編集]独特な文体と論理構造から、他分野の研究者や一般の読者には支持者も多い。
「邪馬壹国」説の発表当初は、『史学雑誌』の「回顧と展望」で取り上げられた。
『東日流外三郡誌』騒動で一時期のブームは去った。ただし、広開土王碑文改竄説を否定したこと、親鸞研究での評価はいまだに高い。
中小路駿逸(元追手門学院大学教授)によれば、「大和なる天皇家の王権が7世紀より前から日本列島の唯一の中心権力者であった」とする日本古代史の「一元通念」を否定した点が最も大きな貢献とされる。一元通念が論証を経たものではなく、日中の文献や考古学的な遺物も多元的古代史観によって無理なく理解できると主張している[21]。
『東日流外三郡誌』否定派の論文は反共雑誌『ゼンボウ』にも掲載された。最大の論敵安本美典は新しい歴史教科書をつくる会賛同者であった[22]。一方で、古田は共産党系雑誌である「文化評論」に論文を掲載したことがある[23]。古田と親交のあった藤田友治は、「大阪唯物論研究会哲学部会」のイデオローグでもあった[24]。しかし、古田はいわゆる左翼思想家ではないとする見方もある。
学界でタブー視されることの多い「神武天皇実在説」を主張している。この点は論敵である安本美典と同じ見解である。「古事記や日本書紀の記述において鵜呑みにできないのは、天皇の代数ではなく在位年数である」という点においても、安本美典の主張と古田の主張は一致している(何故在位年数が鵜呑みにできないのかという点では、古田は2倍年歴を主張しているが、安本は自説にヒントを得たものだと指摘している)。また古田の場合、神武天皇を九州王朝の分流の一地方豪族として捉えている。
“記紀の近畿天皇家一元史観を疑う点で「疑古派」だが、書かれている内容を後代の造作として全否定しない点で「釈古派」である”というのが、記紀に対する古田のスタンスである。今は古田と袂を分かったかつての賛同者の中にも、古田武彦が『東日流外三郡誌』を支持した件について、「書かれている内容をまず信用するというのが古田武彦の研究スタンスであり、それがために騙されたのであろう」という擁護意見がある。ただし、資料の扱いが恣意的であると批判を受けることもある。
松本深志高校教員時代は、社会科学研究会によるソ連賛美の展示を糾弾した。現在も、引揚者に行ったソ連兵の暴行・略奪行為に対し、厳しく批判している。
平野貞夫などの保守政治家とも親しく、また、嘗ては「反韓主義者」とされていた(本人は否定している)[25]。
学問的には妥協を許さぬ強い意志を持つ。読者の会の分裂騒動などでは、『東日流外三郡誌』真書説を支持することを踏み絵とするなど、排他的な弊害を生み、熱狂的読者は「古田信者」と揶揄されることもある。
その他[編集]史学会、日本思想史学会、学士会会員[26]。
1964年(昭和39年)の「近代法の論理と宗教の運命」(『神の運命』所収)は、金沢大学暁鳥賞受賞。
科学雑誌「Newton」の創刊者であり編集長をつとめた故竹内均(東京大学名誉教授)は『Newton』誌上に古田説を支持する解説を掲載している。『Newton』1989年9月号 特集「大特集 邪馬壹国は九州にあった!」参照。同誌には、古田も寄稿している。しかし、『Newton』1993年10月号 特集「徹底検証 邪馬台国ミステリー」では、邪馬壹国ではなく邪馬台国と表記し、邪馬台国論争を特集している。
中嶋嶺雄は松本深志高校での教え子。2005年(平成17年)9月24日、中嶋を会長とする支持者の別組織、「新東方史学会」が立ち上げられた。
哲学者の山田宗睦は、『魏志倭人伝の世界 邪馬台国と卑弥呼』(教育社歴史新書、1979年)等古田説に依拠した古代史関連書籍を執筆している。
松本英一、平野貞夫ら研究地ゆかりの参議院議員と交流あり。
元タレント上岡龍太郎は熱心な読者であり、「鶴瓶上岡パペポTV」でも言及することがあった。古田主宰のシンポジウムでパネリストを務めたり、古田と対談するなど親しくしている。
古田説の支持者としては、西村俊一(東京学芸大学教授、日本国際教育学会元会長)が知られている。また川端俊一郎(経済学者、北海商科大学元教授)には古田説を支持する著作がある。森嶋通夫(経済学者、ロンドン大学名誉教授)は古田と対談している[27]。安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)も一時期は古田説を支持し、2006年(平成18年)には古田と対談している[28]。平山洋によると、2007年(平成19年)に安川は古田説への支持(『学問のすすめ』冒頭の一文は『東日流外三郡誌』からの盗用とする説)を撤回している[29][30]。 なお、古田は盗用ではなく引用としている。
古田の著書『「邪馬台国」はなかった』(角川文庫版)には小松左京による書評が付されており、著書『邪馬一国への道標』には対談が収録されている[31]。
古田は著書中で高木彬光の『邪馬台国の秘密』について感想を述べている[32]。その後、高木は古田説についての著書(反論)を発表している[33]。
主な著作[編集]論文[編集]「邪馬壹国」『史学雑誌』78(9),pp.1347-1385(1969年)
「好太王碑文「改削」説の批判」『史学雑誌』82(8),pp.1161-1200(1973年)
「魏晋(西晋)朝短里の史料批判」『古代学研究』73,pp.1-12(1974年)
「多元的古代の成立」『史学雑誌』91(7),pp.1140-1163(1982年)
「九州王朝の史料批判」『学士会会報』857,pp.129-133(2006年)
『開かれた多元史観の道』
単著[編集]『邪馬台国はなかった-解読された倭人伝の謎-』(1971年、朝日新聞社、のち角川文庫、朝日文庫に収録)
『失われた九州王朝-天皇家以前の古代史-』(1973年、朝日新聞社、のち角川文庫、朝日文庫に収録)
『盗まれた神話-記・紀の秘密-』(1975年、朝日新聞社、のち角川文庫、朝日文庫に収録)
『邪馬壹国の論理-古代に真実を求めて-』(1973年、朝日新聞社)
『邪馬一国への道標』(1978年5月18日、角川文庫)
『ここに古代王朝ありき - 邪馬一国の考古学-』(1979年、朝日新聞社)
『関東に大王あり-稲荷山鉄剣の密室-』(1979年11月5日、創世紀)
『邪馬一国の証明』(1980年、角川文庫)論文集
『多元的古代の成立「上」-邪馬壹国の方法-』(1983年3月25日、駸々堂)論文集
『多元的古代の成立「下」-邪馬壹国の展開-』(1983年4月20日、駸々堂)論文集
『よみがえる九州王朝ー幻の筑紫舞-』(1983年6月20日、角川書店角川選書)
『古代は輝いていた一-『風土記』にいた卑弥呼-』(1984年11月20日、朝日新聞社、のち1988年に朝日文庫に収録)
『古代は輝いていた二-日本列島の大王たち-』(1985年2月10日、朝日新聞社、のち1988年に朝日文庫に収録)
『古代は輝いていた三-法隆寺の中の九州王朝-』(1985年4月5日、朝日新聞社、のち1988年に朝日文庫に収録)
『古代史を疑う』(1985年10月21日、駸々堂)
『古代の霧の中から-出雲王朝から九州王朝へ-』(1985年11月30日、駸々堂)
『よみがえる卑弥呼-日本国はいつ始まったか-』(1987年10月20日、駸々堂)
『倭人伝を徹底して読む』(1987年11月20日、大阪書籍)
『まぼろしの祝詞誕生-古代史の実像を追う-』(1988年5月15日、新泉社)
『古代は沈黙せず』(1988年6月10日、駸々堂)
『吉野ケ里の秘密-解明された「倭人伝」の世界-』(1989年6月30日、光文社カッパブックス)
『真実の東北王朝』(1990年6月19日、駸々堂)
『「君が代」は九州王朝の讃歌-市民の古代 別巻2-』(1990年7月10日、新泉社)
『古代史60の証言-金印から吉野ケ里まで、九州の真実-』(1991年2月28日、カタリベ文庫)
『日本古代新史-増補、邪馬一国の挑戦-』(1991年4月20日、新泉社)
『「君が代」、うずまく源流-市民の古代別巻3-』(1991年6月5日、新泉社)
『九州王朝の歴史学-多元的世界への出発-』(1991年6月18日、駸々堂)
『古代史をひらく-独創の13の扉-』(1992年6月25日、原書房)
『すべての日本国民に捧ぐ-古代史-日本国の真実-』(1992年12月1日、新泉社)
『古代史をゆるがす-真実への7つの鍵-』(1993年11月30日、原書房)
『人麿の運命』(1994年3月3日、原書房)
『日本書紀を批判する-記紀成立の真相-』(1994年4月5日、新泉社)
『古代通史-古田武彦の物語る古代世界-』(1994年10月20日、原書房)
『海の古代史 黒潮と魏志倭人伝の真実』(1996年10月14日、原書房)
『神の運命-歴史の導くところへ-』(1996年10月14日、明石書店)
『失われた日本 Japan behind Japan』(1998年2月19日、原書房)
『古代史の未来』(1998年2月27日、明石書店)
『日本の秘密-「君が代」を深く考える』(2000年1月28日、五月書房)
『古代史の十字路-万葉批判』(2001年4月20日、東洋書林)
『九州王朝の論理』2000年5月20日、明石書店)
『壬申大乱』(2001年10月25日、東洋書林)
『俾弥呼 鬼道に事え、見る有る者少なし』(2011年9月、ミネルヴァ書房(ミネルヴァ日本評伝選)) ISBN 978-4-623-06148-8
『真実に悔いなし 親鸞から俾弥呼へ日本史の謎を解読して』(2013年9月、ミネルヴァ書房(シリーズ「自伝」my life my world)) ISBN 978-4-623-06752-7
古田武彦・古代史コレクション[編集]2010年(平成22年)から、絶版になり入手が困難になっていた古田武彦の古代史関係の著作を新装版の形で再刊する「古田武彦・古代史コレクション」企画が刊行を開始した。これに含まれる書目には、角川文庫や朝日文庫に収録されたものの多くが含まれているため、最大で4度目の再刊になるものもある。各巻とも「日本の生きた歴史」が補章として書き加えられている。

2015年10月15日 (木)

地理や歴史を学ぶ意義

歴史や地理は,時間的(これは歴史が担当)・空間的(これは地理が担当)に,
異時代・異空間にいる人を差別しない教育をしているのだと思います。
人間は,昔の人を「無知」だとあなどり,外国の異文化の人を「野蛮だ」と
差別してしまいがちなのです。
それを解き明かして,「もしその時代に生まれていたら」
「もしその国に生まれていたら」自分ももそうしてしまうだろう,
というところから出発して,
時間的にも空間的にも,他人を差別しない人間を育てるということです。

以上の,社会科教育の意義についての話は,
先日の高崎サークルの際の,品川さんの「地理が大嫌いだった」発言に挑発されて,
急にとび出したものでしたが,
「我ながら,なかなかいいことを言った」と思ったものです。
私は〈仮説〉や〈古田史学〉から,こういうことを学んできたのか!
と改めて思いました。
「挑発」して下さった品川さんに感謝です。
また,メールの中で書いていただいた峯岸さんの
「いろんな常識があって当然だな,という他者理解から始まる平和教育」
という励ましも,ありがたく頂戴します。

小中交流(7)

小学校は,10月10日が運動会で,13日がその代休。
つまり,三連休明けの授業日というわけで,
確かに「落ち着かない」要素はあった。

手品・・・「トランプの記号と数字を当てる」はうまくいった。
この仕掛けトランプ購入は,大成功だった。
解説の視聴率も高いし,子どもたち自身に体験させることもできる。
ただし,調子に乗りすぎて時間配分に影響が出てしまっては,本末転倒である。
私は社会科の先生であって,手品の先生ではないのだから。
物足りないくらいで切って,授業につなげなければならない。

授業の内容・・・こんな感じだった。
(1) 「今日の朝食は,ごはん?パン?その他?」アンケート
(2) 未来の日本の食生活は,どう変化していくと思うか?
 → かたいものが多くなるか,やわらかいものが多くなるか
(3) 「昔は歯の本数が多かった。未来は本数が少なくなる!?」という話
(4) 地産地消とトレーサビリティ
(5) 狂牛病と消毒のしすぎの問題

次回は「トトロの森と環境保全」&「GDPボックス」でこれまでのまとめをしたい。
そして,盛り上がったあと,5枚目のプリントとして,
「平面GDPボックス図」(平野隆昭さん作)を貼り,
「団結とじ」でファイルを完成させよう。

そして最後に,感想と授業評価を書いてもらう。
(ちょっと怖いけどね)

「房ya」で古代史談義

久しぶりで古代史談義をした。
場所は,イタリア・レストランの「房ya」。
相手は,お隣に座った男性のお客さん。
(私がブログをやっていることはご存知)

どんなコンテンツがあるのかというところから始まり,
彼が読んで面白がっている「古事記」や
ギリシャ・ローマ神話をきっかけに,
古田史学の基礎からひも解いた。

今考えると2時間を越えるくらい話をしていたが,
知的で読書家のその人(もうすぐ38歳らしい)との会話は
なかなか楽しいものだった。
もし本を紹介してくれと言われれば,
そういう本は山ほどあるけれど,
昨日は「第1回」ということで,紹介はしなかった。
また,縁があれば古田史学の話をしたい。

古賀達也さんの多元的「国分寺」論(12)

今回は古賀さんの文章は,
大阪の難波京内の現・四天王寺についての話なのですが,
1つの知見(あの武蔵国分寺の主要伽藍が真北から7度西偏していたこと)が,
他の気づき(難波京内にある現・四天王寺の主要伽藍の南北軸が
真北より5度程度西に振れている)につながることがあるという点で,
少しは古賀さんのお役に立てたかな,という気分です。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1073話 2015/10/11
四天王寺伽藍方位の西偏

摂津国分寺の研究のため、大阪歴博2階の「なにわ歴史塾」図書ルームで
発掘調査報告を閲覧していたとき、あることに気づきました。
難波京の条坊はかなり正確に南北軸と東西軸に一致していますが、
その難波京内にある現・四天王寺の主要伽藍の南北軸が
真北より5度程度西に振れているのです(目視による)。
以前ならほとんど気にもかけなかった「西偏」ですが、
最近研究している武蔵国分寺の主要伽藍が真北から7度西偏しているという問題を知りましたので、
この四天王寺も真北からやや西偏しているという事実に気づくことができたのです。
もちろん「西偏」しているのは、現在の四天王寺ですから、
この現象が古代の創建時まで遡れるのかは、発掘調査報告書を読んだ限りでは不明です。
四天王寺は何度か火災で消失していますから、
再建時に同じ方位で設計されたのかがわかりませんから、
断定的なことは今のところ言えません。
しかし、正確に南北に向いている条坊都市の中の代表的寺院ですから、
その条坊にあわせて再建されるのが当然のようにも思われます。
しかし、次のようなケースも想定可能ではないでしょうか。
すなわち、四天王寺(天王寺)が創建された倭京二年(619年、『二中歴』による)には
まだ条坊はできていませんから、天王寺は最初から「西偏」して造営されたのではないでしょうか。
その「西偏」が現在までの再建にあたり、踏襲され続けてきたという可能性です。
もし、そうであれば九州王朝の「聖徳」が難波に天王寺を創建したときは、
南北軸を真北から「西偏」させるという設計思想を採用し、
その後の白雉元年(652年)に前期難波宮と条坊を造営したときは
真北方位を採用したということになります。
この設計思想の変化が何によるものかは不明ですが、
この現・四天王寺の方位が真北から「西偏」しているという問題を
これからも考えていきたいと思います。
========

   

2015年10月14日 (水)

トランプ手品のストーリー

「変身トランプ」は,3枚のカードを見せ,
それを裏返しにして,真ん中を引いてもらう。
すると,「何々だと思っていたカードではなく,
違うモノを引いている」という手品だった。

今回手に入れたテンヨーのトランプは,
私が前から欲しかった仕掛けのあるものだ。
せっかくなので,そのストーリーを考えてみる。

(1) あなたは,人の心の中が読めますか?
もしできたら,すごいですよね。
実は,トランプにもそういうことがあるのです。
(と,手に持ったトランプに注目させる)

(2) たとえば,このカードは「ハートのエースですが」
と言ってみんなに見せる。
(これは,あらかじめ自分で見ておく)
次のカードが何だかわかりますか?
(少し時間を置いて,カードから記号と数字を読み取る)
「実は,○○の××なのです」
(と,言いながらカードを見せる)
「では,次のカードは・・・」
(と,何枚かやって,「どうしてわかるの?」
という気持ちを高める)

(3) では,□□さんにカードを切ってもらいます。
これで当てられたら,
先生はもうマジシャンに仕事を変えるかもしれませんよ!
(と言いながら,□□さんに切ってもらう)

(4) もしかして,その記号は,~ではありませんか?
そして,数字は~でしょう!
(もったいぶりながら,実はあわてて間違えないようにして)
当たりましたか?ああ,よかった。

こんなふうにやっていったら,
盛り上がる感じがしますが,
いかがでしょうか?

その結果は,明日の「夢ブログ」で。
本日の小中交流で,3クラスに試してみます。

今後の仕事は?(2)

一昨日リストアップした項目のうち,
昨日早くも3つをやることができた。

(1) 高崎サークル参加者の資料へのコメント
→ 早朝に書いて,メールで送信した。
皆さんによろこんでもらえるとうれしいのだが・・・。

(2) 県大会の登録
→ 1時間目が「空き時間」だったので,頑張って作った。
メール送信した結果が,「西部地区で2番目」なのが,ちょっぴりうれしい。(o^-^o)

(3) 生徒会本部役員の当選証書と任命証書
→ 校長先生に作ってもらうようにお願いできた!ヽ(´▽`)/
(昨年度のものを,校長室にある機械でスキャンしてもらう)

小学校の担任の先生から,毎回のように,
「とりかかりが遅いが,やればできる」と通知表に書かれていた。
それは,何歳になっても変わらないらしく,
自分の決めた順番でしかやれない。
また,やり始めると意外に早く仕事をするので,
「能力があるのに,サボっている」と見えるのかも。
「せかされるのが大嫌い」というのは,
自分の世界観を壊される感じがするからなのだろう。
ある人は,それを「自閉的傾向」と言っていた。

昨日の部活動 10/13

昨日の朝練で,テスト前の部活動を終えた。
(自主練習が夜あったが)
これから1週間は,テスト勉強を頑張ってほしい。
「バレーは好きだからやるが,勉強は・・・」というのは,
自分で自分の首を締めることになると思うから。
放課後は,1年生のウィンドブレーカーの試着をした。
今後の成長を見越して,大き目のものを注文した。

私もこの1週間を有効に使わせてもらう。
何しろ年内引越という課題を抱えている。
今のところにいるより,次のアパートの方が,
家賃が5万円も安いのだから,
延びれば延びるほどもったいない結果となる。(。>0<。)
あとは,残ったものの廃棄と契約の問題だけだ。
もちろんテスト作りもあるが,それは2日あればできる。
板倉式発想法講座に出られない分,
飯能・日高サークルには行けることになった。
できたら静養もしたいが,それは無理というものだろう。
退職すればいつでもできる。
「老後の楽しみ」に取っておこう。(o^-^o)

2015年10月13日 (火)

今後の仕事は?

これまで9月以降かなり忙しい日々を過ごし,
予想以上の成果をあげることができた。
「目標喪失」ということにならないように,
「今後の仕事」を確認しておこう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

授業・・・4時間の授業のストックができているので,
当面は太字プリントやテスト作り

部活動・・・市内大会を優勝ができ(直県),三連休の練習試合も終えたので,
次は「諸活動停止期間」を利用しての県大会の登録とプログラムの注文(←10/13の1校時にやる)

選挙管理委員会・・・本部役員選挙が終わったので,
来週の朝会までに7名分の「当選証」と「任命証」を作る(←10/13夕方に校長先生にお願いする)

仮説実験授業・・・『歴史地理教育』誌の原稿と『たの授』10月号の感想を書き終えたので,
次は高崎サークルの提出資料への感想。(← 10/13早朝に終了)
小中交流を成功させるためにも,分子模型→GDPボックス(1人あたりのGDP)へ

古代史研究・・・「古田史学会報」に何か書く(みんなでやる研究「古代日本ハイウェイ」と「国分寺」等)

引越関係・・・大マスターのお陰で,大半は出来た。ゴミ出しに精を出す。目標=1日10キロ

健康面・・・左ひざを中心とした痛み。歯の治療

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と, 書き出してみたら,いっぱいあるなあ。(。>0<。)

所沢北高校との練習試合 10/12

昨日は,所沢北高校にお邪魔して,
練習試合をしていただいた。
木下兄コーチと本さんにお世話になった。

この高校とは,狭山経済高校以来10年あまり
お世話になっている男バレ顧問の先生と,
部長・副部長とも勤務校出身者という,
大変縁のある関係である。
私は「付属校」と勝手に呼ばせていただいているが,
実際はまったく「付属関係」はない。

対Aチーム 0ー3(9ー25,8ー25,11ー25)
対Bチーム 3ー0(25ー21,25ー20,25ー14)

さすがにレギュラーのAチームのメンバーには,
高さ,速さ,ファイトとも及ばなかった。
(連続8失点というのもあった)
しかし,1年が中心のBチームには1つも負けなかった。
一昨日同様,裏のエースを欠いての戦いとしては,
仕方ないところかな。

お世話になったお礼は,県大会の戦いで表したいと思う。
所沢北高校の顧問・生徒の皆さん,ありがとうございました!

「渡りに舟(軽トラ) 」その7

「渡りに舟(軽トラ) 」という題で,
6回ほど「夢ブログ」に引越の様子を書いた。
その最後が8月22日のことだった。

「まだ引越を終えていないの?」と言われそうだが,
終えていないものは,仕方がない。
9月からの怒涛(どとう)の日々の中で,
数回タクシーによって必要な荷物を運べただけだ。

昨日,「三丁目の夕日」の大マスターの愛用車で3往復してもらい,
かなりの荷物を運び出し,いよいよ引越は「終盤戦」に入った。
これからは,捨てるものの割合が高くなり,
公団とのやりとりやなどもしなければならないだろう。

仮説社の新社屋移転には遅れをとるが,いたしかたない。
多勢に無勢なのだから。
しかし,年内には何とか「東村山の人」になりたいものだ。
家賃も半額になるし・・・。

2015年10月12日 (月)

霞ヶ関中との練習試合 10/11

昨日は,遠路&雨の中,霞ヶ関中に来ていただき,
練習試合をすることができた。
木下兄コーチにお世話になった。

対霞ヶ関中 5ー0(25ー18,25ー22,25ー19,
25ー23,25ー14)

5セットとも取らせていただいたが,
「何か違和感があるな~」と思った原因は,
彼らが「テスト明け」だったことと,
こちらも「裏のエース」を欠いていたことか。

でも,「テスト明け」でもこの点数は取るのだから,
やはり力のあるチームなのだと思う。
今後ともよろしくお願いいたします。

25日(土)は日程がビミョーとなっていて,
もしかしたら練習試合が組めないかもしれない。
(その日は,こちらが「テスト明け」という条件となる)
24日(土)という話もあるが,
そうすると所沢市民バレーの開会式と重なり,
レギュラー2人を欠いて失礼なことになってしまう。

保護者の方々が,2階の卓球スペースから,
カラフルな応援うちわで声援していただきました。
ありがとうございました。

PS 情報によると,これまでになく強くなった勝瀬中が,
なんと運悪くも地区大会で坂戸桜中と当たってしまい,
敗退してしまったそうだ。
顧問の先生の心中,いかばかりか・・・。

マジック・トランプ

テンヨーといえば,
手品用品をたくさん発売している会社である。
縁あって手品の世界に入った私の,
頼もしいパートナーといえよう。

今回購入したのは,「マジック・トランプ」。
まだ,基本の1つしかできないが,
これでいろいろなパターンの手品ができることを想像して,
ワクワクした気持ちになった。

018

手品は,コミニュケーションの道具の1つだと思っている。
知らない人と会話するきっかけにもなるし,
言葉の通じない外国の人とだって,
手品を使えばいろんな交流ができる。

私は長い間,手品に興味が湧かなかった。
もっと〈仮説実験授業〉に
力を入れたいと思っていたからであった。

仮説社で手品を扱っているのも不思議だった。
なぜ科学教育を志す会社が手品など売っているのだと。

それは,10年ほど前に解消し,
〈仮説〉と手品の「二刀流」でいくことにした。
だって,〈仮説〉はめったに食べられないディナーだが,
手品は時々食べられるリッチなランチという感じだから。

今回購入したマジック・トランプで,
この秋はみんなとコミニュケーションしちゃいます!

『たの授』10月号の感想

仮説社御中

埼玉の肥沼孝治です。
『たの授』10月号の感想を送ります。

『たの授』10月号で特に良かった記事は,次の3つです。

(1) ずっとこのやりかたがいい(出口さん)

仮説実験授業の方法に学んで出口さんが開発している数学の授業書は,
私も模擬授業を受けたことがありますが,とてもよく出来ていると思います。
子どもたちもそれを感じ取って,題名のよう言葉が出てくるのでしょう。
うらやましいです。

(2) 算数・数学の授業プラン紹介(高橋さん)

私は社会科の先生なので,算数・数学を授業することはありませんが,
こういう全体を見渡すような記事は,担当されている先生方には
とても役立つと思いました。門外漢の私が見ても楽しそうだから。

(3) 数学の楽しさは証明にある(板倉さん。平賀さん・編)

「夢のある問題と仮説と証明。それが楽しさの源」という。
科学とは方法は違うけれど,数学の神髄がそこにあるのですね。
とすると,「社会科の楽しさは・・・」と言いたくなりますが,
それは,まだまだ先のことのようです。

2015年10月11日 (日)

高崎サークル 2015年10月例会

昨日は,上記のサークルに参加した。

参加者は,永島さん,品川美さん,新井さん,星野さん,
森さん,峯岸さん,品川正さん,藤倉さん,肥沼さんの9名。

スタート(ミニ)講演・・・肥沼さん
「小中交流~雨のち曇り,明日晴れるカナ?」

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(1) 小中交流(5)(6)
(2) 「もし原」色ぬり用紙
(3) 『歴史地理教育』誌の原稿(2稿)

以上3つの資料にまたがって,
9月の2回の小中交流についてお話しした。
教科書→授業プリント→「もし原」→(GDPボックス)と,
だんだん流れが私に向いてきた。
もう1枚授業プリントをやったら,GDPボックスに発展させ,
華々しく小5を終えて,小6に「担当替え」という流れになるか?

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(4) 峯岸さん「月の観察結果を発表し合う授業をしました!」
 (4年1組学級通信「オレンジ」より) 
(5) 峯岸さん「理科学習指導案(月や星の動き)」+ワークシート
(6) 峯岸さん「月の満ち欠けの話」
(7) 峯岸さん「シャンパン・ファイトの実演」

(8) 品川美さん「道徳プラン〈初恋〉を理科でしてます」

(9) 品川正さん「人について」「言いにくい言葉」など

(10) 新井さん「運動会で「団別」折り染めうちわ」
(11) 新井さん「名前デザイン」佐藤真理さん→峯岸さんのもの
(12) 新井さん「バランス紙トンボ・実物大型紙」

(13) 高畠さん「峯岸プラン〈倒立〉を実施してみて」(峯岸さん紹介) 
(14) 高畠さん「たっくんのラクガキ」(峯岸さん紹介) 

(15) 都丸さん「道徳・読み物プラン〈ゼッケン67〉」
(16) 都丸さん「道徳・読み物プラン〈ゼッケン67〉の授業記録」

(17) 肥沼さん「世界の気候かるた」
(18) 肥沼さん「『知ろうとすること。』の紹介」

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『「ガン告知」それからの生き方と治療法』という本を教えていただいた。
『知ろうとすること。』の著者・早野龍吾さんは,
肺がん治療のために200ミリシーベルトの放射線治療を受けたことが,
福島第一の原発事故に関る中でとても役立ったという。
どこにも「シメタ」はあるものなのだと思った。
「生き方」はがんの患者さんの問題だけでなく,すべての人に関係することだ。
アマゾンで検索して,上記の本を読んでみようと思っている。

「速報①」と「速報②」に力をもらう

高崎サークル「速報①」と「速報②」が送られてきていた。

昨夜失意の床(入力した「高崎サークル参加者の感想」を
凡ミスで消してしまった!)についた私に,
パワーを与えてくれるものだった。
その内容を,転載させていただきます。

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高崎サークルご参加のみなさま

峯岸です。引き続き,サークルの内容の方を紹介していきます。
さっそく,肥沼さんがご自分のブログで,サークルの資料リストをアップしてくださいました。

肥さんの夢ブログ → http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2015/10/post-2a2d.html

僕は途中からになってしまいましたが,肥沼さんのスタート講演,とてもたのしく拝聴しました。
肥沼さんの小中交流のお話はとってもおもしろく,そして,お役立ち情報も満載です。
7月の例会の時には,その怒濤の始まりから軌道に乗るまでのお話をしてくださいましたが,
今回のお話では,その後どうなってきたかという実験結果のようなお話が聞けて,とてもよかったです。
「子どもたちが授業に慣れてきた」というお話や
「妹が壁に貼って覚えています」と中学校にいるお姉ちゃんが教えてくれたというお話など,
興味深く聞かせていただきました。
年間にわたって「交流授業の日」というのが決められ,
隔週で授業をしていくという制度というのは,あまり聞いたことがなかったので
(肥沼さんの勤務校では,英語では同じようなことを前からやっていたそうです),
その前例をつくっている(しかも,こうすればうまくいくという前例)という意味で,すごく貴重ですね。
そして,うまくいくだろうなぁという予想が立ちます。
なにしろ,仮説の虫がうずいて動き始めていますから(笑)
そういう虫がうずいて,動き出してしまった時って,だいたいうまくいくんですよね。
今回の美里さんの資料でも,そんな感じが伝わってきましたけど。
というわけで,演題は「小中交流その後~雨のち曇り,明日は晴れ?」でしたが,
この天気予報はきっと当たると思っています。
今後も定期的に結果を報告してくださると嬉しいです。

肥沼さんのミニ講演では,ブログにも紹介している内容をもとに,くわしくお話ししてくれました。
今回持ってきてくださった資料は,こちらからも読むことができます。

小中交流(5) http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2015/09/post-040d.html
小中交流(6) http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2015/10/post-3ab8.html
『歴史地理教育』原稿第2稿 http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2015/10/post-dc29.html

『歴史地理教育』の原稿は,《世界の国ぐに》やGDPボックス,仮説実験授業の素晴らしさが,
この字数でまとめられるなんてスゴイ!と思いました。
ブログを書いているうちに鍛えられるんだろうなぁと感心しました。
それにしても,子どもたちの感想が素晴らしくて,嬉しくなっちゃいますね。
そして,なにより,誰でもマネできるようになっているというところが,
他の研究授業とは違うところだよなぁと,
最近,一回だけの授業に時間を取られた僕としては,痛切に思うのでした。

***

さて,今回のサークルの感想は,品川さんに変わって,
肥沼さんが打ち直して紹介してくださることになりました。
実は星野さんからも「峯岸さん,僕が打ち直しますよ!」と言っていただいて,
とてもありがたかったです。
なんだか,みなさんに支えられているなぁと感じる,
幸せな時間を過ごせました。本当にありがとうございます。
身も心もボロボロだった僕でしたが,とても元気になって,
2日ぶりに(!)家に帰ることができました(笑)
肥沼さん,ありがとうございます。感想文,たのしみにしております。

とりいそぎ,スタート講演の感想まで。

峯岸昌弘

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特に,この「速報②」に力をもらい,
「高崎サークル参加者の感想」を再度入力し,
先ほど送らせていただきました。

古賀達也さんの多元的「国分寺」論(11)

摂津国国分寺には,
瓦の年代ギャップのほかに,
もう1つ「問題点」があるそうです。
それが「条坊とのズレ」問題です。
この2つの矛盾を解決する考えは・・・
「九州王朝によって最初の国分寺(国府寺)が建てられた」とする
多元的「国分寺」論と言っていいのてはないでしょうか。
くわしくは,古賀さんの文章をどうぞ!

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古賀達也の洛中洛外日記
第1072話 2015/10/09
条坊と摂津国分寺推定寺域のずれ

摂津国分寺跡から7世紀の古い軒丸瓦が出土していたことをご紹介し、
これを7世紀初頭の九州王朝による国分寺建立の痕跡ではないかとしましたが、
この他にも同寺院跡が7世紀前半まで遡るとする証拠について説明したいと思います。
それは、摂津国分寺の推定寺域が難波京条坊(方格地割)とずれているという問題です。
『摂津国分寺跡発掘調査報告』(2012.2、大阪文化財研究所)によれば、
摂津国分寺跡の西側には難波京の南北の中心線である朱雀大路が走り、
更にその西側には四天王寺があり、東側には条坊の痕跡「方格地割」が並んでいます。
その方格地割の東隣に摂津国分寺跡があり、
その推定寺域は約270m四方とされています(11ページ)。
ところがその推定寺域が条坊の痕跡「方格地割」とは数10mずれているのです。
いわば、摂津国分寺は難波京内にありながら、
その条坊道路とは無関係に造営されているのです。
これは何を意味するのでしょうか。
難波京の条坊がいつ頃造営されたのかについては諸説ありますが、
聖武天皇の国分寺建立詔以前であるとすることではほぼ一致しています。
わたしは前期難波宮造営(652年、九州年号の白雉元年)に伴って
条坊も逐次整備造営されたと考えていますが、
いずれにしてもこの条坊とは無関係に摂津国分寺の寺域が設定されていることから、
難波京の条坊造営以前に摂津国分寺は創建されたとする理解が最も無理のないものと思われます。
もし条坊造営以後の8世紀中頃に摂津国分寺が聖武天皇の命により創建されたのであれば、
これほど条坊道路とずらして建立する必要性がないからです。
既に紹介した7世紀前半頃と思われる軒丸瓦の出土も
この理解(7世紀前半建立)の正当性を示しています。
したがって摂津国分寺の推定寺域と条坊とのずれという考古学事実は、
摂津国分寺が7世紀初頭における九州王朝の国分寺建立命令に
基づくものとする多元的国分寺造営説の証拠と考えられるのです。
ちなみに、一元史観のなかには、このずれを根拠に
朱雀大路東側の条坊は未完成であったとする論者もあるようです。
同報告の「第3章まとめ」には、そのことが次のように記されています。

「古代における難波朱雀大路の東側の京域整備の状況には、
条坊の敷設を積極的に認める説と、これに反対する説があるが、
摂津国分寺の推定寺域が、難波京の方格地割とずれていることからも、
この問題に話題を投げかけることになった。」(13ページ)

このように摂津国分寺と条坊とのずれが一元史観では解き難い問題となっているのですが、
多元的国分寺造営説によればうまく説明することができます。
やはり、この摂津国分寺跡は九州王朝・多利思北孤による7世紀の国分寺と
考えてよいのではないでしょうか。
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三連休で挽回するぞ!

三連休で挽回するぞ!夏休みには,
大マスターのお陰で進んだ私の引越。
忙しさにかまけて,9月はほとんど動けず,
内心忸怩(じくじ)たるものがあります。
この三連休は,頑張って挽回しようと思っている。
そして,今年一杯には東村山の人・肥さんとなる!
(な~んちゃって)

2015年10月10日 (土)

久しぶりに「姉と僕」の歌を聴く

癒(いや)される歌といえば,「姉と僕」。
久しぶりに聴きたくて,YouTubeを開いてみた。
うれしいことに,4曲続けて聴けた。


「あの素晴しい愛をもう1度」「明日晴れるかな」
「見上げてごらん夜の星を」「なごり雪」

https://www.youtube.com/watch?v=z7ivESloMcQ&list=RDz7ivESloMcQ#t=9

う~ん,やっぱり「姉と僕」はいいね!
昨日までの疲れが,半分飛んでいった気がする。

古賀達也さんの多元的「国分寺」論(10)

久しぶりに,多元的「国分寺」論の話題です。
摂津国国分寺についてで,出土した古い瓦(7世紀前半)が証拠品となりそうです。
やはり多元的「国分寺」論は,正しかった。
以下,転載させていただきます。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1071話 2015/10/08
摂津国分寺跡(天王寺区)出土の軒丸瓦

九州王朝の多利思北孤による7世紀初頭(九州年号の告貴元年、594年)の国分寺(国府寺)建立と
8世紀中頃の聖武天皇による国分寺建立という多元的国分寺論のひとつの検証ケースとして、
摂津国分寺が二つあるというテーマを「洛中洛外日記」1026話で紹介しましたが、
ようやく『摂津国分寺跡発掘調査報告』などを閲覧することができました。
二つの摂津国分寺とは、ひとつは大阪市北区国分寺にある護国山国分寺で、
「長柄の国分寺」とも称されています。もう一つは天王寺区国分町にある国分寺跡です。
その発掘調査報告書によると、古代瓦などが出土しており、現地地名も天王寺区国分町であることから、
ここに聖武天皇による摂津国分寺があったとする説が有力視されています。
ですから、北区に現存する国分寺は摂津国府が平安時代(延暦24年、805年)に
上町台地北側の渡辺に移転したことに伴って「国分寺」を担当したとされているようです
(『摂津国分寺跡発掘調査報告』2012.2、大阪文化財研究所)。
今回閲覧した『四天王寺旧境内遺跡発掘調査報告1』(1996.3、大阪市文化財協会)に記された
出土軒丸瓦に大変興味深いものがありました。
摂津国分寺跡出土瓦の図表にある「素弁蓮華文軒丸瓦」片です(SK90-2出土)。
同遺跡からは他に8世紀のものと見られる「複弁六葉蓮華文軒丸瓦」や
「重圏文軒丸瓦」が出土しているのですが、
この「素弁蓮華文軒丸瓦」だけは7世紀前半のものと思われるのです。
同報告書にもこの瓦について「ほかに1点だけこれらの瓦より古い瓦が出土しているので、
奈良時代にこの地に国分寺が造られる以前にも寺があった可能性も考えなければならない。」
(105ページ)と解説しているのです。
『大阪市北部遺跡群発掘調査報告』(2015.3、大阪文化財研究所)においても、
この瓦のことを「一方で、SK90-2次調査では7世紀代とみられる素弁蓮華文軒丸瓦が出土しており、
国分寺以前にこの地に寺のあった可能性も指摘されている。」(160ページ)としています。
この出土事実から、天王寺区国分町にあった摂津国分寺の創建は7世紀にまで遡り、
このことは国分寺多元説、すなわち九州王朝・多利思北孤による国分寺(国府寺)建立説を
支持するものではないでしょうか。(つづく)
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ある女子生徒との会話(2)

昨日の朝,例の女子生徒に一昨日の件を質問してみた。
(「へー,若~い!」の件である)
すると,2つのことを言ってくれた。

(1) 声が若い
(2) なにかのキャラクターみたいな感じ

(1)については,やはり職業柄,毎日声を出しているからだろう。
(2)については,私の「ゆるキャラ」的な印象がそう感じさせているのかも。

いずれにしても,「へー,若~い!」は悪い評価ではない。
(「40歳ぐらいだと思っていた」とのこと)
そう言ってもらえるように,せいぜい精進したい。

昨日の部活動 10/9

昨日は,金曜の外。いわゆる「金外」だった。
5時半までできるのに,体育館が使えない。
なんとも歯がゆい部活動だった。
木下兄コーチ夫妻にもいらしていただいたのに,
申し訳ない次第だった。

本日からの3日間は,
10日(土)・・・午後1~5時
11日(日)・・・午後1~5時(霞ヶ関中の来校)
12日(体育の日)・・・午前9~12時(所沢北高校へ)
と思い切り活動できるので,
そうでない時はせいぜいテスト勉強をしておいてほしい。

「バレーボールばかり一生懸命で,
ちっとも勉強しない」なんて言われたら,
好きなこともできなくなるのだから・・・。

2015年10月 9日 (金)

『知ろうとすること。』

糸井重里・早野龍五共著,新潮文庫,
430円+税の上記の本を読み始めた。

011

いい本(2人の対話形式で読みやすい)だと思う。
原発事故問題に関心のある方だけでなく,
教育,文化,社会や人間のあり方に関心のある方には、
(ということは,「すべての人に」ということだが)
ぜひ読んでいただきたいと思う。
インターネットのあり方という点でも,
問題提起している本だと思う。
ありがたいことに値段も安い。
この本,「買い」ですよ!

本の後ろに付いている案内文を転載する。
「福島第一原発の事故後、情報が錯綜する中で、
ただ事実を分析し、発信し続けた物理学者・早野龍五。
以来、学校給食の陰膳調査や子どもたちの内部被ばく測定装置開発など、
誠実な計測と分析を重ね、国内外に発表。
その姿勢を尊敬し、自らの指針とした糸井重里が、
放射線の影響や「科学的に考えることの大切さ」を早野と語る。
「こころのありよう」とは。文庫オリジナル。」

ある女子生徒との会話

生徒「先生,何歳ですか?」
私「ごしち35だよ」(ちょっとボカして)
生徒「えー,35歳なんですかあ?」(疑いの目)
私「前の方の「ごしち」です」
生徒「えっ,57歳なの?」
私「そう」
生徒「へー,若~い!」

会話はそこまででしたが,
彼女がなぜ「へー,若~い!」と思ったのか,
今度聞いてみたいと思います。

総合の全校発表会 2015

今年で6回目となる上記の会が,
昨日体育館で行われた。
私が本校に来て5年目だが,
やはり「積み重ね」というのは大きい。
自然とレベルが上がらざるを得ないからだ。
昨日も各学年から,意欲的な発表があった。

1.1年生から「山口めぐり」の報告
(1) 各時代の器とお金から歴史に興味を持つ
(2) ミヤコタナゴについて

009

2.2年生から「職場体験」の報告
(1) 病院の食事介護の仕事
(2) 消防署の仕事

3.3年生から「修学旅行」の報告
学級委員会による共同制作

そのほか,夏休みにシンガポールに研修に行った2人から,
その報告があった。

010


昨日の部活動 10/8

昨日は,午後4時15分~5時半のコマだった。
木下兄コーチにお世話になった。
県大会の試合を意識した練習をした。

練習試合の話が,急浮上した。ヽ(´▽`)/

10月10日(土)・・・P
11日(日)・・・P(霞ヶ関中が来校)
12日(月)・・・9~12時(所沢北高校へ)

24日(土)・・・11~14時
25日(日)・・・P(霞ヶ関中が来校)

あと,さいたま市立木崎中とも練習試合を
する話になっている。(11月の初旬)

2015年10月 8日 (木)

3つのヤマを越えて・・・

本部役員選挙という3つ目のヤマを越えた。
これまで,新人戦という1つ目のヤマを「直県」優勝で越え,
『歴史地理教育』誌の原稿執筆という2つ目のヤマを越えてきて,
ようやく昨日,3つ目も越えたというわけだ。
あー,疲れたあー。

これらのヤマを越えてこられたのは,
生徒や先生たち,コーチや保護者の皆さんのお陰です。
あらためてお礼申しあげます。m●m

この先には,〈仮説〉関係のいくつかの楽しみが待っている。(o^-^o)

(1) 高崎サークル 10/10(土)
(2) 板倉式発想法の会 10/17(土)
(3) 巣鴨の仮説社での『たの授』公開編集会議 10/24(土)

このうち(3)は,まだ段取りがついていないが,なんとか参加したいと思っている。


昨日の部活動 10/7

昨日は,午後4時半~5時半のコマだった。
新人戦で勝ち進んでいるチームのため,
結果が出るまで30分の延長が認められているためだ。
(そうでない部は,午後5時まで)

しかし,昨日は本部役員選挙の開票のため,
私は1秒も参加できなかった。
本日からは,5時半まで見られる。

なお,さいたま市立木崎中より練習試合の申し込みが入ったと,
木下兄コーチからメールをいただきました。
前から練習試合をしようと話していた青柳先生の学校です。
私としても望むところ。
さっそく連絡を取ってみるつもりです。

8・8・9クラスの大規模校のようです。
男バレでは「県大会常連」といっていいと思います。

場所は「北浦和駅から東武バスに乗り、
木崎中学校前から徒歩2分」とのこと。

本部役員選挙関連(3)

昨日は,この仕事のメインイベントである
立会演説会と投票&開票が行われた。
その忙しい1日を振り返ってみよう。

(1) 男バレの朝練の時に,ステージ上に残っていた合唱コンのひな壇を片付ける。
1年の部員の協力があった。ありがとう。
(2) さらに,イス,長机,演台の用意をする。
(3) 空き時間に「立」「会」「演」「説」「会」の大型掲示をする。
(4) 昼休みに,選挙管理委員とステージ作りをする。
(5) 6校時に体育館で立会演説会を行う。
司会も手際よく,生徒たちの参加態度もとても良かった。
(6) 帰りの会で投票用紙に記入し,ホンモノの投票箱に投票する。
(7) 選挙管理委員と開票作業を行う。

一応の結果を職員室にいた先生方に伝える。
本日の朝,選挙結果の掲示の予定。

あとは,当選証と任命証を作り,
来週の朝会で渡すという作業がある。

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2015年10月 7日 (水)

連日の快挙!梶田さんにノーベル物理学賞が!!

一昨日の大村さんのノーベル医学生理学賞に続き,
昨日も梶田さんがノーベル物理学賞を受賞することがわかった。
ぜひこういう「平和貢献」を,日本の十八番(おはこ)にしていきたいものだ。

昨日廊下に貼った大村さんの新聞記事のとなりに,
また本日も梶田さんの新聞記事を貼ることができる。
これは大変うれしいことになった。

以下,「YAHOO!JAPANニュース」より転載させていただきます。

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.梶田隆章・東大教授にノーベル物理学賞 素粒子ニュートリノの質量発見

産経新聞 10月6日(火)19時0分配信

ガラスケース内の光電子増倍管を示す梶田隆章氏=平成25年10月2日、
千葉県柏市の東大宇宙研究所(草下健夫撮影)(写真:産経新聞)

スウェーデン王立科学アカデミーは6日、2015年のノーベル物理学賞を、
東京大宇宙線研究所の梶田隆章教授(56)と
カナダ・クイーンズ大のアーサー・マクドナルド名誉教授(72)に授与すると発表した。

素粒子ニュートリノに質量があることを発見し、
物質や宇宙の謎に迫る素粒子研究を発展させた功績が評価された。

日本のノーベル賞受賞は5日に医学・生理学賞の受賞が決まった大村智氏に続き計24人。
物理学賞は昨年の赤崎勇、天野浩、中村修二の3氏に次いで2年連続の受賞で計11人となった。

ニュートリノは物質を構成する最小単位である素粒子の一つで、
質量の有無をめぐる議論が半世紀にわたって続いてきた。
梶田氏は02年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏に師事。
ニュートリノに質量があることを観測で突き止め、素粒子研究の進展に大きく貢献した。

東大助教授だった梶田氏は、岐阜県飛騨市神岡町の地下鉱山跡にある
ニュートリノ観測施設「スーパーカミオカンデ」で、
大気中で発生する「大気ニュートリノ」を観測。
平成10(1998)年、ニュートリノが質量を持つことの証拠になる振動現象を発見した。

ニュートリノは計3種類あり、飛行中に別の種類に変身する性質がある。
これは振動現象と呼ばれ、ニュートリノに質量がある場合だけに起きる。

1970年代に構築され、素粒子物理学の土台となった標準理論では、
ニュートリノは質量を持たないとされてきた。
梶田氏らの観測はこれを書き換える歴史的な発見となり、
物質や宇宙の根源を探る研究に多大な影響を与えた。

スーパーカミオカンデは小柴氏が超新星爆発に伴うニュートリノを観測した
「カミオカンデ」の後継施設。
梶田氏は昭和63年、カミオカンデで観測した
大気ニュートリノの数が理論値より少ないことを発表。
さらに原因を究明し、日本が得意とするニュートリノ研究を大きく発展させた。

授賞式は12月10日にストックホルムで行われ、
賞金計800万スウェーデンクローナ(約1億1500万円)が贈られる。

肥さんによる「泰澄和尚」の年図

最近送られてきた古賀達也さんの「洛中洛外日記」の中にあった「泰澄和尚傳」。
年表部分を「年図(グラフ)」にしてみたくなりました。
それが,後半の「年図」です。

なお,古賀さんは「『泰澄和尚傳』に九州年号「朱鳥」の痕跡」という題名の通り,
九州年号についての証明としてこの史料を考えているので,
私の作業とは違う内容であることをあらかじめお断りしておきます。

では,まず古賀さんの「洛中洛外日記」から。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1069話 2015/10/04
『泰澄和尚傳』に九州年号「朱鳥」の痕跡

「泰澄和尚傳」(金沢文庫本)が泰澄研究において最も良い史料であることを説明してきました。
そこで、同書の年次表記について更に詳しく調べてみますと、九州年号は「白鳳・大化」だけではなく、
「朱鳥」の痕跡をも見いだしました。
「泰澄和尚傳」(金沢文庫本)では泰澄について次の年次表記(略記しました)で
その人生が綴られています。

西暦 年齢 干支 年次表記 記事概要
682 1 壬午 天武天皇白鳳廿二年壬午歳 越前国麻生津で三神安角の次男として生誕
692 11 壬辰 持統天皇七年壬辰歳 北陸訪問中の道照と出会い、神童と評される
695 14 乙未 持統天皇大化元年乙未歳 出家し越知峯で修行
702 21 壬寅 文武天皇大寶二年壬寅歳 鎮護国家大師の綸言降りる
712 31 壬子 元明天皇和銅五年壬子歳 米と共に鉢が越知峯に飛来
715 34 丙辰 霊亀二年 夢に天衣で着飾った貴女を見る
717 36 丁巳 元正天皇養老元年丁巳歳 白山開山
720 39 庚申 同四年以降 白山に行人が数多く登山
722 41 壬戌 養老六年壬戌歳 天皇の病気平癒祈祷の功により神融禅師号を賜る
725 44 乙丑 聖武天皇神亀二年乙丑歳 白山を参詣した行基と出会う
736 55 丙子 聖武天皇天平八年丙子歳 玄舫を訪ね、唐より将来した経典を授かる
737 56 丁丑 同九年丁丑歳 この年に流行した疱瘡を収束させる。その功により泰澄を号す
758 77 戊戌 孝謙天皇天平寶字二年戊戌歳 越知峯に蟄居
767 86 丁未 称徳天皇神護慶雲元年丁未歳 3月18日に遷化

おおよそ以上のような年次表記で泰澄の人生が記されているのですが、
まさに九州王朝から大和朝廷への王朝交代の時代を生きたこととなります、
従って、年次表記には「天皇名」「年号」「年次」「干支」が用いられていることが多く、
そのため700年以前の九州王朝の時代には九州年号が使用されているのです。
その上で注目すべきは、北陸を訪れていた道照との出会いを記した692年の表記は
「持統天皇七年壬辰歳」とあり、九州年号が記されていないことです。
『日本書紀』では持統天皇六年が「壬辰」であり、翌七年の干支は「癸巳」です。
たとえば金沢文庫本の校訂に用いられた福井県勝山市平泉寺白山神社蔵本では
「持統天皇六年壬辰歳」とあり、こちらの表記が『日本書紀』と一致しているのです。
しかしこの「持統天皇七年壬辰歳」には肝心の年号が抜けています。
もしこの壬辰の年を九州年号で表記すれば、「持統天皇朱鳥七年壬辰歳」となり、
金沢文庫本の「七年」でよいのです。
すなわち、金沢文庫本のこの部分の年次表記には九州年号の「朱鳥」が抜け落ちているのです。
「白鳳」「大化」と同様に700年以前は九州年号を使用せざるを得ませんから、
「泰澄和尚傳」の書写の段階で「朱鳥」が抜け落ちた写本が、
金沢文庫本だったのではないでしょうか。
九州王朝説に立った史料批判の結果として、「泰澄和尚傳」は
九州年号が使用された原史料に基づいて泰澄の事績を記したか、
平安時代10世紀(天徳元年、957年)の成立時に、
『二中歴』「年代歴」などの九州年号史料を利用して、
大和朝廷に年号が無かった700年以前の記事の年次を表記したものと思われます。
いずれにしても「泰澄和尚傳」は平安時代10世紀に成立した九州年号史料であり、
九州年号偽作説のように「鎌倉時代以後に次々と偽作された」とすることへの反証にもなる
貴重な史料ということができるのです。(つづく)
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この年表の部分を年図(グラフ)にしてみると,以下のようです。
何か「発見」があったでしょうか?
私は年図をたどりながら,まずこの泰澄和尚という人物に興味が湧きました。
そして,道照,行基,玄舫(玄昉?)と会っていることから,確かに実在の人物だと思えたし,
「疱瘡の収束」などにも力を発揮していることから,いろいろな知識があった人なのだろうとか。
それはもしかしたら私の勘違いかもしれないのですが,それが「年図にした効果」だったとすれば,
私も少しは「理科系の血」が入ったのかもしれないと思った次第です。

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肥さんによる「泰澄和尚」の年図

西暦 年齢 干支 年次表記 記事概要

682 1 壬午 天武天皇白鳳廿二年壬午歳 越前国麻生津で三神安角の次男として生誕
683
684
685
686
687
688
689
690
691
692 11 壬辰 持統天皇七年壬辰歳 北陸訪問中の道照と出会い、神童と評される
693
694
695 14 乙未 持統天皇大化元年乙未歳 出家し越知峯で修行
696
697
698
699
700
701
702 21 壬寅 文武天皇大寶二年壬寅歳 鎮護国家大師の綸言降りる
703
704
705
706
707
708
709
710
711
712 31 壬子 元明天皇和銅五年壬子歳 米と共に鉢が越知峯に飛来
713
714
715 34 丙辰 霊亀二年 夢に天衣で着飾った貴女を見る
716
717 36 丁巳 元正天皇養老元年丁巳歳 白山開山
718
819
720 39 庚申 同四年以降 白山に行人が数多く登山
721
722 41 壬戌 養老六年壬戌歳 天皇の病気平癒祈祷の功により神融禅師号を賜る
723
724
725 44 乙丑 聖武天皇神亀二年乙丑歳 白山を参詣した行基と出会う
726
727
728
729
730
731
732
733
734
735
736 55 丙子 聖武天皇天平八年丙子歳 玄舫を訪ね、唐より将来した経典を授かる
737 56 丁丑 同九年丁丑歳 この年に流行した疱瘡を収束させる。その功により泰澄を号す
738
739
740
741
742
743
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747
748
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752
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754
755
756
757
758 77 戊戌 孝謙天皇天平寶字二年戊戌歳 越知峯に蟄居
759
760
761
762
763
764
765
766
767 86 丁未 称徳天皇神護慶雲元年丁未歳 3月18日に遷化

高崎サークルに持っていく資料づくり

「忙中閑あり」ということもあり,
気分転換も兼ねて上記のようなこともできた。

(1) 小中交流の記録(5)と(6)
(2) 『歴史地理教育』誌の原稿(2稿)
(3) 世界の気候かるた
(4) 「もし原」色塗り用紙

選管の仕事のストレスが,
かえって心を高崎サークルへと向かわせるのだろう。
10/10(土)の部活動の土日シェアは,すでに相方と済ませている。
(K先生には土曜日に出てもらい,その代わり日曜日は私が出る)

本部役員選挙関連(2)

昨日は,立合演説会&投票の前日でとても忙しかった。
やったことを書いてみる。

(1) 1年生の立候補者がたすきを持っていないことを心配して,
早起きして作ったが,実際は3人とも作っていた。「骨折り損のくたびれもうけ」 
(2) 6校時に,もう1人の先生とまちづくりセンターへ投票箱3つを借りに行った。
投票箱や記入台は「借用書」があれば,まちづくりセンター等で簡単に貸してもらえる。
大人の選挙の投票率が低いので,中学生のうちから投票の習慣を
付けさせたいという意図があるのだろう。
(3) 合唱コンの練習の間に,もう1人の先生と投票用紙の印刷&人数分の袋入れをする。
その際,クラス色をマジックで表示する。投票箱の中で混じってしまうので。
(4) 放課後,体育館で立合演説会のリハーサル。
フロアーで男バスが「ドン,ドン,ドン」とボールをつく,大音響をBGMに。
(本番の立合演説会は静かなのだが)
マイクの使い方,しゃべり方(たいてい緊張しているので速すぎる),お辞儀の仕方などを指導する。
なんとかなりそうな感触をつかむ。

あとは,本日昼休みに選管を集めて,ステージ上の会場づくり。
立合演説会後の投票&開票で仕事はおしまいだ。

2015年10月 6日 (火)

日本の大村さんにノーベル医学生理学賞

「YAHOO!JAPANニュース」で,
日本の大村さんにノーベル医学生理学賞が決まったと知った。
大村さんのやった仕事は,本来のノーベル賞らしい内容で,私もうれしい。
長文だが,記事を転載させていただく。

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10億人を救った特効薬=ノーベル賞

時事通信 10月5日(月)20時52分配信


ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大村智・北里大特別栄誉教授は、
長年にわたり微生物が作る有用な化合物を探求してきた。
中でも1979年に発見された「エバーメクチン」は、
アフリカや東南アジア、中南米など熱帯域に住む10億人もの人々を、
寄生虫病から救う特効薬へとつながった。

大村さんは73年、大手製薬会社メルク社と共同研究を開始。
さまざまな微生物が作る抗生物質などの探索を進める中で、
静岡県内の土壌から分離された微生物が生産するエバーメクチンを発見した。
この物質は線虫などの神経系をまひさせる一方、
哺乳類の神経系には影響しない特性があることが分かった。

エバーメクチンを基に、さらに効果を強めた「イベルメクチン」は
家畜の抗寄生虫薬として世界的なベストセラーとなった。
さらに、失明につながるオンコセルカ症やリンパ系フィラリア症(象皮症)など、
熱帯域にまん延する寄生虫病にも効果があることが判明した。

世界保健機関(WHO)はメルク社の協力を得て、
アフリカなど寄生虫病に苦しむ地域にイベルメクチンを配布するプログラムを開始。
メルク社によると、2012年までに延べ10億人以上にイベルメクチンが無償提供された。
WHOによると、西アフリカでは02年までに少なくとも4000万人のオンコセルカ症の感染を予防。
象皮症でも00年から対象となる53カ国でイベルメクチンなどの集団投与が進められており、
20年までの制圧も視野に入ってきている。

本部役員選挙関連(1)

(1) 担当の先生のおかげで,投票用紙ができた。
(2) 巨大掲示物「立」「合」「演」「説」「会」の所在確認ができ,部分修理した。
(3) まちづくりセンターに電話し,投票箱の借用の件を話し,持っていく借用書を作った。
(4) 放課後,立候補者と応援責任者をよび,リハーサルのレクチャーした。
(5) 同時に,選挙管理委員を集め,リハーサルの打ち合わせをした。

昨日は,昼休みに数学の再テストがあったり,放課後合唱コンクールの練習の初日だったり,
さらに学年会が行われたりと,ほとんど休んだ記憶のない1日だった。
まだまだ書きたいことはあるが,愚痴の連続になってしまうのでやめておく。

昨日の部活動 10/5

昨日は,新人戦後なので,午後3時15分~5時の活動なのだが,
まだ勝ち残っている部は5時半のはずだった。
しかし,長い学年会を終えて体育館に駆けつけてみると,
もうすでに戸締りがされていて,
男バレ部員の姿はなかった。
2年生は昨年のことを忘れてしまったのだろか?

学年会は,いつも部活動に関係なく長くやるので,私は好きになれない。
だって,火曜日は男バレの「定休日」なので,
2日連続で放課後見られないということになるからだ。
(自主練がある週は,その点安心なのだが)

放課後の会議は,時間を区切って能率よくやらないと,
心身が疲れていて,うまく進まないものなのだ。
職員会議にしても,学年会にしても,
部活動の終わりのあいさつにも行かないなんて,
「月曜日は部活動を見なくてもいい日」にしていないだろうか?

楽天が安樂の好投で67勝目

ソフト 0 0 0 0 0 0 0 0 1 計1
楽 天 3 0 0 0 0 3 0 0 X 計6

楽天が安樂好投で67勝目をあげた。
楽天は1回裏,ウィーラーとフェルナンドのタイムリーで3点を先制。
その後6回裏には,岩崎のタイムリーなどで3点を挙げリードを広げた。
投げては,先発・安樂が6回無失点の好投で,プロ初登板初勝利。
なんだ,こんなにいい投手なら,早く使ってよ!

2015年10月 5日 (月)

さあ,いよいよ本部役員選挙だ!

新人戦という第1のヤマを「直県」優勝で越え,
『歴史地理教育』誌の原稿書きという第2のヤマを
皆さんの協力でなんとか越えた私。
最後の第3のヤマが,本日からの「本部役員選挙」である。
(これを,授業もやりつつ実施しなければならない)

本部役員選挙には9名が立候補していて,
会長・・・定員1人のところに2人が立候補。
副会長・・・定員2人のところに2人が立候補。
庶務・・・定員4人のところに5人が立候補。
と,2つの役職が「競争選挙」となる。

月曜日(本日)~放課後,立候補者と応援責任者を集めて立合演説会の指導。
選挙管理委員には,当日の役割分担。
司会2人の決定。委員長のあいさつ。副委員長の諸注意の内容。
選挙公報の残りの印刷。

火曜日(明日)~放課後,「立」「合」「演」「説」「会」の模造紙探し。掲示。
本物の選挙の投票箱の借用でまちづくりセンターへ。
投票用紙の印刷。分配して袋詰め。

水曜日(明後日)~放課後,立合演説会。投票。
選挙管理委員会での開票。集計。当落表示。

第3のヤマを無事越えれば,
週末には高崎サークルという「ごほうび」が待っている。
頑張ろう!

ノーベル、イグ・ノーベル両賞受賞者はいるか?

今週は「ノーベル賞の発表」もある週だが,
いったい誰がもらうのか,また日本人の受賞はあるのかと,楽しみなところだ。

以下は,「THE PAGE」というインターネット・ニュースに出ていた話である。

2010年に「炭素新素材グラフェンに関する革新的実験」で
ノーベル物理学賞を受賞した、
ロシア生まれのオランダ人物理学者のアンドレ・ガイム博士」が
唯一のノーベル、イグ・ノーベル両賞受賞者だそうだ。

300万枚重ねてやっと1mmという超極薄ながら、
強度は鉄の100倍で弾性は6倍の「強くてしなやか」な物質を作った。

それも「ガイム博士とパートナーのコンスタンチン・ノボセロフ博士の2人は、
グラファイトの塊にセロファンテープをくっつけ、
剥がしたものをシリコン基板に押しつけることを繰り返して
「世界一薄い素材」の抽出に成功。
「驚嘆すべき容易な方法!」と称賛され、
「剥がして遊んでいるうちに、ほとんど偶然に」
という説もありますが、まさにコロンブスの卵的発見」という。

実は,この博士「2000年に「カエルの磁気浮上」でイグ・ノーベル賞も受賞している
というユニークな経歴の持ち主。

「カエルの磁気浮上」で世界に笑われた10年後に,
今度は「炭素新素材グラフェン」で世界に賞賛されたなんて,
なんとも素敵な話ではないかと思った。

「上野三碑」が世界文化遺産になるかも!(2)

「夢ブログ」の上記の記事を読んだ古賀達也さんが,
「洛中洛外日記」にそのことを取り上げて下さいました。
うれしいので,その部分を転載しちゃいますね。

これも「上野三碑」の新聞記事のことを教えて下さった
mineさんのメールのお陰ですね!

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古賀達也の洛中洛外日記
第1066話 2015/10/01

「古田史学の会 facebook」のご紹介

 武蔵国分寺調査でお世話になった肥沼孝治さん(古田史学の会・会員)
のブログ「肥さんの夢ブログ」に、
「上野(こうづけ)三碑」(山上碑・多胡碑・金井沢碑)が
世界文化遺産候補になったことが紹介されていました。
関東にはなぜか古代石碑が他地域よりも残っており、
「上野三碑」はその代表的なものです。
関東に多く残っていることは、九州王朝との関連がありそうですが、
この問題は別の機会に考察したいと思います。

 世界文化遺産候補として「上野三碑」と共に
「命のビザ」で有名な杉原千畝(すぎはら・ちうね)さんの遺品も
候補になったとのことですが、
第二次世界大戦中に外交官としてナチスドイツの迫害から
大勢のユダヤ人を救った杉原さんの業績が
注目されることは日本人としても誇らしいことです。

 20年ほど昔のことですが、わたしは
杉原千畝さんの奥様の幸子さんの講演を聞いたことがあります。
戦火の中、逃げまわっていたとき、ロシア軍の機銃掃射を受けたそうで、
そのときドイツ軍青年将校が身を挺して守ってくれた思い出を語られていました。
青年将校は奥様の上に覆いかぶさり、被弾して亡くなられたとのこと。
とても紳士的な青年将校だったそうです。(後略)

昨日の部活動 10/4

昨日は,午後1~5時のコマだった。
(実は,「土日シェア」のため,
8時半~12時半の女バレの時間帯も学校にいた)
木下兄コーチ夫妻と大沢さん,本さんにお世話になった。
(女バレの時間帯では,木下弟コーチ,
大沢さん,本さんにお世話になった)

昨日は男女とも,全面コートを使うことができた。
というのも,新人戦で共に3位になった男女バスケが
昨日オフだったためで,広い体育館で思い切り練習できた。

保護者の参観も5名あり,
県大会の初日(11/8)は「車出し」をしていただき,
勝ち上がって2日目以降になったら,
その時はマイクロバスで行くことになった。

また,冬季の防寒着(名前がわからない)の注文があった。
さらに「全員バレー」Тシャツの注文もあった。
(1100円。こちらはいつでも注文できるが,
届くのに時間がかかります)

2015年10月 4日 (日)

『歴史地理教育』誌の原稿(2稿)ができる

ようやく懸案の2つめのヤマである
『歴史地理教育』誌の原稿を終えることができた。
授業の様子がブログに残してあり,
授業評価と感想もあったので,
それを組み合わせて原稿にすることができた。
生徒たちに感謝したい。
そして,昨日の私に時間を与えて下さった,
木下兄弟コーチをはじめとしたスタッフに
お礼を申し上げたいと思います。
ありがとうございました!

編集部が扱いやすいように,縦書きに便利な漢数字に直したため,
かえって横書きでは読みにくくなっていることをお許し下さい。

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仮説実験授業の授業書《世界の国ぐに》と
立体教材「GDPボックス」を使った6時間

はじめに 
中学一年で出会う世界地理は、社会科を好きになっ
てもらうという意味で、大変重要な位置を占めている。
その点仮説実験授業には、授業書《世界の国ぐに》
というピッタリの授業プランがあり、それと伴走するかの
ように開発された立体教材の「GDPボックス」があって、
とてもたのしい授業が期待できる単元である。
(GDPボックスとは、発砲スチロールあるいはケント紙で
作られた立体教材で、 底面積がその国の人口を表し、
体積がその国のGDPを表し、高さがその国の一人当
たりのGDPを表すというスグレモノなのである)

 これまで、この立体教材を「ブロックス」と呼び、生徒
たちにもそう紹介してきたが、これを開発した「楽ちん
研究会」(秋田総一郎さん、小出雅之さん、宗敦夫さん)
によると、別の教材と混同させないようにしてほしいという
ことなので、研究協力者・平野隆昭さんと相談の上、
現在では「GDPボックス」と改名している。

 ところで、私は「肥さんの夢ブログ」というサイトを開設
している。今回の授業の様子もそれで記録してきたので、
「臨場感」を味わっていただく意味でも、利用させていた
だきたいと思う。最初は読みにくいかもしれないけれど、
ブログを通しての授業記録によろしくお付き合い下さい。

 授業は、授業書《世界の国ぐに》第一部に四時間、
「GDPボックス」作りに二時間で、合計六時間だった。
さあ、始まり始まり・・・。

「出会い」の授業!
 昨日、今年度の初授業があった。クラスも1年1組で,
まさにスタートにふさわしいクラスだった。
まずは、手品2種(マジック・ノートとスプーン曲げ)で、
生徒たちのご機嫌うかがい。その後,授業書《世界の
国ぐに》の第一部=「いろいろな世界地図」の問題一~
三を行った。(ここで切るのが効果的である)

021

 これらは「メルカトル図法」を扱ったもので、仮説
実験授業の醍醐味を味わえる問題群である。
問題一でさっそく盛り上がり(予想変更で移動してき
た2人が正解)、それが,問題二と問題三につながっ
ていった。最高の展開であった。
次回の授業が,とても楽しみである。(o^-^o)
2015年4月14日 (火)

「全部間違えたけど,楽しかった!」
 板倉聖宣さんの作られた授業書《世界の国ぐに》は、
やはりよくできている。(後述の仮説社から購入できる)
 昨日三クラスで、問題一~三をやったのだが,どのクラ
スでも表題のような感想が多かった。普通人は間違え
ることが嫌いだから、三問も続けて間違えたくはないけ
れど、授業書《世界の国ぐに》のようなメルカトル図法の
たのしい問題なら、「間違えたこと(直感を優先させた故
の間違い)が、次につながっていく」ということなのだろう。
その点,この授業書は社会の科学のものだが、自然
科学の雰囲気も持っているのだ。
 今日は、問題四からのスタートのクラスが三つ。初めて
のクラスが一つとけっこうきつい1日だった。
疲れるけれど、もしかしたらこの授業書をやれる最後の機
会(定年まであと三年である)となるかもしれないので、
「サービス精神の塊(かたまり)」でいくことにする。
この授業の後半には,「GDPボックス」や「ペーパー・
GDPボックス」にも登場してもらう予定。
2015年4月15日 (水)

「今日もたのしかったです!」の感想に,疲れも半減
 新学期の緊張の中での、それもほとんど空き時間の
ない授業は本当に疲れる。これが仮説実験授業だから
いいものの、普通の教科書の授業だったら、なおさらだ。
本日は六時間出ずっぱりの授業だった(。>0<。)
 でも、今はまだ授業書《世界の国ぐに》をやっているので、
「今日もたのしかったです!」などと感想に書いてもらうと、
疲れも半分になるのですが・・・。(o^-^o)

「人口の多い国の覚え方」で一挙に覚える
人口の多い国の覚え方を使って,みんなでバレー
ボールの応援のように覚えたりもした。
「人口多いは,中 印 米国、インドネ、ブラジル、
パキスにナイジェ、バングラ、ロシアに、我が日本(にっぽん)、
チャチャチャ」。最後の「チャチャチャ」は、元の授業書には
入っていないのだが、調子よく言うために変えてみた。
みんな笑いながら、楽しんで覚えられた。テストにも
出題したが、もっとも正答率の高い問題の一つになった。
2015年4月16日 (木)

初めて見る「GDPボックス」に大興奮!
 授業書《世界の国ぐに》第一部も後半に入り、
[問題七]の「一人当たりのGDP」を聞く問題。
その答えには、GDPボックス を登場させた。

020

Photo

 これには生徒たちも大興奮!初めて見る 「GDP
ボックス 」に、視線が集まる。一つひとつ貼っていく
たびに,歓声が上がった。黒板いっぱいに世界
地図を描き、中国→インド→米国,日本→西ヨー
ロッパ→北ヨーロッパ→その他の地域という順番
で貼っていった。チャイムが鳴って片付ける際には、
「お手伝い」が続出したほどだ。やはり「GDPボックス」
の力はすごい!あらためてそう感じた。片付けを
手伝ってくれたある女子生徒が、「私、これ欲しい
なあ」と言っていた。
2015年4月17日 (金)

 このあと、授業書《世界の国ぐに》は、[問題七]の
「日本との貿易関係」をやって終了。生徒たちに、
ここまでの授業評価と感想を書いてもらった。
 仮説実験授業では、最後にこの2つを書いてもらい
授業を終わる。さらに、テストもしてから感想を書いて
もらうという先生もいるが、私は中間テストで問題を出
したいので、今回はここで行なった。

高い授業評価とうれしい感想たち
 今週は疲れたが、収穫の多い1週間だった。
まず、授業書《世界の国ぐに》第1部「いろいろな
世界地図」が終わり、GDPボックスの紹介もあって、
破格の授業評価をもらうことができた。ヽ(´▽`)/

【生徒たちの授業評価】
  〈たのしさ〉 5クラスの合計
ア. 113人
イ. 41人
ウ. 12人
エ  1人
オ. なし
  〈わかりやすさ〉 5クラスの合計
ア. 87人
イ. 64人
ウ. 14人
エ. 2人
オ. なし

【生徒たちの感想】
 「社会の勉強をして、いろいろ世界のことが
分かってうれしかったです。もっといろいろな国
の細かい所を知りたいです。社会が好きにりま
した。」(女子)
 「本当の面積は、メルカトル図法で描かれた
面積と違うことがには驚きました。」(男子)
 「一番楽しかったことは、人口の多い国を覚え
るための歌をリズムよく歌うことでした。家に帰っ
てすぐに紙に書き、覚えるために壁に貼りました。
今ではすらすら言えるほど、完ぺきに覚えまし
た。」(女子)
 「世界の国ぐにのGDPや貿易のことが、わか
りやすくてよかった。クイズ形式でたのしかった。」
(男子)
 「一番「世界の国ぐに」で印象に残ったのは、 
やっぱり「GDPボックス」でした。たのしかったし、
分かりやすかったし。GDPボックスを全部貼って
もらった時の風景を思い出して、今後の勉強に
役立てたいと思いました。今まであまり興味が
なかった世界の国ぐにのことを、もっと知りたいと
思いました。ありがとうございました。」(女子)

二時間の「ペーパー・GDPボックス」の製作
 このあと飛び石の二時間で、「ペーパー・GDP
ボックス」を作ってもらったが、その取り組みを書き
出すと.今回の紙面からはみ出てしまう量なので、
完成した模型の写真だけ載せておくことにする。

007

 第一回目・・・日本、米国、中国、ロシア、ドイツの5五国。
 第二回目・・・インド、ブラジル、オーストラリア、インドネシア、ナイジェリアの五か国。


「世界の人口ベスト10」を書いてみます。(選んだ国には☆)
1位・中国☆
2位・インド☆
3位・米国☆
4位・インドネシア☆
5位・ブラジル☆
6位・パキスタン
7位・ナイジェリア☆
8位・バングラデシュ
9位・ロシア☆
10位・日本☆
 10か国のうち8か国まで入れることができました。

終わりに
 就職浪人の時に出会った「仮説実験授業」は、私の
教員生活を一変させたと思う。初期には自然科学が
中心だった授業書も、今では社会の科学の広い分野を
扱えるようになってきている。
 社会の科学を教える授業書の数も、かなり増えている。
代表的で使いやすいものを、いくつか紹介しておこう。

世界地理・・・《世界の国ぐに》《世界の国旗》
日本地理・・・《日本の都道府県》《沖縄》
世界歴史・・・《世界史入門》《二つの文明の出会い》
日本歴史・・・《日本歴史入門》《日本の戦争の歴史》
政治経済・・・《三権分立》《日本国憲法とその構成》
 《おかねと社会》《生類憐みの令》《禁酒法と民主主義》

仮説社の連絡先は、十月に高田馬場から巣鴨に移転するので、
後日分かり次第連絡します)。

オフの1日

男バレが「直県」優勝できたので,
昨日は1日オフだった。

午前中疲れが残っていたが,
引越の荷物の片づけが進んでいなかったので,
やってしまおうと考えた。
かなり捨てられて,実家訪問も兼ねて
1回タクシー輸送した。(o^-^o)

本当はマリン球場に楽天を応援に行こうと考えていたのだが,
行かなくて正解だった。(パソコンで「観戦」した)
また,クルーズが乱調で,押し出しで勝ち越され,
ヒットでさらに1点追加されたのだ。(。>0<。)
もし行っていたら,昨日は自棄酒(やけざけ)だった。

全国にある!?「放光寺」

私の近く(といっても群馬県だが)にある放光寺は,
総社市にある寺院跡(山王廃寺)である。
その名は,上野三碑の1つの「山上碑」にも登場する。
群馬県内で最古の寺院跡である。
今は塔の心柱の根元を飾る根巻石(ねまきいし)と石製鴟尾等しか残っていないが,
回廊の中に西に金堂,東に塔が並ぶ
壮大な伽藍配置をしていたとことが発掘調査でわかっている。
(これは,法隆寺と反対の配置ですね)

ところで,福岡県(筑後地方)にも「放光寺」という地名があるということである。
(2004年の古賀達也さんの資料。「法隆寺移築元についての一試論~
筑後国「放光寺」説~」。引越の荷物整理の際に出てきた)
地図中に字地名として残っており,いつまで遡(さかのぼ)れるのか興味がある。

実は,九州年号の別種に「法興」(元年は,590年ぐらい?)というのがあり,
発音が同じことから関係があるのではないかと思った次第である。

「放光寺 - その他の同名寺院」でインターネット検索したら,
他に3つ「放光寺」がヒットした。

ウィキペディアによると,

「放光寺(ほうこうじ)は仏教の寺院であり、各地に存在する。

山梨県甲州市にある真言宗智山派の寺院で山号は高橋山。
詳しくは別項放光寺 (甲州市)を参照。

長野県松本市にある曹洞宗の寺院で山号は日光山。十一面観音が有名。
詳しくは別項放光寺 (松本市)を参照。

大阪府堺市にある高野山真言宗の寺院で山号は補陀洛山。
和泉西国三十三箇所第5番札所。別項放光寺 (堺市)を参照。」

これらは,どれくらい遡れるのだろう。

『空 見上げて』を読了

小川洋さんの「新人育成教員」日記(仮説社発行,1600円+税)を,
昨日ようやく読み終わった。
こんなに時間がかかったのは,
やはり忙しい9月だったということだろうか。
(体育祭,本部役員選挙の準備,新人戦へ向けての練習試合・・・)

特に良いと思ったのは,次の3点。

(1) 新しい「新人育成教員」のあり方を提案できた

小川さんと新任の「二人三脚」の素敵な関係から,
新しい「新人育成教員」のあり方を提案できたと思う。
私の周辺でも,こういう関係があればいいなと思うが,
現実はなかなか難しいものがあると思う。
それにはやはり,仮説実験授業を中心とした
たのしい授業の財産が背景にあるからこそで,
それのない関係はやはり経験の差で“上下”になりがちだと思った。
(小川さんは,かつて伴野さんという
ビッグな新人も育てた(勝手に育った?)実績がある)

(2) 1年間のまるごと報告の価値 

大学の教職課程では,小原茂巳さんが新提案を続けているが,
この本は「現場からの報告」と言っていいだろう。
しかも,1年間のまるごと報告なのである。そこに価値がある。
これが良かったところだけの部分報告だったら,
それは「小川さんだからできたのだ」と言われておしまいだが,
「なんだか私もできそう」「悩みながら,模索しながらでいいのか」
という内容が少なからず入っているので,安心して読めるのである。

(3) 研究会の人たちのアイデアが散りばめられている

うれしいと思ったのは,たのしい授業入門サークルをはじめとした人たちの,
役立つアイデアが散りばめられていることである。
教育活動というのは,とうてい人間1人のアイデアではやっていけないわけで,
いろいろな人からサークル・研究会等学んだことを,
しかも実名入りで紹介しているところが,素晴らしいと思った。
仮説実験授業研究会の人たちの魅力的な紹介にもなっているのではないだろうか。
ちなみに私も,全員存じ上げている方々だった。

ということで,「また素敵な本が1冊世に出た」と日記に・・・ではなく,
ブログに書いておこう。チャンチャン!

ふぞろいの“サンマ”たち

昨日「3丁目の夕日」に寄ったら,
大マスターがサンマを刺身にしていた。
お客さんのMさんにコーチングしてもらいながらである。
(Mさんは,かなりお上手なのだ)
10回ぐらいアドバイスを受けて,
できた刺身は,太いの細いの入り混じった
ふぞろいの“サンマ”たちであった。(。>0<。)
それを指摘されると,「太い方が美味しいんだ」と強弁。
そりゃ,自分で作ったものは美味しいかもしれないけれど,
売り物になるかどうかは“客”のみぞ知るというものだ。
私だったら,太さのそろったMさんの方を注文すると思うよ。
でも,そういう「営業努力」が始まったことは評価します。(o^-^o)

2015年10月 3日 (土)

新人戦・市予選(2日目) 2015

昨日は,上記の大会で富岡中に出かけた。
木下兄コーチ夫妻にお世話になった。

試合の結果は,以下の通り。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

対向陽中 2ー0(25ー11,25ー13)

相手のセッターの怪我はようやく治ったとのこと。
スポーツに怪我はつきものだが,
大きな試合の前のものは,チームにとっても大きな損失。
みんなも注意してほしい。
予想できない怪我もあるが,未然に防げる怪我もあると思う。
ファインプレーもあって,初戦から盛り上がった。

対東中 2ー0(25ー10,25ー5)

1年生が多いチームなので,来年は強くなることだろう。
逆にこちらは1年が3人。来年度の新入生に期待したい。
第1セットの「7連続失点」は,21ー3からのもので,
試合には影響なかった。

対富岡中 2ー0(25ー14,25ー12)

最終=第6試合が,結局2連勝同士の決勝戦となった。
2人のアタッカーがいて警戒したが,
ピンチは第1セットの後半に,17ー7でリードしてからの
「6連続失点」(一時,4点差となった)の時ぐらいだった。

ということで,1セットも失わない完全優勝。
選手全員の出場も果たせたし,
コーチの公約「15点以内の勝利」も守ることができた。
これで「直県」+春の協会長杯・県大会のシード権をゲットした。
(同時に,「坂戸桜中と地区大会で戦わない権利」もね)

【今後の日程】

抽選及び代表者会議→10/20(水) 
 場所:今回も上尾市民体育館になります!!

県大会日程・会場 11/8(日)男子→アスカル幸手 
                女子→久喜総合体育館
         11/10(火)男女→久喜総合体育館
         11/11(水)男女→久喜総合体育館

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ 大雨を警戒しての移動には,車を3台も出していただいた。
 ありがとうございました。(保護者10名の大応援団でしたね)

※ 私は審判をしていてお会いできなかったのですが,
 校長先生にも陣中見舞いに来ていただきました。
 また,AEТの先生が写真を撮りに来て下さいました。
 ありがとうございました。(県大会の方も,よろしくお願いいたします)

※ 所沢北高校の男バレの顧問の先生も陣中見舞いに来ていただきました。
 (この学校は,男バレ出身者が部長・副部長をしている)

※ 本日の午前中の練習は,休養日となりました。
 身心を休めて,また日曜の午後練習から頑張りましょう。

楽天が辛島の粘投で56勝目

楽 天 1 0 2 0 1 0 0 0 0 計4
ロッテ 0 1 0 0 0 0 0 2 0 計3

楽天が辛島の粘投で56勝目をあげた。
これで辛島は5勝目(7敗)。
松井裕は,33セーブ目。

この日ウィーラーは,14号2ランを含む
3安打4打点の猛打賞であった。
(9月以降,8本目の本塁打)

2015年10月 2日 (金)

第3回・肥さん賞の発表

27年続いている世界文化賞や
26年続いているの板倉賞にはまったく及ばないが,
第3回・肥さん賞を勝手に発表します。
(要するに今年私を元気にしてくれた方々ということです)

スポーツ部門・・・安打の日本記録を塗り替えた西武の秋山選手に。
        イチロー(210本)もマートン(214本)も抜いた(216本)!
        「記録は,破られるためにある」を実践した。

音楽部門・・・「愛の世代ズ」の2人~「おじいちゃんの唄」の功績により。
       (「あいせだラジオ」という新分野も開拓した)
       また,飯原けいせいバンド~「最初の一杯」の功績により。
       さらに「愛の世代ズ」を育てていただいている河田Pにも特別賞。
       さらにさらに,頭慢さんの自然な「ハブ空港」的役割に対して。

著作・出版部門・・・板倉聖宣氏や仮説実験授業に関する本や雑誌を出している仮説社と
         古田武彦氏の本をたくさん復刊しているミネルヴァ書房に。

授業書・教材部門・・・授業書《もしも原子が見えたなら》~小原さんの
          フロンティア教育や私の小中交流に新しい道を拓いたので。

古代史研究部門・・・多元的「国分寺」論で,いろいろお世話になっている古賀達也さんに。

飲食店部門・・・「房ya」「3丁目の夕日」~いつもお世話になっています!

テレビ番組部門・・・今年3月で視聴をやめたため,なし。
新聞部門・・・今年6月で講読をやめたため,なし。

雨のち晴れ(爆弾低気圧の通過)

本日は,部活動(男子バレー部)の市内予選。
天気のことが心配で,何回も天気予報を見ている。

体育館の競技なので,当然実施する。
問題は,朝の移動である。
やはり,車をお願いしておいてよかった!
朝は雨が残るが,終わる頃には「台風一過」かな?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

10月2日(金)

雨後晴

28℃[+5]20℃[+6]時間

  0-6 6-12 12-18 18-24
降水 60% 60% 10% 10%

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今午前4時半,急に風雨が強くなってきた!
こいつのことか!?

新人戦・市予選(1日目) 2015

昨日は,新人戦の1日目だった。
2時間ワークやプリントをやって下校&部活動を行った。

女バレの大会があって,初勝利をあげたそうだ。
(きついブロックだったので,決勝Тまでは進めず惜敗)
そのほか,ソフト部と女バスが2連勝した。
男子も負けてはいられない。

男バレは,1度下校して昼食。
1時半に再登校して,5時半まで練習した。

もうやるだけのことはやってきた。
「人事を尽くして,「直県」を待つ」(笑)の心境である。
天気の急速な変化に戸惑わないように,
健康に気をつけ,ケガに気をつけて頑張りたい。

楽天が則本の粘投で55勝目

楽 天 0 0 1 0 1 1 0 0 0 計3
ソフト 1 0 0 0 0 1 0 0 0 計2

楽天が則本の好投で55勝目をあげた。
1回裏に1点を献上したが,
その後は粘りの投球で試合を作った。
則本は10勝目(11敗)。
松井裕は32セーブ目をあげた。

2015年10月 1日 (木)

踏ん張りどこ(2)

覚悟を決めるといいことがある。
なぜか自分に有利に風向きが変わるのだ。
昨日は,こんなふうに「風向き」変わった。

(1) 小中交流で,ダイオキシン問題から授業書《もし原》の登場。
(2) 木下兄コーチとの会話から,「直県」優勝なら,翌日はオフに。
(3) うまくいけば,部活のオフの10月3日(土)の午前中に,
 『歴史地理教育』誌の原稿が完成する。

(2)と(3)は連動しているが,(1)と(2)や(3)は
連動していたわけではなかった。
しかし,「仮説の虫」のおかげで積極的に動けて,
(1)と(2)と(3)が連動してしまった。
うまく行く時は,こんなものだ。(o^-^o)

小中交流(6)

ついに「仮説の虫」(そんな虫がいるらしい)が動き出した。
単元は「食の安全・安心」。
かつての「所沢のダイオキシン問題」をきっかけに,
授業書《もしも原子が見えたなら》に出てくる
原子・分子たちのオンパレードである。

Photo

環境問題。しかも,地元・所沢の農業の大ピンチでもあった
ダイオキシン問題の話題で,分子模型の登場は偶然ではない。
むしろ必然というべきであろう。
これまで「満を持していた感」のある小中交流。
ようやく「私の出番」が来た!という感じだった。

次回(10月14日),「トトロの森」の話題が出せる。
かなり前に私が作った授業プラン「狭山丘陵の自然と歴史」も使って,
小中交流を盛り上げて行きたい。

※ 加藤先生には,長年,同授業プランを
総合の時間にご愛用いただき,感謝しております。

楽天が銀次の逆転2ランで54勝目

楽 天 0 0 1 0 0 0 0 2 0 計3
ソフト 0 0 0 0 0 0 2 0 0 計2

楽天が銀次の今季第1号となる
逆転2ランで54勝目をあげた。
逆転された直後の,価値ある決勝打であった。
西宮が今季初勝利。
松井裕が31セーブ目をあげた。

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