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2015年9月 8日 (火)

古賀達也さんの多元的「国分寺」論 その後(5)

古賀さんが,先週の土曜日に行われた現地調査について,
「洛中洛外日記」で書かれたものが,
竹村さんの「洛洛メール便」で送られてきました。
「案内人」をさせていただいた者としては,大変うれしいことです。
さっそく,転載させていただくことにします。

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第148号 古田史学の会「洛洛メール便」 2015年09月08日

前略。 「古田史学の会」の竹村です。
洛洛メール便をお届けします。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1044話 2015/09/05
「武蔵国分寺」現地調査緊急報告

肥沼孝治さん(古田史学の会・会員)のご案内で、
「東山道武蔵路」「武蔵国分寺」「武蔵国分尼寺」などの現地調査を行いました。
総勢8名で3時間ほどかけて、しっかりと見学できました。
そして、予想を上回る成果をあげることができました。
考察はこれからですが、取り急ぎ事実関係を中心に緊急報告を行います。
武蔵国分寺跡資料館などで次の知見、説明を得ました。
これらの持つ意味については、順次「洛中洛外日記」で考察します。

1.七重塔の造営年代は8世紀中頃とされていますが、
その根拠は『続日本紀』の聖武天皇の国分寺建立詔に基づくものであり、
出土瓦などによる考古学的事実によるものではない。
瓦からは編年が難しいとされているようでした。
2.真北に主軸を持つと思っていた「塔2」の発掘図面を精査すると、
東に約5度ほど振れており(茂山憲史さんの指摘・測定による)、
真北に主軸を持つ「塔1」(七重塔)とは造営年代や造営主体が異なると思われる。
3.「武蔵国分尼寺」の主軸も、内部の伽藍により異なっていた。
尼坊とその他の伽藍(金堂・講堂など)の主軸にはずれがありました。
4.同地域には7世紀の遺跡がないとされており、
従って「塔1」の編年も8世紀中頃とする根拠の一つにされていた。

他にも現地でなければわからない知見が次から次へと得られました。
「歴史は脚にて知るべきものなり(秋田孝季)」という言葉を実感しました。
懇切丁寧に説明していただいた武蔵国分寺跡資料館の中道さん石井さん、
そして下見やご案内をしていただいた肥沼さんに感謝いたします。(つづく)
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