« 楽天が則本の快投で52勝目 | トップページ | 古賀達也さんの多元的「国分寺」論 その後(9) »

2015年9月21日 (月)

銅造観世音菩薩立像は,いつ・どこで発掘されたか?(2)

9月5日(土)に訪問した武蔵国分寺跡資料館を,
昨日また訪問してきた。
上記のことを調べるためである。
(練習試合の帰りの電車がちょうど「国分寺行き」で,「天命」を感じた!)
あの日にお世話になったお2人の学芸員さんに,
昨日もまたお世話になった。

本棚から5冊ほど関係の調査書を探していただき,
銅造観世音菩薩立像が載っているものを読むことができた。
(最初自分1人で探して見つからなかったので,
中道さんを呼んでいただいた。)

『武蔵国分寺跡発掘調査概報 ⅩⅣ』
(昭和52~57年度尼寺々域確認調査 1989年3月
国分寺市遺跡調査会 国分寺市教育委員会)
という報告書がもっとも多くの知見を得ることができた。

188

それによると,仏像が発掘されたのは,第135次調査
(昭和57年1月13日~5月1日)の時で,3月とのこと。
考えていたより国分寺寄りで尼寺との中間点に当たる
東山道武蔵路の側溝からの出土のように見えた。
(中道さんは,「2つの遺構の切り合い」という表現をされていた)

SF1と呼ばれるもっとも古い道路面ではなく,
その上のSF2(幅15m,深さ45cm)
=SD139を埋めて構築された場所からのようで,
これだと11世紀中頃まで下るらしいとのこと。
仏像は,「道路面下30cmの粘質土中(道路築成土)より
頭部を南西部に向けた伏せの状態で検出された」とのことであった。

口絵で,仏像の全身がカラー写真掲載されているほか,
付編として,2つの論文が付けられていた。

(1) 武蔵国分寺跡附近出土の観音菩薩立像 久野健(2ペ)
(2) 出土銅造仏像の保存修復の研究 青木繁夫(6ペ)

(2)には,かつて昭和薬科大学での研究会でお世話になった
馬淵久夫さんのお名前も載っていた。材質調査担当として。

« 楽天が則本の快投で52勝目 | トップページ | 古賀達也さんの多元的「国分寺」論 その後(9) »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 楽天が則本の快投で52勝目 | トップページ | 古賀達也さんの多元的「国分寺」論 その後(9) »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ