« 豊岡高校との練習試合 9/22 | トップページ | 宮崎さんによる「大和国分寺」訪問記 »

2015年9月23日 (水)

2つの「中氷川神社」問題

所沢に2つの「国分寺」はないが,
2つの「中氷川神社」という問題が存在する。

山口のものと,三ヶ島のものが,
それぞれ「中氷川神社」を名乗っている。

両社の主張を見てみよう。

山口の「中氷川神社」・・・式内社・中氷川社の論社であり、
大宮氷川神社同様、須佐之男命(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、
大己貴命(おおなむちのみこと)の3神を祀る。
中氷川神社の「中」の意味は、大宮氷川神社と奥氷川神社(東京都西多摩郡奥多摩町)の中間、
大宮氷川神社と武蔵国の国府(東京都府中市)の中間などの説がある。
地元では古くから「氷川様」と呼ばれている。
崇神天皇御代の創建と伝えられる。
平安時代末期に山口家継が社殿造営し、その後兵火により焼失したが、
天正年間(1573年~1593年)に山口高忠が山口城とともに再興した。
昭和20年(1945年)には連合国軍最高司令官総司令部民間情報教育局初代局長の
ケン・R・ダイク准将が当社の祭礼を視察している。

三ヶ島の「中氷川神社」・・・崇神天皇御代(紀元前97年~紀元前29年)に大宮氷川神社より勧進され、
日本武尊が東征の折に立ち寄って大己貴命と少彦名命の両神を祀った、と伝えられる。
室町時代までは「中宮」、江戸時代は境内が細長いことから「長宮明神社」と呼ばれた。
天正19年(1591年)徳川家康より朱印地を賜る。
明治初年、中氷川神社へ改称した。

私は,後者の学区に,32歳から39歳にかけて在職し,
前者の学区に53歳以降在職している。
規模や歴史からは,山口の「中氷川神社」に軍配を上げたいが,
ひょっとして多元的「中氷川神社」論ということはないよね!?
ということで,ここに記しておきたい。

« 豊岡高校との練習試合 9/22 | トップページ | 宮崎さんによる「大和国分寺」訪問記 »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

山口の中氷川神社では、先輩の結婚式がありました。
三ケ島の中氷川神社の宮司さんは、職場の長でした。
確かにどうして同じなのかなとは思っていました。
神社というものは、改名しているところがいろいろですね。

秩父では、紫陽花神社に改名なんてところがありました。
また、袋養寺を太陽寺に改名なんてのもありましたよ。

翔空さんへ
コメントありがとうございます。

ずいぶんすごい改名が行われるのですね。
まあ,それでも「こういう理由で改名しました」と,
その歴史がはっきりしていれば問題ないのだと思います。
それをはっきりさせず,「昔から○○でした」というと,
これは,歴史の改竄(かいざん)ということになってしまいます。
現在の歴史教科書の元になっている『日本書紀』は,
そういう目で見ていかないと騙(だま)されます。

参考 古田武彦著『盗まれた神話~記・紀の秘密』(ミネルヴァ書房)

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 豊岡高校との練習試合 9/22 | トップページ | 宮崎さんによる「大和国分寺」訪問記 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ