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2015年9月 2日 (水)

-『盗まれた「聖徳太子」伝承』出版記念講演会-

土曜日に「国分寺の現地調査」に出かけるので,
日曜日の古田史学の会の講演会には参加できないと諦めていたのですが,
なんと部活動が午前中となったので,
なんとか古賀さんの講演に間に合いそうな情勢になってきました。
講演会の要旨を掲載いたします。

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「日出ずる処の天子」と聖徳太子の真実

『盗まれた「聖徳太子」伝承』(古田史学の会編)は、
従来聖徳太子のものとされてきた伝承・事績が実は誰のものであったのかを、
九州王朝説の立場から様々な角度で論証するもので、
古田史学の会では出版を記念し
東京家政学院大学、明石書店ほかのご協力を得て講演会を開催します。


講演会開催次第:平成27年9月6日(日)

13:00開会、主催者あいさつ

13:10~14;20

演題Ⅰ
聖徳太子の原像
ー姓は阿毎、字は多利思北孤ー
正木裕(古田史学の会事務局長)

14;20~14;30休憩

14:20~15:40

演題Ⅱ
日出ずる処の天子と「肥後の翁」
古賀達也(古田史学の会代表)

15:40~16:00
質疑・応答

16:00終了

『日本書紀』では、厩戸皇子が推古天皇の摂政として仏教を崇拝し、
遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれ、
冠位12階や17条憲法を定め、推古29年(621)2月5日に没したとしています。
そして厩戸は「日出る処の天子」と名乗り「隋」との対等外交をすすめた
「聖徳太子」として様々な伝承と共に後世に伝えられています。

しかし、同時代の俀(倭)国の実情を記した『隋書』には、
厩戸は勿論、推古天皇も見えず、「俀(倭)王」は多利思北孤であり、
俀(倭)国には阿蘇山有りと記されています。

また、法隆寺『釈迦三尊像光背銘』の「上宮法皇」は聖徳太子とされていますが、
その登遐年月日は『書紀』に記す厩戸の薨去年月日と相違する上、
母・妻の名も厩戸と合わず、そこに記す「法興」という年号は大和朝廷にはありません。
それでは「聖徳太子」として伝えられる人物とは一体誰のことだったのでしょうか。

本講演では九州王朝説の立場からこの疑問に答えます。
聖徳太子・「日出る処の天子」に関心をお持ちの方、是非ご参加ください。

日時:平成27年9月6日(日)午後1時~4時
場所:東京家政学院大学千代田キャンパス内
1号館4階 階段教室(1407)
◎予約不要、当日受付。参加費 1,000円

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