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2015年9月30日 (水)

これからの男バレの動き(最新版)

昨日,保護者の方たちと木下兄コーチと協議の上,
急きょ予定が変更されたのでアップする。

10/1(木)・・・新人戦(1日目)。2時間の授業後下校。
 午後1時半再登校で,5時半まで最終練習をする。

10/2(金)・・・新人戦(2日目)で富岡中へ。
 天気にかかわらず午前7時に集合。正門前から車3台で出発。
 丸1日なので,弁当などの用意。
 正式の大会なので,ユニフォームや靴下(黒で揃えたもの),シューズなどを用意。
 (おっと,優勝カップの返還と「選手宣誓」の準備もある)
 これまで何回も確認してきたように,自分たちの全員バレーを実践し,
 3戦全勝の「直県」で新人戦の県大会をゲットし,
 同時に協会長杯・県大会の出場権を得ること。

10/3(土)・・・A(午前8時半~12時半) ←「直県」の優勝なら,休養日にすることに!

10/4(日)・・・P(午後1~5時)

踏ん張りどこ

人生には「踏ん張りどこ」があり,
1年間にもそれがある。
どうもそれがこの1週間らしい。

今日(9/30)・・・小中交流(6),分子模型の登場か?(o^-^o)
 『歴史地理教育』誌の原稿締め切り(1週間延ばしてもらう?)
 「選挙公報」の完成

10/2(金)・・・男バレの新人戦・市予選
10/3(土)・・・部活A,ニコたのサークル(o^-^o)
10/4(日)・・・部活P(1日学校詰めかも)

10/5(月)・・・選挙管理委員会
10/6(火)・・・立合演説会のリハーサル,投票箱の借用
10/7(水)・・・立合演説会&本部役員選挙&開票,投票箱の返却

10/10(土)・・・高崎サークル(o^-^o)

これからの男バレの動き

昨日は「定休日」=自主練だった。
本日からの動きを,書いておこう。

9/30(水)・・・朝練+午後練(3時15分~5時)

10/1(木)・・・新人戦(1日目)。2時間の授業後下校。
 午後1時半再登校で,5時半まで最終練習をする。
 荷物を持って解散。

10/2(金)・・・新人戦(2日目)で富岡中へ。
 天気にかかわらず午前7時に集合。晴れていれば正門前に自転車で,
 雨なら下山口駅前へ。電車で新所沢駅に向かい,タクシー分乗。(1000円)
 丸1日なので,弁当などの用意。正式の大会なので,ユニフォームや
 靴下(黒で揃えたもの),シューズなどを用意。
(おっと,優勝カップの返還と「選手宣誓」の準備もある)
 これまで何回も確認してきたように,自分たちの全員バレーを実践し,
 3戦全勝の「直県」で新人戦の県大会をゲットし,
 同時に協会長杯・県大会の出場権を得ること。

10/3(土)・・・A(午前8時半~12時半)

10/4(日)・・・P(午後1~5時)

楽天が前夜の鬱憤を晴らし53勝目

楽 天 0 0 5 3 0 1 0 1 0 計10
ソフト 0 0 0 4 0 0 0 0 1 計5

楽天が前夜の鬱憤を晴らし53勝目をあげた。
4ー0の快勝のはずが,4ー10の大敗を喫した
一昨日のオリックス戦。
昨日は前半の本塁打攻勢で,首位・ソフトバンクに大勝した。

先発・レイをリリーフした入野が,今季初勝利。
岡島とウィラーに本塁打が出た。

2015年9月29日 (火)

肥さんの「夢バレー」試論(ルーチン編)

上記の連載を5年ほど前に10回行い,
それなりに好評だった。
(現在も「部活動」のコンテンツの中に入れてある。
2010.02.08~2010.02.17
読みたいという方は,ぜひ目を通して下さい)

その続編というか,増補ということで,
1回書いてみたい。
内容は,「ルーチン」である。
では,始まり,始まり。

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スポーツで,パフォーマンスをする前に,
同じような動作をすることをルーチンという。
自分の気持ちを落ち着かせ,
相手のペースに乗らないために利用されている。

有名な例をいくつか挙げると,
イチローが打席に入った時に行うルーチンがある。
「ものまね」でもよく使われるほど,印象的なものだ。
また,一昔前の王貞治の一本足打法や
高木守道のバスター打法が記憶にある。
また,投手でも,村田のまさかり投法や
野茂のトルネード投法が有名である。

一見やらなてもよさそうな気もするが,
彼らは自ら編み出したり,コーチと協力して創りあげたり,
逆にコーチに注意されても,アドバイスを聞かずに貫き通してきた。

スポーツのアスリートだけでなく,
板倉聖宣さんや古田武彦さんの講演の始まりの言葉も
私はルーチンのように思えるし(毎回ほとんど同じ),
私自身の「ブログのコメント」や「『たの授』の感想の書き方」も
ルーチンを意識しているように思う。
(こちらは,「最高のパフォーマンス」
というワケにはいかないが・・・)

最初に書いたように,これは自分にとってどうかという意味と,
対戦相手にとってどうかという意味と,
2つの意味があるように思う。

【自分にとって】

最高のパフォーマンスは,間合いが整った時に出やすい。
したがって,それを自ら作り出す動作(ルーチン)が重要になってくる。

【相手にとって】

独特のルーチンは,相手の行動をルール内で阻止することができる。
つまり「相手のパフォーマンスを抑える」という効果である。

それを,バレーボールでどう応用していくか?

実は,この項を書こうと思ったのは,
ルーチンを利用して成長した男バレ部員がいるからだ。
彼は運動神経はいいが,背も高くないし,特に特徴もなかった。
バレーボールでは背の高さは大変重要だ。
アタックもブロックも背の高い者が支配する世界だからだ。

彼は,自分を生かすためにルーチンを利用した。
バレーボールでは,審判が笛を鳴らしてから
8秒以内にサーブをしなくてはならない。
それを過ぎると,遅滞行為となり失点してしまうのだ。
しかし,これをよく考えると,7.9秒まではセーフということになる。
ボールを床に弾ませて,長時間ルーチンをすることにより,
サーブの成功率が格段に上がったのだ。

残念ながら先日「無失敗記録」は途切れてしまったのだが,
86セットの練習試合で,ピンチサーバーとして
「失敗1回」というのは,驚異的な記録だと思う。

上級生も舌を巻くこのルーチンの効果は,
我がチームの高い勝率を支える一因となっている。
だって,そんな記録を目の前で見せられたら,
簡単にサーブを打って自滅・・・というのは恥ずかしいから。

そういう意味でも,ルーチンの重要性は,
増すことはあっても減ることはないのではないかな?
ぜひ君も,自分なりの「ルーチン研究」をしてみてほしい。

「急(せ)いては事をし損じる」
「あわてる乞食はもらいが少ない
「急がば廻(まわ)れ」など,
昔から拙速(せっそく。あせって失敗すること)を
諌(いさ)める言葉も少なくない。

「上野三碑」が世界文化遺産になるかも!

昨日,群馬のmineさんからメールが入って,
「上野三碑が世界文化遺産の候補になる」という話題をいただいた。
それについて,少々書くことにする。

「朝日新聞デジタル」には,こんなふうな記事が出ていた。

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「命のビザ」「上野三碑」が世界記憶遺産の国内候補に

 2017年のユネスコ(国連教育科学文化機関)の
「世界記憶遺産」登録に向けた国内候補に、
群馬県にある特別史跡「上野三碑(こうずけさんぴ)」と、
第2次大戦中に外交官の故杉原千畝(ちうね)氏がユダヤ人に発給した
「命のビザ」のリストなどの資料が決まった。
選考していた日本ユネスコ国内委員会が24日、発表した。
公募に対して申請のあった16件から絞り込んだ。
来年3月、ユネスコに申請書を提出し、
17年に記憶遺産国際諮問委員会の審議を経て、登録の可否が決まる。

 上野三碑世界記憶遺産登録推進協議会が申請した上野三碑は、
飛鳥時代から奈良時代前期に現在の群馬県高崎市内に建てられた
「山上碑」「多胡碑」「金井沢碑」の総称で、いずれも国の特別史跡に指定されている。
大陸からの書体の伝播(でんぱ)を示し、短い碑文の中で東アジアとの交流を伝えている点や、
保存状態が極めて良いことなどが評価された。

 出身地の岐阜県八百津(やおつ)町が申請した「杉原リスト 
1940年、杉原千畝が避難民救済のため人道主義・博愛精神に基づき
大量発給した日本通過ビザ発給の記録」は、
外務省が所蔵する2139人分の査証発給リストや外務省とのやり取りを示す公電、
同町が所有する自筆のビザの記載があるパスポートのほか、
NPO法人「杉原千畝命のビザ」が所有する自筆の手記などが対象だ。
世界史的に見ても人道上、意義ある行為で、記録資料の多様性や公開性が評価された。

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ここまでなら,「へー,そうなんだ。良かったね」で終わりだが,
「上野三碑」については,時期が九州王朝から大和政権に替わる時期であり,
興味深いものなのだ。

mineさんからも,「一般(通説)向け」と「九州王朝説紹介」の
両方のリクエストがあったので挑戦してみたい。

「上野三碑」の一般的な解説は,群馬県のサイトがあるのでご覧下さい。

「上野三碑」

http://www.pref.gunma.jp/03/x4500026.html

これで,移動できなければ,
「上野三碑 群馬県ホームページ」で検索すると,
行くことができます。

古田史学の研究会で,問題となっているのは,
以下の点だと思います。

(1) 多胡碑・・・711年という年号は,
701年の大宝元年からわずか10年目。
古事記(712年)・日本書紀(720年)の発行前でもありますね。
かつて,九州王朝の時代に建てられた碑が,改竄された疑いがある。
碑をよく見ると,削りあとのようなものが見えるという。
九州王朝時代の碑(評)→大和政権時代の碑(郡)に
書き換えられたのではないか。
「羊」という人物もよくわからない。

(2) 山上碑・・・681年の建立は,まだ九州王朝の時代。
「佐野三家」=佐野宮という九州王朝から
認められた家柄があったのではないか。
また,碑文の中の「放光寺」というのが,
前橋市総社町に所在する史跡の山王廃寺と考えられており,
塔の礎石の大きさから,当時は相当な勢力を誇っていたと思われる。

「山王廃寺跡」

http://www.pref.gunma.jp/03/x4500027.html

これで移動できなければ,
「群馬県ホームページ 山王廃寺跡」で検索すると
行くことができると思います。

(3) 金井沢の碑・・・726年の建立。大和政権の成立25年目。
「三家」をどう読むか。「屯倉(みやけ)」=天皇の支配地と読みたい通説。
「○○宮」という有力の家柄(九州王朝の政権下で認められていた)ではないか。

昨日の部活動 9/28

昨日は,午後3時半~5時半のコマだった。
木下兄コーチにお世話になった。
新人戦対策の練習を行った。
(内容は,「企業秘密」です)

チームの靴下の色が黒に統一された。
「黒の靴下をはいているチームが強い」
という主張ができたらうれしい。

保護者の参観が1名あった。

「いいな」と思ったら,すぐ伝えること

仮説実験授業から学ぶなかで,
ようやく身に付いたなと思っていることがある。
それは,「「いいな」と思ったら,すぐ相手に伝える」ということである。

日本人はそれが下手で,相手を評価するのが不得意で損をしていると思う。
また「いい」と思った瞬間に評価をし損なうと,
なかなか次に伝える機会がないものなのである。

だから,「夢ブログ」を読んで「いいな」と思ったら,
すぐに「良かった」とコメントして下さいね。
(逆の時は,伝えなくてけっこうですから・・・(笑))

私のようなずうずうしい者でも,
記事についていつも自信を持って書いているわけではない。
だから,「私もそう思います」とコメントが入っただけで,
とても安心できるのです。(o^-^o)

楽天は「落天」だったのか?

楽天 2 0 0 0 1 0 0 1 0 計4
オリ 0 0 0 0 0 0 0 10 X 計10

先発・戸村が7回を0失点で抑え,
味方も4点の援護射撃。
どうみても「投打が噛み合い53勝目」という
「夢ブログ」の記事となると思われた。

しかし,8回に登場したクルーズ以下の
救援陣が火だるまに・・・。
四球をきっかけに,打者一巡の猛攻撃に遭(あ)う。
楽天は「落天」だったのかと思わせる1日。
勝つはずだった戸村(埼玉出身)のために,
これを記録しておこう。

楽天の初期の頃,6ー0でホテルに戻ったら,
テレビで6ー6の同点で終わったという
スポーツニュースを見た。
昨日は,それを超えた。
4ー0が4ー10となってしまった。

2015年9月28日 (月)

10月の楽しみ

もうすぐ10月だ。
あれっ,「10月の楽しみ」を書いてなかったぞ!

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10/2(金) 新人戦・市予選(ぜひ「直県」で優勝したい)
3(土) 『たの授』10月号,ニコたのサークルへ
(部活が午前中なので,グッドタイミング)

7(水) 立会演説会&生徒会本部役員選挙(選管の仕事納め)

10(土) 高崎サークルへ

14(水)~ テスト前の部活停止期間の開始

17(土) 板倉式発想法の会(仮説会館にて,12時半~)

20(火) 代表者会議(県大会のくじ引き)
21~22 中間テスト(生徒たちの頑張りに期待したい)

24(土) 『たの授』公開編集会議(巣鴨の新社屋にて)

31(土) 学校公開日(何か楽しいことをやりたいなあ)

原(ばる)と丸

古賀さんが「洛中洛外日記」の中で,
九州(福岡中心)に分布する「丸姓」について書いておられた。

私も面白い現象だとは思っていたが,
九州王朝と関連して話を進めるところまではいかなかった。

古賀さんの話を読んで思ったのは,やはり九州に多い「原」であった。
九州では「はら」ではなく「ばる」と発音する。
タレントに「東国原」さんがおり,
「ばる」と読むということをそれで知った人もいると思う。
戊辰戦争の激戦地の田原坂の戦いも,「たばるざか」である。

話を元に戻すと,この「原(ばる)」と「丸(まる)」は,
発音がとてもよく似ていると思った。
また,地名にも人名にも使われているということで共通点がある。
私としては,「原(ばる)」→「丸(まる)」への変化を予想しているが,
いかがなものでしょうか?

なお,以下の古賀さんの文章に興味を持った方のために,
次のサイトを紹介しておきます。

「姓名分布&ランキング」

http://www2.nipponsoft.co.jp/bldoko/index.asp

※ すぐに移動できなかった方は,
「姓名分布&ランクキング」と入力して検索してみて下さい。
これで移動できると思います。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1059話 2015/09/22

九州発か「○○丸」名字(1)

 ラグビーワールドカップでの南アフリカ戦での
劇的な逆転勝利で一躍有名になった五郎丸選手ですが、
キックの時の印象的なルーチンと呼ばれる動作とともに、
その珍しいお名前に、わたしの好奇心がフツフツと沸いてきました。
というのも、「五郎丸」のように名字が
「○○丸」という人が何故か九州に多いと感じていたので、
もしやと思い、五郎丸さんのご出身地を調べてみると、
やはり福岡市ということでした。
わたしの母校(久留米高専)の後輩にも小金丸さんがいましたし、
知人には田中丸さん市丸さんもおり、いずれも福岡県や佐賀県の出身です。
また、筑後地方には田主丸という地名もあり、
この「丸」地名や「丸」名字は古代九州王朝に淵源するのではないかと考えていたのです。

 そこで、インターネットの「名字由来net」というサイトを利用して、
「丸」名字の分布を調べてみました。
五郎丸さんをはじめ、著名人や知人の「丸」名字の県別分布ランキングは次のようでした。
数字は概数であることから、あくまでも大まかな傾向と理解した方がよさそうですが、
やはり推定通りの結果となりました。次の通りです。
なお、これは漢字表記の分類で、複数の訓みがある場合はその合計です。


〔著名人・知人の県別「丸」名字人数〕(人)
名字      1位    2位     3位   全国計
五郎丸 福岡500    山口120   広島60   990
小金丸 福岡1400   長崎170   東京130  2200
薬師丸 福岡10    神奈川10          20
田中丸 佐賀130    福岡90    神奈川30  380
薬丸  福岡190    鹿児島120  宮崎70   740
金丸  宮崎5200   東京2400   福岡2300 25600
市丸  佐賀1200   福岡820    東京290  3800
力丸  福岡1200   福島550    神奈川190 2800
井丸  広島50     福岡40    大阪30    240
田丸  千葉1700   神奈川1400 広島1400  11700

 以上のように、田丸さんを除けばほぼ九州、
特に福岡県に「丸」名字が集中していることがわかります。
九州以外では何故か広島にも多く、これが何を意味するのか興味深いところです。
田丸さんだけは傾向が異なり、関東に多く分布していますが、
ここでも2位に広島県が食い込んでいることが注目されます。
なお、「丸」一字の名字もあり、1位が千葉2400、2位東京830、3位神奈川470で、
全国合計5300でした。
千葉県に「丸」さん「田丸」さんが多いことが注目されます
(千葉県南房総市に「丸」という地名もあるようです)。(つづく)

昨日の部活動 9/27

昨日は,午後1~5時のコマだった。
木下兄コーチ夫妻にお世話になった。
(女バレは,弟コーチと大沢さんに)

市予選を意識した練習が行われた。
まだまだ「成り行き」バレーの傾向が強く,
「先取点をもぎ取りに行く強さ」が足りない感じがする。。
(先取点を取れれば,気持ちの余裕も生まれると思う)

それが原因で,「サーブやアタックを遠慮する」ことになったり,
「連続失点」のきっかけになってしまっているのだ。

今までのやり方でも,現在の勝率を保っているのだ。
積極的な試合運びができたら,
さらに勝率が上がると思うのだが・・・。

※ 土曜日は,木下兄コーチと本さんにお世話になったとのこと。

2015年9月27日 (日)

「3つの会」に参加する

昨日は,部活を「土日シェア」していただいて,
「3つの会」に参加した。

まず「『たの授』公開編集会議」へ。
参加者は6名で,仮説会館での最後の編集会議としては,
板倉先生も竹内三郎さんも不在で少々さびしいものだった。
仮説社の巣鴨への移転準備のため,
たくさんのダンボール箱が準備されていた。
来月は巣鴨社屋で行われる予定。
10月17日(土)に板倉式発想法の会が仮説会館で行われる。(次項参照)
テスト前なので逆に参加できる。
さっそくメールで小林光子さんに申し込んだ。

編集会議に1時間あまり出た後,電車に飛び乗り西武球場へ。
翔空さんと,西武VS楽天を観戦した。
かなりいい席を確保していただき,いつもとは違う臨場感が。
餃子やから揚げも用意していただき,
代わりに私は生ビールを2杯提供した。
(8月に「夢ブログ」で紹介した売り子さんから購入)
試合は,西武・高橋(光)と楽天・則本の投手戦だったが,
西武に浅村の満塁ホームランが飛び出し,楽天は負けてしまった。
明日以降も翔空さんは西武球場に来るという。
まことにうらやましい限りである。

002

その後,所沢に移動して,「青の会」。
三ヶ島中時代の同僚の会で,1番若い人でも52歳。
1番先輩格は70代と,「ハイレベル」な会であった。
さすがに本人たちや家族の健康問題が多く話題に上り,
時代の移り変わりを感じる。
しかし,10月はK先生の家で,
11月は生徒たちが経営している焼き鳥屋で会を開こうと,
楽しいことには貪欲な私たちであった。(笑)

緊急企画・移転記念の「板倉式発想法の会」

竹田美紀子さんの「メールde資料」により,
板倉聖宣さんのファンの皆さんにとっては,
うれしいお知らせが入った。
さっそく転載させていただく。
(私は,さっそく申し込んだ。
ちょうどテスト期間中で行ける予定!)

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緊急企画・移転記念
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
   板 倉 式 発 想 法 の 会
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
 主催 板倉研究室   協賛 仮説社

今年、2015年の10月には、仮説社が巣鴨(豊島区)に移転し、ついで
板倉研究室も板倉先生のご自宅に近い調布市に移転する予定です。
 板倉先生は1995年、国立教育研究所の定年退職をチャンスとして、
以後20年余り、この高田馬場(新宿区)の仮説会館を拠点として、科学
教育の研究・執筆だけでなく、サイエンスシアター、授業書開発講座、
発想法講座など多彩な活動を繰り広げてこられました。そこで、今回の
移転を記念して、この地で、久しぶりに「板倉式発想法の会」を開催
することにしました。
「僕はこれまでの一生で。やるべき研究はしてきたように思う」
「これからはみんなの研究の<応援団>としてやっていきたい」などと
おしゃっていますが、研究に対する意欲は衰えず、「みんなに話して
おきたいことがある」という強い思いもお持ちです。
ぜひ、おでかけくださるよう、ご案内いたします。

●発想法とは何か (1984年発行『科学入門教育』№4 もくじから)
 私が武谷さんから最も強く影響されたのは、その徹底した合理主義で『文化論』
が一 番強く心に残っていた。「気ままな人生」といい「自由」の旗をかかげると、
とかく私たちは勤勉さを敵視したり。勤勉にすることに気恥ずかしさを感じたり
する。ばか げたことだ。気ままに生きるとは、情熱をそそぐに値するものを見つ
けて地道に勤勉に努力をつみ重ねることではないかと思えるのだ。科学も芸術も、
それが学問であり文化であるが故に尊いのではない。庶民の生活を豊かにし、
その視野を広げてくれる 限りにおいてのみすばらしいのである。
●発想法12のひけつ (1985年発行『科学入門教育』№8 もくじから)
①きっかけの論理 ②だからとなのにの論理 ③仮説実験の論理 ④問題意識を
明確 に⑤根源に戻れ ⑥読書の仕方 ⑦作業しながら考える ⑧グラフを作れ
⑨他人の分ま で好奇心 ⑩矛盾をとことん追う ⑪妥協の論理 ⑫心理は10年
にして勝つ

 ※当日これらの資料は参加者にお配りしたいし、今なぜ<発想法か>という
先生の思いも配布の予定です。  
           
★★★★★★★★★★★★★★★★★★

■日 時 10月17日(土)12時30分受付~16時
            (この後 30分くらい<お祝いの会>の予定)
■会 場 高田馬場 仮説会館(引っ越し後の仮説社で)
■講 師 板倉聖宣
■参加費 5000円(当日いただきます)
          ※お祝いの会・記念品代等ふくませていただきます
■定 員 50名 (10月15日〆切り)
■申し込み方法  メール・はがきまたはファックスでお願いします。

小林光子 〒230-0012横浜市鶴見区下末吉5-9-35
ファックス  045-573-8298
     メールitakurakenkyusitu@gmail.com

『歴史地理教育』誌の原稿(1稿)

9月末が締め切りなので,いよいよ尻に火が付いてきた感じのする
『歴史地理教育』誌の原稿。
「夢ブログ」のミニ報告をつなぎ合わせて,とりあえず「1稿」を作ってみました。
(これに写真が何枚か加わります)
これをたたき台に,数日加除・訂正した上で,編集部に送りたいと思います。

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仮説実験授業の授業書《世界の国ぐに》と
立体教材「GDPキューブ」を使った6時間の授業

はじめに

 中学1年で出会う世界地理は、社会科を好きになっ
てもらう意味で、大変重要な位置を占めている。
 その点仮説実験授業には、授業書《世界の国ぐに》
というピッタリの授業プランがあり、それと伴走するか
のように開発された、立体教材の「GDPキューブ」があって、
とてもたのしい授業が期待できる単元なのである。
(GDPキューブとは、発泡スチロールあるいはケント紙で
作られた立体教材で、 底面積でその国の人口を表し、
体積がそのGDPを表し、高さがその国の1人当たりの
GDPを表すというスグレモノなのである)

 ※ これまで、この立体の教材を「ブロックス」と呼び、
生徒たちにもそう紹介してきたが、これを開発した「楽
ちん研究会」(秋田総一郎さん、小出雅之さん、宗敦
夫さん)によると、別の教材と混同しないようにしてほし
いということで、後述の協力者・平野隆昭さんと相談の
上、現在「GDPキューブ」と命名している。

 ところで、私は「肥さんの夢ブログ」というサイトを開設
しており、今回の授業の様子もそれで記録してきたので、
「臨場感」を味わっていただく意味でも、利用させてい
ただきたいと思う。最初は読みにくいかもしれないけれど、
ブログを通しての授業記録によろしくお付き合いの程を。

授業は、授業書《世界の国ぐに》第1部に4時間、
「GDPキューブ」作りに2時間で、合計6時間である。
さあ、始まり始まり・・・。

今年度の初授業!

 昨日、今年度の初授業があった。クラスも1年1組で,
まさにスタートにふさわしいクラスだった。
まずは、手品2種(マジック・ノートとスプーン曲げ)で、
生徒たちのご機嫌うかがい。
その後,授業書《世界の国ぐに》の第1部=
「いろいろな世界地図」の問題1~3を行った。

 これらは、「メルカトル図法」を扱ったもので,仮説
実験授業の醍醐味も味わえる問題群なのである。
問題1でさっそく盛り上がり(予想変更で移動してき
た2人が正解),それが,問題2と問題3につながっ
ていった。最高の展開であった。
次回の授業が,とても楽しみである。(o^-^o)
2015年4月14日 (火)

「全部間違えたけど,楽しかった!」

 板倉聖宣さんの作られた授業書《世界の国ぐに》は、
やはりよくできている。(仮説社から購入できる)
 昨日3クラスで、問題1~3をやったのだが,どのクラ
スでも表題のような感想が多かった。普通人は間違え
ることが嫌いだから、3問も続けて間違えたくはないけ
れど、メルカトル図法のようなたのしい問題なら、
「間違えたこと(直感を優先させた故の間違い)が、
次につながっていく」ということなのだろう。
その点,この授業書は社会の科学のものだが、
自然科学の雰囲気も持っているのだ。
今日は、問題4からのスタートのクラスが3つ。
初めてのクラスが1つと「5分の4」(授業の時数)の授業。
疲れるけど、もしかしたらこの授業書をやれる最後の機
会(定年まであと3年である)となるかもしれないので、
サービス精神の塊(かたまり)でいくことにする。
この授業の最後には,例の「GDPキューブ」や
「ペーパー・GDPキューブ」にも登場してもらう予定。
2015年4月15日 (水)

「今日もたのしかったです!」で,疲れも半減

 月曜日から始まった授業も、火曜日には3時間,
昨日の水曜日は4時間にもなると負担が増してくる。
(これは、行事を含まない純粋の授業時間)
これが仮説実験授業だからまだいいものの、普通の
教科書の授業だったら、なおさらだ。
本日はいよいよ,テスト監督2時間+〈仮説〉4時間の
「6分の6」を達成する。(。>0<。)
でも、今はまだ授業書《世界の国ぐに》をやっているので、
「今日もたのしかったです!」などと感想に書いてもらうと、
疲れも半分になるのですが・・・。(o^-^o)
2015年4月16日 (木)

初めて見る「GDPキューブ」に大興奮!

 授業書《世界の国ぐに》第1部も後半に入り、
[問題7]の「1人当たりのGDP」を聞く問題。
その答えには、GDPキューブ を登場させた。

 これには生徒たちも大興奮!初めて見る GDPキューブ に、
視線が集まる。1つひとつ貼っていくたびに,歓声が上
がった。
 黒板いっぱいに世界地図を描き、中国→インド→米国,
日本→西ヨーロッパ→北ヨーロッパ→その他の地域とい
う順番で貼りました。
 チャイムが鳴って片付ける際には、「お手伝い」が続出し
たほどだ。やはりGDPキューブ の力はすごい!あらためて
そう感じた。
片付けを手伝ってくれたある女子生徒が,、「私、これ欲し
いなあ」と言っていた。これって、水の分子模型の「赤パンツ」
の存在とどこか似ている。
 つまり、《もし原》で原子・分子の存在を知って感動→
自分もそれを身近に置いておきたい→「赤パンツ」キーホ
ールダーを鞄に付ける。これを応用すると、授業書《世界
の国ぐに》の「1人当たりGDP」( GDPキューブ )に感動
した→自分もそれを身近に置いておきたい→「GDPキュ
ーブ」キーホールダーを鞄に付ける。
 ついに、GDPキューブ の登場というわけです。本来の
GDPキューブ の大きさでは鞄に付けるのはとても無理。
そこで、5~15cmくらいの小さい GDPキューブ を作る。
(日本、米国、ドイツ、中国等)そうすれば、「社会の科学
の分子模型」である「GDPキューブ」&「ペーパーGDP
キューブ」 の「いいとこどり」が可能ではないかと思うのですが
いかがでしょうか。
 「赤パンツ」の分子模型だけでもすごいのに、「社会の
科学」の分子模型であるブロックスを身に付ける生徒が
出てくる!これって21世紀型社会科=「未来の〈社会の
科学〉教育」のイメージがわいてきませんか?
2015年4月17日 (金)

2クラスで《世界の国ぐに》第1部が終了!

2クラスがともに4時間で、
《世界の国ぐに》第1部を終了した。
授業評価を、2クラス合計で載せてみる。
〈たのしさ〉
⑤ 44名
④ 18名
③  4名
②  なし
①  なし
〈わかりやすさ〉
⑤ 37名
④ 22名
③  6名
②  2名
①  なし
というとても高い評価だった。うれしいな!ヽ(´▽`)/
 今回は、授業書《世界の国ぐに》の魅力+GDPキュ
ーブ の魅力の魅力ということで,4時間の授業を毎回
たのしく展開できた。(o^-^o)
 「べんきょうになった。
発ぽうスチロールがすごかった。
ポケットティッシュくらいのもあって
おもしろかった」③ー②
 「楽しかったことは、問題を解く時です。
分かったことは,GDPのことです」③ー②
以上は、各クラスに1人ずついた〈わかりやすさ〉が②
の生徒の感想である。これなら③以上のような気もする
んだけどなあ。全5クラスが終了したら、また集計して
ここに載せたい。
2015年4月18日 (土)

昨日の2クラスも驚異の高評価!

 先週の金曜に終えたクラスの授業評価は、すでに
「夢ブログ」に掲載したが、さらに2クラスが、ともに
4時間で、《世界の国ぐに》第1部を終了したので、
その2クラスの授業評価を、また合計で載せてみる。
〈すたのしさ〉
⑤ 47名
④ 16名
③  5名
②  なし
①  なし
〈わかりやすさ〉
⑤ 34名
④ 31名
③  3名
②  なし
①  なし
 お~っ、すごく高い授業評価!しかも、今回は②と①
がなしときている。さらに、先週の2クラスと昨日の2クラスの
授業評価を足してみた。
〈たのしさ〉
⑤ 91名
④ 34名
③  9名
②  なし
①  なし
〈わかりやすさ〉
⑤ 71名
④ 53名
③  9名
②  2名
①  なし
 もう信じられないくらい、高い評価だ。やはり、授
業書《世界の国ぐに》と GDPキューブ をミックスさ
せたのは大成功であった。この高い授業評価に応
えるべく、私は社会の科学の「分子模型」である、
GDPキューブ 作り(正確に言うと、GDPキューブ
1/2モデル作り)にチャレンジしようと考えている。
 生徒たちにお礼をしつつ、私は新たな教材開発を狙
っている。というのも,授業書《もしも原子が見えたなら》は、
発泡スチロール球による「分子模型づくり」によって、
さらに盛り上がったという経緯があるからだ。こちらも「作り
ながらイメージをわかす手立てとなる」と、私は信じる。
2015年4月21日 (火)

ペーパーGDPキューブ 1/2モデルの製作

 わずか1時間で、B4判のケント紙から5つのGDP
キューブ を作ろうと、一昨日から目論んでいた上記
の作業を,、昨日4クラスで実施してみた。その様子を、
時系列で書いていきたい。
 (1)一昨日描いた設計図に自信がなかったの、
コピーを取って試作品を作ってみた。(「予備実験」みたい)
やっておいて良かった。中国のモデルが間違っていて、
それを事前に修正できたからだ。
 (2)部活の朝練の前に、ケント紙に印刷した。厚み
のある紙に印刷された1/2モデルは、朝日に輝いて
見えた。(笑。もちろん気のせいだが…)
 (3)1時間目が「空き時間」だったので、必要な道具を
ダンボールに詰めた。これも良かった。忘れ物を取りに
行く時間は、最大のロス。これが防げた。(国旗の色塗り
用マジック、はさみ、のり、セロテープ、持ち帰り用ビニー
ル袋。あとは、ケント紙と試作品。平野さんのGDPキューブ)
 (4)前の時間に、「次から教科書を進める予定」と言って
あったので、ダンボール箱を抱えた私を見て、「あれっ,
何が始まるのかな?」と生徒たちは私を不思議そうに眺めていた。
 (5)まず黒板に平野さんの GDPキューブ を貼り付け、
その下に試作品を続けて貼り、「1/2モデルを作ろう!」
と書いた。
 (6)作業の手順を5段階で示した。
① 国旗に色を塗る。② はさみで切り抜き、線で折る。
③ 組み立てて、のりやセロテープで立体にする。
④磁石を底に付ける。(中国のみ1.2cm×1.2Cm1個を使用。
あとの4つの国は半分に切って使用)
⑤ビニール袋に入れて持ち帰る
(7)2クラス目から、「(2)までを15分間で終える」と指示
を追加した。初めてやる作業なので、めやすを示す必要
を感じたからだ。
 (8)これも2クラス目から、セロテープの使用を奨励した。
のりはなかなか乾かなくて、作業が進みにくい。
見栄えを気にしなければ,これの方が良さそうだ。
 (9)事前に全クラス分の板磁石がそろっていなかったことや
(急きょ教材屋の方に届けてもらった),
予告もなく教室に校長先生が「授業監察」?に現われるという
ハプニングもあったりして、初めての1/2モデル作りは
波乱含みのものとなったが、今後のノウハウも得ることができた。
次にやる時の、そして次にやる人の「財産」となろう。
 (10)生徒たちの感想には、「たのしかった」「難しかった」
「難しかったけど、楽しかった」などといったものが多かった。
中には、自分で作ったので、「愛しく感じる」とも。おー!
これは特にうれしかった。ありがとう!
やはり生徒たちは、「共同研究者」(山路さん)かもしれません。
先行実践をされてきた GDPキューブ の秋田さん、小出さん、
宗さん。ペーパーGDPキューブ の平野さんには,特に感謝です。
皆さんの研究の流れを受け継ぎ,さらにブロックス研究を発展
させたいです。

試作品

道具たち

 まず、国旗の色塗りから
2015年4月22日 (水)

疲れたが,収穫の多かった1週間

 今週は疲れたが、収穫の多い1週間だった。
まず、授業書《世界の国ぐに》第1部「いろいろな
世界地図」が終わり、GDPキューブ の紹介もあって、
破格の授業評価をもらうことができた。ヽ(´▽`)/
〈たのしさ〉 5クラスの合計
⑤ 113人
④  41人
③  12人
②   1人
①   なし
〈わかりやすさ〉 5クラスの合計
⑤  87人
④  64人
③  14人
②   2人
①   なし


そして、これは、ペーパーGDPキューブ1/2モデルの製作
につながった。また、次の時間の「東日本大震災の写真」と
「おのくん」の取り組みの紹介にもつながっていった。
さらに、社会科サークルでの報告を変更させることにもなった。
(最初は、「私の最近の授業の工夫」だったが・・・)
 その他、山ほどの行事をこなし、もうすぐカナダに戻る予定の
教え子・千恵さんに楽屋の料理も味わってもらい、
コーチによって県大会へ向けての練習も着々と進み、
昨夜はイタリア料理店・房yaで久しぶりに「自分にごほうび」をあげた。
 来週からは、教科書授業のプリントの作成が課題だ。
丸読みから始まる授業形式をはやく定着させ、テンポの良い
授業をめざしたい。また、水曜日に行われる協会長杯・県大会で、
我が校の存在を埼玉県下に知らしめたい。(o^-^o)
2015年4月25日 (土)

ペーパーGDPキューブ1/2モデル(その2)

ようやく体調が回復してきたのと、
本日高崎サークルに参加するお土産にというのと、
平野さんはじめ「たの社ML」の皆さんへのご報告を兼ねて、
先ほど描いた上記の設計図を披露する。
これはGDPキューブ(平野さん考案)を定規で測り、
すべて1/2で描いたという単純な製図である。
しかし、「今までそれをやった人はいなかった」という点で、
初めて実行した私をちょっとほめてやりたいというものだ。
前置きはいいとして、今回選んだのは「残り5つの国」でした。
どこを選んでも誰かは文句を言うだろうから、
えいやっ!ということで、インド、ブラジル、インドネシア、
ナイジェリア、オーストラリアを新たに選びました。
(これまで選んだのは、日本、米国、中国、ロシア、ドイツの5か国)

「世界の人口ベスト10」を書いてみます。(選んだ国には☆)
1位・中国☆
2位・インド☆
3位・米国☆
4位・インドネシア☆
5位・ブラジル☆
6位・パキスタン
7位・ナイジェリア☆
8位・バングラデシュ
9位・ロシア☆
10位・日本☆
 10か国のうち8か国まで入れることができた。
「人口ベスト10」に入っていないのに選んだ2か国は,
ドイツとオーストラリアで、EUを代表してもらってドイツ、
大陸1つは選ぶということでオーストラリアを入れた。
対日貿易が多いということもある。
ブラジルとナイジェリアも大陸代表とこれから伸びてくる国
ということである。
 これらを授業書《世界の国ぐに》の第1部「いろいろな
世界地図」を4時間ほどでやったあと,2時間で10か国の
GDPキューブ作りをするというのが
今回考えてみた肥沼の目論見です。
早ければ,夏の大会(東京・北トピア)で皆さんと作る会を
してみたいなあと思っています。
今回の5か国

前回の5か国

2015年5月 2日 (土)

終わりに

 就職浪人の時に出会った「仮説実験授業」は、私の
教員生活を一変させたと思う。初期には自然科学が
中心だった授業書も、今では社会の科学の広い分野を
扱えるようになってきている。
 社会の科学を教える授業書の数も、かなり増えている。
代表的で使いやすいものを、いくつか紹介しておこう。

世界地理・・・《世界の国ぐに》《世界の国旗》
日本地理・・・《日本の都道府県》《沖縄》
世界歴史・・・《世界史入門》《2つの文明の出会い》
日本歴史・・・《日本歴史入門》《日本の戦争の歴史》
政治経済・・・《三権分立》《日本国憲法とその構成》
 《おかねと社会》《生類憐みの令》《禁酒法と民主主義》

※ 「人口の多い国の覚え方」が入っていない
※ 仮説社のこと,連絡先

「ビッグイシュー」のこと

最近「あいせだ★ブログ」の中で,
「ビッグイシュー」という雑誌のことが話題になっていた。
これは「ホームレスの社会復帰」に貢献することをめざして
発行されている雑誌なのだが,
私の知っている「買える場所」は高田馬場しかないので,
仮説社に行く際時々買っている。昨日が,そのチャンスだった。

「愛の世代ズ」のるてさんは,「あいせだラジオ」の中で,
「買うと決めている。お釣りはいらないといって,差し上げている」
とたべさんにおっしゃっていたが,私はその時の気まぐれで
買ったり買わなかったりで,お釣りも受けとる。

最近号の特集は,「エクセルギー(暮らしを変える,自然の力)」と
映画「心が叫びたがっているんだ。」のスペシャルインタビューだった。
内容には,私も概(おおむ)ね賛成である。

003

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で,
ビッグイシューのことを調べてみた。
以下,長文を転載させていただく。

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ビッグイシュー(The Big Issue)は、
ホームレスの社会復帰に貢献することを目指すとする企業であり、
またイギリスを発祥に世界で販売されるストリート新聞のことである。

1991年、イギリスの化粧品製造会社の創業者であるゴードン・ロディックが
アメリカでホームレスのみが販売できる新聞(street newspaper)を見かけたことをきっかけに、
知人のジョン・バードに依頼・調査してもらった。
すると、「事業としてロンドンで成功するだろう」という結論を導き出した。
英語の「イシュー(issue)」には「問題」と「出版物の発行」のふたつの意味がある。

1991年、ホームレスの社会福祉情報だけでなく、
エンターテインメント情報なども重視してロンドンで「ビッグイシュー」の第1号を発行。
見事大成功を収め、イギリス各地はもとより全世界各地で
続々と各言語に翻訳・独自編集し、発行されている。

イギリス女王エリザベス2世が1度購入したことがある。

日本では、2003年9月より大阪市にて、
民間シンクタンクの代表であった佐野章二が中心となって日本語版を発行するようになった。
体裁はA4判カラーページで32ページ前後。
当初は月刊であったが、2007年10月現在では月2刊となっている(毎月1日・15日)。
発行部数は、約3万5千部。発売都市は、順次拡大している。

発行元である「有限会社ビッグイシュー日本」に登録し、
顔写真とナンバー入りの身分証を交付された
「ベンダー」と呼ばれる販売者のホームレスから購入する。
ベンダーは活動中、身分証を胸元に提示している。
定価は350円で、1冊につき180円がベンダーの収入となる。
2007年9月までは、定価は200円で、
売り上げの55%(1冊当たり110円)がベンダーの収入となっていた。

2011年12月現在までに、販売員約1280人のうち、およそ150人が就職口を得ている。
また、道路の使用許可を得て販売しているのかという疑問を持つ者もあるが、
実際には道路の使用許可は必要はない。

2006年10月15日発行の59号では、
2ページ強にわたってWikipediaについての記事が掲載された。

発売都市

括弧内の組織名は活動を支援している団体。
なお、発行元である有限会社ビッグイシュー日本の事務所がある大阪および東京周辺は、
各事務所が活動を支援している。

大阪市、高槻市(NPO法人釜ヶ崎支援機構)
京都市(ビッグイシュー京都)
神戸市
東京都
横浜市(NPO法人さなぎ達)
川崎市
青森市※現在販売休止中
仙台市(NPO法人仙台夜まわりグループ、仙台ビッグイシューソサイエティ)
広島市(ビッグイシュー広島販売支援)
名古屋市(ビッグイシュー名古屋ネット)
福岡市(ビッグイシュー福岡サポーターズ)
札幌市(ビッグイシューさっぽろ[3])
熊本市(ビッグイシューくまもとチーム[4])
鹿児島市(ビッグイシューかごしまサポーターズ)
さいたま市(ビッグイシュー埼玉)

2015年9月26日 (土)

仮説社,引っ越します!

仮説社のホームページに,以下のような案内が出ていた。
「夢ブログ」の読者のうち,関係する方も少なくないと思うので,転載いたします。
「今関係しない方」も,楽しいので,
ぜひ1度仮説社を訪問してみてはいかがでしょうか。
仮説実験授業関連の書籍をはじめ,
たのしい授業に関るグッスがたくさん売られています。

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仮説社,引っ越します!
引越先は「巣鴨」駅(南口)徒歩2分です。

★お得情報★
引越前→9月19日(土)~10月6日(火) 高田馬場にて,店頭販売のみに割引セール!
引越後→10月23日(金)~10月23日(土) 新住所・巣鴨にて,「仮説社フェア」!!

仮説社

http://www.kasetu.co.jp/

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仮説社と私の年譜

(それ以前は,私は知らない。1973~80年は「謎の8年」である)

水道橋社屋・・・板倉先生の『日本歴史入門』で〈仮説〉を知った私は,
 その本にはさんであったパンフを頼りに仮説社を訪問した。
 たぶん竹内三郎さんがていねいに応対してくれたと思う。
 1981年,私23歳,竹内さん36~7歳の頃だった。
 次の年に,埼玉県の中学社会科教師として採用されて,
 〈仮説〉の社会の科学の授業書を年に数本実施する。
 わかば塾の田島さんと所沢仮説サークルを作ったりもした。

高田馬場社屋・・・1番長く通った社屋。仮説社の隣りの間が仮説会館で,
 若い頃は板倉式発想法ゼミナールや授業書・総合読本開発講座に通う。
 その後も『たの授』公開編集会議や各種サークルに通うついでに,
 書籍,おもちゃ,手品などを購入する。
 30歳の頃,板倉先生らとヨーロッパ科学史の旅にも随行する。。
 「仮説社の株(10万円)」も持っている(ことになっている)。

巣鴨社屋・・・2015年10月からの新社屋。どんな展開があるのか,
 大変楽しみである。

総合の学年発表会

6時間目の総合は,上記の会が行われた。
各クラスから選ばれてきた10名(2名×5クラス)は,
それぞれ発表内容,態度,声量とも甲乙つけ難く,
いい発表会になったと思う。

私は彼らの発表の様子を写真で撮影して,
学年掲示板にさっそく展示した。
学年代表を決める投票に7~8分あったので,
職員室に戻ってデジカメの映像を印刷して掲示したところ,
視聴覚室から戻ってきた生徒たちは驚いていた。
デジタルの時代は,こんな「早業(はやわざ)」ができる。

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昨日の部活動 9/24

昨日は,午後4時15分~5時半のコマだった。
選挙管理委員会の仕事を終わらせて体育館に到着した時には,
もう5時を過ぎていた。
「朝練でアタックをやったので,残った時間で他の練習をします」と
キャプテンのタイミングの良い報告。

彼も苦労しながら,少しずつ成長してきた。
何しろ個性の違う顧問とコーチに仕え,
これまた様々な個性の1・2年生の生徒13人をまとめ,
試合では中心となるセッター。
これまで86セットの練習試合(対中学生のみ。
高校生・OBとのものを入れるとすでに100セット以上)を
ほとんど1人でトスを上げてきた。
しかし,1年上のセッターはあの「努力の人」である。
本当に努力に努力を重ねなければ,とうてい追いつける相手ではない。
だがしかし,「堅守からの5人の攻撃」がめざせる新チームは,
市内大会「直県」優勝,県大会上位(ベスト4進出)への
最大のチャンスをつかんでいると思っている。
ぜひ頑張ってほしいと思う。

本日は,二転三転したが,午後1~5時のコマ。
市予選の5日前となる。
ケガのないように過ごそう。

2015年9月25日 (金)

『空 見上げて~「新人育成教員」日記』

小川洋著,仮説社,1600円+税の
上記の本を昨日から読んでいる。

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小川さんとはもう20年以上前からの
仮説実験授業研究会の仲間であるが,
この夏,東京都の「新人育成教員」の経験を
1冊の本にまとめて出版された。

実はこの本,夏の大会(東京・北トピア)で入手していたのだが,
夏休みもいろいろ忙しく過ぎてしまい,
9月も当然忙しく,こんなに遅くなってしまった。
(小川さん,ごめんなさい!)

『たの授』での連載時も好評だったが,
まとまったものを読んでも,
新任の先生を見守る温かい配慮に感心する。

もちろん仮説実験授業を中心としたたのしい授業が
あってのことだけれど,
うれしいのは他の研究会仲間の先生からの
アドバイスから大いに学んで実践していることだった。

現役を終えた後も,そういう展開ができるというのは,
かつてこの「夢ブログ」で年図を載せさせていただいた
木下富美子さんの影響があったのだなあ。

その同じ仮説実験授業に,そして古田史学にも学びながら,
なかなか成長しない人は,だ~れだ?
なんて気にもなる1冊でもありました。

そろそろゴールの見えてきた先生にも,
もちろん若い先生にもお奨めの1冊です。

道徳の出張 9/24

忙しい道徳主任に代わって,
昨日道徳の出張に行ってきた。

約1か月後の10月29日(木)に行われる
道徳の研究授業の指導案の検討を行うという内容で,
各校の道徳主任が集まって,
柳瀬まちづくりセンターで行われた。

道徳主任が30人集まっての討論は6班に分かれて行われ,
携帯電話をめぐる問題が扱われていたこともあって,
なかなか面白い研修会だった。 

さすがに「ケータイを持たないのが正解」という意見は出なかったが,
「本当に伝えたいことは直接会って伝えよう」ということが
一応ゴールだということになる。

これが小学高学年の道徳の教材であるから,
先生たちの中でも「ケータイを持っていることが常識」で,
世の中には自分の意思で「ケータイを持たない人がいる」
ということは眼中にないのだろう。

鬼と呼ばれた男・松永安左エ門

NHKテレビで先週末に放送されたそうだが,
「鬼と呼ばれた男・松永安左エ門」という番組があり,
その主人公(「電力王」と呼ばれたという)が
4年間所沢にも住んでいたことがあって,
それを地元の人たちが調べて,
柳瀬まちづくりセンターに展示があった。

明治期の経済界・政界で活動して,
波乱万丈の人生を歩んだ人らしい。
福沢諭吉との親交もあり,魯山人とも知り合いだった。
ウィキペディアにも多くのことが書かれていた。

松永安左エ門

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E5%AE%89%E5%B7%A6%E3%82%A8%E9%96%80

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2015年9月24日 (木)

新座中での練習試合 9/23

昨日は,新座中にお邪魔して練習試合を行った。
新座中のほか,富士見東中(1年中心のメンバー。
Aチームは大森に行っていたとのこと),
春日部大沼中,吉川南中,本校の5校が集まった。
木下兄コーチにお世話になった。

シルバーウィークの最終日の成績は,
以下のようであった。

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対富士見東中B 1ー2

第3試合で,ようやく一矢を報いた。
1年生とはいえ,さすがに埼玉のチャンピオンチーム。
いろいろ学んでいると感じた。

対新座中 2ー1

顧問の先生とコーチによってさらに鍛えられ,
また1試合取られてしまった(第1試合)。
さらに今後の成長が楽しみである。

対春日部大沼中 2ー1

第3試合で接戦の末,1試合取られた。
決めるべき時に決めないから,ずるずる行く。
フェイントの多用は,相手にとってチャンスボールだ。

対吉川南中 3ー0

吉川南中は,県大会の常連校である。
最初の試合で逆転勝ちしてから,こちらのペースでやれた。
今後のことを考えても,この3連勝には意味があると思う。

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新築3年のきれいな体育館で,5チームでの練習試合。
素晴らしい環境を用意して下さった新座中の皆さんと
この練習試合に参加した他のチームの皆さんに感謝いたします。

保護者&家族の参観が,4名あった。
昨日もハラハラさせるシーンがあって済みません。
これを乗り越えて,さらにたくましくなるのだと信じます。

新チームの対中学生の練習試合は,
86戦72勝14敗となった。

宮崎さんによる「大和国分寺」訪問記

古代史研究仲間の宮崎さんが奈良県の橿原に行くと聞き,
例の「大和国分寺」を訪ねてもらえたらうれしいと思い紹介しておいた。
以下は,その訪問記です。(宮崎さん,ありがとうございます!)

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肥沼様

宮崎です。
ご紹介の橿原の国分寺、行ってきました。
一言で言って、「怪しい寺」です(笑)。

この寺については、観光ガイドにも載っておらず、
八木西口駅前の看板地図で位置を確認できました
(駅ホームの「近隣の名所」にも載っています)。

しかし、行って見て付近を40分くらい歩いてわかりませんでした。
あの辺は奈良県にありがちな、見通しのきかない狭い道路の道
なのですが、その道沿いでなくさらに入った小路の奥にありました。
西福寺という浄土真宗の寺と背中合わせで、日蓮宗の寺の隣です。
門に大和国分寺と書いた石柱と、国分寺と書いた扁額がかかっていて、
あとは法会の案内の掲示板だけで何の由来書きもありません
(門が閉まっていたので中に入りませんでした)。

何の予備知識もなくあそこにたどり着くのは相当困難に思われます。

小さい小路を外から回ってみると、建築工事中のようなビニールの幕で
おおわれていて、「防犯カメラ設置中」の看板が反対側にあり、幕の隙間から
私も中をのぞいていたので防犯カメラに映っていたかもしれません(笑)。

今帰って調べてみると、2003年に本堂が全焼したそうで、のぞいたところは
まだそこが再建工事されずになっていたところなのでしょう。

しかしそこは「八木 札の辻」という難波から伊勢へ通じる「横大路」(伊勢街道)と、
平城京の朱雀大路からまっすぐ飛鳥に南下する「下つ道」の交点に当たるところで、
江戸時代にもにぎわった旨解説版と当時の保存民家が近くにありました。

その道からは今は奥まっていますが、昔は上記の西福寺や日蓮宗の寺の敷地も合わせて、
街道沿いだったのかもしれません。
あとから見た藤原京資料館の橿原市の遺跡地図でも、その交点の西南側の一角が
「国分寺」となっていました。

また、その資料館の模型では、そのあたりが「八木寺」となっていました。
現存する延命院八木寺は、そのすぐ南の一角に一本南の車道沿い(北側)にありま
す。

ウィキペディアの記事↓多少の古代礎石や古代瓦の出土があるようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA_(%E6%A9%BF%E5%8E%9
F%E5%B8%82)

(うまく行けなかった方は,「国分寺(橿原市)」で検索してみて下さい。肥さん)

そのほかの紹介サイト

http://narajisya.blog.eonet.jp/mahoroba/2006/12/post-ef2d.html

(うまく行けなかった方は「奈良の寺社 大和国分寺」で検索してみて下さい。肥さん)

以上ご報告申し上げます。

藤原京も行きましたが、前に(平成5年くらい)行ったときの小さな公園のような
イメージと相違して、朝堂院跡の広い敷地が広大な草地として整備されていました。
コスモスも栽培されていて、憩いの場としてだけに行くのもありという場所に変貌し
ていました。
ここもまた謎の都です。

取り急ぎご報告まで。

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※ 「大和国分寺」がなぜ重要かというと,
大和には東大寺が総国分寺(本店)としてあるのに,
国分寺(支店)も同じ大和にあるという矛盾が起こるからです。
これが九州王朝が置いた国分寺なら矛盾は起きない。
むしろ当時大和勢力の中心であった南部(橿原など)に
国分寺が置かれたとしたら,非常にリーズナブルで,
多元的「国分寺」論にとって有力な証拠となるわけです。

7世紀・・・九州王朝が全国に国分寺(国府寺と呼ばれたと考えられる)を置く。
 当然六十六国の1つである大和にもそれを置く。
8世紀・・・大和政権が全国に国分寺を置く(大和には総国分寺の東大寺を置く)。
 だから,国分寺がダブってしまい,矛盾を生じる。

2015年9月23日 (水)

2つの「中氷川神社」問題

所沢に2つの「国分寺」はないが,
2つの「中氷川神社」という問題が存在する。

山口のものと,三ヶ島のものが,
それぞれ「中氷川神社」を名乗っている。

両社の主張を見てみよう。

山口の「中氷川神社」・・・式内社・中氷川社の論社であり、
大宮氷川神社同様、須佐之男命(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、
大己貴命(おおなむちのみこと)の3神を祀る。
中氷川神社の「中」の意味は、大宮氷川神社と奥氷川神社(東京都西多摩郡奥多摩町)の中間、
大宮氷川神社と武蔵国の国府(東京都府中市)の中間などの説がある。
地元では古くから「氷川様」と呼ばれている。
崇神天皇御代の創建と伝えられる。
平安時代末期に山口家継が社殿造営し、その後兵火により焼失したが、
天正年間(1573年~1593年)に山口高忠が山口城とともに再興した。
昭和20年(1945年)には連合国軍最高司令官総司令部民間情報教育局初代局長の
ケン・R・ダイク准将が当社の祭礼を視察している。

三ヶ島の「中氷川神社」・・・崇神天皇御代(紀元前97年~紀元前29年)に大宮氷川神社より勧進され、
日本武尊が東征の折に立ち寄って大己貴命と少彦名命の両神を祀った、と伝えられる。
室町時代までは「中宮」、江戸時代は境内が細長いことから「長宮明神社」と呼ばれた。
天正19年(1591年)徳川家康より朱印地を賜る。
明治初年、中氷川神社へ改称した。

私は,後者の学区に,32歳から39歳にかけて在職し,
前者の学区に53歳以降在職している。
規模や歴史からは,山口の「中氷川神社」に軍配を上げたいが,
ひょっとして多元的「中氷川神社」論ということはないよね!?
ということで,ここに記しておきたい。

豊岡高校との練習試合 9/22

昨日は,豊岡高校にお邪魔して練習試合を行った。
この学校には,毎年のように卒業生が進学し,
男バレでお世話になっている。
昨日も1人入学希望者を連れて出かけた。

一昨日の大泉二中のタイプのようなチームで,
けっこう拾え,けっこう打ってくる。
しかも,高校生なので体力もあり,
競り負けた試合が多くなってしまった。
全体として,前半リードされ,後半に追いつき,
最後に突き放されるパターンだった。

1ー6(19ー25,28ー30,27ー29,
23ー25,16ー25,25ー14,20ー25)

ちなみに,最初の10点までの得点を書いてみよう。

(1) 6ー4
(2) 3ー7 
(3) 2ー8
(4) 4ー6
(5) 5ー5
(6) 4ー6
(7) 1ー9

(1)~(7)の合計 25ー45
(平均3.5ー6.5で,3点ビハインド)

前半10点までの劣勢が試合の流れを決め,
思い切ったスパイクやサーブが打てなくなり,
ようやく後半盛り返しても
最後の一打がフェイントでは,
相手のチャンスボールとなり,
勝利の女神は相手に微笑むという次第。

豊岡高校の皆さん,ありがとうございました。
今後も「付属中」として,我が校のことをよろしくお願いいたします。

いよいよ本日は,シルバーウィーク最終日。
新座中での丸一日の練習試合である。
ぜひ「大きな成果」を持って帰りたい。

「あいせだ★ブログ」に“ぐめちゃん”登場

「シルバーウィーク特別企画」と題して,
ついに「あいせだ★ブログ」に“ぐめちゃん”が登場した。

るてさんが上げるだけ上げた「ハードル」を裏切らない
素敵な女性でありました。

今後もこの「あいせだ★ブログ」の企画が続くと,
アクセス数は向上の一途をたどると思われます。

「愛の世代ズ」を可愛がってくれている飯原けいせいさんや
頭慢さんやしゅーぞ氏,SlowLifeのマスター夫妻など,
写真だけでなく声も「出演」するといいなあ,と思う。

「愛の世代ズ」との出会いやどんなところに魅力を感じるか,
今後どうなっていってほしいかなど,
“ぐめちゃん”のように生出演は無理でも,
インタビューを活用する形でもいいから聞きたいと思う。

「相模国分寺跡」の訪問企画

「多元的古代研究会」のサイトを見たら,
以下の企画が載っていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

多元的古代研究会企画
秋の関東歴史散歩 
相模、二万年の歴史と弟橘姫の詠の舞台を訪ねる 
 

○日程: 10月 7日(水)  07:50 - (日帰りバス旅行) 
○集合: JR新宿駅西口改札口みどりの窓口前 (B1Fです) 

○訪問先:  ①田名向原遺跡と石盾尾神社 など(相模原市)。
   
②相模国分寺跡・海老名市温故館 など(海老名市)。
   
③厚木・小野神社 など(厚木市)。
   

○実施要領:  ①参加費 : 6,000円。
②詳細は、下記参照。

旅行の詳細はこちらをご覧ください。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

平日なので私は行けないが,今話題の「国分寺跡」も訪問するという。
何か多元的「国分寺」論にプラスとなるような情報が得られるといいなあ。

ちなみに,「国分寺」サイトにはどんな情報が載っているのだろう。
ちょっと調べてみませんか?

「国分寺」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/to_gl_k.htm

2015年9月22日 (火)

戦後精神から生まれた仮説実験授業という文化革命

ガリ本『牧衷・今月のお話』(牧衷講演記録集,
編集・文責:増田伸夫,上田仮説出版)を読んでいる。

その中に,「戦後精神から生まれた仮説実験授業という文化革命」
という興味深い話が出てくる。

 「日本の文化全体の中に,ある大きなうねりが戦後にあった。
そのときのうねりというのが何人かの心を強く揺さぶって,
その人間の一生を決めてしまうようなインパクトがあったんですね。
実は板倉聖宣の中にも僕はそれを感じるんです。昔の人の気概を。
それがなくなっちゃうと,仮説実験授業は僕に言わせると腑抜けになっちゃうんです。
〈俺の目で見,俺の頭で考え,自分の足で立つんだという覚悟〉,
それをこしらえるために仮説実験授業をやっているんですよ。
だから一種の文化革命をやっているんです。
単なる授業の改善をやっているんじゃないんです。
単に授業の改善だと思いたくないんです。
単なる授業改善になっちゃったら仮説実験授業はおしまいだと。
腑抜けちゃう。どうにもならないと。

 その事業は簡単じゃないですよ。なにしろ〈勉強は苦しいものだ〉という勉強観から,
〈勉強はたのしいものだ〉という勉強観へコペルニクス的転回をやろうというんですから。
これは容易な話じゃない。天動説から地動説への転換に2世紀かかったように,
これはおそらく2世紀かかるような仕事です。
仮説実験授業は始めてまだ50年ほどしか経っていないですね。

 戦後精神とはヒトコトで言えば〈自立した人間になるぞ〉という精神。
そして,発想が自由闊達になる。それがあって戦後詩も生まれた。
それがあって仮説実験授業も生まれた。仮説実験授業は戦前には
どんな頭のいい人がいても生まれなかった。
自覚的に戦後精神を押し通して目的意識的にそれを追求した人間は少数です。
こういうのは前衛(先進的集団)なんだから,多数になるわけがない」
(牧衷:仮説実験授業の根本精神~戦後精神から生まれた仮説実験授業~)

輿論と世論

ガリ本『牧衷・今月のお話』(牧衷講演記録集,
編集・文責:増田伸夫,上田仮説出版)を読んでいる。

その中に,輿論と世論という話が出てきた。
公民の教科書には,世論と書いて「よろん」と「せろん」の
両方の読みが振ってあって意味不明だった。

輿論・・・ある資質を持った人たちの十分に考えた結果の多数意見
世論・・・世間一般の意見=人気投票の結果

というように牧さんは説明されていて,腑(ふ)に落ちた気がした。
輿論と世論,ただ「読み方」が違うだけではなく,
もともと意味が違うものだったのだ。

ひばりが丘中での練習試合 9/21

昨日は,上記の練習試合に行ってきた。
木下兄コーチにお世話になった。

いろいろな意味で「収穫」があった。
男バレが「進化」するための糧(かて)にしてほしい。
それでは,試合結果を。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

対東村山二中 3ー0(25ー16,25ー12,25ー12)

なんと私の母校との対決が,昨日の最初の試合であり,
感慨深いものがあった。顧問の名前も,同じというおまけ付き。
試合内容は,こちらが優位に進められ,「先輩の貫禄」を示せた。

対ひばりが丘中 4ー1(25ー13,25ー20,25ー19
 25ー18,22ー25)

4勝1敗という数字からいうと,いい内容に見えるが,
第2試合に「9連続失点」があり,最終の第5試合には,
ついに「5連続失点」をきっかけにして逆転されたのが反省点。

対大泉二中 1ー4(26ー28,25ー15,25ー27,
 22ー25,22ー25)

第2試合を除き,接戦の連続。こういう試合を取れるか落とすかで,
そのチームの真価が問われるところ。昼休み明けの第3戦で,
この日2回目の「9連続失点」を喫してしまい,以降も残念な結果に。

対東久留米西中 2ー0(25ー16,25ー22)

午後から登場したこの学校。練習時のアタックが強烈で驚いたが,
それは試合では不発で,試合を失うことはなかった。
しかし,相手の動きを見ておらず,審判へのアピール不足を感じた。

昨日の15セットの練習試合では,個人的な成長を見られたうれしい場面と,
各自の自主トレーニング不足を露呈(ろてい)する残念な部分が混在していた。
今後のために,それを記しておく。新チームでの,練習試合の通算成績は,
この日の10勝5敗で,74戦64勝10敗となった。

会場を提供して下さったひばりが丘中をはじめ,
対戦して下さった各校の皆さんに感謝いたします。

2015年9月21日 (月)

霞ヶ関中での練習試合 9/20

昨日は,霞ヶ関中で午前中に練習試合を行った。
木下兄コーチにお世話になった。

対霞ヶ関中 1ー1(13ー25,25ー19)

手元で変化するサーブにレシーブが乱れ,
これまで経験のないバックアタックを取れず,久々の完敗。
立て直して先行優位に立った第2セットは,リベンジ。
霞ヶ関中とは,今年もライバル同士となりそうだ。

対向陽中 3ー0(25ー9,25ー5,25ー12)

向陽中はセッターをケガで欠いた上に,レシーブも乱れ,
3セットともこちらのペースでやらせていただいた。
セッターのケガは新人戦までに治るというが,大変だ。

往きは川越駅でJRに乗り遅れ,遅刻到着。
帰りは本川越駅行きのバス(280円)に乗った。

古賀達也さんの多元的「国分寺」論 その後(9)

翔空さんも参加していただいた
『盗まれた「聖徳太子」伝承』発刊記念東京講演会。
その様子が,YouTubeで視聴できるようになっています。
講演会に行くのは大変ですが,これだったら簡単です。
古賀さんの話の後半には,肥さんの名前も登場してきますよ!
ぜひお聴き下さい。
多元的古代の研究の様子がよくわかります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

古賀達也の洛中洛外日記
第1048話 2015/09/08

盛況!『盗まれた「聖徳太子」伝承』発刊記念東京講演会

 6日の『盗まれた「聖徳太子」伝承』発刊記念東京講演会は
106名参加者(+主催者6名)で盛況でした。
「古田史学の会」としては初めての東京講演会でもあり不安でしたが、
多くの皆さんにご参加いただき、ありがとうございました。
ご協力いただいた「東京古田会」「多元的古代研究会」をはじめ
会場を提供していただいた東京家政学院大学の関係者の皆様に心より御礼申し上げます。
 同講演会の責任者の服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集責任者)は
「これからも年に二回は発刊記念講演会を行います」と挨拶されていましたので、
これはやるしかないなと覚悟を決めました。
ミネルヴァ書房から『「邪馬台国」論争を超えて』(仮称)の年内発行を予定していますから、
来春には発刊記念講演会を開催しなければなりませんが、
「古田史学の会」役員会での検討と承認が必要です。
来春には『古代に真実を求めて』19集(九州年号特集)を発行しますので、
その発刊記念講演会も開催できればと思います。
 講演では、正木裕さんが基礎的な「聖徳太子」多元論を丁寧に解説され、
わたしからは多利思北孤の弟を「肥後の翁」とする最新の仮説について報告しました。
九州王朝系図の「草壁氏系図」の公表は関心を持ってお聞きいただけたようです。

「聖徳太子の原像ー姓は阿毎、字は多利思北孤」 正木裕
https://www.youtube.com/watch?v=tWQtC6_Ob5A

「日出ずる処の天子と『肥後の翁』」 古賀達也
https://www.youtube.com/watch?v=DDKKEfqPyzY

 これからも定期的に東京講演会を開催したいと願っています。
関東の皆さんに喜んでいただけるような講演会を続けられればと思います。
最後に、お手伝いいただいた関東地区の会員の方々に深謝いたします。

銅造観世音菩薩立像は,いつ・どこで発掘されたか?(2)

9月5日(土)に訪問した武蔵国分寺跡資料館を,
昨日また訪問してきた。
上記のことを調べるためである。
(練習試合の帰りの電車がちょうど「国分寺行き」で,「天命」を感じた!)
あの日にお世話になったお2人の学芸員さんに,
昨日もまたお世話になった。

本棚から5冊ほど関係の調査書を探していただき,
銅造観世音菩薩立像が載っているものを読むことができた。
(最初自分1人で探して見つからなかったので,
中道さんを呼んでいただいた。)

『武蔵国分寺跡発掘調査概報 ⅩⅣ』
(昭和52~57年度尼寺々域確認調査 1989年3月
国分寺市遺跡調査会 国分寺市教育委員会)
という報告書がもっとも多くの知見を得ることができた。

188

それによると,仏像が発掘されたのは,第135次調査
(昭和57年1月13日~5月1日)の時で,3月とのこと。
考えていたより国分寺寄りで尼寺との中間点に当たる
東山道武蔵路の側溝からの出土のように見えた。
(中道さんは,「2つの遺構の切り合い」という表現をされていた)

SF1と呼ばれるもっとも古い道路面ではなく,
その上のSF2(幅15m,深さ45cm)
=SD139を埋めて構築された場所からのようで,
これだと11世紀中頃まで下るらしいとのこと。
仏像は,「道路面下30cmの粘質土中(道路築成土)より
頭部を南西部に向けた伏せの状態で検出された」とのことであった。

口絵で,仏像の全身がカラー写真掲載されているほか,
付編として,2つの論文が付けられていた。

(1) 武蔵国分寺跡附近出土の観音菩薩立像 久野健(2ペ)
(2) 出土銅造仏像の保存修復の研究 青木繁夫(6ペ)

(2)には,かつて昭和薬科大学での研究会でお世話になった
馬淵久夫さんのお名前も載っていた。材質調査担当として。

楽天が則本の快投で52勝目

オ リ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 計0
楽天 2 0 0 0 0 0 0 0 X 計2

楽天が則本の快投で52勝目をあげた。

楽天は1回裏,西田の先頭打者本塁打と
ウィーラーの犠牲フライで,
幸先よく2点を先制した。

投げてはエース・則本が8回1安打無失点の快投で,
今季9勝目(11敗)。
最後は守護神・松井裕が締め,
今季30セーブ目を挙げた。

2015年9月20日 (日)

違憲立法審査権という手段

その法律が憲法に違反しているのではないかと考えられる時,
それを裁判で争う権利が上記のものである。

これまでにも,「尊属殺人」など,十数件が違憲とされたらしい。
自衛隊の合憲・違憲も争われ(砂川訴訟),
私が法政大学で最終講義を受けた伊達裁判長は
東京高裁で「違憲」の判決を出したが,
その後最高裁で「合憲」とされた。

選挙定数の「1票の重さ」についての争いも度々訴訟が起こされているし,
(「違憲」ではないが,「違憲状態」なんて表現もあったっけ)
今回の「安保法制」も年内に訴訟を起こす準備が進められているという。

「時事通信社」の記事によると,以下のように出ていた。

あるベテラン裁判官は「訴訟が起こされたら裁判所は真剣に受け止め、考える。
近年ないほどに重い事案となる」と話す。
ただ、別の裁判官は「司法が国の進む方向を決めていいのか。
選挙で選ばれた国会議員が決めたことで、裁判官は選挙を経ていない。
間違いと思うなら、政権交代させるべきだ」と指摘している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「違憲例」で検索したら,以下のような記事がヒットした。
参考になるかもしれないので,転載させていたたく。


違憲判決がでた判例をすべて教えて下さい(>_<)

eltbtzkzさん
2008/10/1215:08:00
.違憲判決がでた判例をすべて教えて下さい(>_<)

..ベストアンサーに選ばれた回答
mcoco2663さん
.2008/10/1219:20:33

.違憲判決には,ある法令そのものが違憲とされる「法令違憲判決」と,
法令自体は合憲だが訴訟当事者について適用することが違憲であるとされる「適用違憲判決」
の2種類があります。

最高裁の法令違憲判決は以下のとおりです。

(1) 刑法200条(尊属殺人)が
憲法14条1項(法の下の平等)に反し違憲であるとされた判例
(昭和48年4月4日判決)

(2) 薬事法6条2項(薬局の適正配置規制)が
憲法22条1項(職業選択の自由)に反し違憲であるとされた判例
(昭和50年4月30日判決)

(3) 衆議院議員定数配分を定めた公職選挙法が
憲法14条1項(法の下の平等)に反し違憲であるとされた判例
(昭和51年4月14日判決:ただし選挙結果は有効とする事情判決)

(4) 衆議院議員定数配分を定めた公職選挙法が
憲法14条1項(法の下の平等)に反し違憲であるとされた判例
(昭和60年7月17日判決:前記(4)と同じ)
(5) 森林法186条(共有林分割の規制)が
憲法29条(財産権の保障)に反し違憲であるとされた判例
(昭和62年4月22日判決)

(6) 郵便法68条及び73条の一部(郵便業務従事者の過失に係る賠償責任免除規定)が
憲法17条(国家賠償責任)に反し違憲であるとされた判例
(平成14年9月11日判決)

(7) 国外居住者が国政選挙権を行使するための規定を置かなかった公職選挙法が
憲法14条1項(公務員の選定罷免権)等に反し違憲であるとされた判例
(平成17年9月14日判決)

(8) 国籍法3条1項(国籍取得の要件)が
憲法14条1項(法の下の平等)に反し違憲であるとされた判例
(平成20年6月4日判決)

また,最高裁の適用違憲判決は,
どこまでを違憲判決とするか微妙なところがありますので,
主なものを挙げるにとどめておきます。

(1) 不当に長い拘束によりなされた自白が
憲法38条(不利益供述の強要禁止)に違反するとされた判例
(昭和23年7月19日判決)

(2) 非訟事件(非公開)である強制調停事件において
建物引渡しなどの争訟事件に係る事項を調停事件として扱ったことは,
憲法82条(裁判の公開)等に違反するとされた判例
(昭和35年7月6日判決)

(3) 第三者の所有物を没収したことが
憲法31条(法定手続の保障)に違反するとされた判例
(昭和37年11月28日判決・関税法118条1項の法令違憲判決であるとする考え方もあります)

(4) 起訴事実に含まれない事実を余罪として認定し重い刑罰を科した刑事判決が
憲法31条(法定手続の保障)等に違反するとされた判例
(昭和42年7月5日判決)

(5) いわゆる「高田事件上告審判決」
(憲法37条1項(迅速な裁判を受ける権利)に違反するとされた判例)
(昭和47年12月20日判決)

(6) いわゆる「愛媛県玉串訴訟上告審判決」
(自治体の玉串料支出が憲法20条3項(政教分離原則)に違反するとされた判例)

銅造観世音菩薩立像は,いつ・どこで発掘されたか?

武蔵国分寺跡資料館に保管されている仏像は,
白鳳時代後半のもの(7世紀後半~8世紀初頭)といわれ,
その発掘がいつ,東山道武蔵路のどこだったのか知りたいと思っていた。

昨日,もう1度その仏像が載っている絵葉書の解説を読んでみたところ,
「昭和57年(1982)3月・・・発掘」と書かれていたことを「発見」した。
それなら,当然その時の報告書も出ているはずで,
また,このような例は大変レアなので,どんな状況かも分かるはずである。
(道路面なのか,側溝の中からか)
明日,練習試合の終わった後,再び資料館を訪ねてみよう。

「灯台もと暗し」ということわざがあるが,
「持っている資料の中に宝あり」と言えるかも。

187

昨日の部活動 9/19

昨日は,午前8時~11時のコマだった。
木下兄コーチと本さんにお世話になった。
中3のバレー部員が「引退試合」を兼ねて来てくれた。

25ー20,25ー18

本日からの「武者修行」的練習試合の
幸先良いスタートとなった。

保護者の参観が,1名あった。

※ なお,23日(土)に新座中に集まる学校が判明した。
信じられないくらいの豪華メンバーである。
前回「予約」しておいたことは,本当にラッキーだった。

富士見東中・・・埼玉県の代表として,何回も全国大会へ。
吉川南中・・・県大会の常連。
新座中・・・先生が都の代表でかつて全国大会へ。熱血指導でこれから伸びそう。
春日部大沼・・・初めての対戦で楽しみ。
我が校・・・堅守・攻撃型へとイメージチェンジした成果が問われる練習試合。

2015年9月19日 (土)

「法案反対」から「法案撤回」「選挙に行こう」へ

「安保法案」という言い方をする人は,
この法案が成立すれば「戦争を未然に防ぐ」と言い,
「戦争法案」という言い方をする人は,
この法案が成立すれば「戦争への道を開く」と言う。
いったいどちらが本当なのか?

昨夜というか,本日未明というか,
9月19日(土)の午前2時台に,例の「法案」は成立した。
今後どうなっていくかは,未来の歴史が証明してくれるだろう。

そもそも,法律は国会において多数決で決められるしくみなので,
基本的には国会で過半数を占めた勢力が,
自分たちの決めたい法律を作る力(権力)を持つ。
だから,いくら野党が「問責決議案」や「内閣不信任案」を出そうとも,
多数決でその法案は成立してしまうのだ。
(あの悪名高き治安維持法だって,
普通選挙法といっしょに多数決で成立した)

今回,法案に反対する人たちは,それまで叫んでいた「法案反対」から,
「法案撤回」「選挙へ行こう」に言葉が変わったという。
それは,小さいけれど大きな変化かもしれない。
今回の多数決の構図を作ってしまった原因は,前回の選挙の結果でもあるから,
そもそもそうならないように,
国会の勢力の構図を変えていこうとするものだからである。

法律は,多数決で成立するが,
同時に改正・廃止することもできる。
「これで終わり」なのではなく,「ここから始まる」という意識が芽生えたとすれば,
この法案が新しい出発となる可能性があるだろう。

『歴史地理教育』誌の原稿のこと

9月30日の締め切りまで,あと10日ほど。
上記の原稿を完成するために,新たな方法を使おうと考えた。
日々の授業の記録をしている「夢ブログ」を
原稿の下書きにするという方法である。
(A5判の雑誌6ページを埋めるのは,
何か方法がないと書けない量である)

これは,臨場感という点でも申し分ないし,
写真なども入れることが可能である。
また,ブログをそういう形で利用するという
方法の提案としても意義があるのではないかと考えた。

うまくいくかどうかは分からないが,
やってみる価値はあるだろう。
もしうまくいかなかったら,
従来の方法でやればいいのだ。

ということで,これまで授業書《世界の国ぐに》と
ブロックスでやってきたことを印刷して,
1冊の資料にしてみた。
「う~ん,マンダム!」なかなか良いような気がする。

このシルバーウィークの夜の時間を利用して,
頑張ってみようと思う。
乞う御期待!

本部役員選挙の仕事

昨日は,本部役員選挙の立候補の締め切りでもあった。
選挙管理委員会の担当としては,重要な1日であった。

会長(定員1名)・・・2名が立候補。選挙
副会長(定員2名)・・・2名が立候補。信任投票
庶務(定員4名)・・・5名が立候補。選挙

以上,7人の定員のところに,9人が立候補した。
選挙になった方が,投票する生徒たちの関心は高まるのだが,
真剣な気持ちで立候補してくれている9名を目の前にすると,
全員当選させてあげたいものだとつくづく思う。

選挙公報の原稿用の紙,選挙ポスターの画用紙(1人3枚),
タスキのための模造紙(1枚)を配付して,
5日間のシルバーウィークの間に作ってくるように指示した。

いよいよ「シルバーウィーク」

いよいよ「シルバーウィーク」である。
聞くところによると,1日も部活動をしないところもあるそうだが,
男子バレー部としては,今後の躍進のためのステップとしたいので,
あえて「5分の5」というハードスケジュールを選んだ。
ぜひこれを,「やらされる5日間」とせず,
「個人や,チームの力をつけるための5日間」としてほしい。
57歳の体力を考えると,本当は5日とも休みたいのがヤマヤマだが,
県大会上位をめざすためには,「老体に鞭打って」頑張る覚悟である。

19日(土)・・・午前8~11時,本校体育館
20日(日)・・・午前中,霞ヶ関中へ(午前7時,下山口駅集合)
21日(月)・・・1日,ひばりヶ丘中へ(午前7時半,下山口駅集合)
22日(火)・・・午前中,豊岡高校へ(自転車→電車。午前7時20分,下山口駅集合)
23日(水)・・・1日,新座中へ(午前7時半,下山口駅集合)

※ 26日(土)・・・元の午後2時~5時に戻りました。

「キムチの精神(こころ)」と授業プラン〈ハングル〉(3)

昨日,残りの3クラスでも,上記の授業を行った。
相手の文化や言葉について知っていると,やはり親しみが湧く。

185

184

これを韓国編としたら,もっとほかの国編も可能なのかと思った。

中国・・・漢字と簡易体,食べ物に火を通す
インド・・・2ケタの九九,牛肉を食べない
イスラム教国・・・酒を飲まない,豚肉を食べない,断食月

昨日の部活動 9/18

昨日は,午後4時15分~5時半のコマだった。
「金・外」で,インタロ廻りを行った。

本日から,シルバーウィーク。
練習試合がたくさん組んであり,楽しみだ。

生徒たちのうわさでは,
新座中で強豪と対戦できるらしいが,
コーチからはまだ連絡をいただいていない。
本当だろうか?

2015年9月18日 (金)

「キムチの精神(こころ)」と授業プラン〈ハングル〉(2)

昨日,「夢ブログ」に書いた上記の授業を,
さっそく2クラスで実施し,前回と同じように好評を得た。

やはり,この2部構成は,うまくいくべくできているように思う。
前半,「美味しんぼ」のビデオで感情に訴え(右脳を刺激し),
後半,仮説実験授業で知性に訴え(左脳を刺激し)ていると思うからである。

※ 特に,授業プラン〈ハングル〉での,
「か」→「さ」→「し」→「ち」の展開が
すごくよくできていると思う。

ありがとう「空き時間」!

昨日は,時間割の組み合わせからたくさん「空き時間」に恵まれ,
いろいろなことをすることができた。

(1) 授業プラン〈ハングル〉の教具づくり
(2) 体育祭の「はちまき・学級旗」の回収
(2) 生徒会本部役員選挙についての仕事
(3) 教育実習生の研究授業(英語)の参観
(4) 来週の週予定プリントづくり
(5) 総合の時間の写真撮影(クラスごとに発表会を行っていた)
(6) 『歴史地理教育』誌の原稿の資料あつめ

(6)は一見学校の仕事ではないように思えるが,
授業書《世界の国ぐに》とGDPキューブについてことなので,
社会科の授業の報告としてのものである。

仮説社,板倉研究室の引越と同じ時期に

仮説社が引っ越すという話が本格的に進んでいるようで,
私も「便乗」ではないが,「勢い」を借りようと思っている。

「3丁目の夕日」の大マスターの尽力で,
家具や主な書籍,ビデオなどは夏休み中に運び出した。
しかし,まだ「小さい山」が家の各所に残っていて,
つくづく私は「物持ち」だなあとため息をつく今日この頃だ。
夏休み終了とともに,片付けの時間は激減。
気持ちも学校に行ってしまい,現在はほとんどゴミ出しもストップ。

しかし,このままでは仕方がないので,
仮説社や板倉研究室の引越(10~11月)に「きっかけ」をいただき,
秋のうちに引越をしようと思う。

9月30日(水)が,『歴史地理教育』誌の原稿の締め切りで,
10月7日(水)が,生徒会本部役員選挙の実施なので,
それが終わった頃,仮説社とともに私も引越を敢行しよう。

昨日の部活動 9/17

昨日は,午後4時15分~5時半のコマだった。
木下弟コーチにお世話になった。

保護者&家族で3名の参観があった。

22日(火)の豊岡高校へは,電車で行くことになった。
(交通安全のことを考えて)
午前7時20分,下山口駅集合。
7時27分発の電車で出発。
入間市駅から歩いて,豊岡高校へ向かう。

なお,26日(土)は,元の午後2時~5時に戻ることになった。
(日程調整の結果)

2015年9月17日 (木)

「キムチの精神(こころ)」と授業プラン〈ハングル〉

韓国を扱うなら,ぜひ2つの教材を検討してほしい。

1つは,「美味しんぼ」の中にある
「キムチの精神(こころ)」。
アニメになっていて,笑いの中にも
異文化を尊重する気持ちを養うと思う。

もう1つは,『たの授』1991年5月号掲載の,
益田治さん・伊藤善朗さんの授業プラン〈ハングル〉。
ハングルの「基本法則」を理解させるのに役立ち,
韓国への親しみが湧いてくる。

ちょっと欲張って,両者を合体。
私は中1の世界地理の「定番」にしている。

昨日の部活動 9/16

昨日は,午後4時15分~5時半のコマだった。
木下兄コーチにお世話になった。
(女バレは,弟コーチ)

21日(月)のひばりが丘中での練習試合で,
対戦する相手校が判明した。

ひばりが丘中・・・会場校。昨年に引き続き3回目
大泉二中・・・初対戦
東村山二中(午前中)・・・初対戦。なんと,私の母校!
東久留米西中(午後)・・・昨年に引き続き2回目

なかなか楽しみな1日になりそうである。(o^-^o)

「3丁目の夕日」改め「上海の夕日」?

再開すると大マスターから連絡のあった「3丁目の夕日」。
楽しみにして行ってみたら,
なんとママの知り合いの中国人の2人の女性が
料理を作る店になっていた!

これでは「3丁目の夕日」ではなく,
「上海の夕日」である。

料理も美味しく,愛想も悪くなかったが,
私は「刺身5点盛り」が食べたいのであって,
上海料理が特に食べたいわけではないのだ・・・。

2015年9月16日 (水)

「肥さんを括目(かつもく)して見よ!」

「あいせだラジオ」53回に,上記の発言が出てきた。
「浜省、肥さん~戦争の話。」というフリートークの中でである。
あいせだファンである私のことを,
逆にファンといっていただけてうれしい限りです。
今後とも「夢ブログ」をよろしくお願いいたします。

なお,「校門当番」は副担任の3人を中心にやったので,
私1人がコキ使われたわけではないのです。
誤解を生んだとすれば,私の文章がいたらなかったためです。
ごめんなさい。             

13分という「長編」ですが・・・。

「あいせだラジオ」(53回)

https://www.youtube.com/watch?v=kbkV-tNvE0M&feature=youtu.be

【言葉の解説】

男子三日会わざれば刮目して見よ
(だんしみっかあわざればかつもくしてみよ)
「刮目」は、目を擦(こす)って良く見るということ。
1.男の子は三日も会わないでいると驚くほど成長しているものだという意味で、
人の学業や仕事・人間性などがいかに向上したか、良く見なさいということ。
出典:三国志の『呉書』 ★呂蒙伝」呂蒙(りょもう)が魯粛に言った言葉。
参考:「呉下の阿蒙」
2.或いは、どのように成功・成就するかを注目して待ちなさいということ。
類:●刮目して待つ

3人オフ会 9/15

昨日は,九想さん,翔空さん,肥さんの3人で上記の会を開いた。
お互いのサイトは毎日のように訪問しているのだが,
その「すき間」を埋める役目をオフ会がするのである。

秋田孝季(たかすえ)の
「歴史は,脚にて知るべきものなり」に
なぞらえて言えば,
「ブログは,オフ会をして深めるべきものなり」
とでも言っておこうか。

昨日も,それぞれの仕事のこと。
先日亡くなったAさんのこと。
「Windows10」と「Windows8.1」のこと。
ケーナと尺八とフルートのこと。
通風とその対策のこと(笑)
等々話がはずんだ。

諸事情をかんがみ,昨日は早めに「オフ会」を閉じた。

オフ会から戻ってきたら,「870009」アクセスでした。
ということで,87万アクセス達成です!

昨日の部活動 9/15

昨日は,朝練だけで「定休日」の日だった。
「ボール借用願い」も出ていなかったので,
自主練習はなかった模様。

体育祭の代休がなかったことは,
微妙に体にこたえているように思う。
「定休日」ということで,
年休を1時間いただいて帰った。

2015年9月15日 (火)

もしかして本日87万アクセス達成?

このところまたアクセス数(検索数?)が多くなり,
週末かと思っていた「87万アクセス達成」が
本日になりそうな勢いです。86万アクセスは,
ちょうどひと月前の8月15日でした。

今日は例の「3人オフ会」が予定されていて,
その時間帯なら祝杯をあげてもらえるかもしれません。beer

「肥さんの夢ブログ」の3つの柱は,

(1) 仮説実験授業を中心とした情報(「GDPキューブ」の普及を頑張りたい!)
(2) 古田史学を中心とした情報(多元的「国分寺」論など,最近ここがすごい!)
(3) その他の楽しそうなこと(「愛の世代ズ」の応援,部活動の記録など)

ということですが,ほかにも「夢」のある話なら関心があります。
ぜひ情報をお寄せください。
毎日のご愛読,感謝しております。m●m


時間割変更を逆手に取って

私は基本的に,時間割変更は好きではないが,
(同じクラスが1日に2時間入ったりするし)
今日はそれを逆手にとって,時間を生み出した。
時間は誰でも1日24時間だが,
その使い方によって,明日以降の時間は増やすことが可能だ。

つまり,昨日は4回分の授業プリントを作ってしまったので,
今週はその時間を他のことに充てることができるわけなのだ。

(1) 本部役員選挙の仕事
(2) 『歴史地理教育』誌の原稿

今週から来週にかけて,この2つを頑張りたい。
ずっとやりたいやりたいと,頭の中で思っていたことだ。

楽天が則本の好投で51勝目

西武 0 0 0 0 0 0 0 0 0 計0
楽天 0 0 0 2 0 0 0 1 X 計3

楽天が則本の好投で51勝目をあげた。
則本は7回を無失点に抑え,
青山,松井裕で完封リレー。
則本が8勝目(11敗)。
松井裕が29セーブ目。
4回のウィラーの2ランで先制し,
8回の聖沢の犠飛で追加点をあげた。

昨日の部活動 9/14

昨日は,午後3時~5時半のコマだった。
前半が職員会議で,いつもの練習を生徒たちで行った。
女バレは,木下弟コーチにお世話になった。
新チームは男女とも活躍しそうで,
新人戦が楽しみである。

2015年9月14日 (月)

古賀達也さんの多元的「国分寺」論 その後(8)

ついに私の望んでいた事態(全国の「国分寺」調査の話)になってきました!
「国分寺建立」は全国にまたがっての詔(みことのり=天皇の命令)ですから,
各国の国分寺の悉皆(しっかい)調査が可能なわけです。
66国と言われる国分寺を,すべて編年調査することで,

(1) 国分寺が建てられたのが8世紀半ばの聖武天皇の時だけだったのか
(2) 7世紀前半に1度九州王朝によって建てられて,さらに8世紀半ばに再び建てられたのか

この事実がはっきりさせられるのです。(明らかに100年の差がありますから!)
つまり,もし(2)なら,九州王朝の有力な証拠になるというわけです。
しかも,中学生にも理解できる手続きですから,授業でも扱えるわけです。
こういう明るい話を「夢ブログ」で紹介できるとは,本当に幸せなことです。
(もっとも,「通説」にしがみついている人にとっては,つらく悲しい話かもしれませんが)

まず,このサイトから取っ掛かりとしてみてはいかがでしょう。
その名も「国分寺」です。(「そのままじゃないの?」という読者の声)

「国分寺」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/to_gl_k.htm

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く古賀達也の洛中洛外日記
第1052話 2015/09/12
考古学と文献史学の「四天王寺」創建年

「洛中洛外日記」1047話『「武蔵国分寺跡」主要伽藍と塔の年代差』において、
考古学編年と文献史学との関係性について次のように述べました。

「考古学者は出土事物に基づいて編年すべきであり、
文献に編年が引きずられるというのはいかがなものか」
「大阪歴博の考古学者は、考古学は発掘事実に基づいて編年すべきで、
史料に影響を受けてはいけないと言われていた」

優れた考古学編年と多元史観が見事に一致し、歴史の真実に肉薄できた事例として、
大阪難波の四天王寺創建年について紹介し、
考古学と文献史学の関係性について説明したいと思います。
四天王寺(大阪市天王寺区)の創建(開始)は『日本書紀』により、
推古元年(593)と説明されていますが、他方、大阪歴博の展示説明では620年頃とされています。
この『日本書紀』との齟齬について大阪歴博の学芸員の方にたずねたところ、
考古学は出土物に基づいて編年するものであり、史料に引きずられてはいけないというご返答でした。
まことに考古学者らしい筋の通った見解だと思いました。
その根拠は出土した軒丸瓦の編年によられたようで、
同笵の瓦が創建法隆寺や前期難波宮整地層からも出土しており、
その傷跡の差から四天王寺のものは法隆寺よりも時代が下るとされました。
ところが九州年号史料として有名な『二中歴』年代歴には「倭京二年(619)」に
「難波天王寺」の創建が記されており、
大阪歴博の考古学編年と見事に一致しているのです。
ちなみに、歴博の学芸員の方はこの『二中歴』の記事をご存じなく、
純粋に考古学出土物による編年研究から620年頃とされたのです。
わたしは、この考古学的編年と『二中歴』の記録との一致に驚愕したのものです。
そして、大阪歴博の7世紀における考古学編年の精度の高さに脱帽しました。
このように文献史学における史料事実が考古学出土事実と一致することで、
仮説はより真実に近い有力説となります。
しかし事態は「天王寺(四天王寺)」の創建年の問題にとどまりません。
すなわち、『二中歴』年代歴の「九州年号」やその「細注」記事もまた真実と見なされるという
論理的関係性を有するのです。
文献史学が考古学などの関連諸学の研究成果との整合性が重視される所以です。
古田学派研究者においても、この関連諸学との整合性が必要とされるのですが、
残念ながらこうした学問的配慮がなされていない論稿も少なくありません。
自分自身への戒めも含めて、このことを述べておきたいと思います。
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古賀達也の洛中洛外日記【号外】
2015/09/1フ
発刊記念東京講演会の反省会

本日、正木事務局長と服部編集長が見えられたので、
拙宅近くの喫茶店で過日の『盗まれた「聖徳太子」伝承』発刊記念東京講演会の反省会と
今後の「古田史学の会」のイベントについて意見交換を行いました。
今回の東京講演会は服部さんの提案で企画実行されたものですが、
多くの方々のご協力を得て成功させることができました。
関東地区の会員へのサービスも兼ねて、
これからも新刊を出す度に記念講演会を開催する方向性を確認しました。
引き続き、役員会や全国世話人会で検討される運びとなります。
来年1月の賀詞交換会についても検討しました。
銅鏡に含まれる鉛同位体の研究で有名な新井宏さんを招聘し、
講演と対談を行う案について検討しました。
古田先生にもご臨席いただけるかご相談したいと思います。
『古代に真実を求めて』19集の「九州年号」特集についても
インパクトのある企画の追加を検討しました。
また、KBS京都放送の「本日、米團治日和」の要約も収録可能か検討しました。
20集の特集企画についての意見交換も行い、
わたしからは「九州王朝仏教史」というアイデアを提示しました。
もちろん、現在研究進行中の「九州王朝の国分寺」や「最勝会」問題などもその対象となるでしょう。
学問研究についても意見交換を行いました。
各地の創建国分寺遺跡の編年研究が面白いのではないかということで、
三人の意見が一致しました。
すなわち、7世紀初頭から中頃であれば
従来説(聖武天皇による8世紀中頃以降の創建)は成立困難となり、
その差は50~100年ほどあり、この編年を間違うことは考えにくいのではないでしょうか。
まずは、橿原市にある大和国分寺や大阪市天王寺区にある摂津国分寺跡の
出土瓦の編年を調べてみようということになりました。
皆さんも地元の創建国分寺跡の編年を調査していただけないでしょうか。
7世紀に遡ることになれば、九州王朝の国分寺と考えざるを得ないのですから、わかりやすいテーマです。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1053話 2015/09/13
瓦の編年と大越論文の意義

「洛中洛外日記」1014話『九州王朝説への「一撃」』で、
わたしは九州王朝説がかかえている課題として次のような指摘をしました。

「九州王朝の天子、多利思北孤が仏教を崇拝していたことは『隋書』の記事などから明らかですが、
その活躍した7世紀初頭において、寺院遺跡が北部九州にはほとんど見られず、
近畿に多数見られるという現象があります。
このことは現存寺院や遺跡などから明確なのですが、
これは九州王朝説を否定する一つの学問的根拠となりうるのです。
まさに九州王朝説への「一撃」なのです。
7世紀後半の白鳳時代になると太宰府の観世音寺(「白鳳10年」670年創建)を始め、
北部九州にも各地に寺院の痕跡があるのですが、
いわゆる6世紀末から7世紀初頭の「飛鳥時代」には、近畿ほどの寺院の痕跡が発見されていません。
これを瓦などの編年が間違っているのではないかとする考えもありますが、
それにしてもその差は歴然としています。」

軒丸瓦の基本的編年として、6世紀末から7世紀初頭に現れる「単弁蓮華文」から、
7世紀後半頃から現れる「複弁蓮華文」が著名ですが、
こうした編年観から九州には7世紀前半以前の寺院が見られないとされてきたのです。
この九州王朝説にとって課題とされているテーマに挑戦された優れた論文があります。
『Tokyo古田会News』(古田武彦と古代史を研究する会)94号(2004年1月)に掲載された
大越邦生さんの「コスモスとヒマワリ~古代瓦の編年的尺度批判~」です。
同論文で大越さんは軒丸瓦の編年観に対して次のように疑義を示されました。

「白鳳期以前の九州から、複弁蓮華文(ヒマワリ型)は本当に出土しないのだろうか、の問いである。
白鳳期以前の複弁蓮華文(ヒマワリ型)は九州に存在する。
それどころか、九州を淵源とした文様の可能性すらある。その事例を挙げよう。」とされ、
「石塚一号墳(佐賀県佐賀郡諸富町)出土の装飾品」を次のように紹介されています。

「筑後川河口近くの石塚一号墳は六世紀後半の古墳といわれる。
ここから華麗な馬具や蓮華文をほどこした装飾品が出土している。
金銅製の装飾品は蓮華文がタガネで打ち出されており、
掛甲の胴部にも同じく蓮華文がほどこされている。」

次いで、福岡県の長安寺廃寺の造営を「欽明二三(五六二)年に長安寺は存在していた」と理解され、
「長安寺廃寺はすでに発掘調査が行われている。
その調査報告にもある通り、長安寺の創建瓦は複弁蓮華文(ヒマワリ型)軒丸瓦であり、
五六二年頃の瓦であった可能性があるのである。」と
6世紀後半に複弁蓮華文があったのではないかとされました。
更に、「法隆寺釈迦三尊像光背の蓮華文」についても言及され、
複弁蓮華文の意匠が7世紀前半に九州王朝では成立していたと次のように指摘されました。

「光背の銘文により、法隆寺の釈迦三尊像は六二三年に制作されたことが知られている。
この光背に複弁蓮華文(ヒマワリ型)が描かれている。」

この大越論文は九州王朝説への「一撃」に対する「反撃」ともいうべきもので、
10年以上も前に出されています。
当時、わたしはこの論文の持つ意義について、充分に理解できていませんでした。
今回、改めて読み直し、その意義を認識しました。
大越さんの軒丸瓦の編年観については同意できませんが、
「一撃」に対して古田学派から出された最初の「反撃」という意義は重要です。
同論文は「東京古田会」のホームページに掲載されています。
なお、大越さんには「法隆寺は観世音寺の移築か」という論文もあります。
大変優れた内容で、わたしも同意見です。
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スピール膏(こう)

タコ(魚の目)の治療に,皮膚科で上記のものをいただいた。
はさみで切って患部にあて,絆創膏(ばんそうこう)でとめる。
すると,魔法のように皮膚が柔らかくなり,
1週間後に皮膚科に行って,患部を除去してもらった。
もう,あの痛みから解放されたよ~。
こんな便利なものがあったとは,早く出会いたかったなあ。

学年掲示板のリニューアル

もうだいぶ長い間,学年黒板に遠足の写真が貼ってある。
(A4判のコピー多数)
そこで,体育祭の写真等と入れ替えてみた。
合唱コンが始まったら,またさらに入れ替えてみたい。
そのような形で学年掲示板を変化のあるものにしていきたい。
私なりに,学年の「今」を表現したいのだ。

名曲「最初の一杯」

「愛の世代ズ」を可愛がってくれている
飯原けいせいバンドの名曲に,上記のものがある。
大変リズミカルで,1度聴いたら忘れない名曲である。
また,ライブでは必ず「第1部の終わり」にこれを演奏し,
そのお店の営業にも貢献するという優れて戦略的な曲でもある。
私は,「愛の世代ズ」の「おじいちゃんの唄」と,
この「飯原けいせいバンド」の「最初の一杯」を
カップリングして売り出したいという希望を持つが,
それはまだ実現していない。

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最初の一杯     作詞・作曲 飯原けいせい

最初の一杯は ビールがいいんです
グッと飲んだあの時の喉ごしが たまらないんです
つまみはカキピーだって 僕は十分です
でも僕はちょっとだけピーナッツが なんだか苦手です

最初の一杯は 熱燗がいいんです
スッと流れ込んだ後 たちまちに 体を駆け巡る
あの感覚がとても たまらないんです
熱燗はからだが暖まるので とっても好きなんです

最初の一杯は 酎ハイがいいんです
何気取ることなく 何杯でも いってしまうんです
たまにはレモンスライスが 2枚も入ってたりすると
妙に嬉しい気持ちになるささやかな 幸せが大切なんです

最初の一杯は ホッピーがいいんです
ピールなんだか焼酎なんだかわからない この味が癖になるんです
はじめはセットで頼んで 好みの味に仕上げます
カロリーもプリン体も気にせず飲める メタボな僕の味方です

最初の一杯は あなたとがいいんです
たまには喧嘩もするけれど 心ゆるせる相手です
楽しい飲み友達は とっても大事です
あなたとの楽しいひと時が 何よりのつまみです

あなたの好きな人と飲んで下さい 最初の一杯は
あなたの好きなお酒を頼んで下さい この次の一杯も(もう一杯!)

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ところで,私のお気に入りの居酒屋で,
最近「開かずの居酒屋」だった「3丁目の夕日」が,
来週の水曜日(9/16)から営業を再開するという連絡が,
オーナーである大マスターから入った。
最近美味しい刺身を食べていないので,
グッドタイミングであった。

昨日の部活動 9/13

昨日は,午後1~5時のコマだった。
木下兄コーチ夫妻にお世話になった。
ほかに,本さんと谷口さんが参加した。

OB+1年との練習試合は,23ー25,25ー17だった。
スタートが悪くても,だんだんと追い上げていく感じだ。
ベンチサイドから言わせてもらえば,
「最初からアクセルを踏んでくれよ」ということだ。

来週のシルバーウィークの練習試合等の
動きを書いたプリントを配付した。
5日の内4日に練習試合が入っている
スペシャルバージョンである。

19日(土)・・・午前8~11時,本校体育館
20日(日)・・・午前中,霞ヶ関中へ
21日(月)・・・1日,ひばりヶ丘中へ
22日(火)・・・午前中,豊岡高校へ
23日(水)・・・1日,新座中へ

2015年9月13日 (日)

体育祭 2015

昨日は,体育祭だった。
雨続きの日々で,実施が危ぶまれたが,
体育館や武道場などを使った練習がうまくいき,
例年と変わらないものになったと思う。新記録も2つ出た。
(2年女子の400MRリレーと3年男子の800MRリレー)

接戦の競技が多く,大差がつかなかったことも盛り上げた。
1年生の全員リレーなどは,2~5位がわずかな差であった。
(これで2位だと18点,5位だと4点で,14点も差があるのだった!)

私は,体育祭の時間の約半分を「警備」として校門で過ごすという,
これまでにない展開となった。
何回来校者の方々と挨拶(あいさつ)をしたことか・・・。
1日の行事なので,だいたいの人は2回来るのだった。
「不審者」的な人は来校せず,それは助かった。

 「9月12日」という日

昨日は,多くの行事,催しが重なってしまい,
体が1つしかない私は,
体育祭を選択せざるを得なかった。
その他に行われたものは何か?

(1) 高崎サークルの9月例会
(2) 所沢の教研集会
(3) 「愛の世代ズ」がOAを務める,Slow Life でのサブウェイのライブ

来年は,このような悩ましい日程とならないように,
関係方面に要請したいと思います。

古賀達也さんの多元的「国分寺」論 その後(7)

古賀さんの論考は,まだまだ続きます。
同じ資料(例えば,資料館のパンフ)でも,古賀さんのように活用できると,
通説側の矛盾を指摘できたりするのだと思いました。
古賀さんの論考からは,学ぶことがいっぱいあります。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1046話 2015/09/08
「武蔵国分寺跡」主要伽藍調査報告書の方位

武蔵国分寺跡資料館などでいただいた資料を精査していますと、面白いことに気づきました。
国分寺市教育委員会発行のパンフレット「武蔵国分寺跡調査のあゆみと成果-僧寺金銅跡-」
(平成26年3月)によりますと表紙に描かれた「武蔵国分寺跡の主要遺構」では、
金堂などの主要伽藍の南北軸は真北より7度西偏しているのですが、
別のページに記載された明治36年の図面(『古蹟』武蔵国分寺礎石配列図)では
金堂の礎石配列が南北方位印と平行しており、西偏していないのです。
同様に掲載されている大正12年発行『東京府史蹟勝地調査報告書』第一冊収録の
「金堂址礎石配置図」も南北方位印に平行しており、西偏していません
(調査が実施されたのは大正11年)。
更に昭和31年の発掘調査の図面も西偏していません。
平成21~24年の最新調査の説明文に付された金堂礎石配置図も西偏していません。
この国分寺市教育委員会発行のパンフレットを精査して、
わたしの頭か眼がおかしくなったのかと不安にかられてしまいました。
そこで今度は恐らく最新版パンフレットと思われる平成27年3月に
国分寺市教育委員会ふるさと文化財課発行の「武蔵国分寺跡の整備」を見ますと、
最も精密な測量図が掲載されており、金堂・講堂・鐘楼・南門などすべてが7度西偏していました。
これでようやく「武蔵国分寺」主要伽藍が「塔1」を除いて7度西偏していることが確認されました。
もちろん、9月5日の現地調査でも西偏を確認しています(茂山憲史さんのご協力による)。
それではなぜ明治や大正、昭和31年の測量図面では
伽藍主軸方位が真北として作図されていたのでしょうか。
これは推定ですが、恐らくそれらの測量図作成において
「磁北」が「方位印」として採用されたのではないでしょうか。
ということは、明治時代から現在までこの地域の磁北は真北から「7度西偏」していたことになり、
そうであればこれらの測量図がうまく説明できます。
「磁北」が時期や地域によりどのくらい振れるのかは知りませんが、
この地域では明治から現在まで「7度西偏」としてよさそうです。
たぶん、明治時代以後であれば「磁北」についての科学的測定データが
残されているのではないでしょうか。
それにしても、行政が発行しているパンフレットや昔の報告書も
用心して取り扱わなければならないということを改めて実感しました。
よい経験となりました。(つづく)
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古賀達也の洛中洛外日記
第1047話 2015/09/08
「武蔵国分寺跡」主要伽藍と塔の年代差


武蔵国分寺跡資料館の中道さんの説明によりますと、
武蔵国分寺跡で最も古い「塔1」の造営年代は
聖武天皇の国分寺建立命令(天平13年、741年)が出された7世紀中頃で、
金堂などのその他の主要伽藍は10年ほど遅れて造営されたとのことでした。
この10年ほど遅れたとする根拠も、天平19年(747)に出された、
国分寺建設を3年以内に完成させろという命令でした。
いずれも『続日本紀』を史料根拠とした造営年の判断ですが、
出土瓦からも「塔1」の方が金堂のものよりも古い様式を持つ
という相対編年に依られているようです。
「塔1」と主要伽藍の先後関係については、わたしも賛成なのですが、
「塔1」を『続日本紀』を根拠に8世紀中頃とする判断には疑問を持っています。
「洛中洛外日記」1045話で指摘しましたように、
「単弁蓮華文」軒丸瓦はもう少し古く見ても良いよう思いますし、
第一の疑念はたった10年ほどの年代差で
主軸が7度も振れる設計を同一寺院内の建造物で行うものでしょうか。
また、10年後なら「塔1」を設計造営した人たちはまだ健在であり、
造営主体が同一の権力者であれば、このような不細工な「設計変更」をするでしょうか。
この疑問を中道さんにぶつけたのですが、返答に困っておられたようでした。
更に、考古学者は出土事物に基づいて編年すべきであり、
文献に編年が引きずられるというのはいかがなものかと、遠回しに「苦言」を呈したのですが、
真剣に受け止めていただきました。
その応答や態度から、とても誠実な考古学者との印象を受けました。
大和朝廷一元史観の宿痾は、現場でまじめに発掘調査されている若い考古学者も
苦しめているのだなあ、と思いました。
なお、わたしが難波宮についていろいろと教えていただいている大阪歴博の考古学者は、
考古学は発掘事実に基づいて編年すべきで、
史料に影響を受けてはいけないと言われていたことを思い出しました。
一つの見識を示したものと思いますが、
考古学と文献史学のあり方や関係性は学問的に重要な問題ですので、
この問題についても考えを述べてみたいと思います。(つづく)
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古賀達也の洛中洛外日記
第1049話 2015/09/09
聖武天皇「国分寺建立詔」の多元的考察

『続日本紀』天平13年(741)に見える聖武天皇による「国分寺建立詔」に基づき、
全国の国分寺造営時期を8世紀中頃以降とする不動の理解(信念)により、
様々な矛盾が噴出しているのですが、
この「国分寺建立詔」などを多元史観・九州王朝説の視点から考察してみたいと思います。

国分寺建立に関して『続日本紀』には次のような記事が見えます
(武蔵国分寺跡資料館解説シートNo.3「武蔵国分寺関連年表」による)。

○天平13年(741) 聖武天皇が国分寺建立の詔を発布する。
○天平16年(744) 国ごとに正税四万束を割き、毎年出挙して国分寺造営の費用に充てる。
○天平19年(747) 国分寺造営について国司の怠惰を責め、郡司を専任として重用し、
三年以内の完了を命じる。
○天平勝寶8年(756) 聖武太上天皇一周忌斎会のため、使を諸国に遣わし、
国分寺の丈六仏像の造仏、さらに造仏殿、造塔を促す。

このように天平13年の建立詔の後も、その財政的負担が大きいためか、
諸国の国分寺造営がはかどらなかったことがうかがえます。
そのため天平19年には、三年以内に完了させろと催促の命令が出されています。
こうした事情を多元史観・九州王朝説の視点から考察しますと、
次のような当時の状況が浮かび上がります。

1.九州王朝による告貴元年(594)の「国府寺」建立の命令による国分寺が存在していた場合、
それとは別に建立しなければならない。(「洛中洛外日記」718話をご参照ください)
2.九州王朝の「国府寺」が失われていた場合は、新たに新築することになるが、
同じ場所に造るか別の場所に造るかの判断を迫られる。
3.九州王朝の「国府寺」の一部、たとえば塔だけが残っていた場合、
その塔を再利用するか、別の場所にすべて新築しなければならない。
4.同じ場所、あるいは近隣に造る場合、大和朝廷への恭順の姿勢を示すためにも、
九州王朝の「国府寺」とは異なることを、あえて強調しなければならない。

以上のような状況が考えられますが、諸国の豪族(国司)にとっては経済的負担も大きく、
もし九州王朝の「国府寺」が存続していれば、新たに新築しなければならないことに、
非道理を感じたはずです。
他方、新たな権力者(大和朝廷)に逆らうことも困難だったのではないでしょうか。
命令に従わない国司に替えて、郡司を重用するというのですから、なおさらです。
このような状況下において、武蔵国では九州王朝「国分寺」の「塔」だけは残っていたので、
それは再利用するが、全体としては九州王朝の「国府寺」とは別物であることを強調するために、
7度西偏させた主要伽藍を新築したと考えてみれば、
現在の「武蔵国分寺跡」の状況をうまく説明できるように思います。
もちろん、他の可能性もありますので、一つの想定できるケースとして提起したいと思います。(つづく)
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古賀達也の洛中洛外日記
第1050話 2015/09/10
武蔵国分寺跡「塔跡2」の「6度東偏」の謎

武蔵国分寺跡資料館でいただいた「塔跡2」の調査報告書(コピー)によると、
七重塔とされる「塔跡1」の西側約55mの地点から発見された遺構は
平成15~17年の調査の結果、塔跡とされ、「塔跡2」と名付けられました。
堅牢な版築基台が出土しましたが、礎石や根固め石はなどは検出されなかったとあります。
今回の現地調査を行うまでは、この「塔跡2」も「塔跡1」と同様に
主軸は真北を向いていると理解していたのですが、
同地でいただいたパンフレットをよく見るとどうも東偏しているのではないかと思われました。
同行された茂山憲史さん(『古代に真実を求めて』編集委員、古田史学の会・会員)も
そのことに気づかれました。
そこで、資料館の石井さんに「塔跡2」の発掘調査報告書を見せて欲しいとお願いしたところ、
先のコピーをいただきました。
その報告書によると「塔跡2」は「僧寺中心軸線に対して約6°東偏する。」と記されていました。
「僧寺中心軸線」とあるのが、真北方位の「塔跡1」なのか、
7度西偏する金堂などの主要伽藍なのかこの記載からは不明ですが、
現地調査の結果から考えると真北方位の「塔跡1」に対して6度東偏していると考えざるをえませんし、
コピーにあった「図3七重塔西方地区(塔跡2本体部)全体図」も
そのように作図されています(茂山さんが測定されました)。
以上の考古学的出土事実は次のことを指し示しています。

1.最初に「塔跡1」が真北方位で造営された。
2.次いで金堂・講堂など主要伽藍が7度西偏して造営された。
3.その後に「塔跡1」の西隣に6度東偏して「塔跡2」が造営された。
あるいは造営しようと版築基台が造られた。

以上のような経緯が想定されるのですが、それらの中心軸方位が「めちゃくちゃ」です。
これで一つの「国分寺」跡と言えるのでしょうか。
南北方位で造営された東山道武蔵路と同一方位を持つ「塔跡1」は
造営者の統一された設計思想・意志(北極星を重視)が感じられますが、
7度西偏した主要伽藍や、6度東偏している「塔跡2」は
その主軸の向きを決定した理由や設計意志が、わたしには理解不能なのです。
特に「塔跡2」を主要伽藍とも「塔跡1」(七重塔)とも異なる方位にした理由、
しなければならなかった理由がわかりません。
しかし、武蔵国を代表する国分寺設計にあたり、その採用方位の不統一を設計者や造営主体者の
「趣味」の問題とすることは学問的ではありません。
何か理由があったはずです。それを考えるのが歴史学ですから、
この謎から逃げることは許されません。
主要伽藍の7度西偏については「磁北」とする作業仮説(思いつき・アイデア)が提起されたのですが、
6度東偏も「磁北」とすることができるでしょうか。
「塔跡2」の造営は『続日本後紀』の記事(承和12年〔845〕3月条、七重塔焼失・再建記事。)
などから9世紀中頃と考えられているようですが、もしそうであれば
100年間ほどで磁北が7度西偏から6度東偏に変化したことを証明しなければなりません。
これもまた、大変な作業ですし、100年で磁北がそれほど変化するものかどうかも、
わたしにはわかりません。不思議です。(つづく)

「新古代学の扉」サイト→「肥さんの夢ブログ」へのリンク

古田史学の会・インターネット事務局の横田さんにより,
「新古代学の扉」サイト→「肥さんの夢ブログ」へのリンクが実現しました。
その様子を,「再現」してみると,次のような感じです。
あこがれの「新古代学の扉」とインターネットでつながっているなんて,夢のようです。
これも,お世話になっている古賀達也さんのお陰ですね。

「新古代学の扉」サイト

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html
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古賀達也の洛中洛外日記
第1044話 2015/09/05

「武蔵国分寺」現地調査緊急報告

 肥沼孝治さん(古田史学の会・会員)のご案内で、
「東山道武蔵路」「武蔵国分寺」「武蔵国分尼寺」などの現地地調査を行いました。
総勢8名で3時間ほどかけて、しっかりと見学できました。
そして、予想を上回る成果をあげることができました。
考察はこれからですが、取り急ぎ事実関係を中心に緊急報告を行います。
 
武蔵国分寺跡資料館などで次の知見、説明を得ました。
これらの持つ意味については、順次「洛中洛外日記」で考察します。

1.七重塔の造営年代は8世紀中頃とされていますが、
その根拠は『続日本紀』の聖武天皇の国分寺建立詔に基づくものであり、
出土瓦などによる考古学的事実によるものではない。
瓦からは編年が難しいとされているようでした。

2.真北に主軸を持つと思っていた「塔2」の発掘図面を精査すると、
東に約5度ほど振れており(茂山憲史さんの指摘・測定による)、
真北に主軸を持つ「塔1」(七重塔)とは造営年代や造営主体が異なると思われる。

3.「武蔵国分尼寺」の主軸も、内部の伽藍により異なっていた。
尼坊とその他の伽藍(金銅・講堂など)の主軸にはずれがありました。
4.同地域には7世紀の遺跡がないとされており、
従って「塔1」の編年も8世紀中頃とする根拠の一つにされていた。

 他にも現地でなければわからない知見が次から次へと得られました。
「歴史は脚にて知るべきものなり(秋田孝季)」という言葉を実感しました。
懇切丁寧に説明していただいた武蔵国分寺跡資料館の中道さん石井さん、
そして下見やご案内をしていただいた肥沼さんに感謝いたします。(つづく)

多元的「武蔵国分寺」現地調査

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2015/09/post-7f22.htm

 報告は、肥さんの夢ブログ(中社)とリンクしています。

人間ドックの結果 2015

8月24日に行った人間ドックの結果が送られてきた。
全体の判定は「D」で,「治療を要す」だった。
治療といっても,食べすぎ飲みすぎに注意というやつで,
今年の夏のダイエットがいまいちだったこともあって,
(それでも,8月末で,マイナス3キロだったが)
その結果が反映されたのだろう。
これから「食欲の秋」を迎えるが,
私にとっては「我慢の秋」となるかもしれない。(。>0<。)

2015年9月12日 (土)

体育祭の予行 9/11

昨日は,「夏が戻ってきた!」というほどの好天で,
野球帽にサングラスのいでたちで私は予行に参加した。
(「一部のファン」が評価してくれた)

しかし,私の今年の仕事は「はちまき」と「賞状・トロフィー」と「万国旗」で,
体育祭当日は,半分が「門番」のため,予行での活躍はなかった。
(強いていえば,「屋外・保健室の門番」)

そこで,1年生にとっては初めての体育祭を盛り上げるべく,
先週から撮っていた写真たち十数枚(A4判のサイズのコピー)で,
廊下の掲示板に「体育祭の熱い練習風景~果たして優勝はどのクラスか!」
というミニ写真展(デジカメはこういう芸当ができるんだね!)を開くことにした。

中でも特ダネは,まだ渡されていない「総合1位」と「学年種目1位」の2枚の賞状間に,
優勝カップを配した作品だ。我ながら,グッドジョブだと思う。(笑)

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ということで,予行での活躍はなかったが,
粋な働きをしていたと,ブログには書いておこう。

本日は「門番」として,半分以上の時間を過ごしますよ,はい。
「ワン,ワン!!」(笑)

PS 午後2時からは,群馬県で,
高崎サークルがたのしく開かれているのでしょうね。
来月は,必ず参加しま~す。

アクセス数をめぐって

「あいせだ★ブログ」が,面白い「実験」をやっているので,
私もちょっと調べてみた。
ここ6日間のブログへのアクセス数である。

【あいせだ★ブログ】
45→462→134→393→93→86

【肥さんの夢ブログ】
356→269→251→266→259→221

アクセス数というのは,検索数も反映するので,
何人の人が読んでくれたのかはなかなか把握しにくいのだが,
私はだいたい「半分検索,半分読者」と思うようにしている。

「肥さんの夢ブログ」の1日あたりの最多アクセス数は,
「宮澤章二の詩「行為の意味」 2011.03.10 」の1700である。
この次の日に例の東日本大震災が起きて,
テレビで耳にタコができるほど流された
AC広告機構の「行為の意味」の詩の全文を知りたい読者が,
一斉に検索をかけてきたわけだ。
その日の記事は,こんな内容だった。

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宮澤章二の詩「行為の意味」

昨日三送会も無事終わり(私は記録ビデオ係),
やれやれというところだが,
その講評の中で教頭先生が
「行為の意味」という詩を紹介してくれた。

テレビやラジオでもその一部が
使われているらしいが,
ここでは全文を載せてみよう。

作者の宮澤章二さんは埼玉県の人だそうだ。
さっそく『行為の意味~青春前期のきみたちに』
(ごま書房新社)を注文した。

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行為の意味 
               宮澤章二
    
-あなたの〈こころ〉はどんな形ですか
と ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも〈こころ〉は見えない
けれど ほんとうに見えないのであろうか

確かに〈こころ〉はだれにも見えない
けれど〈こころづかい〉は見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから

同じように胸の中の〈思い〉は見えない
けれど〈思いやり〉はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから

あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
〈心〉も〈思い〉も初めて美しく生きる
-それは 人が人として生きることだ

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宮澤章二さんの案内:

大正8年(1919)6月11日、埼玉県羽生市生まれ。
東京大学学文学部卒業。
高校教諭を経て文筆業(詩と歌詞)に専念。
作詞関係の中で校歌は小・中・高校など300校に及ぶ。
2005年3月没。 
特に、過去30年間埼玉県の中学生のために、
一遍の詩を贈り続けた。
それは詩人のライフワークとなった。

2011年3月10日 (木)

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この詩をめぐっての読者との多数回にわたるやり取りや
宮澤章二さんの実の息子さんに会いに羽生に出かけたこと等,
いろいろな思い出がこれをきっかけに出来た。

古田史学の会・インターネット事務局の横田さんより

古田史学の会・インターネット事務局の横田さんより,
以下のメールをいただいた。

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ブログ
第1045話 2015/09/07
「武蔵国分寺」七重塔創建瓦の編年

ホームページ「新古代学の扉」(9月19日まで)に
「古田史学」カテゴリを
リンクして紹介させて下さい。

ブロクは将来はリンクを変更して固定します。

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要約すれば,「新古代学の扉」サイトにリンクするという形で,
「肥さんの夢ブログ」を評価していただけるということだ。

そこで,私は以下のように返信メールを送った。

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横田さんへ
コメントありがとうございます。

古田史学の発展のためなら,
喜んで力になります。
どうぞよろしくお願いいたします。

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新古代学の扉

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html

昨日の部活動 9/11

昨日は,体育祭の予行だったため,
朝練も早めに終え,
午後練はお休みだった。

本日の体育祭は,木下兄コーチも見学にいらっしゃるという。
張り切って活躍してほしい。

2015年9月11日 (金)

充実した1週間

先週の土曜日から今日までの1週間,
私は大変充実した1週間を過ごすことができた。
本当にうれしい。(o^-^o)

9/5(土)・・・多元的「国分寺」論の現地調査(古賀さんはじめ8名)の案内人 ※
9/6(日)・・・練習試合と『盗まれた「聖徳太子」伝承』出版記念講演会(翔空さんも)
9/7(月)・・・「はちまき係」(うまくいく)
9/8(火)・・・古賀さんの「現地調査」報告が配信される
9/9(水)・・・小中交流(5)と「愛の世代ズ」のライブ
9/10(木)・・・「賞状・トロフィー係」(うまくいく)
9/11(金)・・・「万国旗係」(うまくいく予定)

※ 7世紀に九州王朝の命によって,旧・国分寺が建てられた。,
白村江の戦い後,8世紀初頭に政権交代が行われ,
8世紀半ばに聖武天皇の国分寺建立の詔(みことのり)が出されて,
新・国分寺が建てられた。
つまり,「国分寺」は2回建てられた。
これが,多元的「国分寺」論である。

鬼怒川

「鬼怒川決壊で流され9人不明」というニュースを,
ネットで見て思った。

これは地元では「絹のように素晴らしい川」と言っていたのを,
そこに入って行った勢力が
「鬼が怒ったような怖い川」と名づけたのではないかと。
「鬼」というのは,それまでの支配者のことを言うらしい。

「鬼夜」・・・福岡県の奇祭。親しき「鬼」たち
桃太郎が退治した「鬼が島の鬼たち」
「鬼無里村」・・・長野県の鬼女「紅葉」伝説

9人の「行方不明」の方たちの,ご無事をお祈りしたい。

昨日の部活動 9/10

昨日は,午後4時~5時半のコマだったのだが,
用事を終えて体育館に行ったら,
体育委員会がリハーサルのようなことをしていて,
男バレの姿は見えなかった。
今日も体育祭の予行と準備のために,
部活動があるのかどうか。
やはり9月の体育祭には無理がある。
それを強く感じる年である。

2015年9月10日 (木)

小中交流(5)

2ヶ月ぶりの小中交流は,波乱に満ちたスタートを切った。
というのは,小学校側からの「1校時からお願いします」というファックスが,
他のプリントの陰になりなり,私に伝わっていなかったからである。
昨日の1校時に印刷室でプリントを用意していると,
突然事務の先生が入ってきて,「小学校から電話が入っていますよ」と怪訝な様子。
私は当然,良い知らせではないと直感した。
ファックスのプリントは体育祭関係のプリントが上にかぶさり,
おまけに朝練を終えた私が置いた部活ノートが重石のようにさらに上にのって,
少し「発掘」が必要だった。
小学校側に事情を説明し,授業の交換をしていただけるようにお願いした。

こうして始まった小中交流の2学期・第1回。
ところが,意外な展開が私を待っていた!
手品(□から○へ)もうまくいき,夏休みの話などしているうちにうちとけ,
意外や意外アットホームな雰囲気で授業をすることができたのだ。

今回で3度目の授業。少しずつお互いをわかりかけてきて,
それが台風接近の中やってきた私を,子どもたちが優しく迎えてくれた気がする。
災い転じて福と成す!
3クラスとも和やかに授業は進み,最後は「団結とじ」で時間調整した。

プリントの方は1学期のうちに4枚作ってしまったので,
特に心配はしていなかった。
やはり共通の教材(授業書ならサイコー!)があるといいなあ。

学年主任の先生との会話の中に,仮説実験授業のことが登場した。
(「手品のネタはどこで仕入れるのか」という問いに,仮説社等と答えたため)
仮説実験授業はやったことはないが,大いに興味はある感じ。
もしかしたら,あと2時間したら仮説実験授業をさせてもらえるかもしれない。
これまでけっこう苦労したきた小中交流だったが,
最後はハッピーエンドといくかな?(つづく)

楽天が投打が噛み合い50勝目

ロッテ 0 0 2 0 0 0 0 0 0 計2
楽 天 0 1 0 0 0 1 0 2 X 計4

楽天が投打が噛み合い50勝目をあげた。
6回裏にぺーニャの本塁打が出て同点とすると,
8回裏には松井稼の犠牲フライと嶋のタイムリー二塁打で突き放した。

勝ち投手は,リリーフした青山で今季4勝目(4敗)。
松井裕が28セーブ目をあげた。

5時に「虹」

奮発して,レッドアローで池袋へ向かう途中,
車窓に「虹」がきれいに見えた。
時刻は,2時ではなく5時だった。(笑)

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「愛の世代ズ」がまたもOA 9/9

飯原けいせいバンドの2枚目のアルバム発売日の昨日,
「愛の世代ズ」はそのOA(オープン・アクト=前座さん)を務めた。
手品,コント,歌(「おじいちゃんの歌」,「だいしょうぶ」)という構成は,
時間が有効に使えていてなかなか良かった。

会場は,御徒町のJAM SESSIONで,
台風18号が通過するなかでの
「夏はまだ終わらない」の発表会であった。
(記憶に残ること,間違いなし!)
お客さんも多数駆けつけ,ノリノリの夜だった。

それにしても,飯原けいせいバンドは,歌の構成がうまい。
オリジナル曲とヒット曲のサンドイッチ方式で飽きさせないし,
第1部と第2部の終わりの曲が「最初の1杯」なのは,
お店に大変貢献するしなあ。

あとは,写真で見てね!

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2015年9月 9日 (水)

続く長雨~3日後には体育祭!?

例年だと暑くてへとへとになっているこの時期の体育祭練習。
今年は長雨で,「涼しい」を通り越して「寒い」という感じさえする。
それに追い討ちをかけるように,昨日の給食には「冷凍みかん」。
「泣きっ面に蜂」ならぬ「氷雨(ひさめ)に,冷凍みかん」だ。
例年の暑さの中なら,むしろ感謝するぐらいなのに・・・。

今日は,御徒町の「ジャム・セッション」で,
「愛の世代ズ」が飯原けいせいバンドのOAを務める。
時間は午後7時からだが,それだと5時に出ないときついなあ。
前のように7時半からだと,間に合うのだが・・・。

古賀達也さんの多元的「国分寺」論 その後(6)

「武蔵国分寺」の話だけでなく,新「古代史セミナー」の話も出てきて,
ますますこれからの研究が楽しくなりそうです。
ぜひ「結集(けつじゅう)」いたしましょう。
(「結集」=釈迦の弟子等による集まり→「古田武彦さんの弟子たち」による集まり)

結集【けつじゅう】~「コトバンク」より
釈迦入滅後,口伝の教法を整理し,その教権を確立するために開かれた編纂(へんさん)会議。
有能な弟子500人による第1回結集以来,アショーカ王の結集,カニシカ王の結集など4回行われ,
三蔵(経・律・論)の成立をみた。

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第149号 古田史学の会「洛洛メール便」 2015年09月09日

前略。 「古田史学の会」の竹村です。
洛洛メール便をお届けします。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1045話 2015/09/07
「武蔵国分寺」七重塔創建瓦の編年

「洛中洛外日記」1044話の「武蔵国分寺」現地調査緊急報告で書きましたように、
「塔1」(七重塔)の造営年代は8世紀中頃とされていますが、
その根拠は『続日本紀』の聖武天皇の国分寺建立詔に基づくものであり、
出土瓦などによる考古学的事実によるものではないことがわかりました。
出土瓦だけからは編年が難しいのかもしれませんが、
同遺跡の「塔1」創建瓦として展示されているものは「単弁八葉蓮華文」であり、
7世紀後半によく見られる「複弁」ではありません。
むしろ7世紀初頭や前半の瓦に似ているように思われ、どこかで見たような記憶がありましたので、
持参していた『一瓦一説』(森郁夫著)に記載されている瓦と見比べたところ、
7世紀前半頃とされる法輪寺(奈良県生駒郡斑鳩町)の軒丸瓦・軒平瓦の文様によく似ていました。
もちろん、全く同じではありませんし、編年には地域性もありますから、
断定するものではありません。
また、武蔵国分寺跡資料館の発掘担当者の中道さんの説明によれば、
『一瓦一説』に掲載されているような「(この地域では)きれいなものは見たことがない」とのことで、
確かに展示されていた瓦は近畿の博物館などで見るような整った瓦はありませんでした。
「複弁蓮華文」の軒丸瓦も、この地方ではほとんど出土していないと説明されていましたので、
畿内の瓦の様式編年をそのまま適用するには用心が必要なようです。
しかしながら、それでも「武蔵国分寺」の「塔1」の編年が、
考古学的出土物よりも『続日本紀』の聖武天皇の国分寺建立命令の詔勅(天平13年、741年)を
根拠に8世紀中頃以後とされているのは、大和朝廷一元史観の宿痾と言わざるを得ません。
やはり多元史観による「九州王朝の国分寺建立」という視点で、
各地の国分寺遺跡の編年見直しが必要と思われます。(つづく)
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第150号 古田史学の会「洛洛メール便」 2015年09月09日
前略。 「古田史学の会」の竹村です。
洛洛メール便をお届けします。

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古賀達也の洛中洛外日記【号外】
2015/09/07
「東京古田会」「多元の会」の皆さんと懇親会

昨日の東京講演会(古田史学の会・主催)は100名以上のご参加をいただき、大成功でした。
内容については「洛中洛外日記」で報告しますが、
参加されていた「東京古田会」の藤沢会長さんや「多元の会」の安藤会長さんら両会役員の皆さんに、
講演終了後に市ヶ谷駅近所の居酒屋さんで懇親会を開いていただきました。心温まる御配慮でした。
その歓談の中で、昨年11月で最後となった「八王子セミナー」のような古田支持者による集いを
これからも持てないだろうかという話が出てきました。
また、藤沢さんのお話では「八王子セミナー」を主催されていた大妻女子大学の荻上学長も
同様のお考えをお持ちとのこと。
もし、大学セミナーハウスが利用できるのであれば、宿泊施設の心配をすることもないので、
大変ありがたいことです。
古田先生にも臨席いただければとの意見も出されましたが、
先生のお身体のことを考えると、それはやめて欲しいと、わたしは述べました。
いずれにしても、是非実現させたい企画です。
全国の古田ファンや弟子等が年に一度集まるということは、将来のためにも重要な意義を持ち、
言わば釈迦の弟子等による「結集(けつじゅう)」に相当するものです。
「古田史学の会」でも検討したいと思っています。
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『たの授』9月号の感想

仮説社御中
『たの授』9月号の感想を送ります。

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『たの授』9月号で,特に良かったのは,次の3点です。

(1) 〈創造性〉という名の呪縛(黒田さん)

9月号の特集は「図工・美術」だったので,
感想を書くものが見つかるか不安でした。
しかし,芸術の世界でも学問の世界でも,
呪縛から解き放たれないと自由に研究できないということを
再認識させていただいたと思いました。
歴史学の場合は,日本書紀の記述が「呪縛」で,
考古学の編年が「遠慮」しているのですが,
図工・美術の場合にも〈創造性〉が幅をきかせ,
模倣の大切さがないがしろにされているようです。
違う分野ながら,共通の問題があると思いました。

(2) 学ぶ喜び(小原さん)

人間は「学ぶ喜び」を見つけた時,
ぐんと世界が素晴らしく思えるのでしょう。
それは,小学生でも,大学生でも,お年寄りでも同じこと。
特に,仮説実験授業は対応できる年齢の幅が,
めちゃくちゃ広いので,「学ぶ喜び」を
プレゼントしやすいことになります。
1学期には《世界の国ぐに》が歓迎されました。
2学期は《日本歴史入門》でご機嫌をうかがいます。

(3) 〈自分と違う意見を馬鹿にしない伝統〉を大切に(板倉さん)

これは,いい話だなあと思いました。
仮説実験授業をしていると,生徒たちの間でも自然とそうなってきますが,
フツーの生活の中では,けっこう(先生方の中でも)
わかっていない人が多いと思います。
そういう人は,勝手に自分の中で「正解」を決めていて,
自らの不安な気持ちを〈自分と違う意見〉を馬鹿にすることで
バランスを取ろうとしているように思われます。
しかし,それは結局空しい努力です。
実験によって真理が決まるのですから,
「人の意見を馬鹿にする必要」はないし,
むしろ「自分と違う意見を尊重する人」の方に,
実験の結果(真理)は微笑むと思うからです。

バヌアツの「縄文土器」とエロマンガ島のこと

南太平洋の島国・バヌアツからは「縄文土器」が出ているという。
我が国から6000キロも離れた国に,
なぜ5500年前の縄文土器があるのか謎だ。
(古田さんなら,鬼界カルデラの爆発が約6300年前に発生し,
新天地を求めてエクアドルやバヌアツに逃れたと言うかな?)

また,エロマンガ島はこのバヌアツにあって,悲劇の島として知られる。
(日本語の「エロ漫画」からは,想像もつかない話である)
詳しくは,インターネット検索されるといいだろう。
日本人の素晴らしい報告も載っている。

悲劇の島エロマンガ
http://www.apa-apa.net/kok/news/kok198.htm

こういう話は,教科書には出ていない。
しかし,興味深い話で,「視聴率」もすこぶる高い。

昨日の部活動 9/8

昨日は,朝練は年休を取ったために見られず,
午後練も「定休日」=自主練習のため見られなかった。
しかし,ひばりが丘中から練習試合の
ファックスが入ったので,これを書いておく。

あちらの希望日は,10月21日(月)。
ちょっと「4日連続」は大変ではあるが,
こちらの空いている日に連絡が来たのは「幸運」ととらえて
参加することにした。(1日体育館が使えるという)
昨年はひばりが丘中でのミニ大会に参加することによって,
都内の強豪と対戦するチャンスを得た。
新チームも,さらにステップアップするために,
強豪に胸を借りる必要があるだろう。
うまくすれば,東村山六中(強豪)などと試合ができるかも。
ということで,シルバーウィークは,「武者修行」週間となる。
それでこそ,「新人戦までに100セット」に近づくというものだ。
(現在,55セットである)

19日(土)・・・学校で練習(8時~11時)
20日(日)・・・午前中,霞ヶ関中へ(向陽中も来る)
21日(月)・・・1日,ひばりが丘中へ
22日(火)・・・午前中,豊岡高校へ
23日(水)・・・1日,新座中へ

2015年9月 8日 (火)

古賀達也さんの多元的「国分寺」論 その後(5)

古賀さんが,先週の土曜日に行われた現地調査について,
「洛中洛外日記」で書かれたものが,
竹村さんの「洛洛メール便」で送られてきました。
「案内人」をさせていただいた者としては,大変うれしいことです。
さっそく,転載させていただくことにします。

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第148号 古田史学の会「洛洛メール便」 2015年09月08日

前略。 「古田史学の会」の竹村です。
洛洛メール便をお届けします。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1044話 2015/09/05
「武蔵国分寺」現地調査緊急報告

肥沼孝治さん(古田史学の会・会員)のご案内で、
「東山道武蔵路」「武蔵国分寺」「武蔵国分尼寺」などの現地調査を行いました。
総勢8名で3時間ほどかけて、しっかりと見学できました。
そして、予想を上回る成果をあげることができました。
考察はこれからですが、取り急ぎ事実関係を中心に緊急報告を行います。
武蔵国分寺跡資料館などで次の知見、説明を得ました。
これらの持つ意味については、順次「洛中洛外日記」で考察します。

1.七重塔の造営年代は8世紀中頃とされていますが、
その根拠は『続日本紀』の聖武天皇の国分寺建立詔に基づくものであり、
出土瓦などによる考古学的事実によるものではない。
瓦からは編年が難しいとされているようでした。
2.真北に主軸を持つと思っていた「塔2」の発掘図面を精査すると、
東に約5度ほど振れており(茂山憲史さんの指摘・測定による)、
真北に主軸を持つ「塔1」(七重塔)とは造営年代や造営主体が異なると思われる。
3.「武蔵国分尼寺」の主軸も、内部の伽藍により異なっていた。
尼坊とその他の伽藍(金堂・講堂など)の主軸にはずれがありました。
4.同地域には7世紀の遺跡がないとされており、
従って「塔1」の編年も8世紀中頃とする根拠の一つにされていた。

他にも現地でなければわからない知見が次から次へと得られました。
「歴史は脚にて知るべきものなり(秋田孝季)」という言葉を実感しました。
懇切丁寧に説明していただいた武蔵国分寺跡資料館の中道さん石井さん、
そして下見やご案内をしていただいた肥沼さんに感謝いたします。(つづく)
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ビッグサイト「国分寺」の活用

土日の「古代史」デーが刺激となり,
ビッグサイト「国分寺」を活用したくなった。
まだまだ荒い調べ方だが,
誰かがやらなくてはならないなら,私がやろう。
「最初の,一歩!」

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「国分寺」というサイトには,
写真や実測図がたくさん出てくる。
その中で,「これは何かありそうだ!」と思った国分寺をチェックしてみた。
ぜひ追試をお願いします。

「国分寺」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/to_gl_k.htm

陸奥国分寺・・・南北方位。塔の位置が他の伽藍の南東ではなく東にある
常陸国分寺・・・「播磨灘のメモ帳」サイトには7度西偏と出ていたが?
上野国分寺・・・南北方位。塔が伽藍の西に配置されている。
下野国分寺・・・南北方位。塔が回廊の中で南東に
上総国分寺
下総国分寺
武蔵国分寺・・・塔(東山道武蔵路,国分尼寺)とその他の伽藍配置に7度のズレ
相模国分寺・・・南北方位。回廊内に法隆寺と同じ配置で塔と金堂あり
甲斐国分寺・・・南北方位。塔は南東。塔の東斜めに掘?
伊豆国分寺・・・南北方位。塔は伽藍の南西にある
信濃国分寺・・・やや東偏か。塔は南東
佐渡国分寺・・・新堂は南北方位。他の伽藍はやや西偏か。
越中国分寺
能登国分寺・・・南北方位のものと西偏のものと両方ありそう。門跡から正面に塔礎石?
駿河国分寺
遠江国分寺・・・南北方位。塔は伽藍の西に
三河国分寺
尾張国分寺
飛騨国分寺
美濃国分寺・・・南北方位。回廊内に,塔(東)と金堂(西)
伊勢国分寺・・・南北方位。塔跡が2つあり,1つは東に,もう1つは南西にある!
若狭国分寺・・・大きく東に偏っている。回廊内に,塔(東)と金堂(西)
近江国分寺・・・金堂のための中門とその東側に塔のための塔院中門の2つがある。
山城国分寺
丹波国分寺・・・南北方位。塔は南東
但馬国分寺
河内国分寺・・・金堂のための南大門と中門と塔のための南門あり
紀伊国分寺・・・南北方位。回廊内の南東に塔
播磨国分寺
淡路国分寺
因幡国分寺・・・南北方位。南西に塔
伯耆国分寺・・・南北方位。回廊内の南東にに塔
出雲国分寺・・・南北方位。南東に塔
石見国分寺
隠岐国分寺・・・南北方位。塔の位置は不明
備前国分寺・・・南北方位。塔は南東
備中国分寺・・・南北方位。塔は南東の「建物跡」か。西に「五重塔」あり
美作国分寺・・・南北方位。塔は南東
備後国分寺・・・古代山陽道に面す。やや西に偏るか。回廊内に塔(東)と金堂(西)
安芸国分寺・・・やや西に偏るか
周防国分寺・・・やや東に偏るか。塔は東
阿波国分寺・・・やや西に偏る。塔はどこ?
讃岐国分寺
伊予国分寺
土佐国分寺
筑前国分寺・・・南北方位。塔は回廊内の南東
筑前国分寺・・・近くで最古の戸籍史料が発見される
筑後国分寺
肥前国分寺・・・やや西に偏るか。塔は回廊内の南東
肥後国分寺・・・南北方位。回廊内に法隆寺と同じ配置で塔(西)と金堂(東)
豊前国分寺
豊後国分寺・・・やや東に偏るか。塔の推定地は南東
日向国分寺・・・南北方位。塔はどこ?
大隈国分寺・・・
薩摩国分寺・・・南北方位。中門のすぐ右手に塔
壱岐国分寺・・・

秋季の教育実習が始まる

昨日から,秋季の教育実習が始まった。
今回は男性が2名で,英語と数学。
埼玉大学の学生ということは,副免許としてのもので,
実際は小学校の教員を希望している人たちである。
(期間もそれぞれ,2週間と3週間で短かめ)

昨日は,5校時に英語担当の方が見学にいらした。
サービスに「形状記憶・鶴」の手品をお見せし,
地図帳を使っての国探し,丸読み,調べプリント,ビデオ鑑賞の
「定食授業」を見ていただいた。(参考になったかな?)

授業後の彼とのおしゃべりで,
2人ともイギリス・ロンドンのグリニッジ天文台の
本初子午線をまたいで記念撮影をしたことがわかり,盛り上がった。
(うら若き私の写真も見ていただいた)

『たの授』をプレゼンしたりもできるし,体育祭の準備で忙しい中だが,
ちょっぴり楽しみが増えた。(o^-^o)

大忙しの「はちまき係」

私の,決して短くない教員生活の中で,
今回初めて「はちまき係」を担当した。
ノウハウを知らない係ではあったが,
昨年の担当者のТ先生のアドバイス(ファイルのメモ)によって,
なんとか各クラスに配付することができた。
良かった点と反省点をいくつか。

【良かった点】

(1) 昨年の担当者のТ先生のアドバイス(ファイルのメモ)により,
はちまきの所在を午前中にはつかめていた。
(2) 昨年度購入した新品のはちまきを,3年生中心に配付することができた。 
(3) 他のクラスの分までやってくれる素晴らしい生徒が何名もいた。

【反省点】

(1) はちまき係を決めていないクラスが,3つもあった。
(有志の意味を,拡大解釈していた?)
(2) 教員の担当者は3名なのだが,それぞれメインの担当を持っていて,
はちまき係は実質的に私1人の担当となった。(1人の先生は,昨年も今年も
はちまき係なのだが,それをご存知なかったようである。声を掛けたのだが・・・)

はちまき係の次の活動は,回収のための体育祭後なので,
気が楽といえば楽だが,
来年のことを考えて,はちまきの購入をしておきたい。

ちなみに,はちまきの色は,
1組…赤,2組…青,3組…黄,4組…緑,5組…オレンジ,である。

昨日の部活動 9/7

昨日は,午後3時~5時半のコマだった。
ただし,係の打ち合わせがあったので,
それに出る生徒は2時間半やれたかどうかは?である。
かくいう私も,「はちまき配付」に手間取り,
(3クラスが担当者を決めていない!)
部活動の場所である体育館に行ったのは,下校時間後だったのだ。
「戸締り」という大事な仕事は,きちんとさせていただいたが・・・。
体育祭がこんなにも大変な日程になるのなら,
何も無理して9月にやる必要なし!

PS その忙しさを象徴するかのように,
Т君のバレーシューズが体育館に忘れられていた。
普通ならそんなことはないのにね。

2015年9月 7日 (月)

『盗まれた「聖徳太子」伝承』出版記念講演会

昨日は,午後から,上記の講演会に参加してきた。
時間は,午後1~4時。
会場は,JR市ヶ谷駅近くの東京家政学院大学。
会場には,100人を越える聴衆が集まった。

八王子中との練習試合を終えた私は,
自転車に飛び乗り,下山口駅に向かった、
残念ながら目の前で電車は出発してしまったところで,
仕方なく次の電車に乗った。
(第2部の古賀さんの話に間に合うかなあ・・・)

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演題Ⅰ 聖徳太子の原像 ー姓は阿毎、字は多利思北孤ー
正木裕(古田史学の会事務局長)

演題Ⅱ 日出ずる処の天子と「肥後の翁」
古賀達也(古田史学の会代表)

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私が会場に着いたのは,少し延びた第1部の休憩時間だった。
トイレ(女子大なので,男性用が極端に少ない)に行った後,
階段教室(懐かしい)の後ろの方に席を確保。
なんと前列には,翔空さんが陣取っており,「歴史的再会」を果たした。
「夢ブログ」を読んで,わざわざ来て下さったのだった。
ありがとうございます!「夢ブログ」も集客に貢献しました!

正木さんの話は古田史学の基礎編で,
古賀さんの話はその応用。
毎年のように,新刊を出すたびに,
このような出版記念講演会を開く予定という。
それは私としても「老後の楽しみ」が増えて,
願ったり叶ったりという次第。

古賀さんの話の後半で,土曜日に行った
「武蔵国分寺」現地調査についても触れていただき,
とてもうれしかった。ありがとうございました!

147

「夢ブログ」を増し刷りして持って行ったら,
「もう,ブログで読みましたよ!」と何人もの方に言っていただく。
古田史学の会の皆さんに読んでいただいているとなれば,
さらに張り切って書いていかねばならないであろう。
今後ともよろしくお願いいたます。

講演会後は,翔空さんと,
所沢西武の6階の和風レストランでオフ会。
牡蠣(かき)フライ定食を酒の肴(さかな)に乾杯した。
楽しい1日だった。

八王子中との練習試合 9/6

昨日は,遠路,八王子中においでいただき,午前中練習試合を行った。

9ー0(25ー14,25ー18,25ー16,25ー7,25ー14,
25ー7,25ー17,25ー12,25ー22)

まだまだ試合のスタートで相手に合わせてしまう点はあるが,
中盤には追いついて,終盤には突き放すという形が多かった。
県大会では,スタートが悪いとなかなか追いつけなくなるので,
最初から競り負けないようにしたいものだ。

最終の第9セットでは,疲れたのか集中力が落ち,
「あわや,1セット取られるか!?」
という場面も見られた。

八王子中も声が出てきて,それもプレッシャーになったようだ。
こちらも声を出せば,跳ね返せるのになあ。
(リードした時は,声が出るのですが・・・)

7名の保護者の方の参観をいただいた。
ありがとうございます。
スタートから飛ばしてくれると,
応援席としても心穏やかなのですが・・・。
ハラハラさせてすみません。

八王子中とは距離は遠いのだが,
2人の顧問の先生には親しくしていただき,
この夏も2回の練習試合をしている。
今後も連絡を取り合ってやっていたきい。
(さいたま市の学校の様子も教えていただけるしね!)

2015年9月 6日 (日)

多元的「国分寺」論について

このサイトでは,ちょっと常識とは違う考え方が出てきます。
例えば,子どもたちの授業評価や感想を「第1の資料」にする
仮説実験授業(1963年に,板倉聖宣さんが提唱)がそうです。

そして,それと対になっているのが,多元的古代
(『「邪馬台国」はなかった』や『失われた九州王朝』,『盗まれた神話』で
古田武彦さんが提唱された九州王朝説=大和政権が701年にスタートを切るまでは,
大和政権に先在した九州王朝が日本=倭国の代表だった)という考えです。

私は,両方の考えに賛同しているので,
それを補強するような記事をたくさん書いています。
もし質問があれば,コメントに書いていただければ幸いです。

もちろん,今回の現地調査は後者のもので,
実際に大きな力になっていくと考えています。
つまり,国分寺・国分尼寺は各国(66ヶ国と言われています)にあるので,
比較・検討がしやすいし,協力者も得やすいと思うからです。

仮説実験授業の授業書《世界の国ぐに》での「GDPキューブ」の活用とともに,
多元的「国分寺」論の発展・認知を退職までの1つの仕事と考えて,
頑張っていきたいと思います。

多元的「武蔵国分寺」現地調査

昨日は,上記の調査に行ってきた。
同行者は,団長・古賀達也さんをはじめとした古田史学の会の有志8名。
肥さんは,名誉ある「案内人」という重責である。

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まずは,国分寺駅に12時に集合。
中央線に乗って,1つ下って西国分寺駅へ。
駅前の定食屋(夜は居酒屋)で腹ごしらえする。
久しぶりの「お刺身定食」はなかなか美味しかった。
私の持って行った資料もここでお渡しした。
以下,ご案内した順に書いていこう。

(1) 東山道武蔵路の体験散策

団地建設の際に出土した東山道武蔵路。
百数十mに渡って歩けるように,色アスファルトが敷かれている。
幅12mの小豆色っぽい道に,黄色で側溝が描かれている)
それを,参加者の皆さんにも体験散策していただく。
いわば,多元的「国分寺」論への導入であった。

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(2) さらっと現・武蔵国分寺

現・武蔵国分寺に時間を取られてしまうわけにはいかないので,
参道の階段下から見上げるようにして,ここはさらっと通過。
「武蔵国分寺跡」よりかなり高い位置に現・国分寺はある。
(この崖下から,昔も今も湧水がわき出ている)

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(3) 武蔵国分寺跡資料館

ここが,今回のメインイベントとなった。
我々としては,多元的「国分寺」論の確信を得るべく,
展示品を眺め,学芸員に質問し,オフのはずが仕事に来ていた
発掘担当者の若い方に,わざわざお越しいただき質問を重ねた。
その方の話によると,考古学発掘の成果として8世紀半ばの出土と
判断されているものが,実はもっと遡れる可能性があるものの,
741年の聖武天皇の国分寺・国分尼寺造立の詔にしばられ,
そうなっていない現状があるということのようである。
その答えに,彼の学問に対する誠実さと正義感を私は感じた。
こういう「現場感覚」を得るための現地調査であったから,
それを得られたこの時間は,今回の現地調査の
収穫ナンバー・ワンというべきであろう。
また,塔1と同じ方位と思われていた塔2が,
実は東に数度偏っていたという事実も知ることができた。
(特別に,その資料のコピーを取っていただいた。ありがとうございました!)
まさに,「歴史は足にて知るべきものなり」(秋田孝季)であった。

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(4) 「武蔵国分寺跡」の見学

その後,講堂→金堂→中門→塔という順で,見学していった。
みんなの観察から,礎石が当時のものではないと思われた。
火災によって消失した際,庭石として持ち去られたのか,
新しい石を設置してあったり,柱を立てたるための平らな場所がなかったり,
石同士の高さのバランスがそろっていないものが多かった。
こういうところは,正確に展示してもらいたいものである。

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(5) 国分寺四中内の資料館

2週間前にお邪魔した資料館へ,昨日は8名でお邪魔した。
ここでも「方位」にこだわった質問や土器編年による年代判定への疑問を
担当者にぶつけてみる我々だった。
設置されているビデオで,「国分尼寺は,角度を変えて建て替えられている」
という事実を知ることができたのは収穫であった。
また,小ぶりの白鳳仏がこの近辺から出土したというが,
ぜひその場所も特定したいものだと思った。

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(6) 国分尼寺跡

その後,府中街道を渡り,武蔵野線のガードをくぐって国分尼寺へ。
境内を北上しつつ,見学をする。
国分寺とともに国分尼寺も,「多元的な解明」を待っているように思った。

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(7) 「多元的古代」体験通り 

西国分寺駅への帰り道にある,旧鎌倉街道の切り通しと
縄文時代(4000年前)の石敷き竪穴式住居を見学した。
駅への道は「史跡通り」と名前が付けられているのだが,
いつの日か「多元的古代」体験通りと名前を変えられるよう,
これからの研究を積み上げていきたい。

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(8) おまけ・・・その1 

まだ,5時前だったが,「千年の宴」にて反省会。
古田先生の研究に導かれての弟子同士が,
多元的な「3時間の宴」は楽しく時が流れていった。

(9) おまけ・・・その2

秋津の実家に寄って,引越の荷物の中から
江口桂著『古代武蔵国府の成立と展開』(同成社)を持ち帰った。
この本は8000円+税もするのだが,やはり買っておいてよかった。
図をみると,国府自身は南北方位で,その他のものも同様。
東山道武蔵路に近い「仏堂」という建物が,
「武蔵国分寺跡」に似て西に偏っているように見えた。

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(10) おまけ・・・その3

古賀さんから「古田史学会報」に「現地調査」の報告を
書いてほしいと依頼された。
私にその重責が務まるかどうかはわからないが,
とりあえず「肥さんの夢ブログ」に書いてみた。
ご笑覧下さい。

2015年9月 5日 (土)

今日と明日は「古田史学」デー

先日からお知らせしているように,
今日と明日は「古田史学」のための日となる。

9/5(土)・・・多元的「国分寺」論のための「武蔵国分寺」現地調査
国分寺駅改札,12時集合。西国分寺駅に移動して,3時間程度

9/6(日)・・・『盗まれた「聖徳太子」伝承』出版記念講演会
JR市ヶ谷駅近くの東京家政学院大学にて,午後1~4時

「歴史的な2日」となるので,ぜひお時間のある方はご一緒しましょう。
本日の案内人は,かの有名な肥さん(笑)です。

東山道武蔵路をはじめ,「古代日本ハイウェーは,九州王朝が作った軍用道路か?」
などと書いたり,また今回の調査の発端となった「武蔵国分寺跡」の南北方位が,
塔(東山道武蔵路,国分尼寺)とは違い,7度西偏しているなどと言い出した人です。
武蔵国分寺跡周辺は,肥さんの「庭」なので,土地勘もあり,
案内人をさせていただくことになりました。

明日の講演会は,2人の方が講演されます。

演題Ⅰ 聖徳太子の原像 ー姓は阿毎、字は多利思北孤ー
正木裕(古田史学の会事務局長)

演題Ⅱ 日出ずる処の天子と「肥後の翁」
古賀達也(古田史学の会代表)

どちらも聞きたいのはヤマヤマなのですが,午前中に練習試合があるため,
古賀さんの講演(14:20~15:40)に間に合うかどうかという感じでしょうか。

これらの様子については,明日・明後日の「夢ブログ」でお伝えします。

給食エプロンとテーブルクロスの持ち帰り

1校時の学年種目「台風の目」の練習や
午後の全体練習(組体操&ソーラン節)等で,
6分の4が体育祭関係なんてクラスもある
今日この頃である。

担任もそちらに気を取られて,
帰りの会(昼清掃の後に行われる)も慌(あわただ)しい。
ふと見ると,あるクラスで給食エプロンと
テーブルクロスが大量に残されていた。
他のクラスも似たり寄ったり・・・。(。>0<。)

これは大変と,前の黒板に「エプロンと
テーブルクロスをよろしく!」とお願いを書いて廻った。
その時点で,持って帰ってくれていたクラスは,
なんと5分の1のひとクラスだけだった。
果たして,他のクラスも持って帰ってくれるだろうか?

結果は,板書が功を奏して,全クラスが持って帰ってくれた。
「ご協力,ありがとうございま~す!」
給食点検表も5分の4提出され,我が1学年は,
2学期もいいスタートを切れたという次第。(o^-^o)

昨日の部活動 9/4

昨日は,午後4時~5時半のコマだった。
生徒たちで運営した。

最近は,男子だけでなく,女子にもアドバイスしている。
たとえば,サーブを入れるコツとか,
何をその生徒の特徴としていけばいいか等だ。
的確なアドバイスが大切だと思っているので,
日頃からの生徒たちの観察が問われるところである。
しかし,生徒たちはバレーボールが好きで集まっているわけで,
半分以上アドバイスは有効に働いていると思う。
もっともっとバレーボールを好きになってほしい。

最後に,9月~10月の予定表を配って解散した。
本日は,午後1~5時のコマだが,
用事のためK先生にお任せすることになる。
明日は午前中で,八王子との練習試合。
遠路はるばる来ていただけることになった。

楽天が逆転勝ちで49勝目

楽天 1 0 0 0 0 2 0 3 0 計6
ソフト1 0 3 0 1 0 0 0 0 計5

楽天が首位ソフトバンクに逆転勝ちで,
49勝目をあげた。

2点ビハインドの8回表,集中打で3点奪うと,
好継投で逃げ切った。

勝利投手は,リリーフをした武籐で,4勝目(2敗1S)。
松井裕に27セーブ目が付いた。

2015年9月 4日 (金)

「定食授業」の改良

丸読み,穴埋めプリント,答え合わせ,ビデオ等などで構成した
「定食授業」の改良を始めた。

要点は,「答え合わせ」が冗長になるのを避けるため,
早く穴埋めプリントを終えた者5~6人を指名して黒板に答を書いてもらい,
浮いた時間を解説やビデオ鑑賞に当てて,授業の改善を図るつもりだ。

昨日は,《世界の国旗》をやったクラス,
「バランスペンスタンド」の工作をやったクラス,
「定食授業」をやったクラスといろいろだった。
(「バランス・・・」は10分で終わります)

体育祭前となり,少し落ち着かない時期だが,
早く新しい授業の方式に慣れてもらいたい。

昨日の部活動 9/3

昨日はAさんの御通夜のために少し早く帰途についたので,
放課後の様子は書けないが,
K先生にもお願いしておいたし,
朝練のように生徒たちで練習できたと思う。

練習試合も他校から連絡をもらえ,
9月は,明後日の八王子中との練習試合皮切りに,
今のところ4日が予定されている。

朝練の時に,K先生に,
「女バレも,ボール運びが上手になってきて楽しみですね」
と言って差し上げた。
これは本当のことで,レギュラー全員ができるようになれば,
新人戦から「成果」が出ても不思議ではないと思っている。
女子は「突然上手くなる」ということはあまりないので,
1年間しっかりやってきたことが今花咲き始めているのだ。
私はずっと,今の2年生に,「君たちは勝てるチームになる。
一生懸命練習しなさい」と言い続けてきた。

Aさんの御通夜

先日亡くなったAさんの御通夜に行ってきた。
黒づくめの喪服が衣装の我々に対して,
「俺の時には,この写真で頼むよ」と言っていたと思われる,
明るいシャツを着たAさんが優しく微笑む写真が飾られていた。

お坊さんの読経が始まる前は,Aさんの好きなジャズも静かに流れ,
そのことを知る友人たちにとっては,Aさんを偲ぶよすがとなった。

「読経は50分を予定している」というアナウンスにたまげたが,
15分を過ぎた頃から焼香も始まり,
私は割りと前の方に座っていたので,待ち時間も少なく帰途につけた。
(私は,この後の「お清め」という時間が苦手なので・・・)

房yaに行って,マスターやYさん,Aさんを知るお客さんと,
個人的に「偲ぶ会」を行った。
この方が私らしい偲び方だと思ったからだ。

2015年9月 3日 (木)

衣被(きぬかつぎ)

房yaで夕飯を食べた。
「きぬかつぎ」がメニューにあったので注文して,
「この〈きぬかつぎ〉には,有名な俳句があってね」
とYさんにウンチクを傾けたまでは良かったが,なかなかその句を思い出せない。
最後に「俳句 きぬかつぎ 飲み屋のおかみ」でヒットした。

説明を「のっそり十兵衛」というサイトから。
長文だが転載させていただく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人悲します恋をして

「羅(うすもの)や 人悲します 恋をして」、鈴木真砂女の句である。
ドキッとする句だが、恋に生きる潔さを感じる。
羅とは、夏季に女性が身にまとう絹で織った網目の薄物のことだ。

真砂女は明治39年(1906)に、千葉県鴨川市の老舗旅館・
吉田屋旅館(現鴨川グランドホテル)の三女として生まれた。
日本橋高女3年の時、日本橋の靴問屋の次男と恋愛結婚し、一女を出産する。
しかし結婚7年目、夫は花札賭博の末に突然蒸発。
幼い娘は嫁ぎ先に引き取られ、鴨川の実家に帰る。

戻って10か月後に姉が肺炎で急逝。
姉の夫(義兄)と再婚し、旅館の女将として家業を継ぐことになる。
この時、姉の影響もあって俳句に興味を持ち、久保田万太郎らに師事する。
30歳の時、旅館に宿泊した年下で妻帯者の海軍士官と不倫の恋に落ち、後を追って出奔する。
その時詠んだ句が、冒頭の句であろう。その後家に戻るも、
夫婦関係は冷え切り50歳で離婚。
着の身着のままで一人、東京暮らしをすることになる。
「夫運 なき秋袷(あわせ) 着たりけり」と、夫運の無さを詠んでいる。

生きるために構えたのが、銀座1丁目の細い路地の小さな小料理屋だった。その名は「卯波」。
「あるときは 船より高き 卯波かな」と詠んでいるが、この句からの命名であろう。
卯月のころ海に立つ波、卯の花の風にそよぐように立つ穏やかな波のことを言うようだ。

この店、文人や俳人に愛される名店となった。保証人は丹羽文雄だったという。
その後は「女将俳人」として7冊の句集を刊行し、『銀座に生きる』などのエッセイも執筆した。
平成15年、波乱万丈の96歳の生涯を終えた。
「幸は 逃げてゆくもの 紺浴衣」と詠んだゆかりの幸稲荷神社が近くで見守る。
辞世に、「戒名は 真砂女でよろし 紫木蓮」と詠んでいる。
 
鈴木真砂女に会いたくなり、銀座1丁目に向かった。
地図を頼りに、並木通りを行ったり来たり探すが、一向に見つからない。
向かいの画廊のご主人に、「卯波という小料理屋はどこですか」と聞くと、
「もう閉店して、昨日荷物を出していたよ」とのことだった。
見つからないはずだ。すし家「一柳」の看板が掛っていた。

腹も減ってきた。元タカラジェンヌが切り盛りするバー「小ぶね」に行ってみることにする。
開業から50年を迎える。カウンターに立つのは40期生で
男役として活躍した関弘子さん(78歳)だ。
20代で宝塚歌劇団を退団し、銀座7丁目に開業した。
店の名は、現役時代の芸名「天乃小舟」から付けた。
夜はバーだが、昼は800円のハヤシライスが看板メニューだ。
「太田さんちのハヤシライス」と書いてある。

入口にご婦人2人が立っていた。「いっぱいですか」と尋ねると、
「1人なら大丈夫ですよ」と言うので、「こんちわ」と中へ入る。
タカラジェンヌの面影は最早ない。
「ご飯がなくなっちゃったの。ごめんなさい」ということで、ハヤシライスを食い損ねた。
歩いて5分のところに東京宝塚劇場がある。
時々出前の注文があり、現役タカラジェンヌの人気の一品でもあるようだ。
隣りはスペインバル「オラ(Hola!)」だった。

真砂女は恋の句を数多く残した情熱の女将俳人として、
丹羽文雄の『天衣無縫』、瀬戸内寂聴の『いよよ華やぐ』のモデルになった。
実家の鴨川グランドホテルには、「鈴木真砂女ミュージアム」が設置されている。
文学座所属の女優・本山可久子は真砂女の娘だ。瓜二つである。

店のマッチに、「鴨引くや 人生うしろ ふりむくな」と書かれている。
前を向いて歩けとの応援歌だ。
いく度かの大波を乗り越えて、真砂女の最晩年の静かな境地を詠んだ一句がある。
「今生の いまが倖せ 衣被(きぬかつぎ)」

午前中の「空き時間」を生かして

昨日は「小中交流」がなく,
午前中「空き時間」となったので,
いろいろな仕事ができた。

(1) 皮膚科に寄って,タコの治療を開始した。
(2) 部活通信(狭山丘陵杯の特集)を作った。
(3) 生徒会本部役員選挙の公示の資料を作った。
(4) (3)を「拡大くん」で3枚(各学年の階2に1枚ずつ)拡大した。
(5) 選管メンバーの一覧表を作った。
(6) 男バレの練習試合を電話で調整した。
(7) 浄書係の先生に数枚の賞状をお願いした。
(8) 小学校の教務の先生と連絡をとり,
来週の9日(水)と30日(水)が「小中交流」となった。

ということで,いろいろな仕事が進んだ。
午後は,真夏のような日差しの下,組体操の隊形作りをした。
よく倒れる生徒が出なかったものだ。

昨日の部活動 9/2

昨日は,午後4時~5時半のコマだった。
生徒たちだけで,運営した。

男バレも女バレも張り切って練習しており,
これから新人戦に向けて楽しみである。

練習試合の訂正と追加を。

9/6(日)・・・八王子中が来校するのは,「午前中」となりました。
9/20(日)・・・午前中,霞ヶ関中へ練習試合に。向陽中も来るそうだ。
9/22(火)・・・午前中,豊岡高校へ練習試合に。S君(高1のOB)にも会える。
9/23(水)・・・朝から1日中,新座中へ。複数校との練習試合。

「通信」で,狭山丘陵杯(Т・C)の様子を伝えた。

「此の木戸」のすごさ

翔空さんのリクエストにお応えして,「此の木戸」のすごさを載せます。
〈「ヴィジュアル版 江戸城を歩く」で江戸城を歩く〉という
長い題名のブログから,転載です。
私は,古田武彦氏の『失われた日本』(ミネルヴァ書房から復刊)で読みましが,
今引越で手元にその本がないもので。

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・・・江戸城の地図が載っている「江戸城を歩く」(下記)へ行く前
にここが一番気になっておりましたので最初はここです。

「江戸の部落」に載っていた、東宮御所近くの鮫が橋跡地に行って来ました。
凄いところだったみたいで、「江戸の部落」と「江戸の非人」に詳しく出ています。(下記)
今は、影も形もありません。
この看板の後ろを振り向くと皇宮警察本部 赤坂護衛署
鮫が橋警備派出所があります、鮫が橋があった名残でしょう。

なぜ、鮫が橋に興味があるかと言いますと、松尾芭蕉が句会を行っておりました。
そこに地方の弟子が「柴の戸の 錠のさしたる 冬の月」てな句を送って来たそうです。

これは「此の木戸の 錠のさしたる 冬の月」の間違いではないかと、芭蕉が思い、
版木が出来ていたにも拘らず版木をキャンセル、この句を載せたとあります。

「この柴」では、郊外で遊んで江戸の町には入れなかった、「木戸」がある、
しかたがない今日は郊外で一泊するか?というような句になるそうですが、ここからが本番。
「此の木戸」は江戸城の木戸 江戸城の錠ですね、
その中の人々は、きらくに人生を送っていて、なんの心配もない。
お濠の外に住んでいる人は明日の米(ご飯)にも困る人々です。

「冬の月」は永遠に変わらないもの「此の木戸は」変わりゆくもの
木戸の中の人々ゆめゆめ油断めされるな、ですが。
結果は既に出ています「木戸の中」の主人が替っています。

鮫が橋に棲むスラムの人々、道一本隔てて東宮御所「木戸」の内と外
そんなんで此の鮫が橋に強い興味を抱く訳です。

参考 古代史の十字路 万葉批判 古田武彦 著

   人麿の運命        古田武彦 著

2015年9月 2日 (水)

-『盗まれた「聖徳太子」伝承』出版記念講演会-

土曜日に「国分寺の現地調査」に出かけるので,
日曜日の古田史学の会の講演会には参加できないと諦めていたのですが,
なんと部活動が午前中となったので,
なんとか古賀さんの講演に間に合いそうな情勢になってきました。
講演会の要旨を掲載いたします。

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「日出ずる処の天子」と聖徳太子の真実

『盗まれた「聖徳太子」伝承』(古田史学の会編)は、
従来聖徳太子のものとされてきた伝承・事績が実は誰のものであったのかを、
九州王朝説の立場から様々な角度で論証するもので、
古田史学の会では出版を記念し
東京家政学院大学、明石書店ほかのご協力を得て講演会を開催します。


講演会開催次第:平成27年9月6日(日)

13:00開会、主催者あいさつ

13:10~14;20

演題Ⅰ
聖徳太子の原像
ー姓は阿毎、字は多利思北孤ー
正木裕(古田史学の会事務局長)

14;20~14;30休憩

14:20~15:40

演題Ⅱ
日出ずる処の天子と「肥後の翁」
古賀達也(古田史学の会代表)

15:40~16:00
質疑・応答

16:00終了

『日本書紀』では、厩戸皇子が推古天皇の摂政として仏教を崇拝し、
遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれ、
冠位12階や17条憲法を定め、推古29年(621)2月5日に没したとしています。
そして厩戸は「日出る処の天子」と名乗り「隋」との対等外交をすすめた
「聖徳太子」として様々な伝承と共に後世に伝えられています。

しかし、同時代の俀(倭)国の実情を記した『隋書』には、
厩戸は勿論、推古天皇も見えず、「俀(倭)王」は多利思北孤であり、
俀(倭)国には阿蘇山有りと記されています。

また、法隆寺『釈迦三尊像光背銘』の「上宮法皇」は聖徳太子とされていますが、
その登遐年月日は『書紀』に記す厩戸の薨去年月日と相違する上、
母・妻の名も厩戸と合わず、そこに記す「法興」という年号は大和朝廷にはありません。
それでは「聖徳太子」として伝えられる人物とは一体誰のことだったのでしょうか。

本講演では九州王朝説の立場からこの疑問に答えます。
聖徳太子・「日出る処の天子」に関心をお持ちの方、是非ご参加ください。

日時:平成27年9月6日(日)午後1時~4時
場所:東京家政学院大学千代田キャンパス内
1号館4階 階段教室(1407)
◎予約不要、当日受付。参加費 1,000円

世界遺産候補「沖ノ島」出土土器は九州製

多元的「国分寺」論に気を取られていたので,
あやうく「沖ノ島のことを書いている記事」を見逃すところでした。
あぶない,あぶない。(^-^;
またまた古賀さんの「洛中洛外日記」を転載させていただきます。
(このところ,「夢ブログ」のアクセスカウンターが300/日以上
=実際の閲覧は約半分150の日が多くなっています。
多くの人に歴史の真実を知ってもらいたいと思います)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第142号 古田史学の会「洛洛メール便」 2015年08月31日

前略。 「古田史学の会」の竹村です。
洛洛メール便をお届けします。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1039話 2015/08/30
世界遺産候補「沖ノ島」出土土器は九州製

「洛中洛外日記」1009話(2015/07/28)で
九州王朝の聖地「沖ノ島」が世界遺産候補となったことに触れました。
「洛中洛外日記【号外】」(2015/08/26)でも沖ノ島の国宝、
金銅製龍頭(こんどうせいりゅうず)について紹介しました。
沖ノ島の祭祀遺跡からは4~9世紀にかけての奉納品が発見されていますが、
それらは大和朝廷が奉納したものと解されてきました。
しかし、沖ノ島から出土した土器のほとんどが北部九州製で、
一部が山口県の土器であることが明らかになっています。
したがって、沖ノ島は大和朝廷の祭祀遺跡ではなく、
太宰府を首都とした九州王朝(倭国)の祭祀遺跡と考えざるを得ないのです。
詳細は古田先生の『ここに古代王朝ありき邪馬一国の考古学』をご参照ください。
沖ノ島が九州王朝の聖地であることを、世界遺産候補となったこの機会に、
古田史学・九州王朝説を広く社会に紹介していきたいと思います。

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てんこ盛りの2学期初日

昨日は,てんこ盛りの2学期初日だった。

1校時・・・始業式
2校時・・・手品「形状記憶・折鶴」と授業書《世界の国旗》S・V
3校時・・・手品「形状記憶・折鶴」と授業書《世界の国旗》S・V
4校時・・・手品「形状記憶・折鶴」と授業書《世界の国旗》S・V
5校時・・・手品「形状記憶・折鶴」と授業書《世界の国旗》S・V
6校時・・・避難訓練

※ S・Vとは,ショート・バージョンの意

ということで,「空き時間」なしの,「6分の6」満杯。
手痛い洗礼を受けた。
放課後にも学年会が1時間半。
部活は「定休日」でなかったが,帰宅後に「歯医者復活戦」。

また,「3丁目の夕日」は今日も休みだったが,
楽天が則本の先発で,オリックスに逆転勝ちと,
まあ,なかなか忙しい2学期初日だった。

手品は「形状記憶・折鶴」,授業は《世界の国旗》

始業式に授業を4時間やるとは,
30年前には考えられなかったことだ。
しかし,そこは肥さん。
手品は「形状記憶・折鶴」,授業は《世界の国旗》で乗り切った。
(昨日は,2つの空き時間が始業式と避難訓練で埋まり,
6分の6の満杯となっていた)

中1の夏休み明け用のS・V(ショート・バージョン)で,
板倉さんの授業書のストーリーを世界の国旗を黒板に貼ってははがし,
まとめプリントに語句を記入していく。

ちょうど1時間目は,校長先生が教室巡りに来た時で,
世界の国旗が黒板に貼られているのをご覧になり,興味深げだった。
生徒たちの感想も,おおむね好評だった。
やはり授業書は,ひと味も,ふた味も違うネ!(o^-^o)

楽天の投打が噛み合い48勝目

オ リ 0 0 0 1 0 0 1 0 0 計2
楽天 0 0 0 4 0 0 0 0 X 計4

楽天が4回裏の集中攻撃で逆転し,
投打が噛み合い48勝目をあげた。

投げては,則本が8回2失点で7勝目(10敗)。
松井裕が26セーブ目をあげた。

2015年9月 1日 (火)

今週の予定

充実した夏休みを終え,いよいよ2学期。
今週は,こんな予定だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1日(火) 始業式,授業書《世界の国旗》S・Vの授業開き,
今月の手品は「サークル・トゥ・スクエア」をやろうと思っている。
(物体が四角くなったり,丸くなったりする手品)
45分授業で体育祭(9/12)の練習,5時半下校,
部活の「定休日」→歯医者復活
2日(水) 小学校との打ち合わせ,選挙管理委員会(2)
3日(木) 本部役員の選挙公示,Aさんの御通夜(午後6時)
4日(金)
5日(土) 武蔵国分寺の現地調査(午後)(o^-^o)
6日(日) 八王子中と練習試合(本校にて午後)(o^-^o)

※ S・Vとは,「ショート・バージョン」の意

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

う~ん,なかなか忙しそうだ。(特に,本日)
でも,週末には「楽しみ」が待っているよ!

第1回狭山丘陵杯(Т.C)行われる

「夏休みの練習の成果を披露し合い,
新人戦に向けてステップアップしていこう」
という趣旨の上記の会を昨日行った。

集まったのは,ふじみの市立花の木中,川越市立鯨井中,本校の3校だった。
(ちょっと少ないが,最初は4校だった。時期が早ければもっと多かっただろう)

【対戦成績】

花の木中 VS 鯨井中 0ー2(14ー25,23ー25)
花の木中 VS 本校 0ー2(2ー25,18ー25)
鯨井中 VS 本校 0ー2(11ー25,18ー25)

本校・・・2勝0敗
鯨井中・・・1勝1敗
花の木中・・・0勝2敗

ということで,第1回狭山丘陵杯(Т.C)は,本校が優勝と相成った。
2位の鯨井中もなかなか面白いチームだったし,
3位の花の木中も粘って試合を盛り上げてくれた。

来年は.時期を早めて行う予定なので.
ぜひ今回の2校を含め,多くの学校が参加してほしい。
今回参加できなかった学校も,「来年はぜひ参加したい」」と
熱心なお返事をいただいている。

134

【午後の練習試合】

花の木中 VS 鯨井中 17ー25,15ー25
花の木中 VS 本校 13ー25,11ー25,9ー25
鯨井中 VS 本校 10ー25,13ー25
(これで,練習試合45。41勝4敗である。勝率9割越え!)

お世話になった木下兄コーチをはじめとしたOBの皆さん,
在校生たち(3年生や女バレ有志),保護者の皆さん,参観された先生方,
花の木中と鯨井中の皆さん,アドバイスをいただいた方々,
すべてのお世話になった皆さんに感謝いたします。(もちろん,男バレにも!)

【今後の予定】

9月6日(日)・・・八王子中が来校して練習試合(午前)
9月20日(日)・・・午前中,霞ヶ関中へ練習試合に。向陽中も来るそうだ。
9月22日(火)・・・午前中,豊岡高校へ練習試合に。S君(高1のOB)にも会える。
9月23日(秋分の日)・・・新座中にお邪魔して1日練習試合(要・弁当)

10月2日(金)・・・本校にて新人戦・市予選(たぶん)(要・弁当)

あるアンケート~「戦争法案」で喧(かまびす)しい夏の終わりに

自分の国の「国歌」を歌う時,
あなたはどういう気持ちで歌う(歌わない)だろうか?
あるいは,音楽の先生が生徒たちに,「国歌」を歌わせるとしたら,
意味を教えてそうするのだろうか,それとも意味は二の次で,
とにかく歌詞を歌わせればよいとするのだろうか?

ある先生が調べた,日本の「国歌」についての調査(20年近く前のもの)が,
このほど見つかった。
参考になればと思い,転載させていただく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

質問1 「国歌」のなかの「君」とは,誰を指していると思いますか?

→ あなた(3),国民(10),天皇(7名),自分(3人)

質問2 「千代に八千代に」はどういう意味か知っていますか?

→ 知らない(19人)
知っている(4人。ず~と長くいつまでも,長生きする,長い年月,地名)

質問3 「さざれ石の巌(いわお)となりて苔のむすまで」の意味を知っていますか?

→ 知らない(20人)
知っている(3人。さざれ石に苔がはえるまで,石の音,苔がはえるまでの長い間)

質問4 「君が代」の歌詞には,北九州にある地(神)名の
「千代」「細(さざれ)石神社」「井原(いわら)」「苔牟須売(こけむすめ)の神」
が出てきます。あなたは「君が代」はどこで生まれたと思いますか?

→ 北九州(18人),南九州(3人),その他(3人。東京,天皇の家)

古田武彦著『「君が代」は九州王朝の讃歌』(新泉社)という本がある。
このアンケートを作った方は,その本を読んでいたと思われる。

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